マイエラ地方出身、マスター・ライラスの養女。
06:大聖堂へ至る陰謀編〜1〜
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深夜。
アンジェリカは、目を閉じ、息を殺して耳を澄ませていた。同室の三人の修道士見習い達は、皆ぐっすり眠り、寝息を立ている。
サージュは、上手くやってくれたらしい。アンジェリカは、スッキリと目が覚め、何時でも体を動かせる状態だ。
暫くすると、足音が聞こえて来た。一人や二人では無い。見回りにしては多過ぎる。
やがて、部屋のドアが大きく音を立てて開いた。アンジェリカは、飛び上がりそうになるのを、決死の思いで堪え、寝たふりを続けた。
「この女性か」
「ああ、そうだ」
「なんでまた、今日に限って戻って来たのだ!」
「⋯⋯間違い無く眠っているか?」
一人がアンジェリカの肩の辺りを揺さぶった。
「⋯⋯ん」
アンジェリカは、精一杯それらしく、不満の声を漏らし、寝返りを打った。
「大丈夫だ。問題無い」
騎士団員達は、足跡を殺しながら、部屋を去って行った。
アンジェリカは念のため、心の中で十数え、もう一度寝返りを打って、部屋の中を薄めで確認した。騎士達は、みんな出て行った様だ。
彼女は静かに身体を起こし、腰に装備していた短剣を確認すると、ベッドから出た。
扉のノブを捻る直前に、ある事に閃いた。外に、誰かが控えている可能性は、無いだろうか。
ここまで来たら、一部の騎士団員達がマルチェロを害そうとしているのは確実。加担している過半数の者がマルチェロの部屋に向かっただろう。しかし、今晩、この宿舎の中で確実にマルチェロ贔屓と分かっている人間を、放っておくだろうか。
アンジェリカは、胸がむかつくのを、我慢した。敵にも、分別がある。出来れば彼女を殺さずに済んだ方が良いと思っている。だから、わざわざ部屋まで確かめに来て、何もせずに出て行ったのだ。
アンジェリカも、出来れば⋯⋯いや、絶対に人を殺したくは無かった。しかし、この部屋からは出なければいけない。
彼女は、大きく深呼吸して気持ちを整え、扉を一回だけノックした。
すると、間髪入れずに外側から開き、騎士が一人入って来た。アンジェリカは、すかさずラリホーを唱えると、微睡んで倒れて来た男の身体を、死ぬ気で支え、そっと床に下ろした。
誰かが駆けつけて来ないか耳を澄ませ、彼女は一気に青ざめた。既に鍔迫り合いの音が聞こえる。だから、誰も気が付かなかったのだ。
「マルチェロ様⋯⋯」
アンジェリカは、足早にマルチェロの部屋へ向かった。扉は開いていた。その向こうの光景を目にして、彼女は悲鳴を挙げそうになった。
二人の騎士が息絶え、壁際に血みどろで倒れ伏していた。殺したのはマルチェロだ。剣が濡れている。
しかし、流石の彼も、多勢に無勢。五人の騎士に囲まれ、左肩と右足に刺し傷を負っていた。
「観念しろ。修道院長の仕事が、下賤の者に務まるはずもなかろう!」
騎士達は、誰一人として背後に現れた少女の存在に気付いてはいない。
「高貴な血がどれほどのものか!」
マルチェロは、傷を負っているとは思えぬ程、落ち着いた声で返した。彼の緑色の瞳が、一瞬アンジェリカと合った様な気がした。しかし、彼は一切表情に出さなかった。
「群れ、徒党を組まなければ、成り上がりの騎士団長一人、相手に出来ぬとは」
「貴様⋯⋯調子に乗るなよ!!」
騎士達は一斉に剣を振り上げた。
アンジェリカの頭の中は真っ白になった。
父を亡くし、母を亡くし、養父を亡くし、恩人のオディロ院長を亡くした。そろそろ、死に抵抗するべきだ。
躊躇っていては、手遅れになる。彼女は、冷静な思考を投げ捨て、短剣を抜いた。
「よせ!」
初めて、マルチェロの顔に恐怖の色が浮かんだ。騎士達は、それを自分たちに対する恐れと捉えた。
「その顔を、ククールに見せて──」
騎士は、突如発すべき声を失った。
「な⋯⋯なんだ⋯⋯と⋯⋯」
彼は、ワケも分からぬ内に、床に崩れ落ちた。血に塗れた短剣を手に、アンジェリカはガタガタと震え、その場に凍り付いてしまった。
「わ⋯⋯私⋯⋯あ⋯⋯ひと⋯⋯人を」
騎士達は、それを見逃さなかった。一人がアンジェリカの背後に回って拘束し、首筋に剣を突き付けた。彼女は短剣を取り落とし、血塗れの手をぎゅっと握り締めた。自分は、行動を誤ったのだと分かった。
騎士達は、勝ち誇った様にマルチェロに詰め寄る。
「この女を殺されたいか?!」
「殺せ」
マルチェロは即答した。騎士達の方が、驚き戸惑った。
「何を驚いている。さっさと殺せ。その女は、命懸けで私を助けに来た。本望だろう」
「貴様──」
その瞬間、アンジェリカを拘束していた男の身体が、突如バランスを崩した。彼女はまだ愕然としながらも、なんとか腕を振り払い、マルチェロの側に立ち、両手を広げて彼を守る姿勢を取った。
全員が部屋の入り口に注目すると、小さな修道士見習いが、本を抱えて立っていた。アンジェリカを拘束していた騎士は、聖書の角で頭をぶん殴られたのだ。
騎士は、アンジェリカの代わりにサージュを拘束しようとした。しかし、アンジェリカの方が素早く動いた。落とした短剣を拾い、スクルトとバイキルトで強化した足で、思い切り騎士の鳩尾を蹴り上げ、サージュの元へ行き、彼を背に庇った。
「逃げなさい!! 早く!!!」
「その必要は無い」
サージュの後ろから、新たな助っ人が現れた。ジーノ、フェデーレ、ワルターを中心とした、十数名の騎士達が部屋に雪崩れ込んで来たのだ。
「全員武器を捨てろ!」
ジーノの命令に従う者はいなかった。仮に大人しく投降したとしても、激しい拷問の末、処刑されるのだ。
あっという間に、アンジェリカの周りは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。彼女は吐き気を堪え、サージュを壁際まで引っ張って行き、死闘に巻き込まれない様にするのが精一杯だった。
謀反を企てた者が、全員絶命するのに五分も掛からなかった。
部屋中が血だらけになった。何処を歩いても、靴に赤が纏わりつく。
放心状態で座り込んでいるアンジェリカの元へ、マルチェロがゆっくりと歩み寄った。彼は自分も膝をついてアンジェリカと向き合い、肩を強く揺さぶった。
「しっかりしろ!!!」
「わ⋯⋯たし⋯⋯人を⋯⋯人をっ」
彼女は涙ぐみ、嘔吐した。大罪を犯したのだ。
危険人物と判断しながら、極力自分を生かそうとしてくれた騎士を、刺し殺した。
「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい!!!」
「お前のせいでは無い。今は⋯⋯」
マルチェロは、自分の傷を癒し、次にアンジェリカにラリホーを掛けた。彼女は涙を流しながら、気を失ってしまった。
「マルチェロ様」
肩で息をしながら、ジーノが指示を仰ぎに来た。
「死体を地下牢へ。奴らと親交のあった修道士や騎士達も調べる必要がある」
マルチェロは、至って冷静だった。ジーノは激しい怒りを覚え、噛み付いた。
「あと少し我々が遅れていたら⋯⋯サージュが気を利かせなければ、貴方はアンジェリカ殿を見殺しにするおつもりだったのですか?!」
「何が問題だ? あの場で、この娘を見捨てなければ、私が殺されていた」
「しかし──」
「しかしこの娘は生き残った」
マルチェロは、上着を脱ぎ、惜しむことなくそれでアンジェリカの手を拭った。
「私も生き残り、貴族どもは死んだ。その結果が全てだ」
彼は、死人の様な少女を抱き上げ、ざっと部屋を見回した。
「夜明けまでに此処を片付ける。此奴らと親交のあった者どもを、叩き起こして鎖に繋いでおけ。お前たちが出来ぬのなら、私自ら拷問しよう」
「貴方は最低な人間だ!!!」
突然、サージュが大声で叫んだ。騎士達は一斉に彼に注目した。
「命懸けで貴方を守ろうとした人を、見捨てるなんて!!! アンジェリカさんが、どれほど貴方を思っていたか!!!!」
「そうまで言うのなら、貴様が守ってやれば良かっただろう」
マルチェロは、動揺せず、冷たい声色で返した。
「剣を持った事も無い非力な人間に、何が出来る?」
「マルチェロ様、まだ子供です!」
ジーノが、鬼気迫った声で間に入った。しかし、マルチェロは引かなかった。
「言っておくが、誰の庇護も受けずに、この世界で生きて行くのは、想像以上に厳しいものだ。綺麗事を並べて明日を保証できるというのなら、情というものを大切に抱えているがいい」
「⋯⋯剣が無くても」
サージュは刃の様な視線を、マルチェロへ送った。
「必要があれば、聖書で人を殴り殺します」
その場にいた全員が、言葉の鋭さと、年齢不相応の静けさに戦慄した。子供の器に、何かとてつもなく邪悪なものが宿っている様に思えた。
マルチェロだけが、いつも通りの態度で部屋の入り口へ歩き始めた。
「この娘を、オディロ院長の部屋で休ませる。⋯⋯修道士見習いサージュも、部屋に戻れ」
誰も、マルチェロの感情を読み取ることは出来なかった。
ジーノは、真横で怒り狂っているサージュの肩に、手を置いた。
「この光景を見て、泣き叫ばないとは、見上げた根性だ」
「僕⋯⋯私の家族は、ドニの街の海沿いで暮らしていましたが、盗賊に襲われたんです。私が人質に取られた時、母はいつも拝んでいた木彫りの女神像で、暴徒を殴り殺しました。⋯⋯逃げろと言われて、私は一人で此処へ逃げ込んだんです!」
サージュは、両手の拳を強く握りながら、涙をボロボロと溢した。
「オディロ院長の教えを受け、神のご加護のお陰で生き延びたのだと思える様になったのですが⋯⋯やはり違った。僕は、人に守られ、生かされたんだ⋯⋯」
「そんな事が⋯⋯」
ジーノは深い悲しみを覚えた。マイエラ修道院に来る子供達は、皆其々悲しい事情を抱えている。彼自身、幼い頃に流行病で両親を亡くしていた。
しかし、サージュは目の前で人が殺される光景を目にしたのだ。母親が、サージュのために罪を犯した所を見たのだ。
「部屋に戻ろう。お前には休息が必要だ」
「いいえ。聖堂に行きます。⋯⋯私の罪と、アンジェリカさんの罪が赦される様に、祈ります。今の僕には、それしか出来ない⋯⋯」
アンジェリカは、目を閉じ、息を殺して耳を澄ませていた。同室の三人の修道士見習い達は、皆ぐっすり眠り、寝息を立ている。
サージュは、上手くやってくれたらしい。アンジェリカは、スッキリと目が覚め、何時でも体を動かせる状態だ。
暫くすると、足音が聞こえて来た。一人や二人では無い。見回りにしては多過ぎる。
やがて、部屋のドアが大きく音を立てて開いた。アンジェリカは、飛び上がりそうになるのを、決死の思いで堪え、寝たふりを続けた。
「この女性か」
「ああ、そうだ」
「なんでまた、今日に限って戻って来たのだ!」
「⋯⋯間違い無く眠っているか?」
一人がアンジェリカの肩の辺りを揺さぶった。
「⋯⋯ん」
アンジェリカは、精一杯それらしく、不満の声を漏らし、寝返りを打った。
「大丈夫だ。問題無い」
騎士団員達は、足跡を殺しながら、部屋を去って行った。
アンジェリカは念のため、心の中で十数え、もう一度寝返りを打って、部屋の中を薄めで確認した。騎士達は、みんな出て行った様だ。
彼女は静かに身体を起こし、腰に装備していた短剣を確認すると、ベッドから出た。
扉のノブを捻る直前に、ある事に閃いた。外に、誰かが控えている可能性は、無いだろうか。
ここまで来たら、一部の騎士団員達がマルチェロを害そうとしているのは確実。加担している過半数の者がマルチェロの部屋に向かっただろう。しかし、今晩、この宿舎の中で確実にマルチェロ贔屓と分かっている人間を、放っておくだろうか。
アンジェリカは、胸がむかつくのを、我慢した。敵にも、分別がある。出来れば彼女を殺さずに済んだ方が良いと思っている。だから、わざわざ部屋まで確かめに来て、何もせずに出て行ったのだ。
アンジェリカも、出来れば⋯⋯いや、絶対に人を殺したくは無かった。しかし、この部屋からは出なければいけない。
彼女は、大きく深呼吸して気持ちを整え、扉を一回だけノックした。
すると、間髪入れずに外側から開き、騎士が一人入って来た。アンジェリカは、すかさずラリホーを唱えると、微睡んで倒れて来た男の身体を、死ぬ気で支え、そっと床に下ろした。
誰かが駆けつけて来ないか耳を澄ませ、彼女は一気に青ざめた。既に鍔迫り合いの音が聞こえる。だから、誰も気が付かなかったのだ。
「マルチェロ様⋯⋯」
アンジェリカは、足早にマルチェロの部屋へ向かった。扉は開いていた。その向こうの光景を目にして、彼女は悲鳴を挙げそうになった。
二人の騎士が息絶え、壁際に血みどろで倒れ伏していた。殺したのはマルチェロだ。剣が濡れている。
しかし、流石の彼も、多勢に無勢。五人の騎士に囲まれ、左肩と右足に刺し傷を負っていた。
「観念しろ。修道院長の仕事が、下賤の者に務まるはずもなかろう!」
騎士達は、誰一人として背後に現れた少女の存在に気付いてはいない。
「高貴な血がどれほどのものか!」
マルチェロは、傷を負っているとは思えぬ程、落ち着いた声で返した。彼の緑色の瞳が、一瞬アンジェリカと合った様な気がした。しかし、彼は一切表情に出さなかった。
「群れ、徒党を組まなければ、成り上がりの騎士団長一人、相手に出来ぬとは」
「貴様⋯⋯調子に乗るなよ!!」
騎士達は一斉に剣を振り上げた。
アンジェリカの頭の中は真っ白になった。
父を亡くし、母を亡くし、養父を亡くし、恩人のオディロ院長を亡くした。そろそろ、死に抵抗するべきだ。
躊躇っていては、手遅れになる。彼女は、冷静な思考を投げ捨て、短剣を抜いた。
「よせ!」
初めて、マルチェロの顔に恐怖の色が浮かんだ。騎士達は、それを自分たちに対する恐れと捉えた。
「その顔を、ククールに見せて──」
騎士は、突如発すべき声を失った。
「な⋯⋯なんだ⋯⋯と⋯⋯」
彼は、ワケも分からぬ内に、床に崩れ落ちた。血に塗れた短剣を手に、アンジェリカはガタガタと震え、その場に凍り付いてしまった。
「わ⋯⋯私⋯⋯あ⋯⋯ひと⋯⋯人を」
騎士達は、それを見逃さなかった。一人がアンジェリカの背後に回って拘束し、首筋に剣を突き付けた。彼女は短剣を取り落とし、血塗れの手をぎゅっと握り締めた。自分は、行動を誤ったのだと分かった。
騎士達は、勝ち誇った様にマルチェロに詰め寄る。
「この女を殺されたいか?!」
「殺せ」
マルチェロは即答した。騎士達の方が、驚き戸惑った。
「何を驚いている。さっさと殺せ。その女は、命懸けで私を助けに来た。本望だろう」
「貴様──」
その瞬間、アンジェリカを拘束していた男の身体が、突如バランスを崩した。彼女はまだ愕然としながらも、なんとか腕を振り払い、マルチェロの側に立ち、両手を広げて彼を守る姿勢を取った。
全員が部屋の入り口に注目すると、小さな修道士見習いが、本を抱えて立っていた。アンジェリカを拘束していた騎士は、聖書の角で頭をぶん殴られたのだ。
騎士は、アンジェリカの代わりにサージュを拘束しようとした。しかし、アンジェリカの方が素早く動いた。落とした短剣を拾い、スクルトとバイキルトで強化した足で、思い切り騎士の鳩尾を蹴り上げ、サージュの元へ行き、彼を背に庇った。
「逃げなさい!! 早く!!!」
「その必要は無い」
サージュの後ろから、新たな助っ人が現れた。ジーノ、フェデーレ、ワルターを中心とした、十数名の騎士達が部屋に雪崩れ込んで来たのだ。
「全員武器を捨てろ!」
ジーノの命令に従う者はいなかった。仮に大人しく投降したとしても、激しい拷問の末、処刑されるのだ。
あっという間に、アンジェリカの周りは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。彼女は吐き気を堪え、サージュを壁際まで引っ張って行き、死闘に巻き込まれない様にするのが精一杯だった。
謀反を企てた者が、全員絶命するのに五分も掛からなかった。
部屋中が血だらけになった。何処を歩いても、靴に赤が纏わりつく。
放心状態で座り込んでいるアンジェリカの元へ、マルチェロがゆっくりと歩み寄った。彼は自分も膝をついてアンジェリカと向き合い、肩を強く揺さぶった。
「しっかりしろ!!!」
「わ⋯⋯たし⋯⋯人を⋯⋯人をっ」
彼女は涙ぐみ、嘔吐した。大罪を犯したのだ。
危険人物と判断しながら、極力自分を生かそうとしてくれた騎士を、刺し殺した。
「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい!!!」
「お前のせいでは無い。今は⋯⋯」
マルチェロは、自分の傷を癒し、次にアンジェリカにラリホーを掛けた。彼女は涙を流しながら、気を失ってしまった。
「マルチェロ様」
肩で息をしながら、ジーノが指示を仰ぎに来た。
「死体を地下牢へ。奴らと親交のあった修道士や騎士達も調べる必要がある」
マルチェロは、至って冷静だった。ジーノは激しい怒りを覚え、噛み付いた。
「あと少し我々が遅れていたら⋯⋯サージュが気を利かせなければ、貴方はアンジェリカ殿を見殺しにするおつもりだったのですか?!」
「何が問題だ? あの場で、この娘を見捨てなければ、私が殺されていた」
「しかし──」
「しかしこの娘は生き残った」
マルチェロは、上着を脱ぎ、惜しむことなくそれでアンジェリカの手を拭った。
「私も生き残り、貴族どもは死んだ。その結果が全てだ」
彼は、死人の様な少女を抱き上げ、ざっと部屋を見回した。
「夜明けまでに此処を片付ける。此奴らと親交のあった者どもを、叩き起こして鎖に繋いでおけ。お前たちが出来ぬのなら、私自ら拷問しよう」
「貴方は最低な人間だ!!!」
突然、サージュが大声で叫んだ。騎士達は一斉に彼に注目した。
「命懸けで貴方を守ろうとした人を、見捨てるなんて!!! アンジェリカさんが、どれほど貴方を思っていたか!!!!」
「そうまで言うのなら、貴様が守ってやれば良かっただろう」
マルチェロは、動揺せず、冷たい声色で返した。
「剣を持った事も無い非力な人間に、何が出来る?」
「マルチェロ様、まだ子供です!」
ジーノが、鬼気迫った声で間に入った。しかし、マルチェロは引かなかった。
「言っておくが、誰の庇護も受けずに、この世界で生きて行くのは、想像以上に厳しいものだ。綺麗事を並べて明日を保証できるというのなら、情というものを大切に抱えているがいい」
「⋯⋯剣が無くても」
サージュは刃の様な視線を、マルチェロへ送った。
「必要があれば、聖書で人を殴り殺します」
その場にいた全員が、言葉の鋭さと、年齢不相応の静けさに戦慄した。子供の器に、何かとてつもなく邪悪なものが宿っている様に思えた。
マルチェロだけが、いつも通りの態度で部屋の入り口へ歩き始めた。
「この娘を、オディロ院長の部屋で休ませる。⋯⋯修道士見習いサージュも、部屋に戻れ」
誰も、マルチェロの感情を読み取ることは出来なかった。
ジーノは、真横で怒り狂っているサージュの肩に、手を置いた。
「この光景を見て、泣き叫ばないとは、見上げた根性だ」
「僕⋯⋯私の家族は、ドニの街の海沿いで暮らしていましたが、盗賊に襲われたんです。私が人質に取られた時、母はいつも拝んでいた木彫りの女神像で、暴徒を殴り殺しました。⋯⋯逃げろと言われて、私は一人で此処へ逃げ込んだんです!」
サージュは、両手の拳を強く握りながら、涙をボロボロと溢した。
「オディロ院長の教えを受け、神のご加護のお陰で生き延びたのだと思える様になったのですが⋯⋯やはり違った。僕は、人に守られ、生かされたんだ⋯⋯」
「そんな事が⋯⋯」
ジーノは深い悲しみを覚えた。マイエラ修道院に来る子供達は、皆其々悲しい事情を抱えている。彼自身、幼い頃に流行病で両親を亡くしていた。
しかし、サージュは目の前で人が殺される光景を目にしたのだ。母親が、サージュのために罪を犯した所を見たのだ。
「部屋に戻ろう。お前には休息が必要だ」
「いいえ。聖堂に行きます。⋯⋯私の罪と、アンジェリカさんの罪が赦される様に、祈ります。今の僕には、それしか出来ない⋯⋯」