マイエラ地方出身、マスター・ライラスの養女。
05:アスカンタ編
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月影の窓の外へ出て、アンジェリカは目を回した。そこは丘の上ではなく、城の中だった。仲間たちも、仰天し辺りを見回していた。
「⋯⋯妙だな」
ククールが全員の心境を代弁した。
「静か過ぎる。いくら夜中だって、城の中だぜ? 物音一つしないのは、おかしい」
「衛兵は職務怠慢ね」
アンジェリカは、緊張をほぐす様に戯けてみせた。
「聖堂騎士団員を、此処へ何人か派遣した方が良いんじゃないかしら?」
「この国の王族を滅ぼすには、最高の方法だ。⋯⋯だが、残念な事に俺たちの目的は、腑抜けた王を立ち直らせる事だ」
彼は、階段に目を向けた。イシュマウリが、足音も立てず、滑る様に上階へ登って行く。
エイト達も、慌てて、けれども静かにその後を追った。
玉座に突っ伏して、黒ずくめの男が泣いている。侵入者に気付くこともなく、思う存分嘆きの世界へ身を投じていた。
イシュマウリが竪琴を弾くと、漸く国王は顔を上げ、振り返った。
「嘆きに沈む者よ」
イシュマウリは、落ち着いた声色で語りかける。
「かつてこの部屋に刻まれた面影を、月の光のもと、再び蘇らせよう⋯⋯」
彼は目を伏せ、弦を弾いた。物悲しい、心の奥底を抉るような旋律が、部屋中に響き渡った。
すると⋯⋯。
国王は息を呑んだ。半透明の、影のような姿が⋯⋯彼の愛した女性の幻影が、活き活きと玉座の間を歩いている。
アスカンタ王は、ゆっくりと立ち上がり、金髪の美しい女性の影に歩み寄った。
「⋯⋯これは? 夢? 幻?いや⋯⋯違う⋯⋯」
彼女はもういない。けれど、確かに、此処に存在している。
「違う⋯⋯覚えている。⋯⋯これは⋯⋯君は」
しかし、伸ばした手は王妃の影をすり抜け、空を切った。失意に呑まれかけた時、彼の背後から声が響いた。
「⋯⋯したの、あなた?」
忘れるはずがない。
「どうしたの、あなた?」
振り返ると、其処に、満面の笑みを浮かべた、シセル王妃の姿があった。
「シセル。会いたかった。あれから2年、ずっと君の事ばかり考えていたんだ。君が死んでから⋯⋯」
「まだ今朝のおふれの事を気にしているの? 大丈夫。貴方の判断は正しいわ」
会話はまるで噛み合わなかった。王妃は踵を返し、振り返りざまに言葉を続ける。
「貴方は優し過ぎるのね。でも、時には厳しい決断も必要。王様なんですもの。ね? みんな貴方を信じている。貴方が、しゃんとしなくちゃ。アスカンタは、貴方の国ですもの」
すーっと、溶けるようにシセルの影は消えてしまった。王は、夢を見ているような表情で、手を伸ばし後を追おうとした。
しかし、その瞬間、またも背後から優しい声が聞こえた。
「ねえねえ、聞いて! 宿屋の犬に仔犬が産まれたのよ! 私たちに名前を付けて欲しいって!」
振り返ると、玉座には自分自身と、王妃の影が浮かび上がっていた。
王は、驚きの余り、口元を手で覆い、目を見開いた。
「あれは⋯⋯僕?」
そして、思い出した。
「そうだ⋯⋯覚えている。一昨年の春だ。では、これは過去の記憶?」
嘆き悲しんでいる間、一度もその光景を思い出した事は無かった。王妃が"亡くなった"⋯⋯その事実だけが、国王の心を支配し、暗闇の世界に縛り付けていたのだ。
過去の自分は、穏やかな表情で王妃を見つめ返した。
「宿屋に仔犬が? ⋯⋯君は? 何か良い名前を考えてるんじゃないかい?」
「私のは秘密」
王妃は、悪戯っぽく首を傾げた。
「どうして?」
王は優しく聞き返した。
「君が考えついたのなら、その名前が良いよ。教えてくれ」
「貴方だって、ちゃんと思い付いたんでしょ? 仔犬の名前」
「でもそれじゃあ、君が⋯⋯」
言い掛けた王の頬を、シセルは両手でそっと包み込んだ。
「ばかね、パヴァン。貴方の考えた名前が、世界中で一番良いに決まっているわ」
その続きの言葉を、現実のパヴァンは、覚えていた。慈愛に満ちた、世界で一番優しい女性の言葉を、どうして忘れられよう。
「私の王様。自分の思う通りにして良いのよ。貴方は、賢くて優しい人。私が考えていたのは、貴方が決めた名前にしようって、それだけよ?」
二人の影が消えた。
王は顔を覆い、フラフラと玉座に座り込んだ。
「⋯⋯そうだ。彼女は何時だって、ああして僕を励ましてくれた」
立ち直らなくてはならない。何度も、何度もそう思った。このままではいけないと、立ち止まっていてはいけないと⋯⋯。
しかし、自分を励まし、支えてくれた王妃は、もういないのだ。
「シセル⋯⋯。君はどうして⋯⋯」
王の頬を幾筋もの涙が伝った。
アンジェリカは、このままではいけないと、声を掛けに行こうとしたが、ククールが引き止めた。
イシュマウリの演奏は、まだ続いている。
三度、パヴァンと王妃の幻影が現れた。
「シセル。どうして君は、そんなに強いんだい?」
「お母様がいるからよ」
王妃は胸の前で手を組み、静かに目を閉じた。パヴァンの影は、不思議そうに彼女を見つめている。
「母上? だって君の母上は、随分前に亡くなったと⋯⋯」
王妃は、少しだけ辛そうな表情を浮かべ、それを隠すように、王に背を向けた。
「私も本当は、弱虫で駄目な子だったの。何時もお母様に励まされてた。お母様が亡くなって、寂しくて⋯⋯でも、こう考えたの」
彼女は意志の力で、口元に笑みを浮かべた。
「私が弱虫に戻ったら、お母様は本当にいなくなってしまう。お母様が最初からいなかったのと、同じ事になってしまう⋯⋯って」
パヴァンだけではない。アンジェリカも、ゼシカも、その言葉に胸を突かれた。
アンジェリカは、何故国王が2年もの間、嘆き続けていたのか、漸く得心が行った。シセル王妃は強い人だったのだ。多分、パヴァン王の分まで。
「励まされた言葉、お母様が教えてくれた事、その示す通りに頑張ろうって。⋯⋯そうすれば、私の中にお母様は何時までも生きているの。ずっと」
「シセル。僕は⋯⋯僕も君の様に⋯⋯」
シセルは、パヴァンの目の前から姿を消した。彼がまだ、迷いの中にいる内に、今度は階段の方から明るい声が響いた。
「ねえ、テラスへ出ない? 今日は良い天気ですもの。きっと風が気持ち良いわ。ね?」
彼女の差し出す手に触れようと、パヴァンは歩き出した。記憶の影と、現実の彼が重なり合い、一つになった。
シセルの手は、確かに透けているのに、感触があった。王は、信じられない幸運な出来事に、喉の奥が塞がるのを感じた。
二人は手に手を取り、階段を上って行った。
アンジェリカたちも、出来るだけ静かにその後を追った。
もうじき、夜が明ける。東の空が白み始めていた。
「ほら、貴方の国が、すっかり見渡せるわ、パヴァン。アスカンタは美しい国ね」
シセル王妃の声は、何処までも明るい。どんな暗闇をも照らせる、強さを持っている。
パヴァンは、涙を流しながら何度も頷いた。
「嗚呼⋯⋯そう⋯⋯だね。シセル、そうだね」
王妃は、改めてパヴァンを振り返った。朝焼けの眩い光が、彼女の影を薄くして行く。一つの時が終わろうとしていた。
「私の王様。みんなが笑って暮らせる様に、貴方が⋯⋯」
シセルの影が揺らいだ。かつてゼシカがそうした様に、パヴァンは時を止めたいと願い、シセルの影を抱きしめた。
しかし、既に感覚は無く、夢の様な出来事は終わってしまったのだ。
彼は、声を上げて泣いた。誰かが聞きつけて来ようと、構わない。泣くのは、これで最後にしようと思ったから。
「シセル! 僕は君を忘れない! ⋯⋯君を忘れやしない!! ⋯⋯もう二度と、君の言葉を⋯⋯君がくれたモノを⋯⋯」
それは、アンジェリカとは別の強さだった。忘れるのでは無く、良いことも、悪いことも、全て抱きしめて生きて行く選択。
彼もまた、強い人間だったのた。
その日、アスカンタの国民は、漸く自由で明るい日々を取り戻した。
アスカンタ王は、一連の奇跡を起こした旅人に、殊の外感謝を示し、宴まで開いてくれた。
イシュマウリが、何時姿を消したのか、誰にも分からなかった。しかし、誰も探すつもりは無かった。一生に一度きりの奇跡。
たった一人の願いが、多くの人々を悲しみの日々から解放したのだ。なんて素晴らしい事だろう。
これで良かったのだ、と、エイトたちは納得しあった。
「⋯⋯妙だな」
ククールが全員の心境を代弁した。
「静か過ぎる。いくら夜中だって、城の中だぜ? 物音一つしないのは、おかしい」
「衛兵は職務怠慢ね」
アンジェリカは、緊張をほぐす様に戯けてみせた。
「聖堂騎士団員を、此処へ何人か派遣した方が良いんじゃないかしら?」
「この国の王族を滅ぼすには、最高の方法だ。⋯⋯だが、残念な事に俺たちの目的は、腑抜けた王を立ち直らせる事だ」
彼は、階段に目を向けた。イシュマウリが、足音も立てず、滑る様に上階へ登って行く。
エイト達も、慌てて、けれども静かにその後を追った。
玉座に突っ伏して、黒ずくめの男が泣いている。侵入者に気付くこともなく、思う存分嘆きの世界へ身を投じていた。
イシュマウリが竪琴を弾くと、漸く国王は顔を上げ、振り返った。
「嘆きに沈む者よ」
イシュマウリは、落ち着いた声色で語りかける。
「かつてこの部屋に刻まれた面影を、月の光のもと、再び蘇らせよう⋯⋯」
彼は目を伏せ、弦を弾いた。物悲しい、心の奥底を抉るような旋律が、部屋中に響き渡った。
すると⋯⋯。
国王は息を呑んだ。半透明の、影のような姿が⋯⋯彼の愛した女性の幻影が、活き活きと玉座の間を歩いている。
アスカンタ王は、ゆっくりと立ち上がり、金髪の美しい女性の影に歩み寄った。
「⋯⋯これは? 夢? 幻?いや⋯⋯違う⋯⋯」
彼女はもういない。けれど、確かに、此処に存在している。
「違う⋯⋯覚えている。⋯⋯これは⋯⋯君は」
しかし、伸ばした手は王妃の影をすり抜け、空を切った。失意に呑まれかけた時、彼の背後から声が響いた。
「⋯⋯したの、あなた?」
忘れるはずがない。
「どうしたの、あなた?」
振り返ると、其処に、満面の笑みを浮かべた、シセル王妃の姿があった。
「シセル。会いたかった。あれから2年、ずっと君の事ばかり考えていたんだ。君が死んでから⋯⋯」
「まだ今朝のおふれの事を気にしているの? 大丈夫。貴方の判断は正しいわ」
会話はまるで噛み合わなかった。王妃は踵を返し、振り返りざまに言葉を続ける。
「貴方は優し過ぎるのね。でも、時には厳しい決断も必要。王様なんですもの。ね? みんな貴方を信じている。貴方が、しゃんとしなくちゃ。アスカンタは、貴方の国ですもの」
すーっと、溶けるようにシセルの影は消えてしまった。王は、夢を見ているような表情で、手を伸ばし後を追おうとした。
しかし、その瞬間、またも背後から優しい声が聞こえた。
「ねえねえ、聞いて! 宿屋の犬に仔犬が産まれたのよ! 私たちに名前を付けて欲しいって!」
振り返ると、玉座には自分自身と、王妃の影が浮かび上がっていた。
王は、驚きの余り、口元を手で覆い、目を見開いた。
「あれは⋯⋯僕?」
そして、思い出した。
「そうだ⋯⋯覚えている。一昨年の春だ。では、これは過去の記憶?」
嘆き悲しんでいる間、一度もその光景を思い出した事は無かった。王妃が"亡くなった"⋯⋯その事実だけが、国王の心を支配し、暗闇の世界に縛り付けていたのだ。
過去の自分は、穏やかな表情で王妃を見つめ返した。
「宿屋に仔犬が? ⋯⋯君は? 何か良い名前を考えてるんじゃないかい?」
「私のは秘密」
王妃は、悪戯っぽく首を傾げた。
「どうして?」
王は優しく聞き返した。
「君が考えついたのなら、その名前が良いよ。教えてくれ」
「貴方だって、ちゃんと思い付いたんでしょ? 仔犬の名前」
「でもそれじゃあ、君が⋯⋯」
言い掛けた王の頬を、シセルは両手でそっと包み込んだ。
「ばかね、パヴァン。貴方の考えた名前が、世界中で一番良いに決まっているわ」
その続きの言葉を、現実のパヴァンは、覚えていた。慈愛に満ちた、世界で一番優しい女性の言葉を、どうして忘れられよう。
「私の王様。自分の思う通りにして良いのよ。貴方は、賢くて優しい人。私が考えていたのは、貴方が決めた名前にしようって、それだけよ?」
二人の影が消えた。
王は顔を覆い、フラフラと玉座に座り込んだ。
「⋯⋯そうだ。彼女は何時だって、ああして僕を励ましてくれた」
立ち直らなくてはならない。何度も、何度もそう思った。このままではいけないと、立ち止まっていてはいけないと⋯⋯。
しかし、自分を励まし、支えてくれた王妃は、もういないのだ。
「シセル⋯⋯。君はどうして⋯⋯」
王の頬を幾筋もの涙が伝った。
アンジェリカは、このままではいけないと、声を掛けに行こうとしたが、ククールが引き止めた。
イシュマウリの演奏は、まだ続いている。
三度、パヴァンと王妃の幻影が現れた。
「シセル。どうして君は、そんなに強いんだい?」
「お母様がいるからよ」
王妃は胸の前で手を組み、静かに目を閉じた。パヴァンの影は、不思議そうに彼女を見つめている。
「母上? だって君の母上は、随分前に亡くなったと⋯⋯」
王妃は、少しだけ辛そうな表情を浮かべ、それを隠すように、王に背を向けた。
「私も本当は、弱虫で駄目な子だったの。何時もお母様に励まされてた。お母様が亡くなって、寂しくて⋯⋯でも、こう考えたの」
彼女は意志の力で、口元に笑みを浮かべた。
「私が弱虫に戻ったら、お母様は本当にいなくなってしまう。お母様が最初からいなかったのと、同じ事になってしまう⋯⋯って」
パヴァンだけではない。アンジェリカも、ゼシカも、その言葉に胸を突かれた。
アンジェリカは、何故国王が2年もの間、嘆き続けていたのか、漸く得心が行った。シセル王妃は強い人だったのだ。多分、パヴァン王の分まで。
「励まされた言葉、お母様が教えてくれた事、その示す通りに頑張ろうって。⋯⋯そうすれば、私の中にお母様は何時までも生きているの。ずっと」
「シセル。僕は⋯⋯僕も君の様に⋯⋯」
シセルは、パヴァンの目の前から姿を消した。彼がまだ、迷いの中にいる内に、今度は階段の方から明るい声が響いた。
「ねえ、テラスへ出ない? 今日は良い天気ですもの。きっと風が気持ち良いわ。ね?」
彼女の差し出す手に触れようと、パヴァンは歩き出した。記憶の影と、現実の彼が重なり合い、一つになった。
シセルの手は、確かに透けているのに、感触があった。王は、信じられない幸運な出来事に、喉の奥が塞がるのを感じた。
二人は手に手を取り、階段を上って行った。
アンジェリカたちも、出来るだけ静かにその後を追った。
もうじき、夜が明ける。東の空が白み始めていた。
「ほら、貴方の国が、すっかり見渡せるわ、パヴァン。アスカンタは美しい国ね」
シセル王妃の声は、何処までも明るい。どんな暗闇をも照らせる、強さを持っている。
パヴァンは、涙を流しながら何度も頷いた。
「嗚呼⋯⋯そう⋯⋯だね。シセル、そうだね」
王妃は、改めてパヴァンを振り返った。朝焼けの眩い光が、彼女の影を薄くして行く。一つの時が終わろうとしていた。
「私の王様。みんなが笑って暮らせる様に、貴方が⋯⋯」
シセルの影が揺らいだ。かつてゼシカがそうした様に、パヴァンは時を止めたいと願い、シセルの影を抱きしめた。
しかし、既に感覚は無く、夢の様な出来事は終わってしまったのだ。
彼は、声を上げて泣いた。誰かが聞きつけて来ようと、構わない。泣くのは、これで最後にしようと思ったから。
「シセル! 僕は君を忘れない! ⋯⋯君を忘れやしない!! ⋯⋯もう二度と、君の言葉を⋯⋯君がくれたモノを⋯⋯」
それは、アンジェリカとは別の強さだった。忘れるのでは無く、良いことも、悪いことも、全て抱きしめて生きて行く選択。
彼もまた、強い人間だったのた。
その日、アスカンタの国民は、漸く自由で明るい日々を取り戻した。
アスカンタ王は、一連の奇跡を起こした旅人に、殊の外感謝を示し、宴まで開いてくれた。
イシュマウリが、何時姿を消したのか、誰にも分からなかった。しかし、誰も探すつもりは無かった。一生に一度きりの奇跡。
たった一人の願いが、多くの人々を悲しみの日々から解放したのだ。なんて素晴らしい事だろう。
これで良かったのだ、と、エイトたちは納得しあった。