マイエラ地方出身、マスター・ライラスの養女。
05:アスカンタ編
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一行は、まずキラの家の裏手にある土手を、川下方向に降り、今度は川沿いを川上へと進んでいた。
チーンと音が響き、アンジェリカは、弾かれた様に馬車の幌へ這い上がった。ミーティアは気を使って、ほんの少し歩調を緩めた。
錬金は成功だ。四個目の上薬草が仕上がったので、今度は特薬草の錬金に取り掛かる。
アンジェリカは、まるで疲れを感じさせない、軽やかな身のこなしで馬車から飛び降り、慌てて杖を抜いた。
仲間達が、銀色のスライムと戦っていた。そいつはとにかくすばしっこく、おまけに頑丈で、剣で斬りかかろうが、斧を振り回そうが、まるでダメージを与えられなかった。更に良くないことに、魔法が全然効かない。
すると、突然銀色の魔物は、踵を返して一目散に走り出した。反射的にエイトとヤンガスが走り出そうとしたのを、ククールが襟首を掴んで引き止めた。
「落ち着けって。逃げる魔物をワザワザ追い掛ける必要ないだろう?」
「いや⋯⋯その、なんか倒さなきゃいけない気分になって⋯⋯」
エイトが、頬を掻いた。ヤンガスも同意する様に、腕を組んで頷く。
「そうそう。倒せば、何か良いことがありそうでげす」
「メタルスライムは、そんなに宝石を持っていないわよ」
アンジェリカは、客観的な真実を述べた。しかし、エイトはまだ納得していないようだ。
「でも、倒せば人間的に成長できる様な気が──」
「気のせいよ」
ゼシカがピシャリと言い放った。
「なんで逃げ回ってる、ちょっと可愛い魔物を斬り殺して人間的に成長できるのよ!」
「エイト、お前、時々変わってるって言われないか?」
ククールも、微妙な表情で溜息を吐いた。
まだ山道に差し掛かったばかりだが、夕日が一行の顔に影を落とし、なんとも言えない疲労の色を浮かび上がらせた。
「気をつけてね。山には、じんめんじゅがいるから」
淡々とした声色で、アンジェリカは注意を促した。
「じんめんじゅってえのは、木に顔が生えてるバケモノでがすか?」
「そうよ。出会ったら、落ち着いて火を点けてね。それが弱点よ」
「それなら、私にまかせて。燃やすのなら慣れてるわ」
ゼシカが得意げに言うと、エイトは肩を竦めた。
「そういえば、最近よく燃やしてばかりいるなあ⋯⋯。この前も腐った死体と骸骨を──」
「うえ」
ククールは反射的に口元を隠した。本当に気分が悪そうだ。
「そういえば、お前ら、あの死体だらけの旧修道院跡地を抜けて来たんだっけな。良くあんな所通って来れたもんだ。感心するよ」
「あんたが行けって言ったから、行ったんでしょうが!」
ゼシカは正確な事実を思い出させ、少し苦しそうに胸を押さえた。
「⋯⋯何かしら。少し、息が苦しい様な気がする」
「山の上は空気が薄いからよ」
アンジェリカの返答に、ゼシカは釈然としない表情を浮かべた。
「でも⋯⋯みんなは?」
「あっしは、山の上から海辺まで、良いカモ⋯⋯金目のもんがある時にゃ、縦横無尽に走っていたでげす。慣れってもんでがすよ」
ヤンガスの物騒な単語は、誰もが聞かぬフリをした。
エイトは大国の近衛兵だっただけに、良く鍛えていただろうし、ククールも巧みな剣さばきを見る限り、そこまで鍛錬を怠っていたワケでは無いだろう。
アンジェリカは、魔法の練習のために、トラペッタ周辺の起伏のある森を走り回っていたから、体力は普通の女の子よりも随分ある。
ゼシカは、生まれて初めて故郷の村を出たのだ。体力の面で、一番劣ってしまうのは無理もない。
しかし、その事を指摘されるのを、何より嫌がる事は、仲間全員が知っていたので、皆が口をつぐみ、何とも言えない雰囲気になってしまった。
「別に良いのよ、気を使わなくて。⋯⋯そう、確かに私は、体力が無いけれど、物を燃やすなら一番得意よ。ドルマゲスに追いつく頃には、もっと火力を上げてやるんだから!」
「喋ると消耗が激しくなるぜ」
ククールは、気安くゼシカの頭をポンポンと撫でた。当然彼女は怒り、腕を振り回した。
「気安く触らないでよ!」
「そのくらい元気なら、問題ないな」
ククールはゼシカの隣を離れ、エイトと肩を並べた。そして、げんなりするほど細かに、使用人キラの容姿や性格について質問しだした。
更に傾斜の激しくなった獣道を進みながら、ゼシカはアンジェリカに顔を向け、肩を竦めてみせた。
「ねえ、あのククールってやつと二人旅って、結構大変だったんじゃない?」
「そうでもないわ」
アンジェリカは、少し考えてから声を落とした。
「⋯⋯騎士団の訓練をサボっていたとは、とてもじゃないけれど、思えない。根は真面目な人だと思うわ」
「⋯⋯ふーん。真面目ねえ」
ゼシカは一ミリも信じていなさそうだ。タイミング良く、ククールがゼシカを引き合いに出し、キラの胸のサイズを聞き出そうとした。
ゼシカは抗議しようとしたが、あまりのくだらなさに、閉口した。
どうやら、キラのバストサイズは、それほど大きくないらしい。エイトはエイトで、スライム三分の二くらいの大きさ⋯⋯などと、斜め上の回答
をしている。
「ククール」
堪り兼ねたアンジェリカは、背後から彼の服を掴んだ。ククールは、本当に驚いた様子で勢いよく振り返った。
「どうした?! 調子が悪いなら、下まで背負ってやるぜ」
「いいえ、元気よ。それにおぶってくれるなら、頂上までお願いしたいわ。⋯⋯でも、そうじゃなくて、ククール。貴方、余計なお喋りをしなければ、 本当に素敵な人なのに、どうして興味の無い事を質問したりするの?」
ククールは言葉を失った。苦虫を噛んだ様なその表情が、何よりも真実を物語っている。しかし、彼はあっという間に、妖艶な仮面を被りアンジェリカの肩を抱き寄せた。
「もしかして妬いているのか?」
「まさか!」
アンジェリカは、光の速さで、彼の手の甲を抓った。
「いてぇ! この野郎!」
「女郎よ!」
「そこはどうでも良いだろう?!」
ククールは、彼にしては珍しく、女性に対して乱暴な怒りを抱いていた。アンジェリカがもし女で無ければ、一発引っ叩いていたかもしれない。
それは、単に手を抓られたからではなく、心の深い部分⋯⋯触れられたく無い部分を引きずり出された様な感覚を覚えたからだ。
ククールは、アンジェリカを好きになっていた。彼女は、これまで出会ったどんな女性よりも強く、鋭い洞察力を有している。そのくせ、時折儚げな姿を見せるのだ。
真昼の様な底なしの明るさと、宵闇の様な翳りと、両方を持ち合わせた、神秘的な存在に、堪らなく心を惹かれる一方、手に負えない女であると感じさせられた。
「⋯⋯あいつに⋯⋯マルチェロに触れられた時も、こんな風に振り払えば良かったじゃないか」
カッと、一気にアンジェリカの頬が赤く染まった。
マルチェロに触れられた時の感覚が、瞬時に蘇って来た。
振り払え無かったのだ。アンジェリカは、彼を受け入れてしまった。
「悪い。余計な事、言っちまったな。忘れてくれ」
ククールは気まずそうに頬を掻いた。アンジェリカは目を伏せ、唇を噛んだ後、真っ直ぐ彼の顔を見上げた。
「あの人は、私を信じてくださったわ。私がオディロ院長を殺すなど、あり得ないと断言してくださった」
「やっぱりそうだったか」
ククールは納得した風に頷いた。
「マルチェロの奴、重罪人を拷問する時は、何時だだって、相手を殺す勢いでやるからな。それにしちゃ、手緩いとは思ったよ」
「あれで、手緩いの?!」
ゼシカは、思い返して身震いした。アンジェリカは、頭を石壁に打ち付けられた時、相当痛そうな表情を浮かべていた。
「ねえ、アンジェ。あの人の何処が好きなの?」
「強い人には、憧れるものじゃないかしら? あの人は、私がこれまでに出会ったどんな人より強く、賢いわ。平民出身のあの人が修道院長になれば、きっとマイエラの騎士たちは、規律を重んじる神の剣に成り得るわ」
「それはどうだろうな」
ククールは、やや棘のある声色で否定した。
「免罪符って知っているか? 一枚の札を買えば、罪が赦されるっていう、便利な代物だ。アレが売り出されたのは、マルチェロが騎士団長に就任してからだ。どんな極悪人であろうと⋯⋯人を殺していようと、金さえ払って紙切れ一枚を買えば、赦されるんだ。⋯⋯ドルマゲスってヤツが、ゴールドを麻袋十杯分持って来たら⋯⋯あそこの連中は賓客扱いするかも知れないぜ」
流石に、最後の例えでマルチェロの名前はすんなり出せなかった。
ドルマゲスの殺した人間が、アスカンタの王や、法皇の館に仕える貴族や、そこらへんの街人だったら、マルチェロは両手を広げて迎え入れたかも知れない。
しかし、殺されたのは、オディロ院長だ。マルチェロが、この世界で唯一心を許していた人なのだ。
「オディロ院長の治めるマイエラ修道院では、規律を重んじる事が、出世への1番の近道だった。だから、野心家の兄貴も、規律を重んじていたんだろうよ。でも、今は違う。⋯⋯良いか? 貴族の庶子が座れる椅子は、辺境地修道院の院長席が精々さ。少なくとも、普通の手段じゃね」
「でも、あの人が修道院長よりも、もっと上の地位を手に入れたいなんて、どうしてそう思うの?」
アンジェリカが食い下がると、ククールは面倒臭そうな様子で手を振った。
「あんたより、兄貴の事をよく知っているからさ。あいつの上昇志向は生半可じゃあないね。聖堂騎士団長就任の時も──」
言い掛けて、ククールは肌が粟立つのを感じて、口を噤んだ。
任命の儀式の中で、聖堂騎士団長に最も近いと言われていた、他の四人の騎士達と剣を合わせる模擬戦が執り行われた。
試合の結果、一人は右半身に麻痺が残り、一人は肋骨を全部折り、残りの二人は軽傷だったものの、新しい騎士団長の瞳に宿った何かに慄き、修道院を去ったのだ。
この件で、マルチェロの敵に成り得る存在は、完全に排除された。
徹底的な所業に、ククールも恐怖と嫌悪を隠せなかった。
「正直、俺は今後あいつとどう関わるべきか分からないでいる。でも、あんたは⋯⋯やめた方が良い。何時か酷く失望するだろうよ」
「失望したって、私が初めてマイエラ修道院へ行った時に、手を差し伸べて下さった優しさは、間違いなく本物だった。あの時、どれほど救われたか⋯⋯」
すると、アンジェリカの言葉を聞いたククールは、深い悲しみを覚えて、足元の小石を蹴飛ばした。彼にも、同じ様な記憶があった。
「俺がマイエラ修道院を訪れた時、最初にまともに口を利いたのが、マルチェロだった。あの一時だけ⋯⋯俺が名乗るまでの、ほんの束の間、兄貴は優しかったんだ。⋯⋯あの優しさが、偽物だったなんて、思っちゃいないよ」
「それじゃあ──」
「でも、人は変わるもんだ。良くも悪くも。純情なククール少年が、酒場でイカサマをやる様になったのと同じ様に、勤勉で人当たりの良い騎士見習いが、事ある毎に嫌味を言うケチ臭い性格になったり⋯⋯な」
それっきり、ククールは口を噤んで、むっつりとした表情になってしまった。
「⋯⋯みんな、色々な事を抱えているのね」
ポツリと、ゼシカが溢した。
「トロデ王とミーティア姫は、あんな姿にされちゃって、エイトは城のみんなを失って⋯⋯。アンジェは両親と、養父を亡くして⋯⋯ヤンガスも家族はいないんでしょう? ククールも⋯⋯。辛いのは、私だけじゃないんだね」
彼女は、リーザス村での暮らしを思い返した。母、アローザとはしょっちゅう喧嘩をしていたし、そのせいで、家に仕えるメイドとは反りが合わなかった。
子供たちと触れ合うのは好きだったけれど、同年代の友達は1人もいなかった。
兄のサーベルトだけが、理解者で、それ故に彼を殺されたショックは、並々ならぬものだった。しかし、それでも⋯⋯。
「兄さんが殺されなければ、私は一生、あの村から出ないで暮らしていたわ、きっと。兄さんには申し訳無いけれど⋯⋯私、この冒険にドキドキしている。色んな人と出会って⋯⋯生まれて初めて、自分の生き方に納得している気がするの。つまり、何が言いたいかって言うとね、自分の信じた道を行くのが、一番正しいんじゃ無いかな?」
「そうね」
アンジェリカは、実に素っ気なく頷いた。最初から、ゼシカと同じ様に考えていたからだ。
「私はマルチェロ様の善意を信じるし、ククールが良い人だって事を、何時だって証言するわ」
「アンジェの心の広さには、素直に感心するわ」
ゼシカは苦笑した。
「私は、どうやっても、あの嫌味男を好きになれそうに無いもの」
「あら。好きにならなくて良いのよ」
アンジェリカは、涼しい表情で返し、足取りも軽く先頭のエイトたちと並んで、雑談を始めた。
代わりにククールが、ゼシカの隣へ下り、頭の後ろで手を組んで溜息を溢した。
「俺が女だったら、兄貴には絶対に惚れない」
「私は女だけど、貴方達兄弟には絶対に惚れないわ」
「酷えな!」
「でも⋯⋯」
ゼシカは逡巡の後、注意深く言葉を選んだ。
「貴方の方が、あの嫌味男より髪の毛一本分マシな気がして来たわ」
「そりゃどうも。この調子で、どんどん距離を縮めて行こうぜ!」
「お断りします!」
ゼシカは、どうしてもククールの事を好きになれなかった。彼女の中で、最高の男性とは、恐らく兄のサーベルト。
ククールの軽薄さは、生真面目なサーベルトと似ても似つかない。
「おっと!」
ククールが腕を伸ばして、ゼシカの行く手を遮った。彼女が顔を上げて前を見ると、エイトとヤンガスが武器を構え、アンジェリカが仲間全員にスクルトを掛けた所だった。
ククールよりも少し背の高い、じんめんじゅが五匹。
「こりゃ、ヤンガスの斧と、火を点ける奴に任せた方が良いな」
ククールは一歩後ずさり、ゼシカは前進した。
「人を放火魔みたいに言わないでよ!」
彼女はカンカンになりながら、アンジェリカの隣へ歩み寄った。
「どうする? ギラで良いかな?」
「生焼けになって、火が点いたまま動き回られても困るわ」
アンジェリカは、彼女の良点である冷静さを遺憾無く発揮した。
「メラミで一体ずつ、確実に行きましょう。良いわね?」
「ええ。そうと決まれば!!」
ゼシカとアンジェリカは、同時に呪文を唱えた。二体のじんめんじゅが炭になり、キラキラと輝く宝石が辺りに散らばった。
その間に、ヤンガスが斧で一体を真っ二つに割り、倒した。
「そうか! 火なら!!」
ククールの声に、エイトが振り返る。2人の顔に理解の色が広がった。
毛色の違う、2人の剣士が飛び出し、剣を振り上げる。炎の魔法の力を宿した、火炎斬りだ。
かくして、五体のじんめんじゅ全てが、宝石に姿を変えた。
全員が、五人になった事で、戦闘が随分と楽になった事を実感した。其々が違った特技を持っており、支え合える。
「さあ、先を急ごう。もう陽が沈んじゃう」
エイトが全員を促し、再び歩き出した。
そこから、四十分程掛かって、漸く五人は山頂に辿り着いた。
チーンと音が響き、アンジェリカは、弾かれた様に馬車の幌へ這い上がった。ミーティアは気を使って、ほんの少し歩調を緩めた。
錬金は成功だ。四個目の上薬草が仕上がったので、今度は特薬草の錬金に取り掛かる。
アンジェリカは、まるで疲れを感じさせない、軽やかな身のこなしで馬車から飛び降り、慌てて杖を抜いた。
仲間達が、銀色のスライムと戦っていた。そいつはとにかくすばしっこく、おまけに頑丈で、剣で斬りかかろうが、斧を振り回そうが、まるでダメージを与えられなかった。更に良くないことに、魔法が全然効かない。
すると、突然銀色の魔物は、踵を返して一目散に走り出した。反射的にエイトとヤンガスが走り出そうとしたのを、ククールが襟首を掴んで引き止めた。
「落ち着けって。逃げる魔物をワザワザ追い掛ける必要ないだろう?」
「いや⋯⋯その、なんか倒さなきゃいけない気分になって⋯⋯」
エイトが、頬を掻いた。ヤンガスも同意する様に、腕を組んで頷く。
「そうそう。倒せば、何か良いことがありそうでげす」
「メタルスライムは、そんなに宝石を持っていないわよ」
アンジェリカは、客観的な真実を述べた。しかし、エイトはまだ納得していないようだ。
「でも、倒せば人間的に成長できる様な気が──」
「気のせいよ」
ゼシカがピシャリと言い放った。
「なんで逃げ回ってる、ちょっと可愛い魔物を斬り殺して人間的に成長できるのよ!」
「エイト、お前、時々変わってるって言われないか?」
ククールも、微妙な表情で溜息を吐いた。
まだ山道に差し掛かったばかりだが、夕日が一行の顔に影を落とし、なんとも言えない疲労の色を浮かび上がらせた。
「気をつけてね。山には、じんめんじゅがいるから」
淡々とした声色で、アンジェリカは注意を促した。
「じんめんじゅってえのは、木に顔が生えてるバケモノでがすか?」
「そうよ。出会ったら、落ち着いて火を点けてね。それが弱点よ」
「それなら、私にまかせて。燃やすのなら慣れてるわ」
ゼシカが得意げに言うと、エイトは肩を竦めた。
「そういえば、最近よく燃やしてばかりいるなあ⋯⋯。この前も腐った死体と骸骨を──」
「うえ」
ククールは反射的に口元を隠した。本当に気分が悪そうだ。
「そういえば、お前ら、あの死体だらけの旧修道院跡地を抜けて来たんだっけな。良くあんな所通って来れたもんだ。感心するよ」
「あんたが行けって言ったから、行ったんでしょうが!」
ゼシカは正確な事実を思い出させ、少し苦しそうに胸を押さえた。
「⋯⋯何かしら。少し、息が苦しい様な気がする」
「山の上は空気が薄いからよ」
アンジェリカの返答に、ゼシカは釈然としない表情を浮かべた。
「でも⋯⋯みんなは?」
「あっしは、山の上から海辺まで、良いカモ⋯⋯金目のもんがある時にゃ、縦横無尽に走っていたでげす。慣れってもんでがすよ」
ヤンガスの物騒な単語は、誰もが聞かぬフリをした。
エイトは大国の近衛兵だっただけに、良く鍛えていただろうし、ククールも巧みな剣さばきを見る限り、そこまで鍛錬を怠っていたワケでは無いだろう。
アンジェリカは、魔法の練習のために、トラペッタ周辺の起伏のある森を走り回っていたから、体力は普通の女の子よりも随分ある。
ゼシカは、生まれて初めて故郷の村を出たのだ。体力の面で、一番劣ってしまうのは無理もない。
しかし、その事を指摘されるのを、何より嫌がる事は、仲間全員が知っていたので、皆が口をつぐみ、何とも言えない雰囲気になってしまった。
「別に良いのよ、気を使わなくて。⋯⋯そう、確かに私は、体力が無いけれど、物を燃やすなら一番得意よ。ドルマゲスに追いつく頃には、もっと火力を上げてやるんだから!」
「喋ると消耗が激しくなるぜ」
ククールは、気安くゼシカの頭をポンポンと撫でた。当然彼女は怒り、腕を振り回した。
「気安く触らないでよ!」
「そのくらい元気なら、問題ないな」
ククールはゼシカの隣を離れ、エイトと肩を並べた。そして、げんなりするほど細かに、使用人キラの容姿や性格について質問しだした。
更に傾斜の激しくなった獣道を進みながら、ゼシカはアンジェリカに顔を向け、肩を竦めてみせた。
「ねえ、あのククールってやつと二人旅って、結構大変だったんじゃない?」
「そうでもないわ」
アンジェリカは、少し考えてから声を落とした。
「⋯⋯騎士団の訓練をサボっていたとは、とてもじゃないけれど、思えない。根は真面目な人だと思うわ」
「⋯⋯ふーん。真面目ねえ」
ゼシカは一ミリも信じていなさそうだ。タイミング良く、ククールがゼシカを引き合いに出し、キラの胸のサイズを聞き出そうとした。
ゼシカは抗議しようとしたが、あまりのくだらなさに、閉口した。
どうやら、キラのバストサイズは、それほど大きくないらしい。エイトはエイトで、スライム三分の二くらいの大きさ⋯⋯などと、斜め上の回答
をしている。
「ククール」
堪り兼ねたアンジェリカは、背後から彼の服を掴んだ。ククールは、本当に驚いた様子で勢いよく振り返った。
「どうした?! 調子が悪いなら、下まで背負ってやるぜ」
「いいえ、元気よ。それにおぶってくれるなら、頂上までお願いしたいわ。⋯⋯でも、そうじゃなくて、ククール。貴方、余計なお喋りをしなければ、 本当に素敵な人なのに、どうして興味の無い事を質問したりするの?」
ククールは言葉を失った。苦虫を噛んだ様なその表情が、何よりも真実を物語っている。しかし、彼はあっという間に、妖艶な仮面を被りアンジェリカの肩を抱き寄せた。
「もしかして妬いているのか?」
「まさか!」
アンジェリカは、光の速さで、彼の手の甲を抓った。
「いてぇ! この野郎!」
「女郎よ!」
「そこはどうでも良いだろう?!」
ククールは、彼にしては珍しく、女性に対して乱暴な怒りを抱いていた。アンジェリカがもし女で無ければ、一発引っ叩いていたかもしれない。
それは、単に手を抓られたからではなく、心の深い部分⋯⋯触れられたく無い部分を引きずり出された様な感覚を覚えたからだ。
ククールは、アンジェリカを好きになっていた。彼女は、これまで出会ったどんな女性よりも強く、鋭い洞察力を有している。そのくせ、時折儚げな姿を見せるのだ。
真昼の様な底なしの明るさと、宵闇の様な翳りと、両方を持ち合わせた、神秘的な存在に、堪らなく心を惹かれる一方、手に負えない女であると感じさせられた。
「⋯⋯あいつに⋯⋯マルチェロに触れられた時も、こんな風に振り払えば良かったじゃないか」
カッと、一気にアンジェリカの頬が赤く染まった。
マルチェロに触れられた時の感覚が、瞬時に蘇って来た。
振り払え無かったのだ。アンジェリカは、彼を受け入れてしまった。
「悪い。余計な事、言っちまったな。忘れてくれ」
ククールは気まずそうに頬を掻いた。アンジェリカは目を伏せ、唇を噛んだ後、真っ直ぐ彼の顔を見上げた。
「あの人は、私を信じてくださったわ。私がオディロ院長を殺すなど、あり得ないと断言してくださった」
「やっぱりそうだったか」
ククールは納得した風に頷いた。
「マルチェロの奴、重罪人を拷問する時は、何時だだって、相手を殺す勢いでやるからな。それにしちゃ、手緩いとは思ったよ」
「あれで、手緩いの?!」
ゼシカは、思い返して身震いした。アンジェリカは、頭を石壁に打ち付けられた時、相当痛そうな表情を浮かべていた。
「ねえ、アンジェ。あの人の何処が好きなの?」
「強い人には、憧れるものじゃないかしら? あの人は、私がこれまでに出会ったどんな人より強く、賢いわ。平民出身のあの人が修道院長になれば、きっとマイエラの騎士たちは、規律を重んじる神の剣に成り得るわ」
「それはどうだろうな」
ククールは、やや棘のある声色で否定した。
「免罪符って知っているか? 一枚の札を買えば、罪が赦されるっていう、便利な代物だ。アレが売り出されたのは、マルチェロが騎士団長に就任してからだ。どんな極悪人であろうと⋯⋯人を殺していようと、金さえ払って紙切れ一枚を買えば、赦されるんだ。⋯⋯ドルマゲスってヤツが、ゴールドを麻袋十杯分持って来たら⋯⋯あそこの連中は賓客扱いするかも知れないぜ」
流石に、最後の例えでマルチェロの名前はすんなり出せなかった。
ドルマゲスの殺した人間が、アスカンタの王や、法皇の館に仕える貴族や、そこらへんの街人だったら、マルチェロは両手を広げて迎え入れたかも知れない。
しかし、殺されたのは、オディロ院長だ。マルチェロが、この世界で唯一心を許していた人なのだ。
「オディロ院長の治めるマイエラ修道院では、規律を重んじる事が、出世への1番の近道だった。だから、野心家の兄貴も、規律を重んじていたんだろうよ。でも、今は違う。⋯⋯良いか? 貴族の庶子が座れる椅子は、辺境地修道院の院長席が精々さ。少なくとも、普通の手段じゃね」
「でも、あの人が修道院長よりも、もっと上の地位を手に入れたいなんて、どうしてそう思うの?」
アンジェリカが食い下がると、ククールは面倒臭そうな様子で手を振った。
「あんたより、兄貴の事をよく知っているからさ。あいつの上昇志向は生半可じゃあないね。聖堂騎士団長就任の時も──」
言い掛けて、ククールは肌が粟立つのを感じて、口を噤んだ。
任命の儀式の中で、聖堂騎士団長に最も近いと言われていた、他の四人の騎士達と剣を合わせる模擬戦が執り行われた。
試合の結果、一人は右半身に麻痺が残り、一人は肋骨を全部折り、残りの二人は軽傷だったものの、新しい騎士団長の瞳に宿った何かに慄き、修道院を去ったのだ。
この件で、マルチェロの敵に成り得る存在は、完全に排除された。
徹底的な所業に、ククールも恐怖と嫌悪を隠せなかった。
「正直、俺は今後あいつとどう関わるべきか分からないでいる。でも、あんたは⋯⋯やめた方が良い。何時か酷く失望するだろうよ」
「失望したって、私が初めてマイエラ修道院へ行った時に、手を差し伸べて下さった優しさは、間違いなく本物だった。あの時、どれほど救われたか⋯⋯」
すると、アンジェリカの言葉を聞いたククールは、深い悲しみを覚えて、足元の小石を蹴飛ばした。彼にも、同じ様な記憶があった。
「俺がマイエラ修道院を訪れた時、最初にまともに口を利いたのが、マルチェロだった。あの一時だけ⋯⋯俺が名乗るまでの、ほんの束の間、兄貴は優しかったんだ。⋯⋯あの優しさが、偽物だったなんて、思っちゃいないよ」
「それじゃあ──」
「でも、人は変わるもんだ。良くも悪くも。純情なククール少年が、酒場でイカサマをやる様になったのと同じ様に、勤勉で人当たりの良い騎士見習いが、事ある毎に嫌味を言うケチ臭い性格になったり⋯⋯な」
それっきり、ククールは口を噤んで、むっつりとした表情になってしまった。
「⋯⋯みんな、色々な事を抱えているのね」
ポツリと、ゼシカが溢した。
「トロデ王とミーティア姫は、あんな姿にされちゃって、エイトは城のみんなを失って⋯⋯。アンジェは両親と、養父を亡くして⋯⋯ヤンガスも家族はいないんでしょう? ククールも⋯⋯。辛いのは、私だけじゃないんだね」
彼女は、リーザス村での暮らしを思い返した。母、アローザとはしょっちゅう喧嘩をしていたし、そのせいで、家に仕えるメイドとは反りが合わなかった。
子供たちと触れ合うのは好きだったけれど、同年代の友達は1人もいなかった。
兄のサーベルトだけが、理解者で、それ故に彼を殺されたショックは、並々ならぬものだった。しかし、それでも⋯⋯。
「兄さんが殺されなければ、私は一生、あの村から出ないで暮らしていたわ、きっと。兄さんには申し訳無いけれど⋯⋯私、この冒険にドキドキしている。色んな人と出会って⋯⋯生まれて初めて、自分の生き方に納得している気がするの。つまり、何が言いたいかって言うとね、自分の信じた道を行くのが、一番正しいんじゃ無いかな?」
「そうね」
アンジェリカは、実に素っ気なく頷いた。最初から、ゼシカと同じ様に考えていたからだ。
「私はマルチェロ様の善意を信じるし、ククールが良い人だって事を、何時だって証言するわ」
「アンジェの心の広さには、素直に感心するわ」
ゼシカは苦笑した。
「私は、どうやっても、あの嫌味男を好きになれそうに無いもの」
「あら。好きにならなくて良いのよ」
アンジェリカは、涼しい表情で返し、足取りも軽く先頭のエイトたちと並んで、雑談を始めた。
代わりにククールが、ゼシカの隣へ下り、頭の後ろで手を組んで溜息を溢した。
「俺が女だったら、兄貴には絶対に惚れない」
「私は女だけど、貴方達兄弟には絶対に惚れないわ」
「酷えな!」
「でも⋯⋯」
ゼシカは逡巡の後、注意深く言葉を選んだ。
「貴方の方が、あの嫌味男より髪の毛一本分マシな気がして来たわ」
「そりゃどうも。この調子で、どんどん距離を縮めて行こうぜ!」
「お断りします!」
ゼシカは、どうしてもククールの事を好きになれなかった。彼女の中で、最高の男性とは、恐らく兄のサーベルト。
ククールの軽薄さは、生真面目なサーベルトと似ても似つかない。
「おっと!」
ククールが腕を伸ばして、ゼシカの行く手を遮った。彼女が顔を上げて前を見ると、エイトとヤンガスが武器を構え、アンジェリカが仲間全員にスクルトを掛けた所だった。
ククールよりも少し背の高い、じんめんじゅが五匹。
「こりゃ、ヤンガスの斧と、火を点ける奴に任せた方が良いな」
ククールは一歩後ずさり、ゼシカは前進した。
「人を放火魔みたいに言わないでよ!」
彼女はカンカンになりながら、アンジェリカの隣へ歩み寄った。
「どうする? ギラで良いかな?」
「生焼けになって、火が点いたまま動き回られても困るわ」
アンジェリカは、彼女の良点である冷静さを遺憾無く発揮した。
「メラミで一体ずつ、確実に行きましょう。良いわね?」
「ええ。そうと決まれば!!」
ゼシカとアンジェリカは、同時に呪文を唱えた。二体のじんめんじゅが炭になり、キラキラと輝く宝石が辺りに散らばった。
その間に、ヤンガスが斧で一体を真っ二つに割り、倒した。
「そうか! 火なら!!」
ククールの声に、エイトが振り返る。2人の顔に理解の色が広がった。
毛色の違う、2人の剣士が飛び出し、剣を振り上げる。炎の魔法の力を宿した、火炎斬りだ。
かくして、五体のじんめんじゅ全てが、宝石に姿を変えた。
全員が、五人になった事で、戦闘が随分と楽になった事を実感した。其々が違った特技を持っており、支え合える。
「さあ、先を急ごう。もう陽が沈んじゃう」
エイトが全員を促し、再び歩き出した。
そこから、四十分程掛かって、漸く五人は山頂に辿り着いた。