マイエラ地方出身、マスター・ライラスの養女。
02:リーザス編
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あれは、まだアンジェリカが、五歳になったばかりの夏。父が突然、流行病に倒れた。
幸い、母は元々地方領主に仕えていた為、貯えは十分にあった。しかし、出来る限りの治療をし尽くしても、父の具合は良くならなかった。
夜毎高熱にうなされ、日中はその疲れと苛立ちからか、母に乱暴な言葉を発する事もあった。そんな父を、アンジェリカは疎ましく思っていた。
秋風が吹き始めた頃、父はとうとう最後の時を迎えた。皺の刻まれた冷たい手で、アンジェリカの頭を撫でてくれた。絶えず寄り添っていた、母の手を弱々しく握り返し、父は最期にこう言ったのだ。
「ありがとう」
棺に収まった父の骸は、何処か作り物めいていて、アンジェリカには別れの実感が無かった。家に戻れば、全部が夢で、元気に働く父の姿が見られる。......そんな気がしていた。
不運は連鎖し、続くものだ。
木枯らしの吹く季節、今度は母が、突然部屋に鍵を掛けて、閉じこもってしまった。
アンジェリカは、これまで家事の手伝いを良くしていたので、生活に困る様な事は無かったが、ひたすら孤独だった。
一人で食事をして、母の部屋の前に料理の皿を置く。気がつくと、それは空になっている。そんな毎日の繰り返し。
その孤独を埋める為に、家中の本を読み漁った。道具の事、世界の事、魔法の事など、一通り学んだ頃、突然、母がアンジェリカを呼んだ。
窓枠に雪の降り積もった、寒い夜。母は扉を開けてはくれなかった。近くて遠い距離。一枚の板を挟んで、親子はお互いの言葉に耳を傾けた。
「......アンジェリカ、ごめんね。」
母の掠れた声が聞こえて来る。弱々しく、今にも消えてしまいそうな、霞の様に。
アンジェリカは、寂しさがこみ上げて、ドアノブを捻った。どうしても動かない。母に触れたかった。昔の様に抱きしめて、おでこにキスをして貰いたかった。ただ、それだけの願いを、何処の世界の神が過分だと言うのだろう。
「ママ......開けてよ!! 一緒にご飯を作ろう? お喋りもしよう?! 私......私ね、呪文が使える様になったの!!」
「......アンジェリカ、ちゃんと......聞いて」
母の必死な様子に、アンジェリカは口を噤んで、扉に耳を貼り付けた。
「良い? ......崖沿いに歩くと、ドニの街へ行ける......大きな道に出るでしょう? そこを......街とは反対の方へ進むと......マイエラ修道院がある。......何度か......行った事があるでしょう? そこへ行きなさい」
「......どうして......ねえ、どうして?!」
アンジェリカが扉を殴り付けると、反対側から咽び泣く声が聞こえて来た。
「最期くらい、良い子でいてよ!!」
聞いた事もない、母の叫び声に、アンジェリカは硬直した。
「 ......お母さん......お母さん、病気なの......。お願い......お母さんの我儘を聞いて......」
その声が終わると同時に、アンジェリカは、恐ろしい呪文の言葉を耳にした。
少女の壊れそうな心と反比例に、彼女の魔法の力が、何倍にも膨れ上がって行く。より、強く。
扉越しに、ドサッと音が聞こえた。きっと、それは、屋根から滑り落ちた雪だろう。そう思わなければ、アンジェリカの心は、堪えきれなかった。母は、命の最期の灯火を、全てアンジェリカに授けたのだ。
ーーメガザル。
自身の命を犠牲に、癒しを与える呪文。
アンジェリカは、フラフラと走り出した。それが無意味な事だと分かってはいたが、走らずには居られなかった。助けを呼ばなくては。母が病気なのだ。
途中、何度も雪に足をとられ、つま先から頭のてっぺんまで、びしょ濡れになってしまった。ベルの形をした、へんてこな魔物に追い掛け回され、死ぬ気で走った。
そして、文字通り、命からがら修道院に駆け込んだ。
入り口の僧は、アンジェリカの姿を捉えると、眉間に皺を寄せたが、何も言わなかった。彼女は大き過ぎる扉を自分で押し開け、建物の中に滑り込んだ。
冷たい石の床も、至る所に置かれた女神像も、全てが彼女の来訪を拒んでいるかの様に思えた。一心に祈りを捧げる人々は、ずぶ濡れの少女なんぞに目を向けない。
アンジェリカは、到底この場に救いがあるとは思えなかったが、他に行くあても無く、中庭へと進んだ。
教壇のある部屋とは違い、そのエリアは一般人が立ち入らない場所らしい。話し掛けるべき人の姿すら、見当たらない。
彼女が失意に項垂れた時。カツカツと、足音が聞こえて来た。それは、アンジェリカのすぐ前で止まった。
「君......お父さんやお母さんと、お祈りに来たのかな?」
黒髪の少年が、背を屈めてアンジェリカの顔を覗き込んでいた。その優しい表情に、アンジェリカの目から涙がボロボロと零れ落ちた。
「お母さんも......お父さんも......し......死んじゃって......わ......私......」
「そうか。一人で来たんだ。......辛かったね」
少年は、アンジェリカの頭を撫でて、微笑んだ。
「僕も似た様なものさ。ここでは、みんなが家族になってくれる。......君の名前は?」
「......(夢主)」
彼女が名乗ったその瞬間、少年の顔に驚きが広がった。
彼は、その名前に覚えがあったのだ。何処かで見た事がある。確か......
「本当にごめんね。......君のお母さんの名前を教えてくれるかな?」
「ソフィアです」
答えを聞き、少年は合点が行った。彼はアンジェリカの両肩に手を置き、感じ入った様にその瞳を見つめた。
「そうか......君が......」
少年も、母親を亡くしていた。少年の母親は、マイエラ領主の愛人で、本妻に子供が出来た途端に、きのみ着たまま屋敷を放り出された。そんな母親と、最期まで交流を持っていたのが、ソフィアという女性だった。
頻繁に手紙でやり取りをしていたらしく、その全てが、大切に保管されていた。
ソフィアは、領主の好色と横暴さに嫌気がさしつつも、身ごもった友人......少年の母親のために、屋敷に残り、世話を続けていたらしい。
少年の母が屋敷を去った後、ソフィアも使用人を辞めた様だ。しかし、二人の友情は続いていた。
最後のやり取りは、少年の名前に関する物だった。産まれて来た子供に、何と名付けようか、と。
少年の母親は、女の子が産まれた時には、ソフィアに名前を決めて欲しいと綴っていた。その時ソフィアの提案した名が、アンジェリカだった。神の加護を受けられる様にと。天使を意味する言葉だ。
「僕はマルチェロ。大丈夫。君をオディロ院長の所まで、案内するよ」
差し出された手。アンジェリカは、おずおずと握り返した。温かい。人に触れたのは、何時ぶりだったろうか。
抱き締められたのも、優しく声を掛けられたのも、遠い昔の事の様に思えた。
「あの、マルチェロさん!」
アンジェリカは、彼の手を引っ張って、歩みを止めた。少年は、驚いた様子で振り返る。
「どうしたの?」
「お母さんが、まだ家に......。私、どうしたら良いのか、分からなくって......」
「そう......か。安心して。朝が来たら、騎士団のみんなが、様子を見に行ってくれるから。今は、暖かい部屋に行こう?」
「......はい」
アンジェリカは、おとなしく頷いた。安心感と温もりのせいで、頭が良く回らない。何をするべきなのか、何一つ思いつかなかった。
ふと、頭上を見上げと、いつの間にか昼間の雪雲が消えていた。抜ける様な暗闇に、幾つもの星が煌き、月が包み込む様な柔らかな光を放っている。
星が......あまりにも綺麗すぎて、アンジェリカは、この光景が、生涯忘れられない鎖になる事を、無意識の内に悟っていた。
幸い、母は元々地方領主に仕えていた為、貯えは十分にあった。しかし、出来る限りの治療をし尽くしても、父の具合は良くならなかった。
夜毎高熱にうなされ、日中はその疲れと苛立ちからか、母に乱暴な言葉を発する事もあった。そんな父を、アンジェリカは疎ましく思っていた。
秋風が吹き始めた頃、父はとうとう最後の時を迎えた。皺の刻まれた冷たい手で、アンジェリカの頭を撫でてくれた。絶えず寄り添っていた、母の手を弱々しく握り返し、父は最期にこう言ったのだ。
「ありがとう」
棺に収まった父の骸は、何処か作り物めいていて、アンジェリカには別れの実感が無かった。家に戻れば、全部が夢で、元気に働く父の姿が見られる。......そんな気がしていた。
不運は連鎖し、続くものだ。
木枯らしの吹く季節、今度は母が、突然部屋に鍵を掛けて、閉じこもってしまった。
アンジェリカは、これまで家事の手伝いを良くしていたので、生活に困る様な事は無かったが、ひたすら孤独だった。
一人で食事をして、母の部屋の前に料理の皿を置く。気がつくと、それは空になっている。そんな毎日の繰り返し。
その孤独を埋める為に、家中の本を読み漁った。道具の事、世界の事、魔法の事など、一通り学んだ頃、突然、母がアンジェリカを呼んだ。
窓枠に雪の降り積もった、寒い夜。母は扉を開けてはくれなかった。近くて遠い距離。一枚の板を挟んで、親子はお互いの言葉に耳を傾けた。
「......アンジェリカ、ごめんね。」
母の掠れた声が聞こえて来る。弱々しく、今にも消えてしまいそうな、霞の様に。
アンジェリカは、寂しさがこみ上げて、ドアノブを捻った。どうしても動かない。母に触れたかった。昔の様に抱きしめて、おでこにキスをして貰いたかった。ただ、それだけの願いを、何処の世界の神が過分だと言うのだろう。
「ママ......開けてよ!! 一緒にご飯を作ろう? お喋りもしよう?! 私......私ね、呪文が使える様になったの!!」
「......アンジェリカ、ちゃんと......聞いて」
母の必死な様子に、アンジェリカは口を噤んで、扉に耳を貼り付けた。
「良い? ......崖沿いに歩くと、ドニの街へ行ける......大きな道に出るでしょう? そこを......街とは反対の方へ進むと......マイエラ修道院がある。......何度か......行った事があるでしょう? そこへ行きなさい」
「......どうして......ねえ、どうして?!」
アンジェリカが扉を殴り付けると、反対側から咽び泣く声が聞こえて来た。
「最期くらい、良い子でいてよ!!」
聞いた事もない、母の叫び声に、アンジェリカは硬直した。
「 ......お母さん......お母さん、病気なの......。お願い......お母さんの我儘を聞いて......」
その声が終わると同時に、アンジェリカは、恐ろしい呪文の言葉を耳にした。
少女の壊れそうな心と反比例に、彼女の魔法の力が、何倍にも膨れ上がって行く。より、強く。
扉越しに、ドサッと音が聞こえた。きっと、それは、屋根から滑り落ちた雪だろう。そう思わなければ、アンジェリカの心は、堪えきれなかった。母は、命の最期の灯火を、全てアンジェリカに授けたのだ。
ーーメガザル。
自身の命を犠牲に、癒しを与える呪文。
アンジェリカは、フラフラと走り出した。それが無意味な事だと分かってはいたが、走らずには居られなかった。助けを呼ばなくては。母が病気なのだ。
途中、何度も雪に足をとられ、つま先から頭のてっぺんまで、びしょ濡れになってしまった。ベルの形をした、へんてこな魔物に追い掛け回され、死ぬ気で走った。
そして、文字通り、命からがら修道院に駆け込んだ。
入り口の僧は、アンジェリカの姿を捉えると、眉間に皺を寄せたが、何も言わなかった。彼女は大き過ぎる扉を自分で押し開け、建物の中に滑り込んだ。
冷たい石の床も、至る所に置かれた女神像も、全てが彼女の来訪を拒んでいるかの様に思えた。一心に祈りを捧げる人々は、ずぶ濡れの少女なんぞに目を向けない。
アンジェリカは、到底この場に救いがあるとは思えなかったが、他に行くあても無く、中庭へと進んだ。
教壇のある部屋とは違い、そのエリアは一般人が立ち入らない場所らしい。話し掛けるべき人の姿すら、見当たらない。
彼女が失意に項垂れた時。カツカツと、足音が聞こえて来た。それは、アンジェリカのすぐ前で止まった。
「君......お父さんやお母さんと、お祈りに来たのかな?」
黒髪の少年が、背を屈めてアンジェリカの顔を覗き込んでいた。その優しい表情に、アンジェリカの目から涙がボロボロと零れ落ちた。
「お母さんも......お父さんも......し......死んじゃって......わ......私......」
「そうか。一人で来たんだ。......辛かったね」
少年は、アンジェリカの頭を撫でて、微笑んだ。
「僕も似た様なものさ。ここでは、みんなが家族になってくれる。......君の名前は?」
「......(夢主)」
彼女が名乗ったその瞬間、少年の顔に驚きが広がった。
彼は、その名前に覚えがあったのだ。何処かで見た事がある。確か......
「本当にごめんね。......君のお母さんの名前を教えてくれるかな?」
「ソフィアです」
答えを聞き、少年は合点が行った。彼はアンジェリカの両肩に手を置き、感じ入った様にその瞳を見つめた。
「そうか......君が......」
少年も、母親を亡くしていた。少年の母親は、マイエラ領主の愛人で、本妻に子供が出来た途端に、きのみ着たまま屋敷を放り出された。そんな母親と、最期まで交流を持っていたのが、ソフィアという女性だった。
頻繁に手紙でやり取りをしていたらしく、その全てが、大切に保管されていた。
ソフィアは、領主の好色と横暴さに嫌気がさしつつも、身ごもった友人......少年の母親のために、屋敷に残り、世話を続けていたらしい。
少年の母が屋敷を去った後、ソフィアも使用人を辞めた様だ。しかし、二人の友情は続いていた。
最後のやり取りは、少年の名前に関する物だった。産まれて来た子供に、何と名付けようか、と。
少年の母親は、女の子が産まれた時には、ソフィアに名前を決めて欲しいと綴っていた。その時ソフィアの提案した名が、アンジェリカだった。神の加護を受けられる様にと。天使を意味する言葉だ。
「僕はマルチェロ。大丈夫。君をオディロ院長の所まで、案内するよ」
差し出された手。アンジェリカは、おずおずと握り返した。温かい。人に触れたのは、何時ぶりだったろうか。
抱き締められたのも、優しく声を掛けられたのも、遠い昔の事の様に思えた。
「あの、マルチェロさん!」
アンジェリカは、彼の手を引っ張って、歩みを止めた。少年は、驚いた様子で振り返る。
「どうしたの?」
「お母さんが、まだ家に......。私、どうしたら良いのか、分からなくって......」
「そう......か。安心して。朝が来たら、騎士団のみんなが、様子を見に行ってくれるから。今は、暖かい部屋に行こう?」
「......はい」
アンジェリカは、おとなしく頷いた。安心感と温もりのせいで、頭が良く回らない。何をするべきなのか、何一つ思いつかなかった。
ふと、頭上を見上げと、いつの間にか昼間の雪雲が消えていた。抜ける様な暗闇に、幾つもの星が煌き、月が包み込む様な柔らかな光を放っている。
星が......あまりにも綺麗すぎて、アンジェリカは、この光景が、生涯忘れられない鎖になる事を、無意識の内に悟っていた。