GS3嵐×バンビ
軌跡
二月の半ばを過ぎた頃。
正月明けからの慌しさもすっかりなりを潜め、受験シーズンも過ぎた今は卒業までの僅かに残った時間がやけにゆっくりと感じられる。
暦の上ではもう大寒も過ぎたはずだが、吹き抜ける風は身を切るように冷たい。
はばたき学園敷地内の一角に立てられたプレハブ建物の前に立ち、美奈子はしみじみと建物を見回した。
三年前の秋、何の前触れもなく突然立てられた柔道同好会の部室。当事者だった美奈子や不二山ですら、いきなりすぎる展開に驚いたものだった。
初めの頃は見慣れない真新しいプレハブをもの珍しそうに見に来る生徒が後をたたず、文化祭の百人掛けイベントとあいまってしばらく学校内で柔道部の噂が持ちきりだったのを懐かしく思い出す。
慌しくも楽しかった高校生活はもう残り僅かで、もうとっくに後輩マネージャーに引継ぎを終え、新名率いる新部長の体制が固まりつつある。
三年の夏を過ぎて不二山と共に美奈子も既に柔道部マネージャーを引退し、秋からはなるべく必要以上に口を出さないように勤めてきた。秋を過ぎて冬に入ってからは不二山共々部活には顔を出さず二人で残った時間を過ごしていた。
もう既に柔道部は自分達だけのものではなくキチンと形になって次代に受け継がれ、自分達は次の世代に託して去っていく。
しかし、いくら新名が新部長として認められても、柔道部創設者である不二山と美奈子の存在感は大きすぎた。どんなに控えめに見守ろうとしてもその場に居るだけで他の部員達も新名自身もその存在を無視することはできない。
だからこそもう部に顔を出さずに過ごしてきた。もちろん頼られれば応じるし、手を差し伸べることに遠慮はしない、それもあくまで今だけのこと。
こうしてプレハブをしみじみと見るのも随分久しぶりのような気がする。
そっと手を伸ばして看板に手を触れる、木板に達筆で書かれた柔道部の文字。真新しかった最初の頃から比べて少し日に焼けて、三年間という時間を感じさせる。
鍵を開けて僅かに軋む音を立てて戸を開くと、畳敷きの懐かしい部室の光景が美奈子の目の前に広がった。
靴を脱いで踏みしめた畳の感触、あの頃は青々しい香りのした真新しい畳も毎日の稽古で大分年季が入ってきている。
ぺたんとその場に座り込んで、一つ一つ目の裏に焼き付けるように見回していく。
飾られた神棚、鉄骨の見える壁に貼られた部員表、部誌や記録帳をしまったロッカー、何も無かった部室から少しづつ揃っていった部の奇跡。
頬を伝って膝に落ちた雫。
慌てて手の甲で頬を拭ったが零れた涙はぽつぽつと落ちてスカートに小さな跡を作った。
溢れた涙を拭って上を見上げる。夕暮れ近く、窓から差し込む日差しが座り込んだ美奈子を照らす。
ふと入り口の戸軋む音が響いた。
「なんだ、ここにいたんか」
「嵐くん……」
「探したぞ、先帰ったのかと思った」
「ごめん」
靴を脱いで美奈子の隣へと腰を下ろす。
「なんか、懐かしくなっちゃって」
「そっか」
探したと言っても不二山の声は優しく、部室にいた理由を問うことも無く、ただ黙って美奈子の隣に腰を下ろした。
「卒業だよね」
「うん」
短い会話の中に篭った想い。
「なんだか、長いようでいてあっという間な気がする」
「そうだな」
言葉にしなくとも、お互いが積んできたいろいろなものを噛み締めるように。
「最初はね、マネージャーになったのってその場の勢いだったんだよ。何にも考えてなかったってわけじゃなかったけど、あまり深くは考えてなかったんだ」
「そんなもんだろ、でもそこからここまでやってこれたんだ、すげえもんだぞ」
「そうかな?」
「ああ、お前にはホント感謝してる」
そのままの飾らない不二山の言葉がほんのりと心に沁みる。
黙って座っているだけでも息苦しさや気まずさは無く、逆に居心地の良ささえ感じている。
「このプレハブができた時のこと覚えてる?」
「ああ、もちろん」
まさに晴天の霹靂と言ってもいいあの出来事。
居場所も定まらなかった柔道同好会が本当の一歩を踏み出したあの日。俺達の城だといった不二山の誇らしげな顔が今でも美奈子の記憶に眩しく残っている。
「あれから、随分経ったんだね」
「そうだな」
部室を得て、文化祭で注目を集めてから、それこそ目が回る程に慌しく状況が変わっていった。興味を引かれた部員が一人二人と増え、二年目には新名が入部し、他の運動部にも引けをとらない程の活動ができるようになった。
「もう、私達の城じゃないんだね」
俺達の城、確かに不二山の言葉は間違っていなかった。初めて得られた自分達の場所、ここから色々なことが始まり、そして自分達の手から離れていこうとしている。
「でも、嫌なわけじゃないんだよ。嬉しいの、すごく嬉しくて、嬉しいのに……わかってるけど、やっぱり寂しいなって」
包むように不二山の手が美奈子の頭に置かれる。
「ああ、俺も同じだ。嬉しいけど、寂しい」
「うん」
「最初は柔道やりたいっていう俺のわがままだった。けど、それのわがままにお前が付き合ってくれて、新名や他についてきてくれる奴らができて、こうしてあいつらに後に託していける」
くしゃくしゃと美奈子の頭を撫でてそっと肩に引き寄せる。
「思い返してみっと、俺ってすっげー幸せな奴なんだなって思う」
涙の伝った頬を指先でそっと拭う。
「自分がやりたいこと思いっきりできて、応援してくれる奴がいて、ついて来てくれる仲間もできて、それを親にもわかってもらえて」
肩に触れた手にぎゅっと力が篭る。
「そのことをこうしてお前と一緒に実感できる」
「……うん」
寄りかかった不二山の肩に額を寄せて、ぎゅっと目をつぶる。
窓から差し込む赤い夕日の中、言葉も無く静かに寄り添った。
*
* *
綺麗に晴れた空を見上げて、美奈子が大きく伸びをする。
「卒業だね」
「ああ」
同じく胸に花を飾った不二山が隣で晴れやかに笑っている。
「なんだかまだ実感湧かないや、でも……もう終わりなんだよね」
「高校生活はな。けど、これから始まるだろ?新しい生活」
「……そうだね」
「通過点じゃなーけど、ここが終わりじゃない」
ぽつりと呟く声に隣を見上げる。
「ここはただの通過点なんかじゃなかった、はば学にきてお前に会えて、俺らの居場所を作れた。けど終わりじゃなくて区切りなんだ、またこっからまた新しく始めて誰かに会って、またいろんなモンを積んでく、その繰り返し」
「うん」
「お前も一緒にな」
「え……」
「ここでもそうだった、自分一人だったらここまでやれなかった、だからこれからも俺と一緒に積んでいこう。ダメか?」
「ダメじゃないよ。すごく、嬉しい」
「この先ずっと、お互いいろんなモン積んで一緒に思い返していこう。返事は?」
「はい」
「よし」
くしゃっと頭を撫でて笑いあう。
「あーいたいたー!嵐さーん!美奈子さーん!」
大きな声をあげて呼ぶ新名の声に顔を上げると、新名とその後ろにぞろぞろと柔道部部員達が走ってきた。
「よかったーまだ帰ってなくて!」
「なんだ、お前達?」
「なんだじゃないっすよ、最後に柔道部一同でお見送りさせてくださいよ」
あっという間に取り囲まれて。
「押忍!主将!」
「卒業おめでとうございます!」
「美奈子さんもお疲れ様っした!」
「今までありがとうございました!」
うっすら涙を浮かべて頭を下げる部員達に圧倒されながらも、一人一人の手を取って肩を叩く。
「うん、みんなありがとう。新名くんも……みんな」
「後は任せたぞ、お前ら」
「押忍!」
積み上げてきたもの。
後に託していくもの。
こうして目の前にして改めて実感できる。
「流石は美奈子さん。やっぱ、はば学のお母さんはパネェっすね」
「嬉しいけど……ちょっと複雑だよ」
それでも男泣きに泣く部員達に縋られながら嬉しそうに笑う。
「いいだろ、お前は柔道部の母さんみたいなもんだからな」
「嵐くんまで」
「そういう意味では俺もお父さんだ、これであいこだろ?」
「もうっ」
「で、こいつらが子供」
「ごっつい子供たちだなぁ」
取り囲んだ部員達の肩を叩いて美奈子に笑いかける。
「お前達、後は任せたぞ」
「押忍、任せちゃってください」
「押忍!」
口々に答えながら泣く部員達に取り囲まれ、滲んだ涙を指先で拭って精一杯の笑顔を浮かべる。
「そうだね……本当に、ありがとう。はば学に来て、みんなに会えて、本当に良かった」
終わりでなく区切り。
また新しく積んでいく為に、先に進んでいく。
でもまだ少しだけ一緒に積んできた仲間達の想いに浸って別れを惜しんでいたいと願った。
END
二月の半ばを過ぎた頃。
正月明けからの慌しさもすっかりなりを潜め、受験シーズンも過ぎた今は卒業までの僅かに残った時間がやけにゆっくりと感じられる。
暦の上ではもう大寒も過ぎたはずだが、吹き抜ける風は身を切るように冷たい。
はばたき学園敷地内の一角に立てられたプレハブ建物の前に立ち、美奈子はしみじみと建物を見回した。
三年前の秋、何の前触れもなく突然立てられた柔道同好会の部室。当事者だった美奈子や不二山ですら、いきなりすぎる展開に驚いたものだった。
初めの頃は見慣れない真新しいプレハブをもの珍しそうに見に来る生徒が後をたたず、文化祭の百人掛けイベントとあいまってしばらく学校内で柔道部の噂が持ちきりだったのを懐かしく思い出す。
慌しくも楽しかった高校生活はもう残り僅かで、もうとっくに後輩マネージャーに引継ぎを終え、新名率いる新部長の体制が固まりつつある。
三年の夏を過ぎて不二山と共に美奈子も既に柔道部マネージャーを引退し、秋からはなるべく必要以上に口を出さないように勤めてきた。秋を過ぎて冬に入ってからは不二山共々部活には顔を出さず二人で残った時間を過ごしていた。
もう既に柔道部は自分達だけのものではなくキチンと形になって次代に受け継がれ、自分達は次の世代に託して去っていく。
しかし、いくら新名が新部長として認められても、柔道部創設者である不二山と美奈子の存在感は大きすぎた。どんなに控えめに見守ろうとしてもその場に居るだけで他の部員達も新名自身もその存在を無視することはできない。
だからこそもう部に顔を出さずに過ごしてきた。もちろん頼られれば応じるし、手を差し伸べることに遠慮はしない、それもあくまで今だけのこと。
こうしてプレハブをしみじみと見るのも随分久しぶりのような気がする。
そっと手を伸ばして看板に手を触れる、木板に達筆で書かれた柔道部の文字。真新しかった最初の頃から比べて少し日に焼けて、三年間という時間を感じさせる。
鍵を開けて僅かに軋む音を立てて戸を開くと、畳敷きの懐かしい部室の光景が美奈子の目の前に広がった。
靴を脱いで踏みしめた畳の感触、あの頃は青々しい香りのした真新しい畳も毎日の稽古で大分年季が入ってきている。
ぺたんとその場に座り込んで、一つ一つ目の裏に焼き付けるように見回していく。
飾られた神棚、鉄骨の見える壁に貼られた部員表、部誌や記録帳をしまったロッカー、何も無かった部室から少しづつ揃っていった部の奇跡。
頬を伝って膝に落ちた雫。
慌てて手の甲で頬を拭ったが零れた涙はぽつぽつと落ちてスカートに小さな跡を作った。
溢れた涙を拭って上を見上げる。夕暮れ近く、窓から差し込む日差しが座り込んだ美奈子を照らす。
ふと入り口の戸軋む音が響いた。
「なんだ、ここにいたんか」
「嵐くん……」
「探したぞ、先帰ったのかと思った」
「ごめん」
靴を脱いで美奈子の隣へと腰を下ろす。
「なんか、懐かしくなっちゃって」
「そっか」
探したと言っても不二山の声は優しく、部室にいた理由を問うことも無く、ただ黙って美奈子の隣に腰を下ろした。
「卒業だよね」
「うん」
短い会話の中に篭った想い。
「なんだか、長いようでいてあっという間な気がする」
「そうだな」
言葉にしなくとも、お互いが積んできたいろいろなものを噛み締めるように。
「最初はね、マネージャーになったのってその場の勢いだったんだよ。何にも考えてなかったってわけじゃなかったけど、あまり深くは考えてなかったんだ」
「そんなもんだろ、でもそこからここまでやってこれたんだ、すげえもんだぞ」
「そうかな?」
「ああ、お前にはホント感謝してる」
そのままの飾らない不二山の言葉がほんのりと心に沁みる。
黙って座っているだけでも息苦しさや気まずさは無く、逆に居心地の良ささえ感じている。
「このプレハブができた時のこと覚えてる?」
「ああ、もちろん」
まさに晴天の霹靂と言ってもいいあの出来事。
居場所も定まらなかった柔道同好会が本当の一歩を踏み出したあの日。俺達の城だといった不二山の誇らしげな顔が今でも美奈子の記憶に眩しく残っている。
「あれから、随分経ったんだね」
「そうだな」
部室を得て、文化祭で注目を集めてから、それこそ目が回る程に慌しく状況が変わっていった。興味を引かれた部員が一人二人と増え、二年目には新名が入部し、他の運動部にも引けをとらない程の活動ができるようになった。
「もう、私達の城じゃないんだね」
俺達の城、確かに不二山の言葉は間違っていなかった。初めて得られた自分達の場所、ここから色々なことが始まり、そして自分達の手から離れていこうとしている。
「でも、嫌なわけじゃないんだよ。嬉しいの、すごく嬉しくて、嬉しいのに……わかってるけど、やっぱり寂しいなって」
包むように不二山の手が美奈子の頭に置かれる。
「ああ、俺も同じだ。嬉しいけど、寂しい」
「うん」
「最初は柔道やりたいっていう俺のわがままだった。けど、それのわがままにお前が付き合ってくれて、新名や他についてきてくれる奴らができて、こうしてあいつらに後に託していける」
くしゃくしゃと美奈子の頭を撫でてそっと肩に引き寄せる。
「思い返してみっと、俺ってすっげー幸せな奴なんだなって思う」
涙の伝った頬を指先でそっと拭う。
「自分がやりたいこと思いっきりできて、応援してくれる奴がいて、ついて来てくれる仲間もできて、それを親にもわかってもらえて」
肩に触れた手にぎゅっと力が篭る。
「そのことをこうしてお前と一緒に実感できる」
「……うん」
寄りかかった不二山の肩に額を寄せて、ぎゅっと目をつぶる。
窓から差し込む赤い夕日の中、言葉も無く静かに寄り添った。
*
* *
綺麗に晴れた空を見上げて、美奈子が大きく伸びをする。
「卒業だね」
「ああ」
同じく胸に花を飾った不二山が隣で晴れやかに笑っている。
「なんだかまだ実感湧かないや、でも……もう終わりなんだよね」
「高校生活はな。けど、これから始まるだろ?新しい生活」
「……そうだね」
「通過点じゃなーけど、ここが終わりじゃない」
ぽつりと呟く声に隣を見上げる。
「ここはただの通過点なんかじゃなかった、はば学にきてお前に会えて、俺らの居場所を作れた。けど終わりじゃなくて区切りなんだ、またこっからまた新しく始めて誰かに会って、またいろんなモンを積んでく、その繰り返し」
「うん」
「お前も一緒にな」
「え……」
「ここでもそうだった、自分一人だったらここまでやれなかった、だからこれからも俺と一緒に積んでいこう。ダメか?」
「ダメじゃないよ。すごく、嬉しい」
「この先ずっと、お互いいろんなモン積んで一緒に思い返していこう。返事は?」
「はい」
「よし」
くしゃっと頭を撫でて笑いあう。
「あーいたいたー!嵐さーん!美奈子さーん!」
大きな声をあげて呼ぶ新名の声に顔を上げると、新名とその後ろにぞろぞろと柔道部部員達が走ってきた。
「よかったーまだ帰ってなくて!」
「なんだ、お前達?」
「なんだじゃないっすよ、最後に柔道部一同でお見送りさせてくださいよ」
あっという間に取り囲まれて。
「押忍!主将!」
「卒業おめでとうございます!」
「美奈子さんもお疲れ様っした!」
「今までありがとうございました!」
うっすら涙を浮かべて頭を下げる部員達に圧倒されながらも、一人一人の手を取って肩を叩く。
「うん、みんなありがとう。新名くんも……みんな」
「後は任せたぞ、お前ら」
「押忍!」
積み上げてきたもの。
後に託していくもの。
こうして目の前にして改めて実感できる。
「流石は美奈子さん。やっぱ、はば学のお母さんはパネェっすね」
「嬉しいけど……ちょっと複雑だよ」
それでも男泣きに泣く部員達に縋られながら嬉しそうに笑う。
「いいだろ、お前は柔道部の母さんみたいなもんだからな」
「嵐くんまで」
「そういう意味では俺もお父さんだ、これであいこだろ?」
「もうっ」
「で、こいつらが子供」
「ごっつい子供たちだなぁ」
取り囲んだ部員達の肩を叩いて美奈子に笑いかける。
「お前達、後は任せたぞ」
「押忍、任せちゃってください」
「押忍!」
口々に答えながら泣く部員達に取り囲まれ、滲んだ涙を指先で拭って精一杯の笑顔を浮かべる。
「そうだね……本当に、ありがとう。はば学に来て、みんなに会えて、本当に良かった」
終わりでなく区切り。
また新しく積んでいく為に、先に進んでいく。
でもまだ少しだけ一緒に積んできた仲間達の想いに浸って別れを惜しんでいたいと願った。
END