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GS3嵐×バンビ

砂糖菓子の君へ(オリジナルキャラ視点です)

憂鬱な朝

 五里霧中。
 行っても行っても先が見えない霧の中。
 今の頭の中はそんな感じ。でも、霧で一杯の頭の中でわかってることが二つだけある。
 あの子のこと、あいつのこと。
 白い道着の憎いあんちきしょうに腕を引かれてどんどん遠ざかっていくあの子の背中を、あたしはただ見つめていることしか出来ない。
 
「さむっ」
 二月も半ばに差しかかった頃、暦の上では春だけどまだまだじんと沁みるような朝の冷え込みは続いている。
 首に巻いたマフラーに顎を埋めて歩くいつもの学校への道、周りには通学途中の同じ制服の子達が私と同じく朝の冷え込みに震えながら足早に学校へと向かって歩いているいつもの光景。でも、いつもの中に決定的な何かが足りない。
 マフラー越しに漏れる溜息、ホントは清々しいはずの澄んだ冬の空気なのに、あたしの気分はすっかり灰色だった。
 朝から私がどんより空模様な理由、それはもうわかってる。いつもの通学路この時間に通るはずの姿が見えない。入学してからずっと同じクラスで初めは同じ部活だったあの子と唯一僅かな時間を共有できていた朝。なのに、そのほんの僅かな至福のひと時さえも容赦なくあの白い悪魔は奪っていったのだ。
 憎きあんちきしょうこと不二山嵐、あたしとあの子と一年から一緒のクラスメイト。
 部活でもクラスでもバイトでも休みの日も全部あの子を独り占めして、さもソレが当然だろって顔してる。柔道バカでデリカシーが足りなくて欲張りで無駄にエラそうで根拠もないのに自信満々で、そのくせやたらと行動力と度胸もあって、あたしが欲しくてたまらないものを全部持ってるホントにヤな奴。
 何より一番気に入らないのは、私の砂糖菓子の君たる美奈子ちゃんがすっかりあんちきしょうに夢中になってるっていう信じたくない事実。
 ああもう、朝から気分最悪。ぶんぶんと首を振って頭に浮かんだ憎いあんちきしょうの顔を追い出す。こんな時こそ、奴の顔じゃなくてあの子の笑顔を見て居たいのに。
 
 女の子とは砂糖菓子である、お砂糖とスパイスと素敵なもので出来ているんだから間違いない。
 甘くてふわふわしてて、ちょっと力をこめると崩れてしまうような、そんな憧れ砂糖菓子の君。
 とはいっても掛け値なしの美人とか眉目秀麗とか才色兼備とかそんな大仰なものなんかじゃなくて、とびっきり特出した何かがなくても万有引力みたいにただそこに居るだけで周りの人を惹きつける存在、。人懐こくてお人よしでなにより可愛らしくて、いつの間にかあの子の周りには引力に吸い寄せられるように男女共にたくさんの人が集まっている、かくいうあたしもその一人。
「はぁ」
 本日何度目かわからない溜息をついて。
「しーちゃん」
 頭の中の霧を一瞬で吹き飛ばす声に跳ねるように振り向いた。
「しーちゃん、おはよう」
「美奈子ちゃんっ!」
 指定ジャージにもこもこマフラーをまいて自転車のペダルを漕ぎながらという格好、でもそんな姿さえ愛らしい。
「おはよう、美奈子ちゃん。朝練終わり?」
「うん、今から戻って着替えるつもり」
 自転車を止めて片足をついて、寒さで真っ赤になった鼻と頬でにっこりと笑う。
「それ、こないだあげたマフラーだよね?」
「うん、あったかくて重宝してるよ。ロードワークもこれのおかげで助かっちゃってる」
 マフラーを撫でてはにかむ姿は可愛い中に痛々しさも感じる、こんな砂糖菓子みたいな子を寒空の中で走らせて、さもそれが当然のように所有権を振りかざすあんちきしょうへの怒りが再燃する。
「おーい、美奈子」
 遠くからでもよく響く太い声。
 ジャージ姿で走ってくるあんちきしょうが美奈子ちゃんに手を上げる。
「あ、嵐くん追いついてきた。じゃあ、しーちゃん後でね」
「うん……」
 挨拶がわりに一つベルを鳴らして、美奈子ちゃんがペダルを漕いで自転車を走らせる。
 後から走って追ってくるあんちきしょうとの距離を考えながら、つかず離れずを保ちながら。
 
 私の砂糖菓子の君。
 あの子に好きな子がいるのは百歩譲って構わないのだ。
 ただそれが、例えば物語の王子様のような麗しい美少年や詩人のように繊細な青年とかだったらまだ納得できたのに。よりにもよって繊細とか美麗とか優美とかとまったく真逆のあんちきしょうというのが、なんとも気に食わない。
 やい、不二山嵐。オマエなんかカエルとカタツムリと子犬のしっぽの合成物だ、こんちくしょうめ。


夢見がち少女は主張する

 女の子は素晴らしい、これは絶対だ。
 例えば、透き通ったオーガンジーの生地とか。
 例えば、パステルカラーのキャンディとか。
 例えば、色とりどりの刺繍糸とか。
 この世の素敵な全てのものと、お砂糖とスパイスで女の子は出来ている。
 これは世界の真理である、異論は認めない。
 女の子は素晴らしい、大事なことなので声を大にして何度でも主張したい。
 甘くて優しくてふわふわしたパステルピンクの女の子の世界。
 あたしが胸に抱いていた女の子の集大成と言うべき、愛する砂糖菓子の君に出会った時のことを今でも昨日の事のように思い出す。
 子供の頃から引っ込み思案、カエルとカタツムリと子犬のしっぽの合成物たる男子が大がつくほど嫌いで、中学時代は先生以外では男子とは殆ど会話もしたことがなかったあたしにとって、はば学での新生活は正直不安が一杯だった。
 クラスの半分を占める物語の王子様や詩人とは似ても似つかない無骨で粗暴で汗臭い男子の姿に、入学初日から戦々恐々の覚悟だった。
 早く放課後になるのを祈りながら、ようやく授業が終わって教室から解放された頃、肩をつつく指先に後ろを振り向いた。
「ねぇ、このポーチ手作りだよね。すっごく可愛い、見せてもらってもいい?」
 驚いて飛び上がりそうになってマジマジと顔を見上げると、黒目がちのキラキラとした瞳と目が合ってにこっと微笑んだ。軽く小首を傾げて、頬にかかったボブカットの毛先、大輪のバラではなくひまわりやマーガレットみたいな柔らかい笑顔。

 麗しの砂糖菓子の君。
 憂鬱な曇り空だった入学初日が一変して、まばゆい光に包まれた高校生活が始まったのだ。
 あの子が太陽だとしたら、彼女に惹かれて周りに集う衛星のような人はきっとたくさんいるだろう、私だってその一人。
 緑の惑星とは言わない、せめてほんの小さな小惑星群のひとつでいい、傍にいることが許されたら、すごく嬉しい。
 あの日、あの子が入部希望の紙を握り締めて家庭科室の前で立ち止まっていた私に声をかけてくれたのを今でも昨日のことのように思い出す。
『あ、手芸部入部希望?私もなんだよ』
 ほら入ろうと、私の手を引いて。
『私、小波美奈子。同じクラスだよね?部活でもよろしくね』
 不安だらけだった灰色の高校生活がバラ色に染まった瞬間だった、けれど、淡い希望はそれから一月も経たないうちに無残にも砕かれてしまったのだ、あの白い悪魔の出現で。

 * * *

 ひとつ、ふたつ。
 掬い上げるように針を動かして均等に縫い目を繋いでいく。単純作業の繰り返しだけど、このひとつひとつの積み重ねが形を成して素敵な衣装へと変わる瞬間がたまらなく好きで。
「あ、見て見て、ルカくんだ!」
「ホントだ、手振ってる」
「王子様だねぇ~」
 周りの雑音を気にせず手の動きを止めることも無い。
「ね、緒方ちゃん。ルカくんはどう?王子様っぽいよ」
 大きなお世話の発言にうんざりした気持ちで手を止める。
「確かに綺麗だと思うけど……不良な人はキライです」
「じゃあコウくんは?」
「だから不良な人はキライです!」
「じゃあ紺野先輩は?」
「……会長さんは……確かに優しいけど、背が高すぎるし」
「顔見えないよね、緒方ちゃんだと」
「いいんです!小さくても!」
「じゃあ、設楽先輩は?」
「なんだか近寄りがたいです」
「じゃ、新名くんとか?」
「ナンパな人はキライです」
「厳しいなぁ、緒方ちゃんは」
「小動物の審美眼は厳しいねー」
「大きなお世話ですっ」
 どうして女の子はいつまでも可愛らしい女の子で居られないんだろう。そりゃあ綺麗な人は綺麗だと素直に思える。けれど、どうしてそんなにゲテモノ合成生物の事ばかり考えるようになってしまうのだろうか。
 ため息をついて窓の外を見ると、遠目でジャージ姿のあの子が首にかけた笛を片手にむくつけき男連中に掛け声をかけている姿が見えた。
 たとえよれたジャージを着ていても、汗で汚れていようとも、何一つ変わらない明るさと魅力に溢れていて、妙に寂しい。
 今日は手芸屋さんと可愛い天然石アクセサリーショップに寄ろう、灰色に荒んでしまった心を少しでも癒して帰りたかった。

 * * *

 積みあがった衣装を一つ一つ確認する。
 可愛いレースどころか飾りもそっけもない品だけれど、一度請け負ったものを適当に仕上げるというのはなけなしのプライドが許さない。
「順調だねー」
「うん、とりあえず必要数は何とかなりそう」
「劇の出し物だっけ、これまた本格的だ」
「部の作品もあるのにようやるねえ」
 浅葱色の生地に白のダンダラ模様、胸にしっかり縫い付けた二本の紐、背中の誠の字は全て刺繍で縫い付けたもの。袴は一見普通に見えて両サイドからベルトで着脱できる加工で衣装替えしやすいように工夫を凝らしてある。飾り甲斐のない武骨きわまりない品だけれど、他でもないあの子が着る衣装とあらば一切の妥協はない。

「お邪魔しまーす」
「あれ、小波ちゃん」
「あっ、美奈子ちゃん!」
 荒みかけた心を癒す太陽の出現に心が湧きたった。
「こんにちは、しーちゃん」
「いらっしゃい、どうぞどうぞ!」
「途端に元気になったよ、この子」
「うん、ちょっと直したいものがあって、ちょっと道具借りたいんだけど、いいかな?これなんだけど」
 その手にはどうやったらここまでばっくりいくのかと言いたいほどに縫い目が裂けたシャツ。
「こらまた豪快にやったもんだねぇ」
「ちょっと技の説明してる時についやっちゃったみたい、ついでにアイロンも借りていいかな」
「どうぞどうぞ、甲斐甲斐しいねえ」
 嫌な予感が確信に変わって、更に追い打ちのように太い声がドアの向こうから聞こえてくる。
「直りそうか?」
「うん、大丈夫そう。嵐くんもうちょっと待っててね」
「わかった」
 ずかずかと神聖な手芸部の部室に遠慮なく入ってくる憎いあんちきしょうの姿。
 当たり前のようにあの子の隣に座って、当然のように尽くしてもらって、その立場がどれほど恵まれているものか、一度問い詰めてやりたくなる。

「よし、これで良し」
「お、サンキュ。悪いな」
 手際よく破れ目を縫い合わせ、丁寧にアイロン掛けまでした白いシャツ。そのまま受け取るのかと思ったら、着ていたジャージのジッパーを下ろして。
 え?
 目の前に映る肌色。でも色白というには程遠い、ちょっと色の濃い――
「ちょ、嵐くん!」
「わぁお」
 上半身、裸の。
「きゃあああああ!」 
 目の前に広がったショッキングな光景に絶叫マシーンと化していた。
 
「大丈夫、緒方ちゃん」
「おーい、しっかりー」
 我に返るまでの状況がまるっと頭から抜けている。
「しんっじられないっ!」
「あ、復活した」
「緒方ちゃんには刺激が強かったねぇ」
「いい体してたよねー不二山くん」
「ドキッとしちゃうよね」
「しんじられないっ!ありえない!あ、あんな、いきなり」
「威勢いいけどいつまで座り込んでるの?」
「……立てない」
 心臓が破裂するんじゃないかってくらいバクバクいってる。
 床にへたり込んだまま立ち上がろうにも足に力が入らなくて。
「大嫌い、もう」
 もう気力も無く、その場でガックリと項垂れた。

 * * *

「はぁ」
 ゆっくりと深いため息をついて、ガラスケースの中を眺める。所せましと並んでいるのは可愛らしい天然石アクセサリー達。
 武骨でガサツで麗しさの欠片も無い合成生物に引っ掻き回された心が癒されていく。
 決して高価な宝石ではなくても、ひとつひとつ磨き上げられたつぶらな小さな石達は慎ましやかで可愛らしくて、眺めているだけで幸福な気分になれる。もちろん身に付けらてたらもっと嬉しいのだけど。
 女の子はお砂糖とスパイスと素敵なものでできている。
 きっと、あの子も――

「あれ、緒方か?」
 ほの甘い幻想をぶち壊す太い声に体が凍りついた。
「げっ」
 女の子らしからぬうめき声をあげて振り向いた先。
「よお」
 可愛らしい天然石アクセサリーショップにまるっきりなじまない姿、そのくせ全く気おくれする様子もなく堂々とした態度で後ろに立っている。
「な、な、なんで、こ、この、お店に」
「ちょっと探し物、お前もなんか買いにきたのか?」
「いえ、特に、買うとか、考えてない……けど、こういうのは、見るだけでも癒されるし、買うかどうか決めてなくても、なんとなく、心惹かれちゃったりしたら、買ったりするん、です」
 普段クラスでも殆ど男子と会話できずにいたせいで言葉がまともに出てこない。
「なるほどな、女の感覚って奴か、あんまわかんねーや」
 こっちの混乱なんてどこ吹く風でキョロキョロと店を見回して考え込む。
「なあ、緒方。ちょっと聞いてもいいか?」
「は、はい?」
 本音を言えば一分一秒でも早く逃げたい。けれど真顔で問いかけられて逃げるタイミングを見失ってしまう。
「プレゼント、さ、考えてんだけど。俺あんまこういうの詳しくねーからさ、ちょっと意見欲しいんだよ」
「あ」
 ここまで聞いて理由がわかった。
 来週はあの子の誕生日――
「……了解、しました」
 女の子は素晴らしい、これは絶対だ。
 その女の子を輝かせる事が出来るのは――

「ありがとな、緒方」
「……はい」
 ごっついマメだらけの大きな手に可愛らしい包み紙とリボンに包まれた小さな箱。
「じゃあな、助かった」
 手を上げて、駆けていく後姿を見送って、何とも言えない気持ちがぐるぐると渦を巻く。
 きっとあの子は喜ぶだろう。アクセサリが気に入るかどうかの前、あの男からのプレゼントというだけできっと魔法にかかったように素晴らしい宝石に変わるのだ。
 わかっている、何もかも。

 * * *

「はいこれで完成」
 被せられた白いヴェール、鏡に映った花嫁姿。
「うん、綺麗~女の子の夢だね!」
「胸はアンコ入ってるけどねー」
「大きなお世話っ」
 ちょっと上げ底してるけど、胸のラインはスッキリとしていて自然と背筋が伸びる。
「料理裁縫バッチリ、いつでも嫁にいけるよね」
「これで新郎が居ればねえ」
「男嫌いだからねぇ」
「いらないもん」
「はいはい、困ったもんだ」
 毎年続いている手芸部三年目の伝統だという花嫁衣裳、正直最初は乗り気ではなかったけれどやはりこうして着てみると心が弾むのがわかる。
 隣に居て欲しいのは。

「こんにちはー」
 開いたドアから目に入ってきたのは浅葱色の羽織。
「お、小波ちゃん演劇練習だったの?カッコいい!」
「えへへ似合う?って、わぁ!しーちゃんすっごい綺麗!」
「あ、えっと……どうかな?」
「すごーい、本格的だ。これ刺繍でしょ、見てもいい?」
「うん、がんばっちゃった、ステージだと見えないけど」
「ふふっ、凝り性。でもわかるなぁ」
 ひと針ひと針縫った、刺繍。
 何のために、誰の為に、想いを込めて縫っていたのか。
「美奈子ちゃんも、カッコいいよ。作り甲斐あった」
「そうかな?稽古頑張るから劇楽しみにしててね」
「うん、絶対!」
 
 * * *
 
 窓から差し込む傾きかけた陽。
「うーん」
 もう他の部員達は帰宅した中、一人残ってドレスの微妙な調整の為にラインを確認する。
 と。
「誰かいるか?」
 無造作に開けられたドア、もうすっかり聞きなれてしまった声の主。
「緒方か」
「な、なにか、ご用?」
「なぁ、これ直せるか?」
「えっ?」
「この袖んとこ、殺陣の練習やってたら引っかかって」
 差し出された袖を見ると、縫い目が大きく避けて糸が少しほつれている。
「……これくらいなら大丈夫」
 決して直せないわけではないけれど、というかどうやったらこんな風になるのかちょっと考えものだ。同じく殺陣で激しく動いているはずのあの子の衣装は一つも乱れていなくて、キチンと着こなしているというのに。
「悪ぃ、じゃあ頼む」
「引っ掛けたって、どうしてこんなになるの?」
「ん、ああ、練習で動いてる時に大道具の階段の手すりに引っかかってビリって」
 ほつれた糸を摘まんで、そっと生地を撫でる。
 正直、今の花嫁衣裳ほど気合を入れて作ったものではなかったけれど、それでもあれこれ試行錯誤して、丁寧に縫い上げた大切な品だった。でもこの男にとっては無造作に扱ってもなんとも思わないただの衣装なんだろう。
「不二山くんって……思いやりないよね」
「え?」
「私が大切に作った衣装、不二山くんにとっては無造作に扱っても平気なものなんだね」
「緒方」
「自分のことしか考えてない、自分の都合ばっかり、人の気持ちなんてまるっきり考えてない!」
「おい、いきなりどうしたんだ?」
 困惑したような声にもお構いなしに、溜まりに溜まったいろんなものがどんどん溢れてくる。
「あの子のこと全部独り占めして!ソレが当たり前だって思ってて!図々しくて、偉そうで、あたし不二山くんみたいな人、大嫌い!」
 どんどん話が関係ない方向に飛んで、無茶苦茶言っているのが自分でもわかる、けれど。
「緒方!待てよ!」
 もうぐちゃぐちゃになった頭のまま、廊下に飛び出して走りだしていた。
 
 * * *

 一人家庭科室に取り残されたまま。不二山は考え込んでいた。
「嵐くん、直してもらえそう?」
「ああ……美奈子か」
 どこか上の空の受け答えに首を傾げる。
「どうしたの?しーちゃん居なかった?」
「緒方に怒られた」
「えっ?」
「これ、直してくれって言ったんだ。引っかかって破けたって話したら、大切に作った衣装大事に扱えない俺は思いやりがねぇ奴だって」
「嵐くん……」
「考えてみたら、そうだよな。一生懸命作った衣装、乱暴に扱って破いたなんて、怒って当然だよな。俺、ホント思いやり足りてなかった、あいつに悪いことしたな」
「でも、ちゃんと気づいて反省できたんだよね?」
 美奈子の手が破けた袖に触れる。
「しーちゃん、手芸部の作品もあるのにクラスの為に頑張って衣装作ってくれて、ああ見えて職人気質なところあるから思い入れもあったんだと思う」
「うん」
「後でちゃんとあの子に謝ろう?これくらいなら私でも直せるから、大丈夫」
「うん……なぁ」
「ん?」
「お前、あいつと同じ手芸部だったんだよな」
「うん」
「手芸部、辞めてホントによかったんか?手芸好きだったんだろ?」
「え?うーん、確かにお裁縫とか編み物とか昔からすごく好きだったし、手芸部入ったのもやりたかったからだけど、でも柔道部入ったこと後悔してないよ。一から一緒に作っていくの大変だけどすごくやりがいあったし」
「そっか、良かった……」

 * * *

 私、何してるんだろう。
「はぁ」
 屋上の片隅にしゃがみ込んで自己嫌悪に陥っている。
 訳の分からない逆切れして文句を言って飛び出していった自分はどう思われてるか、いやもうあの男になんと思われようともうどうでもいい。
「どうしよう」
 勢いのままカバンも衣装も全部置きっぱなしで飛び出してきてしまったおかげで全くの手持ち無沙汰になってしまった。取りに戻ろうにもまだあの男が部室に居たら顔を会わせ辛い。ほとぼりがさめるまで待ってこっそり戻るしかない。
 自分でも理不尽な逆切れだってことはちゃんとわかってる。衣装の事でイラついたのは事実だけれど、思いやりがないだのそこから先のアレコレはかなり言いがかり。アイツがあの子をどう思ってるか以前にあの子がアイツに夢中だということは誰よりも知っているから。気に入らない苛立ちを全部ぶちまけただけだ。

「こんなとこに居たのかよ」
「ぎゃっ」
 不意にかけられた声に飛び上がりそうになった。
「おい、逃げるなって」
「こ、来ないで!この線からこっち入ってきたら泣くからね!」
「わかった、わかったから逃げないで話聞いてくれ」
 正直心の底から逃げ出したかったけれど、おとなしく従う事にした。
「悪かったな、衣装のこと」
「……いいです。もうそれは」
 どうでもいいわけでもないが、八つ当たりみたいなものだ。
「それと、お前に色々言われて自分のことしか考えてねぇってこと、よくわかったから。そのことちゃんと礼いっとこうと思って、ありがとな」
「べ、別に、お礼言われるようなこと言ってないし」
 というか、殊勝な態度で謝られると逆にこっちが狼狽えてしまう。
「なぁ、お前もあいつのこと好きなんか?」
 追い打ちのようなトンでも台詞に咽そうになった。
 ちょっと待って、直球にも程があるから。というか真正面から真顔でなんて発言をぶちかましてくるのか。
「な、な、な、なに言ってるのっ」
「違うのか?」
 やっぱりこいつ大嫌い。
 無遠慮で、人の心の機微とか全然考えてなくて、剛速球のストレートを一番痛いところに叩き込んできて。
「……好きよ」
 女の子は素晴らしい、けれどきっとこの男の思う好きと自分が抱いている好きは全く違うものなのだというのは、もう頭で理解してる。
「好き、大好き。だからあたし不二山くんのこと嫌い。後から出てきてあの子の事さらっていってずっと独り占めして、自分のやりたい部も辞めてずっと尽くしてくれてるあの子をまるで自分のモノみたいに思ってる図々しいとこ、大っ嫌い」
「……そっか」
「でも、知ってるの。あの子が自分から柔道部入ったことも、がんばってることも、お弁当作ってることも」
 段々と心のタガが外れて言葉が溢れてくる。
「けど、好きだなんもの。初めてクラスで会った時からあの子は私の太陽だったもの。だからアンタなんか大っ嫌い、自己中さに愛想つかされちゃえばいいのよ」
 言いたい放題の自分に何も言い返さない。ひょっとしなくても呆れてるのかもしれないし、なんだこいつとか思われてるかもしれない。
「わかった」
「え?」
「お前の気持ち、心しとく」
 なんだか怖いくらい真面目な顔でまっすぐにこちらを見てる。
「けど、あいつは誰にも譲らない」
 きっぱりとまたど直球の剛速球を投げてくる。
「そんだけだ。衣装大事に着るから、お前も発表がんばれよ」
「う……うん」
 ダメだ、もう勝負にならない。

 * * *

「嵐くん!しーちゃん!」
 救いの声が聞こえる。
「美奈子」
「屋上に居たんだ……邪魔だった?」
「いや、俺の話は終わった」
 ちらりとこっちを見る。
「今は譲ってやる」
 背を向けて立ち去っていくのを呆然と見送って。
「しーちゃん、まだ嵐くんのこと怒ってる?」
「ううん、怒ってない」
「そう、よかった。誤解されちゃうとこもあるかもしれないけど嵐くんホントは優しいから、許してあげて」
「……うん」
 言われなくても、わかっていた。
「しーちゃん?」
 緊張の糸が切れたようにあの子の肩に額を押し付けて。
「充電」
 謎発言に小さく笑って頭を撫でてくれた。
 柔らかくて暖かくて日向の匂いがする。
 女の子は素晴らしい、これは世界の真理だ。

 * * *

 屋上の階段を下り、廊下を歩きながら不二山はゆっくり天井を仰いだ。
「敵が多いな……男も女も」
 正直予想外の相手だったが、向けられた真摯な気持ちはとても強いものだと直感で理解している。
 ぶつけられた言葉で自分の慢心に気づかされた。
「負けてられねえな」
 もっと事を急がないといけないかもしれない。緒方だけでなく他にも彼女を想っている者はまだまだ居そうだ。
「嵐くん」
「美奈子、アイツは?」
「もう少し考え事したいって、でももう嵐くんのこと怒ってないみたいだから」
 隣に並んだ美奈子をちらりと見下ろす。
「急がねぇとな、ホント」
「何の話?」
「こっちのこと」
「……変なの」

 * * *

 屋上に一人、膝を抱えて頭を埋めたまま動けない。
「馬鹿みたい」
 もうほっといて欲しい。
 ぐちゃぐちゃに絡まった気持ちを直球の台詞ひとつで完膚なきまでにぶっちぎっていったアイツの事を考える。
 大好きな子は自分じゃない誰かに夢中になっていて。
 その憎たらしい誰かのことがいつの間にか気になっていて。
 悔しい。
 悔しい悔しい悔しい悔しい、ホント悔しい。
 あれだけ嫌いで嫌いでたまらなかったはずの憎いあんちきしょうのことが、たぶん私も好きなのだ。
 ほんともう、なんて残酷な事実。
 あの子の心の中にも、アイツの心の中にも私の居場所なんて一ミリもないのだ。
 目の端から涙の雫が落ちる。
 今は泣いて泣いてひたすら泣いたら、ふわふわなデザートとほんのり甘いミルクティーで心を癒そう。
 さよなら、私の砂糖菓子の君。
 さよなら、憎いあんちきしょう。
 私の二つの淡い恋は、もろくも完全に敗れ去ったのだ。

END
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