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GS3嵐×バンビ

親友の線

 時間は過ぎていくものだ。
 楽しい時間も悲しい時間も、何もかも。
 胸が痛くて苦しかった日も、今思い返してみると小さな疼きを残してすっかり昇華されてしまっている。
 高校三年間ずっと告げられない想いを抱えて結局通じないままに終わってしまった恋は、心の奥に沈んで新しいこれからの時間に埋もれていく。
 これまでも色んな想いや思い出が心の奥に沈んでいくつもの地層を作る、たまにふと掘り起こして懐かしむこともあるし埋もれたまま忘れていってしまうこともある。すっかり忘れてしまうのではなく、心の中に沈ませて整理して積み上げて、ゆっくりと自分の中で思い出の地層に変えていく。
 そしてまた新しく積み上げていくのだ、新しい時間を。
 
「遅いぞ、小波」
「ごめんね嵐くん」
 肩にかけたスポーツバッグを背負い直して駆け寄る。
 初夏といっても照りつける日差しと肌にじっとりとまとわりつくような蒸し暑さは既に夏と変わりない。
「よし、いこ。早く泳ぎてえ」
「うん!」
 洗いざらしの白いシャツから覗いた腕は高校時代からさらに太くたくましくなって、歩いていく背中も服の上から見てもがっしりと引き締まってるのがわかる。
「ん?なんだ」
「ううん、たくましくなったなぁって思って」
「そりゃ毎日厳しい稽古してるからな、やっぱり一体大ともなると練習メニューも違うな」
「そうだね、ちょっと見違えちゃった」
 伸ばした手を二の腕に触れて、指先でその硬さを比べてみる。
「ぜんぜん違う、これでも最近テニスサークルで練習してるのになぁ」
「そりゃ男と同じ硬さは無理だろ」
「ふふっ」
 片手では回りきらない太さの腕をもう一度ぎゅっと掴んでから離す。昔の自分ならもっと無遠慮にあちこち触っていたかもしれない、けれど。
「いこっか」
「うん」
 触れたいけれど、触れてはいけないような思い。
 心によぎるのは後ろめたさとほんの少しの不安。
 
 彼、嵐くんと過ごした時間は高校三年間の間。でもその時間はとても長くて濃い時間だったように思う。
 柔道部創設の立役者として、そのマネージャーとして、クラスメイトとして、ずっと一緒の時間を過ごしてきた仲間。学校では夫婦とからかわれる程にどんな時も一緒だった。
 けれど、自分が想いを寄せていたのは彼ではなかった。
 
「あっちのウォータースライダーやってみるか?」
「やる!」
「よし、行こう」
 すっかり大人の体になって見違える程になった今でも、時々見せる子供らしい顔はあまり変わらない。
 先を歩くその手を掴もうと手を伸ばしかけて、止める。
 今更、その手に触れていいのか、と。
 
 あの頃、ひたすらに好きだった人の顔を思い出してみる。
 顔の輪郭、後姿、細い手、眼差し。今でも鮮明に目の中に浮かぶ。
 高校三年間ただただ好きで憧れて叶わなくても好きでいたいと思っていた人。
 その気持ちはすっかり消えてしまったわけではないけれど、もう自分の中で沈んでゆっくりと地層へと変わっていっている。
 あの人への想いを募らせながら、何度となく相談に乗ってくれたのは彼だった。
 ちょっと的外れなところもあったけれど、いつでも真剣に話を聞いて、彼なりに心の篭った答えをくれて背中を押してくれていた。その優しさに甘えて、時々見え隠れした彼の気持ちに見ない振りをしていたのは自分だ。
 ずるい自分が今更手を伸ばしていいのか。
 
 水飛沫が飛ぶ中、ウォータースライダーの乗り場は大勢の人でごった返していた。
「はい、次どうぞ。お二人ですか?こちら一緒に滑るのもありますよ」
 係員が慣れた様子で手招きする。
「二人で?」
「ええ、二人一緒になって滑り降りるんです。スリル満点ですよーカップルに是非おススメです!」
 カップル、の言葉に一瞬どきりとしてしまう。
「いえ、一人づつで」
「えっと、嵐くん先いいよ」
「はい、ではどうぞー」
 事もなくあっさりと答えてしまう彼の裏表のなさに少しだけ落胆しつつ。
「下で待ってるぞ」
「うん、いってらっしゃい」
 小さく笑みを浮かべて、勢いよく滑り降りていく姿を目で追う。
 
 心にどんな想いがあっても、彼はきっちりと気持ちをわけることができる。
 親友として相談に乗ってくれていた時、仄見える気持ちがあってもいつだってはっきりと引かれた線から超えてくることはなかった。あの頃も、今も。
 友人という線を引いたのは自分。その線を越えるとしたら行動するべきなのは自分の方だ。
 
「はい、次どうぞー!」
「えっ、はい」
 ぼんやりしているうちに心の準備がないままスライダーの降り口に座らされる。
 流れていく水の上に座って下を見ると、結構高い。今更のように背筋が凍りついて慌てて周りを見回す。
「あ、あの、ちょっと……ちょっとだけ待って……た、高い」
「スタート!!」
「きゃあああああ」
 問答無用で押し出されるまま、あれこれ考える間もなく押し流される水の勢いに滑り落ちた。
 
『男女の友情ってどこまでがそう言えると思う?』
 
 目の前に跳ねる水、ぐちゃぐちゃになった頭の中で響く声。
 いつだったか彼に聞いた男女の友情の定義。
 相手を特別に思うまでのほんの短い間だけの友情。でも、今は……
 
『とっくに越えてるから。そんな状態』
 
 それは、自分も。
 
 続きの言葉が頭をよぎる寸前、放り出されるような浮遊感と跳ね上がる水飛沫で頭が真っ白になった。
 
「おい、大丈夫か」
「う……」
 頭の上から聞こえる声、まばたきすると大きな目が合った。
「嵐くん……一体」
「お前、さっきまで伸びてたんだぞ」
「ええっ」
 あたりを見回すと、私が気づいたのを知った人だかりが散っていく。
 スライダーの終着点では悲鳴や水飛沫と一緒に続々と人が滑り降りてきている。
「すげー迫力だったよな、お前のびててびっくりしたぞ」
「は、恥ずかしい」
 思わず俯いて、ふと肩を抱えるように支えられてるのに気づく。
「あ……」
「どうした?」
 私の肩を抱えたまま、心配そうに顔を覗き込む。
「ううん、ごめんね心配かけて」
「気にすんな、少し休むか?」
 
 そんな状態はとっくに超えている。
 
 だったらどうすればいいか。
「あのね、一休みしたら……リベンジしたいな」
「リベンジ?」
「もっかい、滑りたい」
「いいけど大丈夫なんか?」
「……その、一緒に滑ってくれる?」
 一歩、踏み出してみること。
 なにを今更とためらうのは、拒まれるのが怖いからだ。
「いいけど、本当に大丈夫か?」
「うん、乗り越えるから」
「よし、じゃあ一休みしたらもっかい行こう」
「うん」
 あの頃、一度彼に線を引いた。
 でも今度は自分から線を乗り越えていこう、それで受け入れてくれるかはわからないけれど。


近くて遠い距離

 例えば駅の白線みたいなもの。
 この線より前に出てはいけません、と言うような。
 ここから先に入らないように、お互いのこれまでを壊さない為の警戒線。
 この線があるからお互いそれ以上近づきすぎることなくつかずはなれずの関係のまま今まで同じ時間をすごせた。
 気兼ねない友人同士、変わらないままの関係。
 その線を引いたのは自分だ。
 そして、線引きをした理由を見失ってしまった今でも、二人の間に引かれた線は未だにそれ以上近づけない一線として残っている。
 今から自分の引いた線を越えるにはどうしたらいいのか、まだ答えは見えない。
「ホントに大丈夫か?」
「……だ」
 大丈夫、と言おうとして思わず顔が凍りつく。
 再び登ってきたウォータースライダー乗り場からの景色に思わず立ちすくんだ。
 さっき滑ったときは嵐くんとのことをあれこれ考えていたせいで気がつかなかったけれど。
「……高い」
 さっきも滑ったはずだが、改めてみるとその高さに一瞬めまいがする。
「無理するな、また腰抜けるぞ」
「やる」
 角度は何度かわからないけれど、乗り場から見るとまるで先の見えない斜面に見える。さっき滑った時のことを思い出して気持ちを落ち着けようとしても、思い出すのはさっきまで思い悩んでいた嵐くんとの距離感のことばかりで他のことはするりと頭から抜け落ちている。
「い、一緒に滑ります」
「はい、お二人ですね、どうぞー」
 係員に促されるまま、一歩踏み出す。
 
 踏み出したら、どうなる?
 一度自分で引いた線から……
 ずっと友人という間柄を続けてきて、今更になって擦り寄ろうとするのをどう思うだろうか。
 一歩踏み込もうとしたところで、もし嵐くんに拒否されてしまったら?
 そうなってしまったら、ひょっとしたら今の友人としての嵐くんも失ってしまうのではないだろうか。

「いけるか?」
「え、あ、うん!」
 背後から聞こえる声に頷いてみせる。
「大丈夫だ、俺がついてる」
 二の腕を支えるように掴んだ手の感触と力強く囁く声に心が引き締める。
「よし」

 高校三年間、想いを寄せていた人には結局気持ちを告げることはできなかった。考えてみれば、嵐くんだけでなく想い人との間にある線も踏み越えることができなかった、いや、しなかったのだ。これまでチャンスが全くなかったわけじゃない、ただ踏み越えようとして拒まれるのが怖かったのだ。
 
「行くぞ」
「ひゃあああ」
 一瞬の落下感の後、飛び散る水の飛沫と、目まぐるしく流れていく景色にぐちゃぐちゃになった考えが吹き飛ばされる。
 ただ、背後で支える感触を頼りに意識を繋ぎとめる。
 乗り越える為の勇気が、自分に向き直る力が、欲しかった。

「生きてるか」
「なんとか……」
 額に張り付いた前髪をかき分けて大きく息を吐く、時間にすればあっという間にの出来事だ。何とか気を失わずに滑り降り、それなりに達成感は得られた感じがする。
「ほら」
「あ、うん、ありがと」
差し出された手に捕まって立ち上がる。まだ微かに震えているが、訳も分からず気を失ったさっきよりは足もしっかりしている。
「お疲れ、リベンジ成功だったな」
「うん」
 離そうとした手をそっと握り返す。
 些細な切っ掛けだったかもしれないけれど、心の中で燻っていた葛藤が晴れたような気がする。
 もう一度、今度は自分からこの手を掴んでいこう。

END
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