GS3嵐×バンビ
練習風景 ~ 美奈子
不二山に誘われて柔道同好会を始めたばかりの頃、練習場所を確保するだけでもあちこち駆けずり回っていた時のことを思うと、既に規定人数以上の部員に恵まれ、毎日練習で賑わっている今の部の姿は感慨深い。
「よし、だいぶ動きが良くなってきたな、もう一回だ」
「押忍、お願いします!」
去年の文化祭の百人掛けを見て入部を決めたという一年を相手に、技の指導をする不二山の姿を見て小さく笑みを浮かべる。元々男女共に密かに人気があったが、去年の文化祭の一件で同学年や先輩はおろか、当時学校見学に来ていた新一年らの間でも不二山は一躍有名人になっていた。
不二山に人気が出るのは嬉しいことだが、美奈子にとっては少し複雑な気分でもある。もっとも美奈子は気づいていないが、甲斐甲斐しく不二山に尽くして部員達の世話を焼く美奈子自身も隠れた人気者の一人でもあるのだが。
「肩に力入ってるよ、深呼吸!」
「はいっ」
こちらでは気が逸る一年部員の肩を叩いて、向こうではバテてへたりこんだ部員にタオルを渡して。
「ほら、新名くん。あとちょっと」
「お、押忍」
ぽん、と、背中を叩かれて。汗だく顔で体を起こす。
罠のような部員勧誘作戦で入部した新名も、一年部員達の中では群を抜いて上達が早く、既に不二山を除いた二年部員達の実力に追いついている。
「はい!次ラスト!」
「押忍!」
もっとも実力はあるものの、その実力を発揮するのに少々ムラがあること、そしてサボり癖と、厳しい稽古に対してすぐに逃げ腰になる気持ちの脆さなど、見込みはあるが課題も多い。
「はい、おつかれ新名くん」
「お、あんがと美奈子さん。マジ天使!」
「ゆっくり飲んでね、すぐ汗になっちゃうんだから」
「はーい」
渡されたスポーツドリンクを手に汗で顔に張り付いた前髪をかきあげる。
「あー生き返るー」
「ふふっ、でも随分動き良くなったよ」
「だーといいんですけどー、なんかまだ嵐さんに全然動きついてけないし」
「ほら、次の合同練習の試合、新名くん副将でしょ?」
「うっ」
以前、練習試合を組んでもらった強豪校との合同練習。最初練習だけの予定だったものが、向うからの申し出で、人数の揃ったはば学側と団体勝ち抜き戦を行う流れとなっている。
「なんか、すっげプレッシャーなんですけど。俺、今から心臓ヤバイ」
「もう新名くんてば」
「だーってさぁ、あそこって強豪校で有名じゃん?そんな連中相手に、二年の先輩差し置いて初心者の俺がどんだけやれっかなーって、あーもう考えただけで頭くらくらするー」
「最初の試合だもん、緊張するのは無理ないよ。この先も試合たくさんあるんだし、リラックスしていかないと、ね?」
「はぁい」
「よし」
手にしたタオルを新名の頭にかぶせてぽんぽんと軽く頭を叩く。
「ちゃんと汗拭いて体休ませて、次の乱取りで逃げちゃだめだよ?」
「わかってますよー」
顔を拭いながら不承不承頷く新名の背中をもう一度叩いて立ち上がり、休憩中も部員達の質問や動きの指導をしている不二山の姿を目で追う。
合同練習での試合に向けて、団体戦のメンバーになった部員たちにこれまで以上に熱心に技の指導や駆け引きや相手の動きについての説明を繰り返し行っている。
とはいえ、新名を初めとした部員達は柔道経験はほぼゼロに近く、練習試合も勝つことより経験と場慣れの為であり、相手側も不二山以外の部員に対しては全くノーマークであることは美奈子にもわかる。
二年春の練習試合で不二山一人にほぼ完封勝利されたあちらの部員達の気持ちからして、今回の練習試合は団体戦というよりも、対不二山を目的とした雪辱戦であることは想像に難くない。
「……嵐くん」
それをわかって、何故不二山は試合を受けたのか。
ただ試合を申し込まれたから受けたというわけではなく、彼自身にも考えがあってのことだとは思っているが、美奈子自身その真意を掴みかねている。
ただ、願うのは。
「がんばれ、新名くん。みんなも……がんばって」
新名を初めとした部員達の健闘を祈ることと、その為に全力で彼らをサポートすること。
「よし!」
首から下げたタイマーを確認して、ぱん、と手を叩く。
「はい、休憩終了!」
押忍、と。いくつも重なる声が部室に響いた。
主将の器 ~ 不二山
点数で言えば100点中60点。
首筋を伝う汗を拭いながら、今日の稽古での部員達の仕上がりを分析する。
新名を初めとした団体戦参加部員達の動きは大分様になっている。だがあくまでも柔道として形になっているレベルであり、地区強豪校である今回の相手に通用するかといえば、正直なところ先鋒四人抜きは覚悟しなければいけないレベルだ。何よりも怪我だけはしないように気を配った人選であり、相手の対策もまず受けることを重視したものに絞って教え込んでいる。
「ふぅ」
練習を終え。稽古後に美奈子を交えて部員一人一人への指導方針とトレーニングの傾向、一週間後に迫った試合に備えて動きの注意点の説明。
全員分の指導が終わった今、もう時間は夕暮れから夜に差し掛かっていた。
部員達を帰らせた後、一人で携帯の動画に撮った練習の様子をもう一度確認する。最新機種でない携帯の動画は荒く動きは所々潰れているが、部員それぞれを把握するのに不自由は無い。
「こいつはなんとか……うん、もう少し相手に掴んでいって」
繰り返しそれぞれの動きを確認し、クセや問題点を洗い出す。しかしいくら動きを見て問題を把握しても、絶対的な修練の不足は不二山の努力だけでは埋められない。
「さて」
携帯をしまって立ち上がる。
後は、着替えて部室の鍵を閉めて帰るだけだ。
健闘できれば御の字、勝てたら金星。
手も足も出ないまま完敗しても、部員達を責めることは出来ない。
柔道部主将として、天と地程の実力差があることを知って尚且つ試合を受けたことが果たして正しかったのか。
時々自問する。
試合の空気というものを経験させる為だけならば、もっと彼らの力量に合った試合を組むべきではなかったのか。逆に部員達のやる気を削ぐだけになるのではないのか?
何がもっとも正しい答えなのか、自分の為だけでなく主将という立場で部員達の為に何を考え、何を決断しなければいけないか。
「難しい、よな」
自分の為、自分が続けたいがために立ち上げた柔道部。
だが、それは結果的に部活を率いて行くということが自分の為だけでなく、部員達のこと、これからの部のことを部長という立場で考えていかなければいけないということを学ぶことになった。
がむしゃらに自分だけが強くなればいい。
そんな考えでは立ち行かないことを知ることができた。
かちゃりと金属の擦れる音を立てて部室の戸に鍵がかかる。
薄闇に染まり始めた空の下、今ではすっかり馴染んだプレハブの部室。
俺達の城。
あの頃は美奈子と二人、柔道同好会を部として認めてもらう為もっと柔道を知ってもらう為、ひたすらに駆けずり回っていた。
今こうして念願の部室を得て、部員達にも恵まれて。なのに部として進み始めた今になって、あの頃とはまた違った不安や悩みが湧き上がってくる。
「帰るか」
プレハブを見あげたまま、大きく息をついたその時。
「嵐くん」
思わず振り向いた先に制服姿の美奈子が立っている。
「美奈子?」
「うん、まだ残ってたんだ」
「お前こそ、先に帰ったんじゃなかったのか?」
「うん、忘れ物思い出して学校戻ってきたんだけど、部室の明かりついてたから嵐くんだと思って」
ぺろっと舌を出して笑いながら、不二山の隣に並んだ。
何故残っていたのか何を思っていたのか、聞き出そうともせずに黙ってプレハブを見あげる。
「自然になってきたよね」
「え?」
「部室、最初は真新しくて白くてオモチャみたいだなって思ったの。でも今はすっかり昔からここにあるって感じがして、ちゃんとはば学の一部になったんだなって気がする」
「そう、だな」
はば学の一部という響きが少し可笑しくて小さく笑う。
ふと、指にふわりと暖かいものが触れた。
「美奈子……」
「帰ろう、嵐くん」
指を握った美奈子の手、そっと手を広げて握り返す。
「ああ」
ありがとう、を心の中で付け加えて。
帰り道 ~ 美奈子
いつもと違う、不二山の横顔。
二人並んで帰り道を歩きながら、そっと横顔を見あげる。
いつも真っ直ぐ前を見ていて、これと決めたたことを貫く意志の強さと実行に移せる行動力、そして意外なほどの計算高さ。
歳相応の男の子らしい顔、子供のように無邪気で純粋な顔、はたまた達観した大人のような顔、知れば知るほど新しい姿を見せてくれる不二山は見ていて飽きない。
知れば知るほどもっとその奥を覗いてみたくなる。
だから側に居たいと思う、もっと知りたいと思う。
ただ。時折、危うげに映るときがある。
真剣でひたむきで、それ故に何もかもを自分の中に抱え込んでしまって苦しんでしまう。
そんな彼だから、支えてあげたい、とも思う。
日の落ちた道、お互い黙ったまま。
無言のままだが、美奈子を気遣ってゆっくりと歩調を合わせてくれている。何も言わなくても言葉にしなくても、その行動ににじみ出る優しさが心地良い。
「嵐くん」
「ん?」
「試合のこと考えてた?」
「ああ、わりぃ」
小さく肩をすぼめて、その視線は前を向いたまま。
ひとつ息を吸って、静かに口を開く。
「嵐くん」
「なんだ?」
「聞いても、いいかな?」
「……練習試合のことか?」
「うん、マネージャーとして、知っておきたい。ダメかな?」
「ダメじゃねぇよ、当然のことだよな」
小さく息をついて。
「お前はさ、今度の試合のことどう思った?」
「最初ね、ちょっと無謀かなって思った」
「うん」
思っていることを伝えつつ、その真意を汲み取れるようにゆっくり言葉を噛み締めながら。
「でもね、嵐くんの指導見ててそうじゃないって思った。無謀な賭けなんかじゃなくて、何か考えてるんじゃないかって」
「お見通しか」
「ふふっ、マネージャーですから」
繋いだ手、ざらざらとした固い感触。
「今度の試合さ、あっちはたぶん雪辱戦なんだと思う」
「うん」
春の練習試合。
強豪校相手に一歩も引けをとらず、いや逆に相手全員を下して完封と言っていいほどの勝利を収め、校内でもしばらく話題になっていた。
だがあちらの心情として、名の知れた強豪校が全く無名どころか柔道部すらなかったはば学に遅れをとったとあっては名門の名折れだ。
「わかったんだ、自分だけじゃねーんだって。あっちは強豪校の看板ってもんがあって、だから俺個人じゃなくて、はば学柔道部に勝つことでその看板を護りてぇんだって」
「……うん」
「これまではさ、柔道部は俺がやりたいから俺のわがままで引っ張ってきた。でも今はもう俺だけのもんじゃなくて、今の柔道部は部員連中みんなのもんで、だから俺は部長としてはば学柔道部って看板を護っていかなきゃいけない」
「そう、だね」
この所の不二山の悩み。その輪郭が美奈子にも何となく見えてきた。
「相手が自分の看板を護る為に全力で勝負を挑んできて、戦いもせずに実力が足りないので無理ですって、看板放りだして勝負から逃げるのは……出来ないって思った。相手に対しても部員達に対しても」
ようやく、納得できた。
「嵐くんは、部員達に対しても、相手校の人に対しても、真剣なんだね」
どんな相手にも真正面から向き合って、受け止めて、真っ直ぐに投げ返す。
「負けるのは嫌だ。けど、負けるのがわかってるから最初から勝負しないって逃げんのはもっと嫌だ」
「うん」
「そりゃ、勝負事で負けていいなんてことはねぇよ」
ぎゅっと握った手に力を込めて、真っ直ぐ前を見たまま。
「勝負することに意味があること、負けたくないこと、それを知って欲しいんだよね?」
「……うん」
「そして相手高の人達にも、ちゃんと正面からはば学柔道部として戦いたい」
「……ああ」
誰に対しても、真剣で、誠実で。
「だったらそのまま行こう。やれるだけのことやろう?去年の時みたいに」
「ん、そうだな」
ようやくこちらを向いて笑った姿に安堵した。
切り札? ~ 新名
動きをイメージする。
って言われてもそんな簡単にポンポン浮かんでくるもんじゃねぇし。
「どう?イメージできそう」
「うーん」
「じゃあ、このメモ見て嵐くんが見せてくれた動きと合わせてみて」
「うす」
なんか嵐さんと美奈子さんとでひたすら対策練習ってやつで、繰り返し練習ビデオの鑑賞と技のイメトレって奴をすることになってる。
そりゃ柔道部期待の新人?ってことで俺に熱血指導がくるのはわかるんだけど、今回の相手って地区強豪どころか全国大会レベルな訳で、この春から柔道はじめましたーみたいな俺がどうこうできる手合いじゃないでしょ。春にやった嵐さんとの練習試合の動画見てても到底ついてける気しねーし。
戦ったのが嵐さんだからあんだけ健闘できたわけで、その嵐さんの足元にも全く及んでない俺に勝ちに行けって、そりゃ無理な話でしょ、実際。
「ほら、真面目に見る!」
「はーい」
でも、こうやって美奈子さんが俺に付きっ切りで指導してくれてる図ってのは正直おいしい、というか期待されちゃってるってのは悪い気はしないし。
それに。
相手はね、嵐くんを徹底対策してきてる筈。
だから新名くんはその対策を逆手に取るの。
俺の居ない一年間、ずっと嵐さんと一緒に柔道部で嵐さんのことを見続けてきた美奈子さんの分析。
きっと相手は私よりずっと詳しく分析してきてる筈だけど、私でできる範囲での嵐くんの対策を教えるから、新名くんは更にそこから対策に対する反応を考えて相手の動きからイメージするの。
他の部員や新名くんはノーマークだから。
ええ、わかってますよ。柔道始めたばっかりのトーシロで一年でチャライ男ですから。
ですけど? そこで相手にすらならない。なーんて思われて、男として黙ってらんないっつーか、ちょっと引っかかるつーか。
相手にすらなんないとか、ちょーっといくらなんでも見くびり過ぎでしょ。
「ほら、よく見て」
「はい」
動きをイメージする。
なーんか確かに、最初はぜんっぜん追いつけなかった相手の動きとか。
嵐さんとの試合とか県大会の動画とかいろいろ見てると、段々動きのパターンが見えてくるっつーか、嵐さんの動きに対してどう出るか、逆にそん時にどう受けてこっちのターンに持っていくか。
最初、柔道とか格闘技みたいなモンは理屈とかより熱血や気合とかでぶっちぎる? みたいな? ってイメージあったけど。
嵐さんとか見てると、そうじゃねえって気がしてくる。試合の中だけでなく、試合になる前から、分析とか対策とか相手との駆け引きみたいなもんまで。
「なあ、美奈子さん。嵐さん今平気?ちょっと……イメージ頭ん中から消えないうちにちょっと動き合わせてみたい」
「ん、わかった。ちょっと待ってて」
肩を軽く叩いて美奈子さんが立ち上がる。そのまま嬉しそうに嵐さんのとこ呼びに言ってる。
忘れないうちに。
嵐さんの動き、相手の動き、頭で動かしながら。
どうくる? どう攻めてくる? どうやって動く? 俺。
こんな時、嵐さんだったらもっとどんどんイメージしちゃってるのかも。
なんだろ、俺。
なーんか、かなり柔道好きになっちゃってる?ひょっとして。
試合当日 ~ 美奈子
「がんばって!!」
嗄れそうなほどに張り上げる声が部室に響く。
自分の分析と対策が通用するかなどというのが、どれ程甘い考えだったのかを痛感していた。
「一本!それまで!」
叩きつけられる音、審判の甲高い声。
畳に響いた振動が端に座って応援していた美奈子にも伝わってくる。
試合開始の声からまだ殆ど時間は経っていない。
だが、はば学柔道部は既に先鋒、次鋒と続けてあっという間に一本を取られ、続く中堅も試合前から既に相手の気迫と勢いに飲まれている。
無謀な試合。
両手を痛いくらいに握り締めて、固唾を飲んで見守る。
ふと、不二山と交わした会話の端々を思い返す。
「ざっと見て、正直厳しい」
「だよね」
「二年連中も、たぶん動きについてくのがやっとって感じだ、あとは新名か」
「うん……」
「あっちはたぶん、俺の対策でがっちり固めてきてる」
春の試合。相手のコーチも部員達も予想だにしなかった敗北。
「最初の一人で四人抜き、俺を引っ張り出す。そして徹底的に対策を積んだ残り全員で俺に挑んでくる」
「うん」
「俺が向こうの監督ならそうする。でもそう易々と全抜きなんかさせねぇよ」
「こっちも対策立てて、だね」
「そ、はば学柔道部はもう俺だけじゃねぇ、そいつをなんとしてでも教えてやりてぇ。俺の為だけじゃなくて、部員連中の為にも」
「うん」
はば学柔道部の部長として主将として。
「相手の先鋒は、恐らく一番体力のあるこいつ。」
「普段の試合でも大抵最初に出てるよね」
「ああ。正直、マトモに当たってウチの部員達の勝ち目はねえ」
「……うん」
「けど、一人一人じゃ無理でも先鋒から副将まで……全員でぶち当たってなら、あるいは次を引きずり出すとこまで引っ張れるかもしれない」
「……え」
一人を倒すのに四人総出で。
「連中の読みを一つ潰すことくらいはできるかもしれない、そうやって相手の波を乱す」
「うん」
「勝負事には波がある。波に乗って気持ちが勝ってればいつも以上に力が出る。逆に乗ってねぇとどんな熟練の奴でも足元をすくわれる、狙うのはそこだ」
対策ノートの文章を指で辿りながら言葉を続ける。その目は試合の時と全く変らない真剣そのものの目だった。
「試合はまだ始まってねぇ、でも……」
「勝負は、もうとっくに始まってる」
響く振動。
審判が高く手をあげ、声を張り上げる。
「一本!」
背後から部員達の落胆の声と溜息が聞こえる。
「やっぱダメだ……」
「手も足も出ない」
「やっぱ主将じゃないと」
唇を軽く噛んで、背筋を伸ばす。
じっと前を見据えたまま、背後に聞こえるように声を上げる。
「勝負は、まだ終わってないよ」
副将戦 ~ 新名
現実は厳しい、って奴だよなーこれ。
というか大方の予想通りっていうか、まるっきりレベル違うっつーか。
気合とか気迫とかマジ段違い、正直二人瞬殺された辺りでもう逃げたいとか思ったし。
狙いは、はば学本丸・不二山嵐ただ一人ってか?
つーか俺だってさっきまで中堅の先輩みたくびびってた訳だけどさ、実際。
けど。
「勝負は、まだ終わってないよ」
美奈子さんの声って響くよな。
ガッチガチになった頭にずしんとくるっつーか、でも気合を入れるとか激を飛ばすとかそういうのじゃなくて。もっと、こう、きゅんとくるっていうか。
声は大きかったけど、ちょっと微かに震えてたっていうか、こみ上げてくるもの押えて搾り出したっていうか、切実な響きがあって。
つーか、ここで美奈子さんの言葉に答えなくて男としてどうよって気になってくる。
「副将、前へ!」
「はい!」
目の前に立って、互いに礼をして。
三人抜きの先鋒、タッパは俺よりちょい小さめ。てか、すげぇ威圧感。
嵐さんもそうだけど、本気になった時の気迫って見た目より更にデカく見えるっつーか、マジで見えないオーラまとってる。
でも、釣りあがったその目。はっきり言って俺のこと見てない。
見てんのは……俺の後に控えてる嵐さんでしょ。
「はじめ!」
「やぁ!」
来る。
スピードも切れも動画のイメージなんかとは比べもんになんねえ、開始同時に速攻で捕らえて、一気に。
「新名くん!」
一気に……沈めるつもりなんだろうけどさ。
「っ!」
こっちに容赦なくつっこんでくるってことは、逆にこっちも掴み返すチャンスがあるってことでしょ? てか三人続けて攻め方変えもしないって、やっぱ俺らのこと舐めてるでしょ。
払おうとした足をすかさず引いて、お互い組み合った状態で踏みとどまる。
まずは第一関門突破、がっつり後ろ襟つかましてもらいましたよ。
先鋒は四人抜きが目的だけど、きっと嵐くんとの試合の為に少しでも体力を温存したいはず。だから最初で速攻で決めてくるか、速攻できなかったとしてもみんなの実力から判断して強引にでも大技を狙ってくるはず。
後ろ襟掴まれたままの体勢で強引にこっちの襟を引いて、間髪居れず一気に距離をつめてくる。ここまでは予想通り。
ほら、見て。ここの踏み込み。ちょっと肩が下がるでしょ?この時に。
繰り返し見てきた動画
何度も繰り返して見て来た動画の動きと、頭ん中で何度もイメージした動きが重なる。相手の動きがコマ送りみたいに動きが自然にするりと入ってきて、対応した動きが。
こうやって、こっちに背を向けて足を跳ね上げてくるだろ?そこで足を上げてくる瞬間を狙って体を掬い上げる。
「らぁっ!」
「なっ」
なんかもう、自分がどう動いてどうやったかとか頭からすっ飛んでた。
「一本!」
「え?」
なんか俺すげーマヌケな声上げてたと思う。
「やった!!」
「新名!よくやった!」
「よっしゃ!」
「やった!新名くん!やったよ!」
どっか遠いところから声が響いてくる気がする。
てか、マジ俺勝った?なんか信じらんねえ。つーか畳に倒れた相手の方も信じらんねえってツラしてるし。
嘘みてーだけど、マジ俺やった?っし、見てろ。はば学柔道部は嵐さんだけじゃねーってこと、見せてやんよ。
襟元を直して両手で帯を引き締める、なんかそんだけで気分引き締まる。
「お互いに礼!」
つり目の先鋒が深々と頭を下げて戻っていく。取り巻く空気が一変したっつーか、そいつだけじゃなくて、あちらの空気自体が変わってる気がする。
そりゃ嵐さんだけじゃなく、柔道初心者以外の何者でもない俺に負けたってのがデカいってことかもしんない。
「次鋒、前へ!」
「はい」
ゆらりと前に立った壁みたいな奴。全身からギンギンに漲ってる気迫はさっきのつり目先鋒と同じ、でも一つだけ違う。
背筋が凍る、ってのは。今の俺みたいな状態なんじゃねって気がする。
目で殺すっていうあれ、意味違うけどたぶんある意味あってる。
「新名くん!」
「新名!」
美奈子さんと嵐さんの声がなんか遠い。他にも部員連中の応援も聞こえてるはずなのに、全然耳まで届いてねぇ。
正直、逃げたいってマジ思った。
「新名くん!」
いやダメでしょ、逃げるとか。美奈子さんの見てる前で。肩震えちゃいそうなのは武者震い。
勝ち目とかまるきりゼロでも、こうなったらやるしかねえし。
勝ったらチューの約束でもしてもらえばよかった、なんて。こうなったら、腹くくるしかないっしょ。
「はじめ!」
速さは先鋒と同じ、なんて悠長に考える時間ももらえなかった。
「っ!!」
目の前が、揺らぐ。
「くそっ……」
反応できたのが奇跡ってくらいの勢いで襟元を掴んでくる手を払う、踏みしめた足を引いて、引き手を取りに行く。
相手は嵐さんの対策を積んでる、嵐さんの動きを頭の中で組み立てて。
「……っせぁ!」
引き倒されそうになるのを踏みとどまって襟を掴む。
いや、ダメだ。
「っ!」
咄嗟に手を離す、つーかやべぇ、あとほんの少し遅かったらそのまま引き込まれて投げられてる。ていうかマジつえぇ、嵐さん以外でこんだけやれる相手組んだことねえし。
「せいっ!」
「くっ」
動けねえ、つーか、動かなくてもヤバイ。
こいつ、ぜんっぜん崩れねえ。こっちの動きがまるっきり通じない、押しても引いてもびくともしない。根っこでも生えてんじゃねーかってくらい動かねぇ。
「新名!つかまれるな!」
なんか、嵐さんの声聞こえてるけど、すんげー遠くから響いてる気がする。
今何秒かとか、まるっきり頭働かない。
「やあ!」
「ぐぁっ」
襟捕まれたまま足を払われる。もう、反射的に体をひねって両手をついた。
「待て」
首の皮一枚繋がった、てか繋がったとこでどうにもなんないし。なんかもう距離感とか感覚とか、なんか色々すっ飛んでる。
「新名くん!よく動けてるよ!がんばって!」
自分がどう動いてるかとかもうわかってないです、マジで。けど美奈子さんの前でみっともなくびびってる姿とかもう見せらんねえし。
襟元直して深呼吸。さっきよりは幾分落ち着いて立ってる。てか前髪伝って落ちたの、これ汗? 今何秒? 俺そんな動いてた?
「はじめ!」
二度目の奇跡は起きなかった。
てか、マジ一瞬だった。
スローモーションでプレハブの天井がぐるりと回って、遠目に嵐さんと美奈子さんが叫んでるのが見えた。
ずしんとか、どかんとか、そんな音がした気がする。
「一本!」
「……あ」
見あげた先、汚れた天井と見下ろしてる顔。
「それまで!」
呆然としたままの俺の腕をそのまま引っ張りあげて、岩男みたいな次鋒が背中を軽く叩いた。
俺、負けた?
なんかまだ現実ないつーか、先鋒に勝ったとこあたりからかなり頭すっ飛んでる。
「礼!」
頭を下げて、戻っていく。なんか歩いてるのに感覚わかんない、雲の上を歩くってこんな感じ?
「新名」
肩を掴む手。
「……あ……らしさ……ん」
声が掠れる。
「よくやった、新名」
嵐さん、こっちを見ないで真っ直ぐに前を見てる。
「あとは、俺に任せろ」
「……はい」
ヤバイ、マジヤバイ、なんか鼻の奥つーんときた。
「新名くん」
頭からかぶせられたタオルで目の前が白くなる。
「美奈子さん……」
「よくやったよ、新名くん」
いい匂いがする。なんかふわっと柔らかくてあったかい。
俺、抱きしめられてる?
あ、もうダメ、マジ膝崩れる。つーか涙腺ヤバイ。
「ホント、頑張った」
「……はい」
タオルで顔を拭う。
てか、わかっててタオルかけてくれたこととか、もうマジたまらない。
試合の後 ~ 美奈子
「今日はありがとうございました」
揃って頭を下げる一同に部員達が一斉に礼をする。
「いや、今日もいい勉強になりました。また是非」
「はい」
相手校のコーチと話す不二山を見て、部員達のほうに目をやる。
試合内容は、結果だけ言えばはば学の勝利に終わった。
相手先鋒に三人抜きされ、新名が先鋒を止めるも次鋒に破れ、最終的に大将の不二山が残り四人を勝ち抜いての逆転劇だった。
最も活躍したのは大将の不二山だったが、今回の練習試合の敢闘賞は一年でありながら相手先鋒を下し、次鋒相手に粘りを見せた新名だった。
当初、負け一方で諦めムードが漂っていた部員達も新名の予想以上の戦いに未だ興奮冷めやらぬ様子で試合のことを話し合っている。
だが、その新名の姿がない。
「新名くん……」
「美奈子」
「嵐くん、もういいの?」
「ああ、ミーティングは休憩してからにした」
「うん、じゃあ十分後だね」
首から下げたタイマーを確認して、腕時計を見る。
「新名の奴は……」
「うん、そろそろ迎えに行こうと思って」
「ああ、頼んだ」
手を上げて不二山の手にタッチする。
「じゃあ行ってくるね」
プレハブ部室から校舎の脇を抜けて、校舎裏のほうに向かう。
隅の木陰に白い柔道着姿が見えた。
「……新名くん」
頭からタオルをすっぽりかぶったまま、しゃがみこんでいる。
「にーいーなくん」
「……はい」
頭に手をのせて。
「お疲れさま、休憩の後にミーティングだよ」
ぴくりと肩が震えたのがわかる。そのまま隣に座りタオルに包まったままの頭をくしゃくしゃ撫でる。
「よくやったよ、新名くん。大金星」
小さく頷いた頭に額を寄せて。
「ほら、戻ろう?」
太鼓判 ~ 不二山
美奈子が迎えにいってから時間にしたら数分。
まるで小さな子の手を引くように新名の手を握って戻ってきた。
「お帰り」
「ただいま」
「……押忍」
うつむいたままぐしゃぐしゃの顔で見あげる新名の頭を軽く叩いた。
「ほら、顔洗ってこい。ミーティングするぞ」
「……うす」
とぼとぼと歩いていく新名の背中を軽く叩いて美奈子が隣に立つ。
今更のように今日の試合までのあれこれが浮かんでくる。
対策の為に部員にあれこれ指導してきたこと、新名に徹底的に対策を叩き込んだこと、美奈子と一緒に相手の分析で部室で話し合ったこと。
全部、ひっくるめて。
「なあ」
「ん?」
「よかったんかな、試合やって?」
「うん、きっと。みんなにとっても新名くんにとっても、もちろん嵐くんにとっても」
太鼓判を押すように、うんうんと頷く美奈子の姿を見ていると。ただそれだけで心の奥から安心できるような気がする。
「そっか」
「大丈夫だよ」
「……うん」
「さ、ミーティングの準備しなきゃ。厳しいよ?」
「押忍。頼むぞ、マネージャー」
ぱたぱたと分析ファイルを手に戻っていく美奈子の後姿を見送る。
「みんな、お前のおかげだ。いつも……どうもな」
背中を向けたまま、ブイサインが応えた。
END
不二山に誘われて柔道同好会を始めたばかりの頃、練習場所を確保するだけでもあちこち駆けずり回っていた時のことを思うと、既に規定人数以上の部員に恵まれ、毎日練習で賑わっている今の部の姿は感慨深い。
「よし、だいぶ動きが良くなってきたな、もう一回だ」
「押忍、お願いします!」
去年の文化祭の百人掛けを見て入部を決めたという一年を相手に、技の指導をする不二山の姿を見て小さく笑みを浮かべる。元々男女共に密かに人気があったが、去年の文化祭の一件で同学年や先輩はおろか、当時学校見学に来ていた新一年らの間でも不二山は一躍有名人になっていた。
不二山に人気が出るのは嬉しいことだが、美奈子にとっては少し複雑な気分でもある。もっとも美奈子は気づいていないが、甲斐甲斐しく不二山に尽くして部員達の世話を焼く美奈子自身も隠れた人気者の一人でもあるのだが。
「肩に力入ってるよ、深呼吸!」
「はいっ」
こちらでは気が逸る一年部員の肩を叩いて、向こうではバテてへたりこんだ部員にタオルを渡して。
「ほら、新名くん。あとちょっと」
「お、押忍」
ぽん、と、背中を叩かれて。汗だく顔で体を起こす。
罠のような部員勧誘作戦で入部した新名も、一年部員達の中では群を抜いて上達が早く、既に不二山を除いた二年部員達の実力に追いついている。
「はい!次ラスト!」
「押忍!」
もっとも実力はあるものの、その実力を発揮するのに少々ムラがあること、そしてサボり癖と、厳しい稽古に対してすぐに逃げ腰になる気持ちの脆さなど、見込みはあるが課題も多い。
「はい、おつかれ新名くん」
「お、あんがと美奈子さん。マジ天使!」
「ゆっくり飲んでね、すぐ汗になっちゃうんだから」
「はーい」
渡されたスポーツドリンクを手に汗で顔に張り付いた前髪をかきあげる。
「あー生き返るー」
「ふふっ、でも随分動き良くなったよ」
「だーといいんですけどー、なんかまだ嵐さんに全然動きついてけないし」
「ほら、次の合同練習の試合、新名くん副将でしょ?」
「うっ」
以前、練習試合を組んでもらった強豪校との合同練習。最初練習だけの予定だったものが、向うからの申し出で、人数の揃ったはば学側と団体勝ち抜き戦を行う流れとなっている。
「なんか、すっげプレッシャーなんですけど。俺、今から心臓ヤバイ」
「もう新名くんてば」
「だーってさぁ、あそこって強豪校で有名じゃん?そんな連中相手に、二年の先輩差し置いて初心者の俺がどんだけやれっかなーって、あーもう考えただけで頭くらくらするー」
「最初の試合だもん、緊張するのは無理ないよ。この先も試合たくさんあるんだし、リラックスしていかないと、ね?」
「はぁい」
「よし」
手にしたタオルを新名の頭にかぶせてぽんぽんと軽く頭を叩く。
「ちゃんと汗拭いて体休ませて、次の乱取りで逃げちゃだめだよ?」
「わかってますよー」
顔を拭いながら不承不承頷く新名の背中をもう一度叩いて立ち上がり、休憩中も部員達の質問や動きの指導をしている不二山の姿を目で追う。
合同練習での試合に向けて、団体戦のメンバーになった部員たちにこれまで以上に熱心に技の指導や駆け引きや相手の動きについての説明を繰り返し行っている。
とはいえ、新名を初めとした部員達は柔道経験はほぼゼロに近く、練習試合も勝つことより経験と場慣れの為であり、相手側も不二山以外の部員に対しては全くノーマークであることは美奈子にもわかる。
二年春の練習試合で不二山一人にほぼ完封勝利されたあちらの部員達の気持ちからして、今回の練習試合は団体戦というよりも、対不二山を目的とした雪辱戦であることは想像に難くない。
「……嵐くん」
それをわかって、何故不二山は試合を受けたのか。
ただ試合を申し込まれたから受けたというわけではなく、彼自身にも考えがあってのことだとは思っているが、美奈子自身その真意を掴みかねている。
ただ、願うのは。
「がんばれ、新名くん。みんなも……がんばって」
新名を初めとした部員達の健闘を祈ることと、その為に全力で彼らをサポートすること。
「よし!」
首から下げたタイマーを確認して、ぱん、と手を叩く。
「はい、休憩終了!」
押忍、と。いくつも重なる声が部室に響いた。
主将の器 ~ 不二山
点数で言えば100点中60点。
首筋を伝う汗を拭いながら、今日の稽古での部員達の仕上がりを分析する。
新名を初めとした団体戦参加部員達の動きは大分様になっている。だがあくまでも柔道として形になっているレベルであり、地区強豪校である今回の相手に通用するかといえば、正直なところ先鋒四人抜きは覚悟しなければいけないレベルだ。何よりも怪我だけはしないように気を配った人選であり、相手の対策もまず受けることを重視したものに絞って教え込んでいる。
「ふぅ」
練習を終え。稽古後に美奈子を交えて部員一人一人への指導方針とトレーニングの傾向、一週間後に迫った試合に備えて動きの注意点の説明。
全員分の指導が終わった今、もう時間は夕暮れから夜に差し掛かっていた。
部員達を帰らせた後、一人で携帯の動画に撮った練習の様子をもう一度確認する。最新機種でない携帯の動画は荒く動きは所々潰れているが、部員それぞれを把握するのに不自由は無い。
「こいつはなんとか……うん、もう少し相手に掴んでいって」
繰り返しそれぞれの動きを確認し、クセや問題点を洗い出す。しかしいくら動きを見て問題を把握しても、絶対的な修練の不足は不二山の努力だけでは埋められない。
「さて」
携帯をしまって立ち上がる。
後は、着替えて部室の鍵を閉めて帰るだけだ。
健闘できれば御の字、勝てたら金星。
手も足も出ないまま完敗しても、部員達を責めることは出来ない。
柔道部主将として、天と地程の実力差があることを知って尚且つ試合を受けたことが果たして正しかったのか。
時々自問する。
試合の空気というものを経験させる為だけならば、もっと彼らの力量に合った試合を組むべきではなかったのか。逆に部員達のやる気を削ぐだけになるのではないのか?
何がもっとも正しい答えなのか、自分の為だけでなく主将という立場で部員達の為に何を考え、何を決断しなければいけないか。
「難しい、よな」
自分の為、自分が続けたいがために立ち上げた柔道部。
だが、それは結果的に部活を率いて行くということが自分の為だけでなく、部員達のこと、これからの部のことを部長という立場で考えていかなければいけないということを学ぶことになった。
がむしゃらに自分だけが強くなればいい。
そんな考えでは立ち行かないことを知ることができた。
かちゃりと金属の擦れる音を立てて部室の戸に鍵がかかる。
薄闇に染まり始めた空の下、今ではすっかり馴染んだプレハブの部室。
俺達の城。
あの頃は美奈子と二人、柔道同好会を部として認めてもらう為もっと柔道を知ってもらう為、ひたすらに駆けずり回っていた。
今こうして念願の部室を得て、部員達にも恵まれて。なのに部として進み始めた今になって、あの頃とはまた違った不安や悩みが湧き上がってくる。
「帰るか」
プレハブを見あげたまま、大きく息をついたその時。
「嵐くん」
思わず振り向いた先に制服姿の美奈子が立っている。
「美奈子?」
「うん、まだ残ってたんだ」
「お前こそ、先に帰ったんじゃなかったのか?」
「うん、忘れ物思い出して学校戻ってきたんだけど、部室の明かりついてたから嵐くんだと思って」
ぺろっと舌を出して笑いながら、不二山の隣に並んだ。
何故残っていたのか何を思っていたのか、聞き出そうともせずに黙ってプレハブを見あげる。
「自然になってきたよね」
「え?」
「部室、最初は真新しくて白くてオモチャみたいだなって思ったの。でも今はすっかり昔からここにあるって感じがして、ちゃんとはば学の一部になったんだなって気がする」
「そう、だな」
はば学の一部という響きが少し可笑しくて小さく笑う。
ふと、指にふわりと暖かいものが触れた。
「美奈子……」
「帰ろう、嵐くん」
指を握った美奈子の手、そっと手を広げて握り返す。
「ああ」
ありがとう、を心の中で付け加えて。
帰り道 ~ 美奈子
いつもと違う、不二山の横顔。
二人並んで帰り道を歩きながら、そっと横顔を見あげる。
いつも真っ直ぐ前を見ていて、これと決めたたことを貫く意志の強さと実行に移せる行動力、そして意外なほどの計算高さ。
歳相応の男の子らしい顔、子供のように無邪気で純粋な顔、はたまた達観した大人のような顔、知れば知るほど新しい姿を見せてくれる不二山は見ていて飽きない。
知れば知るほどもっとその奥を覗いてみたくなる。
だから側に居たいと思う、もっと知りたいと思う。
ただ。時折、危うげに映るときがある。
真剣でひたむきで、それ故に何もかもを自分の中に抱え込んでしまって苦しんでしまう。
そんな彼だから、支えてあげたい、とも思う。
日の落ちた道、お互い黙ったまま。
無言のままだが、美奈子を気遣ってゆっくりと歩調を合わせてくれている。何も言わなくても言葉にしなくても、その行動ににじみ出る優しさが心地良い。
「嵐くん」
「ん?」
「試合のこと考えてた?」
「ああ、わりぃ」
小さく肩をすぼめて、その視線は前を向いたまま。
ひとつ息を吸って、静かに口を開く。
「嵐くん」
「なんだ?」
「聞いても、いいかな?」
「……練習試合のことか?」
「うん、マネージャーとして、知っておきたい。ダメかな?」
「ダメじゃねぇよ、当然のことだよな」
小さく息をついて。
「お前はさ、今度の試合のことどう思った?」
「最初ね、ちょっと無謀かなって思った」
「うん」
思っていることを伝えつつ、その真意を汲み取れるようにゆっくり言葉を噛み締めながら。
「でもね、嵐くんの指導見ててそうじゃないって思った。無謀な賭けなんかじゃなくて、何か考えてるんじゃないかって」
「お見通しか」
「ふふっ、マネージャーですから」
繋いだ手、ざらざらとした固い感触。
「今度の試合さ、あっちはたぶん雪辱戦なんだと思う」
「うん」
春の練習試合。
強豪校相手に一歩も引けをとらず、いや逆に相手全員を下して完封と言っていいほどの勝利を収め、校内でもしばらく話題になっていた。
だがあちらの心情として、名の知れた強豪校が全く無名どころか柔道部すらなかったはば学に遅れをとったとあっては名門の名折れだ。
「わかったんだ、自分だけじゃねーんだって。あっちは強豪校の看板ってもんがあって、だから俺個人じゃなくて、はば学柔道部に勝つことでその看板を護りてぇんだって」
「……うん」
「これまではさ、柔道部は俺がやりたいから俺のわがままで引っ張ってきた。でも今はもう俺だけのもんじゃなくて、今の柔道部は部員連中みんなのもんで、だから俺は部長としてはば学柔道部って看板を護っていかなきゃいけない」
「そう、だね」
この所の不二山の悩み。その輪郭が美奈子にも何となく見えてきた。
「相手が自分の看板を護る為に全力で勝負を挑んできて、戦いもせずに実力が足りないので無理ですって、看板放りだして勝負から逃げるのは……出来ないって思った。相手に対しても部員達に対しても」
ようやく、納得できた。
「嵐くんは、部員達に対しても、相手校の人に対しても、真剣なんだね」
どんな相手にも真正面から向き合って、受け止めて、真っ直ぐに投げ返す。
「負けるのは嫌だ。けど、負けるのがわかってるから最初から勝負しないって逃げんのはもっと嫌だ」
「うん」
「そりゃ、勝負事で負けていいなんてことはねぇよ」
ぎゅっと握った手に力を込めて、真っ直ぐ前を見たまま。
「勝負することに意味があること、負けたくないこと、それを知って欲しいんだよね?」
「……うん」
「そして相手高の人達にも、ちゃんと正面からはば学柔道部として戦いたい」
「……ああ」
誰に対しても、真剣で、誠実で。
「だったらそのまま行こう。やれるだけのことやろう?去年の時みたいに」
「ん、そうだな」
ようやくこちらを向いて笑った姿に安堵した。
切り札? ~ 新名
動きをイメージする。
って言われてもそんな簡単にポンポン浮かんでくるもんじゃねぇし。
「どう?イメージできそう」
「うーん」
「じゃあ、このメモ見て嵐くんが見せてくれた動きと合わせてみて」
「うす」
なんか嵐さんと美奈子さんとでひたすら対策練習ってやつで、繰り返し練習ビデオの鑑賞と技のイメトレって奴をすることになってる。
そりゃ柔道部期待の新人?ってことで俺に熱血指導がくるのはわかるんだけど、今回の相手って地区強豪どころか全国大会レベルな訳で、この春から柔道はじめましたーみたいな俺がどうこうできる手合いじゃないでしょ。春にやった嵐さんとの練習試合の動画見てても到底ついてける気しねーし。
戦ったのが嵐さんだからあんだけ健闘できたわけで、その嵐さんの足元にも全く及んでない俺に勝ちに行けって、そりゃ無理な話でしょ、実際。
「ほら、真面目に見る!」
「はーい」
でも、こうやって美奈子さんが俺に付きっ切りで指導してくれてる図ってのは正直おいしい、というか期待されちゃってるってのは悪い気はしないし。
それに。
相手はね、嵐くんを徹底対策してきてる筈。
だから新名くんはその対策を逆手に取るの。
俺の居ない一年間、ずっと嵐さんと一緒に柔道部で嵐さんのことを見続けてきた美奈子さんの分析。
きっと相手は私よりずっと詳しく分析してきてる筈だけど、私でできる範囲での嵐くんの対策を教えるから、新名くんは更にそこから対策に対する反応を考えて相手の動きからイメージするの。
他の部員や新名くんはノーマークだから。
ええ、わかってますよ。柔道始めたばっかりのトーシロで一年でチャライ男ですから。
ですけど? そこで相手にすらならない。なーんて思われて、男として黙ってらんないっつーか、ちょっと引っかかるつーか。
相手にすらなんないとか、ちょーっといくらなんでも見くびり過ぎでしょ。
「ほら、よく見て」
「はい」
動きをイメージする。
なーんか確かに、最初はぜんっぜん追いつけなかった相手の動きとか。
嵐さんとの試合とか県大会の動画とかいろいろ見てると、段々動きのパターンが見えてくるっつーか、嵐さんの動きに対してどう出るか、逆にそん時にどう受けてこっちのターンに持っていくか。
最初、柔道とか格闘技みたいなモンは理屈とかより熱血や気合とかでぶっちぎる? みたいな? ってイメージあったけど。
嵐さんとか見てると、そうじゃねえって気がしてくる。試合の中だけでなく、試合になる前から、分析とか対策とか相手との駆け引きみたいなもんまで。
「なあ、美奈子さん。嵐さん今平気?ちょっと……イメージ頭ん中から消えないうちにちょっと動き合わせてみたい」
「ん、わかった。ちょっと待ってて」
肩を軽く叩いて美奈子さんが立ち上がる。そのまま嬉しそうに嵐さんのとこ呼びに言ってる。
忘れないうちに。
嵐さんの動き、相手の動き、頭で動かしながら。
どうくる? どう攻めてくる? どうやって動く? 俺。
こんな時、嵐さんだったらもっとどんどんイメージしちゃってるのかも。
なんだろ、俺。
なーんか、かなり柔道好きになっちゃってる?ひょっとして。
試合当日 ~ 美奈子
「がんばって!!」
嗄れそうなほどに張り上げる声が部室に響く。
自分の分析と対策が通用するかなどというのが、どれ程甘い考えだったのかを痛感していた。
「一本!それまで!」
叩きつけられる音、審判の甲高い声。
畳に響いた振動が端に座って応援していた美奈子にも伝わってくる。
試合開始の声からまだ殆ど時間は経っていない。
だが、はば学柔道部は既に先鋒、次鋒と続けてあっという間に一本を取られ、続く中堅も試合前から既に相手の気迫と勢いに飲まれている。
無謀な試合。
両手を痛いくらいに握り締めて、固唾を飲んで見守る。
ふと、不二山と交わした会話の端々を思い返す。
「ざっと見て、正直厳しい」
「だよね」
「二年連中も、たぶん動きについてくのがやっとって感じだ、あとは新名か」
「うん……」
「あっちはたぶん、俺の対策でがっちり固めてきてる」
春の試合。相手のコーチも部員達も予想だにしなかった敗北。
「最初の一人で四人抜き、俺を引っ張り出す。そして徹底的に対策を積んだ残り全員で俺に挑んでくる」
「うん」
「俺が向こうの監督ならそうする。でもそう易々と全抜きなんかさせねぇよ」
「こっちも対策立てて、だね」
「そ、はば学柔道部はもう俺だけじゃねぇ、そいつをなんとしてでも教えてやりてぇ。俺の為だけじゃなくて、部員連中の為にも」
「うん」
はば学柔道部の部長として主将として。
「相手の先鋒は、恐らく一番体力のあるこいつ。」
「普段の試合でも大抵最初に出てるよね」
「ああ。正直、マトモに当たってウチの部員達の勝ち目はねえ」
「……うん」
「けど、一人一人じゃ無理でも先鋒から副将まで……全員でぶち当たってなら、あるいは次を引きずり出すとこまで引っ張れるかもしれない」
「……え」
一人を倒すのに四人総出で。
「連中の読みを一つ潰すことくらいはできるかもしれない、そうやって相手の波を乱す」
「うん」
「勝負事には波がある。波に乗って気持ちが勝ってればいつも以上に力が出る。逆に乗ってねぇとどんな熟練の奴でも足元をすくわれる、狙うのはそこだ」
対策ノートの文章を指で辿りながら言葉を続ける。その目は試合の時と全く変らない真剣そのものの目だった。
「試合はまだ始まってねぇ、でも……」
「勝負は、もうとっくに始まってる」
響く振動。
審判が高く手をあげ、声を張り上げる。
「一本!」
背後から部員達の落胆の声と溜息が聞こえる。
「やっぱダメだ……」
「手も足も出ない」
「やっぱ主将じゃないと」
唇を軽く噛んで、背筋を伸ばす。
じっと前を見据えたまま、背後に聞こえるように声を上げる。
「勝負は、まだ終わってないよ」
副将戦 ~ 新名
現実は厳しい、って奴だよなーこれ。
というか大方の予想通りっていうか、まるっきりレベル違うっつーか。
気合とか気迫とかマジ段違い、正直二人瞬殺された辺りでもう逃げたいとか思ったし。
狙いは、はば学本丸・不二山嵐ただ一人ってか?
つーか俺だってさっきまで中堅の先輩みたくびびってた訳だけどさ、実際。
けど。
「勝負は、まだ終わってないよ」
美奈子さんの声って響くよな。
ガッチガチになった頭にずしんとくるっつーか、でも気合を入れるとか激を飛ばすとかそういうのじゃなくて。もっと、こう、きゅんとくるっていうか。
声は大きかったけど、ちょっと微かに震えてたっていうか、こみ上げてくるもの押えて搾り出したっていうか、切実な響きがあって。
つーか、ここで美奈子さんの言葉に答えなくて男としてどうよって気になってくる。
「副将、前へ!」
「はい!」
目の前に立って、互いに礼をして。
三人抜きの先鋒、タッパは俺よりちょい小さめ。てか、すげぇ威圧感。
嵐さんもそうだけど、本気になった時の気迫って見た目より更にデカく見えるっつーか、マジで見えないオーラまとってる。
でも、釣りあがったその目。はっきり言って俺のこと見てない。
見てんのは……俺の後に控えてる嵐さんでしょ。
「はじめ!」
「やぁ!」
来る。
スピードも切れも動画のイメージなんかとは比べもんになんねえ、開始同時に速攻で捕らえて、一気に。
「新名くん!」
一気に……沈めるつもりなんだろうけどさ。
「っ!」
こっちに容赦なくつっこんでくるってことは、逆にこっちも掴み返すチャンスがあるってことでしょ? てか三人続けて攻め方変えもしないって、やっぱ俺らのこと舐めてるでしょ。
払おうとした足をすかさず引いて、お互い組み合った状態で踏みとどまる。
まずは第一関門突破、がっつり後ろ襟つかましてもらいましたよ。
先鋒は四人抜きが目的だけど、きっと嵐くんとの試合の為に少しでも体力を温存したいはず。だから最初で速攻で決めてくるか、速攻できなかったとしてもみんなの実力から判断して強引にでも大技を狙ってくるはず。
後ろ襟掴まれたままの体勢で強引にこっちの襟を引いて、間髪居れず一気に距離をつめてくる。ここまでは予想通り。
ほら、見て。ここの踏み込み。ちょっと肩が下がるでしょ?この時に。
繰り返し見てきた動画
何度も繰り返して見て来た動画の動きと、頭ん中で何度もイメージした動きが重なる。相手の動きがコマ送りみたいに動きが自然にするりと入ってきて、対応した動きが。
こうやって、こっちに背を向けて足を跳ね上げてくるだろ?そこで足を上げてくる瞬間を狙って体を掬い上げる。
「らぁっ!」
「なっ」
なんかもう、自分がどう動いてどうやったかとか頭からすっ飛んでた。
「一本!」
「え?」
なんか俺すげーマヌケな声上げてたと思う。
「やった!!」
「新名!よくやった!」
「よっしゃ!」
「やった!新名くん!やったよ!」
どっか遠いところから声が響いてくる気がする。
てか、マジ俺勝った?なんか信じらんねえ。つーか畳に倒れた相手の方も信じらんねえってツラしてるし。
嘘みてーだけど、マジ俺やった?っし、見てろ。はば学柔道部は嵐さんだけじゃねーってこと、見せてやんよ。
襟元を直して両手で帯を引き締める、なんかそんだけで気分引き締まる。
「お互いに礼!」
つり目の先鋒が深々と頭を下げて戻っていく。取り巻く空気が一変したっつーか、そいつだけじゃなくて、あちらの空気自体が変わってる気がする。
そりゃ嵐さんだけじゃなく、柔道初心者以外の何者でもない俺に負けたってのがデカいってことかもしんない。
「次鋒、前へ!」
「はい」
ゆらりと前に立った壁みたいな奴。全身からギンギンに漲ってる気迫はさっきのつり目先鋒と同じ、でも一つだけ違う。
背筋が凍る、ってのは。今の俺みたいな状態なんじゃねって気がする。
目で殺すっていうあれ、意味違うけどたぶんある意味あってる。
「新名くん!」
「新名!」
美奈子さんと嵐さんの声がなんか遠い。他にも部員連中の応援も聞こえてるはずなのに、全然耳まで届いてねぇ。
正直、逃げたいってマジ思った。
「新名くん!」
いやダメでしょ、逃げるとか。美奈子さんの見てる前で。肩震えちゃいそうなのは武者震い。
勝ち目とかまるきりゼロでも、こうなったらやるしかねえし。
勝ったらチューの約束でもしてもらえばよかった、なんて。こうなったら、腹くくるしかないっしょ。
「はじめ!」
速さは先鋒と同じ、なんて悠長に考える時間ももらえなかった。
「っ!!」
目の前が、揺らぐ。
「くそっ……」
反応できたのが奇跡ってくらいの勢いで襟元を掴んでくる手を払う、踏みしめた足を引いて、引き手を取りに行く。
相手は嵐さんの対策を積んでる、嵐さんの動きを頭の中で組み立てて。
「……っせぁ!」
引き倒されそうになるのを踏みとどまって襟を掴む。
いや、ダメだ。
「っ!」
咄嗟に手を離す、つーかやべぇ、あとほんの少し遅かったらそのまま引き込まれて投げられてる。ていうかマジつえぇ、嵐さん以外でこんだけやれる相手組んだことねえし。
「せいっ!」
「くっ」
動けねえ、つーか、動かなくてもヤバイ。
こいつ、ぜんっぜん崩れねえ。こっちの動きがまるっきり通じない、押しても引いてもびくともしない。根っこでも生えてんじゃねーかってくらい動かねぇ。
「新名!つかまれるな!」
なんか、嵐さんの声聞こえてるけど、すんげー遠くから響いてる気がする。
今何秒かとか、まるっきり頭働かない。
「やあ!」
「ぐぁっ」
襟捕まれたまま足を払われる。もう、反射的に体をひねって両手をついた。
「待て」
首の皮一枚繋がった、てか繋がったとこでどうにもなんないし。なんかもう距離感とか感覚とか、なんか色々すっ飛んでる。
「新名くん!よく動けてるよ!がんばって!」
自分がどう動いてるかとかもうわかってないです、マジで。けど美奈子さんの前でみっともなくびびってる姿とかもう見せらんねえし。
襟元直して深呼吸。さっきよりは幾分落ち着いて立ってる。てか前髪伝って落ちたの、これ汗? 今何秒? 俺そんな動いてた?
「はじめ!」
二度目の奇跡は起きなかった。
てか、マジ一瞬だった。
スローモーションでプレハブの天井がぐるりと回って、遠目に嵐さんと美奈子さんが叫んでるのが見えた。
ずしんとか、どかんとか、そんな音がした気がする。
「一本!」
「……あ」
見あげた先、汚れた天井と見下ろしてる顔。
「それまで!」
呆然としたままの俺の腕をそのまま引っ張りあげて、岩男みたいな次鋒が背中を軽く叩いた。
俺、負けた?
なんかまだ現実ないつーか、先鋒に勝ったとこあたりからかなり頭すっ飛んでる。
「礼!」
頭を下げて、戻っていく。なんか歩いてるのに感覚わかんない、雲の上を歩くってこんな感じ?
「新名」
肩を掴む手。
「……あ……らしさ……ん」
声が掠れる。
「よくやった、新名」
嵐さん、こっちを見ないで真っ直ぐに前を見てる。
「あとは、俺に任せろ」
「……はい」
ヤバイ、マジヤバイ、なんか鼻の奥つーんときた。
「新名くん」
頭からかぶせられたタオルで目の前が白くなる。
「美奈子さん……」
「よくやったよ、新名くん」
いい匂いがする。なんかふわっと柔らかくてあったかい。
俺、抱きしめられてる?
あ、もうダメ、マジ膝崩れる。つーか涙腺ヤバイ。
「ホント、頑張った」
「……はい」
タオルで顔を拭う。
てか、わかっててタオルかけてくれたこととか、もうマジたまらない。
試合の後 ~ 美奈子
「今日はありがとうございました」
揃って頭を下げる一同に部員達が一斉に礼をする。
「いや、今日もいい勉強になりました。また是非」
「はい」
相手校のコーチと話す不二山を見て、部員達のほうに目をやる。
試合内容は、結果だけ言えばはば学の勝利に終わった。
相手先鋒に三人抜きされ、新名が先鋒を止めるも次鋒に破れ、最終的に大将の不二山が残り四人を勝ち抜いての逆転劇だった。
最も活躍したのは大将の不二山だったが、今回の練習試合の敢闘賞は一年でありながら相手先鋒を下し、次鋒相手に粘りを見せた新名だった。
当初、負け一方で諦めムードが漂っていた部員達も新名の予想以上の戦いに未だ興奮冷めやらぬ様子で試合のことを話し合っている。
だが、その新名の姿がない。
「新名くん……」
「美奈子」
「嵐くん、もういいの?」
「ああ、ミーティングは休憩してからにした」
「うん、じゃあ十分後だね」
首から下げたタイマーを確認して、腕時計を見る。
「新名の奴は……」
「うん、そろそろ迎えに行こうと思って」
「ああ、頼んだ」
手を上げて不二山の手にタッチする。
「じゃあ行ってくるね」
プレハブ部室から校舎の脇を抜けて、校舎裏のほうに向かう。
隅の木陰に白い柔道着姿が見えた。
「……新名くん」
頭からタオルをすっぽりかぶったまま、しゃがみこんでいる。
「にーいーなくん」
「……はい」
頭に手をのせて。
「お疲れさま、休憩の後にミーティングだよ」
ぴくりと肩が震えたのがわかる。そのまま隣に座りタオルに包まったままの頭をくしゃくしゃ撫でる。
「よくやったよ、新名くん。大金星」
小さく頷いた頭に額を寄せて。
「ほら、戻ろう?」
太鼓判 ~ 不二山
美奈子が迎えにいってから時間にしたら数分。
まるで小さな子の手を引くように新名の手を握って戻ってきた。
「お帰り」
「ただいま」
「……押忍」
うつむいたままぐしゃぐしゃの顔で見あげる新名の頭を軽く叩いた。
「ほら、顔洗ってこい。ミーティングするぞ」
「……うす」
とぼとぼと歩いていく新名の背中を軽く叩いて美奈子が隣に立つ。
今更のように今日の試合までのあれこれが浮かんでくる。
対策の為に部員にあれこれ指導してきたこと、新名に徹底的に対策を叩き込んだこと、美奈子と一緒に相手の分析で部室で話し合ったこと。
全部、ひっくるめて。
「なあ」
「ん?」
「よかったんかな、試合やって?」
「うん、きっと。みんなにとっても新名くんにとっても、もちろん嵐くんにとっても」
太鼓判を押すように、うんうんと頷く美奈子の姿を見ていると。ただそれだけで心の奥から安心できるような気がする。
「そっか」
「大丈夫だよ」
「……うん」
「さ、ミーティングの準備しなきゃ。厳しいよ?」
「押忍。頼むぞ、マネージャー」
ぱたぱたと分析ファイルを手に戻っていく美奈子の後姿を見送る。
「みんな、お前のおかげだ。いつも……どうもな」
背中を向けたまま、ブイサインが応えた。
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