このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

殉愛譚

「で、相変わらずお前のキモい行動は続くのな」
「うるさい。だいたい、それ言うために人の部屋わざわざ来たんすか」
「別に? ただ灰原が、お前が面白いゲーム買ったって言ってたから」
 灰原が五条さんに伝えたゲームとは、きっと俺が失明状態から回復した先日、真っ先に中古ゲームショップで購入した足でステップを踏むあのゲームのことだろう。ゲームの世代的には初代というもので、もう半レトロゲーのような物となっている。それでもやはり人気なゲームなだけあり面白い。だが絶対にこの人には使用させないでおこうと心に決め、俺は「そっすか」とだけ返事をした。
「出雲お前、今絶対使わせねぇって思ったよな」
「あーはいはい思ってます思ってます。分かったら早く出てってくださいよ。用件それ以外ないんですよね」
 五条さんは「ほんっと可愛くねぇの」とにやにや笑いながら、現在占拠している俺のベッドでくつろぐ事をやめようとはしない。
「あーもう退け! 退け! 邪魔なんですよ!」
「はぁ? じゃあ俺の部屋貸してやるからそっち行けば? 傑が隣部屋だから嬉しいだろ?」
 一瞬ではあるが想像してしまった。俺がこの人の部屋を一晩だけ使うことを。間違いなく隣部屋の夏油さんの存在を意識して、眠れないだろう。
 俺の顔色が変わっていたのか、それとも思考回路を読み取る力でも持っているのか、五条さんはけたけたと笑った。
「キッショ! もうお前キモい超えてキショいわ!」
「っ——うるせぇ! いいからさっさと部屋戻れこのクズ!」



 結局小一時間は怒鳴り合いを行い、……いや一方的に俺が怒鳴って五条さんは笑っていたが。
 それもようやく終戦しかけたところで部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「どーぞ!」と、まだおさまらないままの怒りに任せ扉に半ば怒鳴り、俺のベッドで寝る体勢に入っている五条さんから枕を奪い投げつける。が、当たるはずもない。
「だーかーら自分の部屋戻れって言ってんだろうが!」
「キャンキャン鳴くなって。お前が俺の部屋行けよポメラニアン。それより良いのか?」
「何が!?」
「後ろ」
 俺の後ろを指差し、にやにや笑いながら五条さんは「よぉ」と誰かに挨拶する。
 そういえば誰か来ていたんだった。こんな時に何なんだ。五条さんを退かすのを手伝いにでも来たのか、それとも邪魔しにきたのか。俺は相変わらず苛々したままで睨みつけるように振り返った。すると。
「——……あ……」
「人の部屋で何してるんだ悟……。出雲、悟が邪魔したね」
 呆れ顔をした夏油さんは、溜息を漏らして五条さんに声をかけたかと思えば、次にはその表情を苦笑に変えて俺を見た。
 ああ、ノックの主は夏油さんだったのか。納得しながら俺は言葉を失い硬直してしまっていた。俺のこの汚い部屋に夏油さんが来ている事実を、脳が処理しきれないでいた。しかし硬直した俺の様子は違和感でしかなく、夏油さんは不思議そうに俺を見つめる。
「出雲?」
「あっ、はい!」
 呼ばれて正気に戻った。
「疲れてる?」と俺を気遣おうとする夏油さんに、五条さんが一言挟んだ。
「傑が来て死ぬほど嬉しいんだよ、出雲は」
「ばッ、何言ってるんすか!」
「そうなのか?」
「っ——」
「違わないくせに」と笑い、五条さんは俺の枕を頭の下にしてやはり寝ようとしている。もうそれを止める気も起きない。嘆息し「もう好きにしてください」と俺は白旗を上げた。



 ……この状況は何なんだろう。
 夏油さんの部屋にどうして俺はいるんだろう。どうして夏油さんのベッドに座っているんだろう。いや、それは座って良い場所をここに指定されたからで。
 緊張していつの間にか握っていた拳の中が、汗で微かに濡れている事にようやく気づいた。おかしいやら馬鹿らしいやら。
 この部屋に辿り着くまでに買ってもらった緑茶のペットボトルは、俺の膝の上でこれまた汗をかいている。それを取って、キャップを開き少しだけ中身を口に含んだ。手のひらの汗も少しは治るだろうか。
「悟がすまないね」
「え、いや、大丈夫です」
「出雲は悟の部屋を使わなくて良いから。寝づらいかもしれないけれど、今夜は私の部屋を使えば良い」
 聞き間違えたか?
 一瞬脳はフリーズを起こしかけた。だが間違いなく夏油さんはこの部屋を使うように言った。俺は今度は手汗ではなく、背筋に生温い汗が伝うのを感じた。だって仕方ないだろ。下心が湧いて、興奮してしまうくらい。
「あの、夏油さんはちなみに……?」
「ああ、私が悟の部屋を使うよ」
 問えばさも当然の如く夏油さんは答え、下心の行く先が無くなって悔しがる俺がいた。
「いや……えっと……別々の部屋使う意味、なくないですか? 俺、女子じゃないですし。あ、ていうか女子だったら良かったかなー。夏油さんと一晩過ごしてみたかったなー」
 ぎこちなく冗談めかしながら拗ねた心を吐き出してしまった。
 今可愛くないこと言ってるかもと気づきながら、想いがばれるかも知れないぎりぎりの線に焦りながら、「なんてね」と笑ってみせる。こういう時、俺はまだまだ余裕も何も無い人間だと思い知る。
「何馬鹿なこと言ってるんだ」と呆れながら、夏油さんは俺に枕を投げる。
「一人の方が寝やすいだろ。私に構わずちゃんと寝るんだよ」
「……はーい」
 ペットボトルを握っていない手で枕を受け取りながら、伝えられない感情に苛立ってしまう。
 もしここで言えたなら。言ったなら。
 好きです、あなたが。好きなんです。だから、だから……。
 そんなことを言ってしまえば、こうしていることすら出来なくなる。
「一人の方がやっぱ寝やすいですよね」
 俺はただ、道化のように笑った。



 深夜。
 寝つけず、夏油は自室に一度戻った。大切な後輩がちゃんと眠っているか確認したかった……と言うのは言い訳だ。出雲の寝顔が見たくなったのだ。
 夏油にとって出雲は可愛い後輩。そして、密かに想う相手だ。そんな相手が今自分の部屋にいると意識してしまったからこそだろう。
 扉をノックするが返事はなく、気配も静か。ちゃんと眠っているようだった。
 部屋に入り、ゆっくりとベッドへ近づいていく。出雲の寝る時の癖なのか保安灯は点けたままだった。その微かな灯りの中で眠る後輩の寝顔は、普段にも増してあどけないものだった。
 無意識に片手を伸ばし、頬に触れた。まだ幼さの残る輪郭をなぞって、唇に触れる。思うよりも柔らかなそれに夏油は息を呑んだ。
 下心が無いわけではなかった。
 一晩を一緒に過ごせたなら、と考えていた。男同士なのだから何の違和感もない。先輩と後輩の関係なら、尚更それくらいしても良かっただろう。
 きっと親友は自分の煮え切らない感情を知ってしまったからこそ後押しをしてくれたのだ、と夏油は考えていた。けれどもやはり勇気が足りない。命をかけるような任務に赴く勇気はあるくせに、だ。
「出雲、私は……」
 君が好きだ。好きだ。だから、だから……。
「……げとうさん」
「!」
 驚き、手を離した。柔らかな感触から離れた指先は、虚空をなぞってベッドの端に落ち着いた。
 起きたのだろうか。顔を覗き込んだが、瞼は開かれていない。どうやら寝言のようだ。
 夏油は自分が夢の中にまで出るなんてと苦笑した。一体どんな夢を見ているのやら。
 だが、出雲がどこか苦しげに表情を歪ませて、良い夢ではないのだと知る。
「出雲?」
 出雲は何度も小さな声で「ごめんなさい」と繰り返す。どうしてそんなに苦しげに、悲しげにするのか。一体夢の中の自分は出雲に何をしているのか。
 夢を覗き見る事ができたなら少しは不安も取り除けたのに、と夏油はあり得ないことすら思ってしまう。
 うなされる出雲の手を取って、「大丈夫」と何度も囁く。
 ようやく呼吸が落ち着いた出雲は、もう一度だけ「ごめんなさい」と言う。
「……好きです。……だから……」
 だんだんと小さくなる声は「嫌わないで」と言葉を最後に紡ぎ、そしてまた出雲の意識は深い眠りに落ちていったようだった。
 夏油はしばらく呆然とした。きっと今の言葉は、出雲の本心だ。
 もう一度夏油はその指先で出雲に触れた。
「嫌わないよ。……私も、君が好きだ」
 偽りのない心を吐いて、夏油は今度こそ出雲の意識が覚醒すれば良いのにと願った。
 唇はもう何も紡がない。温もりと柔らかさを、ただ返すだけ。
10/28ページ
    スキ