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殉愛譚

「しくったなー」
 医務室のベッドにいることは分かる。けれども、白い天井も壁も何も見えない。俺は今一時的な失明状態にあった。
 今日の任務はきつかったなとか、そういえば夕飯食ってないなとか、光のない生活には慣れているからか特にこの状況に絶望もせずに思考する。
 ぎゅうと腹が鳴って、身体自体はすこぶる健全健康で、そこそこ死にかけたが生きていることを実感した。
 ……と、今は俺以外居ないはずの医務室内に足音が一つ。何も見ることのできない俺は、少しだけ物音に敏感だった。
 だんだんと近づいてくる足音はどこか切迫していた。腹でも痛いのかと思っていれば、俺が使用しているベッドのカーテンを開ける音がした。
「……誰っすかー?」
 返事は直ぐに返ってこなかった。その代わり安堵したような深く大きなため息が一つ聞こえた。
「良かった」
 聞き馴染みのある声が小さく呟いて、その誰かは俺に覆い被さって抱きしめてきたようだった。力加減や体重と声からして男。と言うよりは恐らくこの人は……。
「あ? え? …………えっと……夏油、さん、ですよね?」
「……ああ」
「……あの、……どうしたんですか?」
 どうやら夏油さんは俺に何か安堵している。それがただただ疑問だった。
 まさか夏油さんが俺の心配を? それこそ大きな疑問だ。俺の心配なんてしなくて良いはずだ。それも、こんなに身を震わせるほど。
 俺を抱きしめている彼の体は微かにだが震えて、まるで何かに怯えているようだ。強い夏油さんが何を恐れると言うのか。意味がわからなくて、震えの理由を他に探した。
「夏油さん、まさか寒いんすか? それとも腹痛い? 解熱剤とか薬ならどこかにあるから……」
「君は馬鹿だ」
「えぇっ」
 罵られた。抱きしめられながら罵られた。もう何が何だか分からない。もし今失明状態になかったなら、光があったなら、少しはこの状況を理解できていただろうか?
 すると身体が離れて、代わりに大きな両手が優しく俺の頬を包んだ。
「どうして、助けを呼ばなかった?」
「助けって言ったって……七海も灰原も精一杯でしたし」
「どうして私を呼んでくれなかった」
「それは」
 今回の任務は、五条さんと夏油さんという存在がプラスアルファとしてあった任務だった。もしかしたら俺たち一年には荷が重いかもしれないから、と。
 結局それは杞憂に終わらず、正に荷が重すぎる任務となった。五条さんは七海を援護、夏油さんは灰原を援護。俺は——。
「……いけると思ったんです。一人でも、やれるって」
 本音は違った。みんなの、いや、夏油さんの足手まといになるのが嫌だった。
 血涙が溢れた時点で、呪霊は自分よりも格上ということは理解できていた。けれども、ここで俺だけでも踏ん張らねばと強がった。
 だって早く追いつきたいと思っているから。どうせ恋人にもなれない関係なら、後輩でしかいられない存在なら、その背中に追いつけるくらいの強さを持った後輩でいたいのだ。
 もう一度ため息が聞こえた。
「本当に馬鹿だよ君は。もしそれで死んでしまっていたら、死なずともこの目が永遠に見えなくなっていたら。それを考えたことはあるか?」
「いや……ないっすね」
「なら、どれだけ私が悲しむかを考えてくれたことはあるのか?」
「え……」
 片方の手が、包帯と思われる布の上から俺の瞼をさりさりと撫でる。布越しに少しずつ伝わってくる体温に、俺の心音は大きくなっていく。
 夏油さんはそのまま数秒沈黙して、結局俺から手を離した。
「……仲間が死ねば悲しいよ」
 夏油さんの声はどこか自身にも言い聞かせるような音だったが、その音の意味は理解できない。俺にはただ、頷くしかできなかった。
「そう、ですね」
「そう。……だから、もう無理も無茶もしないでくれ」
「……わかりました……」
 いい子だ、と子供をあやすように頭を撫でられる。
 夏油さんがいるであろう方向に顔を向け続けながら、今彼はどんな顔をしているのかという事ばかりを考えた。
 優しい顔だろう、きっと。そう思うくせに、泣きそうな顔をしている気がして。無意識に俺は頭を撫で続ける彼の手を取って握りしめていた。
「出雲……?」
「大丈夫、ですから。……俺、もう変なことしないから。ちゃんと夏油さんのこと呼びますから。
 だから、心配しないで」
 夏油さんの手が、また微かに震えた気がした。
「俺、大丈夫ですから」
 もう一度言葉にした。
 見えない表情が本当はどうなっているのかなんて知らない。ただの俺の思い込みだ。けれども今、夏油さんはきっと——。
 馬鹿な事を考えていれば、俺が握っている手はそのままに、もう一度抱きしめられた。
 服越しに伝わる体温も、皮膚に伝わる震えも、全てが全て抱きしめ返せたらと思うほど愛おしい。
 愛してる。そんな言葉は吐き出せない。だから俺はこう言うのだ。
「大丈夫」
 ただその一言を。
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