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殉愛譚

 コーラ、緑茶、コーヒー、リンゴジュース。寮の自販機前で指を迷わせながら、脳は思い出したくもない記憶を掘り返す。
「お前、気持ち悪いよ」
 一時間ほど前にぶつけられた五条さんの言葉を反芻して、飲み込んで、もう一度思考の海から引き摺り出して反芻させて。俺はおよそ三千六百秒経っても軽い混乱の中にいるらしい。
「傑の前で何必死になってるわけ? さっさと言えばいいだろ、俺は夏油さんが好きなんですーって」
 記憶の海から引き摺り出されていく言の葉に冷や汗をかきながら、俺は歯軋りをしていた。
「可愛い後輩のフリなんてやめろよ。必死過ぎて痛い。見てるこっちが吐きそうだ」
 うるさい、うるさい。あんたに何が分かるんだ。俺がいつもどんな思いで夏油さんの背中を追いかけているか理解していないあんたに、どうしてそんな事言われなきゃいけないんだ。
 ぶちまけたい心情はしかし全て紡ぐこともできず、「やめてください」とヒステリックに怒鳴って終わり。
 今にしたって、こうして一時間前を思い出すくせに独白すら漏れ出ることができていない。噛み潰してこの心の中にカスになって溜まっていく。
 気づけば小銭が自販機の小銭受けに落ちていた。小銭を取り出しながら、はぁと大きな溜息を零してもう一度投入口へ。それでも結局飲みたいものなど無くて、返却レバーを押して小銭を再び回収した。
 二度目の溜息を零して財布に使われることのなかった二百円を戻していれば、右隣に人影が立った。
「何も飲まないのか?」
 柔らかな声が穏やかな口調で語りかけてきて、その声も喋り方もどれもを理解している俺は、心臓が跳ね上がり変な声が出そうになるのを必死に抑え込んだ。
「あー、夏油さん。お疲れ様です」
 馬鹿みたいな葛藤を悟られないよう注意を払いながら、平静を装って隣を遠慮がちに見上げる。夏油さんはTシャツに黒いスウェットのパンツ姿、髪はいつも通り団子型で後ろにまとめる、というラフな様子でいた。
 人当たりの良い笑みを俺に向け、夏油さんは問う。
「出雲、悟に何を言われた?」
 自然な流れで彼は自身の小銭を投入口へ突っ込むと、緑茶を二本買い、俺に一本を渡してくる。口を割るまで離さない、と暗に言われているのは分かる。だからこそ受け取るのを一瞬躊躇ったが、夏油さんに逆らうことはどうしても出来ない俺は結局ペットボトルを受け取った。
「何をって、言われてもなぁ……」
 せめてもの抵抗に曖昧に笑う。夏油さんは微笑んでいるが、瞳は冷静に俺を探っている。その瞳を向けられる居心地の悪さにまた種類の違う冷や汗をかきながら、こうなった元凶であろう五条さんを少しだけ恨んだ。
「ただ、恋バナ、してただけっすよ」
「悟もそう言ってたな。……結局どんな内容だったんだ?」
「えぇ? もう一回言うのはちょっと」
「出雲」
 全部吐け、と笑わない瞳が言っている。
 何がこの人をこんなに苛つかせているのかは理解できない。どうして怒らせたのかも。俺は何もしていない、はず、だ。
 ペットボトルを受け取らなければよかった。この会話の土俵に上がらなければよかった。後悔は山ほどあるが、夏油さんに弱い俺の抵抗手段なんて最初から少ない。この未来は確定されていたのだろう。
「……俺の恋愛観が、気持ち悪いって話ですよ。好きな子には最後まで好きって言わない方針。それが気持ち悪いって。そういう話」
 言葉を選びながら、曝け出せる真実だけを紡ぐ。
「本当にそれだけか?」
「俺、夏油さんに嘘なんてつけませんよ」
 夏油さんは俺をしばらく見つめていたが、嘘はないと信じてくれたのかようやくその視線を緩めてくれた。
「心配だったんだ。廊下で出雲のあんな怒声が聞こえたから」
「ああ、五条さんに生意気言ってダッシュで逃げたあれっすか。はは、いやぁ殺されるかと思っ……わぁっ」
 頭に大きな手のひらを被せられ、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜるように頭を撫でられる。
「あまり心配させないでくれ。可愛い後輩が親友と喧嘩するのは、辛いんだ」
「…………すみません、でした」
 夏油さんが俺を可愛い後輩だと認識してくれている。喜ばしい現実だというのに、どうしてこんなに悲しくなるのか。
 目の前にある彼の体を今、抱きしめたなら。何度も縋るように愛を叫んだなら。
 出来やしないことを頭の中で反芻して、飲み込んで。彼が離れていくまで何度も何度も繰り返す、馬鹿みたいに。

「お前、気持ち悪いよ」

 およそ三千六百秒前に突き刺さった言の葉は、俺の正体を見事に暴いていたのだと理解した。
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