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殉愛譚

 日々に、少しずつ変化が生じた。
 夏油と出雲の二人だけの時間に、時折ではあるが夏油の友人である五条も混ざるようになっていたのだった。
 きっかけは、出雲と自販機前で会って話し込んだ夏油がなかなか部屋に戻ってこない事に痺れを切らした五条がやって来た時だった。
 五条は現場を見るなり「お前かよ」とつまらなさそうに出雲を見て言い放った。そのくせ、それ以降は夏油同様出雲に構うようになり始めた。
 出雲としては追いつけない状況変化だった。
 やっと夏油という人間に打ち解け始めていた所に、また新しい人間との関係が生まれたのだ。まだ人に慣れていない出雲にとっては、ふりだしに戻ったかのような心境だった。
 けれども前と違った事がある。
 暗黙の了解のように決まり始めていた、寮の自販機近くのベンチで出雲が夏油を待つ行為。これを出雲がそれからも一度も欠かさなかった事だった。
 今日も今日とて出雲はベンチに座って夏油を待っていた。どれだけぎこちなくとも、二人の時間が出雲はやはり楽しみだった。
 だが今日最初に現れたのは、夏油ではなかった。
「お前も律儀だよなぁ、ポメラニアン」
 呆れたような、馬鹿にしたような、そんな含みを持たせて笑う五条だった。
 出雲は気持ちが憂鬱に沈むのを感じながら、視線を逸らして曖昧に「はぁ」と返事をする。
「アイツならシャワー浴びに行ったからまだかかるんじゃね?」
「そうっすか」
 視線を一切合わせようとしない出雲を、暗闇をガラスに変えたようなサングラスを通して五条は面倒臭げに眺める。よくもまあこんな面倒な奴の相手をしているものだ、と本心を述べなかっただけマシだったろうか。
「傑じゃなくて残念か?」
 やや躊躇ったが、出雲は「まあ」と正直に頷いた。
「ははっ、そこは素直なんだなお前。生意気」
「……」
 この男はいつだって何を考えているか分からない。掻き回すような言葉を選んだり、値踏みするように見てきたり。出雲はだからこそまだ五条が苦手だった。
 五条は出雲の隣に腰を下ろし、相変わらずどこか愉しげな笑みを貼り付けて出雲を眺める。
「こっち見ないでくれます?」
「先輩に命令か?」
「いや、先輩とか関係ないんで。危険なんで」
「目、コンタクトしてるんだろ?」
「……」
 出雲は僅かに五条から距離を取るように座る位置をずらした。しかし距離をわざと詰めて、五条は出雲に近づく。
 もう限界だと出雲が逃げるように立ち上がれば、心底不思議そうに五条は呟いた。
「ほんっとさぁ、お前の何が良いんだろうな傑は。こんな生き方拗らせてる奴のどこが」
「……そんなの知りませんよ」
「俺だったらお前みたいなの放っておく」
「でしょうね。俺も五条さんには関わってほしくないです」
「お前のそういう素直な所は嫌いじゃないけど」
「別にアンタに好かれてもな……」
 疲れたように出雲はぼやき、ついにその場から立ち去ろうとする。
「じゃあ傑になら好かれても良いのか?」
 からかうように投げかけられる言葉にはもう返事もせず、出雲は自販機の前を通り過ぎて部屋に戻ろうとする。と、見慣れた人影がようやく現れた。
 急いでいたのだろう。半ば濡れた状態の髪を結ぶこともしていない夏油の姿だった。
 夏油はその場から立ち去ろうとする出雲にぶつかりかけると、出雲の肩を掴んでバランスを整え、焦った様子で謝罪した。
「出雲……! すまない遅くなって……」
「えっ、……あ、いや」
 出雲が夏油の姿を視界におさめると、今までの五条への緊張感やどうしようもない心のざわめきが落ち着いていった。少しだけ泣き出しそうな心境にもなりながら、出雲ははにかんで笑う。
「大丈夫です。全然遅くないんで」
「そう、か」
 胸を撫で下ろす夏油に、面白くなさそうな声が投げかけられる。五条だった。
「傑ー。さっきまで怒ってたからな、そいつ。夏油さんおせぇって」
 振り向き、出雲はついにその視線を夏油に嘘を吹き込む五条に絡めた。出雲の表情はひどく険しい。五条はそれを挑発するような笑みで受け止める。
ついに出雲は吠えた。
「誰も、そんな事言ってないですよね!?」
「あー、夏油さんが来なくて寂しい死んじゃうーだったか?」
「っ……! 殴る!」
 からかう事をやめない五条に今にも本気で殴りかかりそうな様子の出雲を抑えながら、夏油は苦笑を零した。
「悟、随分出雲と仲良くなったね。私はもっと時間がかかったのに」
「羨ましいか?」
「……、そうだね。羨ましいな」
 微かに出雲の体を抑える手に込める力を強めながら、夏油は頷いた。
「なら俺は部屋戻るから、後は二人で仲良くやってろよ」
 ベンチから立ち上がり、出雲と夏油の隣を通り過ぎて部屋に戻ろうとする五条だった。
だが思い出したかのように出雲の顔を見ると、出雲の金のメッシュが混じった黒髪を一度撫で、またからかい混じりに囁いた。
「じゃあな、けーくん」
「ッ触るな! 誰がけーくんだ!」
 そのまま去っていく五条に対し感情をむき出しにして荒れ狂う出雲を、夏油は複雑な目で見下ろしていた。
「あーもう! 何だよあの人!」
「悟とかなり打ち解けたようだね、出雲は」
「いやどう見たらそうなるんすか……! 打ち解けてなんか」
「私にはまだそんな風に怒った事がないだろう? 悟には感情をむき出しにしているじゃないか」
「これは自己防衛ですよ!」
 出雲はそして深いため息を吐くと、ベンチへと戻って腰掛ける。全身から疲労が滲み出ている彼を労わるように、夏油は自販機でいつものように緑茶のペットボトルを二本買うとその一本を出雲に渡し、隣に座った。
「ありがとうございます」と礼を言って受け取り、出雲は小さく呟く。
「別に、打ち解けてない。俺は、そもそもあの人に嫌われてるし」
「そんな事ないさ。悟は心底どうでもいい人間は相手にしないからね。出雲は……」
「悟に好かれている」と言葉にしようとした筈なのに夏油は声に出せなかった。
「気に入られているんだよ。私が君を気に入っているように」
 代わりの言葉を吐き出し、夏油は微笑む。
 出雲は納得できていない表情をしていたが、それ以上否定も何もせず頷いた。
「でも、出雲の人間関係が広がっているようで良かった。君にはもっと広い世界を知ってほしいから」
「広い世界?」
「そう。きっと出雲は、これから様々な事を更に知る。困難にもきっと直面する。その時に頼れる人間が多く出雲の傍にいたなら、私も安心できるよ」
 どこか自身にも言い聞かせるように夏油は語る。出来た人だから自惚れぬよう自戒を込めているのだろう。そう出雲は感じ取っていた。
 良い先輩としても、夏油は出雲の中に存在を強めていた。
 けれども出雲は思うのだった。もっと夏油に自惚れてほしいと。夏油が、「自分は出雲にとって無くてはならない存在である」と。
 そんな事を思う自身の理由が分からなかった。まるで知らない感覚と共に、出雲は夏油で満たされたいと思い始めていた。
「俺は……夏油さんが良い」
「え?」
「いや、……えっと、出来るならですけど。沢山の人なんていらないから……俺は夏油さんに、傍にいて欲しいかなって」
 夏油はややあって小さく息を吐くと、再び苦笑しながら出雲の頭を撫でた。
「熱烈な告白だな」
「告白?」
「ああ、まるで好きな相手に言うようだったよ」
 目を丸くし、出雲は夏油を見つめた。すぐに否定出来た筈だった。しかし出雲には出来ず、寧ろ体は硬直し冷や汗をかいた。
 だが夏油と視線が交差すると、それを隠すように微笑んだ。
「そんな訳、ないじゃないですか」
「……、そうだね。そんな訳がない」
 出雲の中で全ての点が線となり、答えとして繋がってしまった。出雲は夏油を恋焦がれた大切な存在として見ていると、解を得た。
「良い先輩」として感情に自惚れて欲しい訳でも、傍にいてほしい訳でもない。ただ一人の存在として、互いに想い合いたい。
 気づいてしまえば眩暈がした。
 その後は何を喋ったのか、どう接したのか出雲は覚えていない。恐らく普段通りにやれただろう。
 自室へと戻る道すがら、手に握った緑茶のペットボトルを見下ろしぽつりと言の葉を落とす。
「嫌われたくない、……夏油さんに」
 知られてはいけない、この感情は。同性からの感情は酷く忌避されると、こんな自分ですら知っている。
 泣きそうになりながら、出雲は狭い思考の海で考えた。どうすれば嫌われないのか。どうすれば少しでも長く傍にいられるのか。
 結局叩き出した答えは一つだけ。
 可愛がられる後輩であり続けること。
 それが現状の延命作業だと出雲は信じ、自身の気づいてしまった心に蓋をした。
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