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殉愛譚

 傑さんを教祖とするこの宗教団体で、俺に与えられた役割はある種護衛のようなものだ。常に傑さんの傍に立ち、彼の身を守る。けれども傑さんが自分の身を守れない存在であるわけではないから、俺は名ばかりの護衛だ。傑さん曰く、これは傍に置くための名目らしい。
「こんなに甘やかさなくて良いのに」
 信者も誰も居なくなった広間を見渡しながら、俺はぽつりと呟いた。高座で座ったまま上体を伸ばしているらしい傑さんは、吐露した言葉が聞こえたのかくすくすと笑う。
「現状が不満かな? 彗は」
「……いや、そうじゃないですけど」
「けど?」
「…………」
 言葉に詰まってしまう。
 もっともっと道具のように扱って欲しいと言いたい癖に、彼の傍は安寧を俺に与えるから。
 傑さんは立ち上がり、俺の傍まで距離を詰めると、穏やかに微笑んで両腕を広げる。
「彗、おいで」
「……はい」
 従順に腕の中に収まる。肩口に顔を埋めれば、広間に漂う香の匂いとはまた違う甘い香りが鼻腔をくすぐった。きっとこの広間の香の匂いが染み付き、それと傑さんの匂いが混ざり合っている。その中に血臭も微かに感じられて、俺の心はささくれだった。
 俺の考えなんて知れているだろう。傍にいられる悦び、残酷に扱ってもらえないもどかしさも全て。
 幾らでも俺は非術師を殺す。殺して、殺して、傑さんの望む世界のために貢献する。その証拠に俺は傑さんにとって不要な猿どもを、今では命じられなくても次々処分していっている。
 傑さんが手を穢す前に俺が穢れればいいと、愚かなことすら願っている。土台無理な話だと理解しているくせに。
 子供をあやす親のように俺の背を叩きながら、傑さんは問いかける。
「彗は私にどう扱われたいんだ?」
「もっと、道具みたいに」
「どうして? 私はもう充分彗を道具として扱っているのに」
「……足りないんです。もっと俺を汚れ役として使ってください。貴方の傍にいるだけが俺の役割じゃない」
 絞り出すように願いを吐き出した。けれども傑さんは笑って切り捨ててしまう。
「おかしな事を言うんだな」
「おかしくなんか」
「彗は現状が見えているかい? 私は君に護衛という役目を与えたかもしれない。けれども彗はそれ以上に私のために働いている」
 暗に自分の勝手な行動を示され、やはり全て知られていたと溜息を吐いてしまう。そんな俺の背から頭部へと手を移すと、髪を撫で傑さんは続ける。
「猿を勝手に殺している事を知っていながら何も言わなかった。何故か? 彗が手を下してくれる事で、少しずつ理想に近づくからだ。
 私は理想の為なら大切な君さえこうして利用する。どれだけ汚れてもだ。
 ほら、私は彗をもう立派に道具として扱っているだろう?」
 言う通りかもしれない。けれども足りないのだ。心が満足しない。納得しない。
 俺は傑さんの為に、傑さんの為だけに生きたいのに、どうしたら良いのか分からない。彼が納得させようとしても、違うと心はざわめいてしまう。
 気づけば拳をきつく握りしめていた。
「仕方のない子だ」
 握りしめ続けている拳を取って、困った様子も見せないで傑さんは息をつく。
「これ以上君が私の役に立とうとするなら、それはもう呪霊にでもなるしかないかもしれないね」
「……呪霊……?」
「なんてね。本当にそうなったなら、私は悲しいよ」
 傑さんの言葉はもう届いていなかった。
 俺は全ての答えを得た気になって。これからどうしたら良いのかをすぐに考え始めて。
 愛しいこの人のためになれる。その高揚が、俺を最悪へと突き動かした。



 三日後の逢魔時。その部屋に立ち入った傑は、深い溜息をついた。
 彗が住処として利用していたその部屋は、普段ならカーテンは閉じ切ったままだった。だが今は開き切って、血の色にも似た夕日が差し込んでいる。
 部屋の中は元より殺風景だった。だからこそ、惨状はよく見ることができた。
 部屋の中心では、小刀で喉を切り裂いた彗が倒れている。夕日の赤と乾きかけている血の海は色が混じり合ってどす黒い。傑はしゃがみ込むと彗の体に触れた。もう冷たくなっているそれは、死後数時間以上も経っているのだろう。
「死ね、とは言っていなかっただろう? 私の傍にいてくれれば、それで良かったのに」
 無感情な声が語りかける。悲しみが追いついてこないのか、悲哀を感じていないのか、傑にも今はまだ自身の心が理解できていなかった。
 床の上の血溜まりが少しずつ黒さを増し、乾きも忘れて波となる。場の異変に気づいた傑は、微かに呪霊の気配をそこから感じ始めていた。
「……彗?」
 血溜まりの中でゆっくり瞬きするものが見える。見慣れた銀灰色の瞳。それは傑を見上げると、笑ったようだった。
 それは少しずつ形を成し、程なくして人型——彗の形となった。
 しかし顔を見れば左目こそ元の場所に一つあるが、右目は縦に三つ並んで、異形であった。
 これは彗の呪霊体とでも言えばいいのだろう。呪術師であっても、特定の条件が揃った場合呪霊になることは知っていた。
「す、……ぐる……さ……、すぐる……さん……」
 聞き慣れたテノールは、傑を呼ぶ。何度となく求めるように。だがまだ身体の制御が効かないのだろう。時折声は霧散し、身体は血溜まりの中へと戻りかける。
 傑は気付けば手を伸ばしていた。これまでの呪霊達にそうしてきたように、彗を呪いの玉へと収めてしまう。
「……本当に、仕方のない子だね」
 しばらく愛おしげに玉の表面を撫でると、口を開き、血よりも黒いそれを傑は飲み込んだ。
 呪霊を取り込むことはいつだって変わらない、傑にとってはストレスを伴う行為だ。何も自分が呪霊と一体化する訳でもない。
 それでも今は彗と全てが一つになるようで、傑の心は悦びに浸されていく。
「これで永遠に、……永久に私たちは共にいられる」
 微笑みは、確かな幸福に満ちていた。
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