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殉愛譚

「次の休みは外出しよう、一緒に」

 傑からのデートの提案に彗は喜び、約束の休日までの日々を、学業も任務も普段以上にはりきってこなしていた。
 彗の気持ちの後押しをするように、前日まで天気は快晴。翌日の天気も降水確率はあまり高くない、曇りという予報だった。
 しかし、デート当日にならんとする深夜から突然天候は変化し始めた。皆寝静まった寮の外では蛙の雨乞いの声が聞こえたかと思えば、その三十分後には雨音がしとしとと控え目に響き始め、次第にボリュームを大きくしていく。
 皆が目を覚ます頃には本降りとなった雨。
「は!?」
 目を覚ました彗はベッドから飛び起きると、勢いよくカーテンを開き、窓の外を見てその場に力無くへたり込んだ。
 天気予報は何度も確認したというのに。何ならこの年齢だと言うのに、恥も外聞も捨て教員の夜蛾に見栄えのいいてるてる坊主の作り方を聞いたりもした。日々もこれ以上なく真面目に過ごしたと言うのに、それなのに。
「どうして雨降ってんだよぉ……」
 気付けば今にも泣き出しそうな声をあげていた。いや心の中では泣いていた。
 呆然としていれば、ベッドの枕元に置きっぱなしの携帯電話がメール受信の着信音を鳴らした。彗はすぐにベッドに戻り、メールを確認する。送り主はやはり傑だった。
『今日は外出するのは難しいね。ひとまずあとでそっちの部屋に行くよ』
 ああ……と溜息と共に落胆の声を吐き出しながらも、了解の旨を打ち込んで送信する。
 憂鬱が心を占めていた。



 天気予報に裏切られた彗は、部屋に来た傑にベッドの上で抱きしめられながらも不貞腐れたままだった。
 背中に感じる傑の熱は愛おしい。だが寮の中では隣室の存在や、もう周知の関係であるとは言っても周囲を気にしていなければいけない。そのストレスもあまり感じずに二人の時間を過ごしていると感じられる環境が、彗は時々欲しかったのだ。
 何とはなしに点けっぱなしにしているテレビからは、天気予報を担当するキャスターが今日の突然の雨について説明している。それによれば、突発的な雨雲が発生したとか何とか。
 恨めしそうにテレビを睨んでいる彗に傑は苦笑を漏らした。
「雨は仕方ないだろ?」
「……はい」
 よしよしと慰めるように頭を撫でてやりながらも、傑はどこか楽しげな様子でいる。
 実際のところ、傑にとってデートの場所は関係無かった。
 可愛い彗といられるなら彼はどこでも嬉しいし、楽しい。外野の存在など関係無い、それどころか見たいのなら見せつけてやればいいとすら思う。
 そんな傑が外出することを提案したのは、時々は彗のストレスを取り払ってやりたかったからだった。
 傑と出会ってから、彗は外の世界を歩いて好奇心を満たす楽しみを覚えた。傑と外を歩くならば尚更心が満たされる彗だ。だからこその外でのデートの約束だった。
 しかし天候は、結果この通り。
 彗の機嫌は不機嫌も良いところだ。傑に触れられていても、今はあまり効果を成していない。
 そんな彗の機嫌取りも、傑には愛おしいものだった。
「私は彗といられたら何処でも幸せなんだけどな」
 甘い声で、傑はまず一つ目の言葉の角砂糖を彗の心に放り込む。だが彗は依然としてテレビに視線を向けたまま。
「彗は、私といるのはやっぱり外だけがいい?」
「そ、そういう訳じゃ……ないです」
 二つ目の角砂糖には、少しの悲哀を加えた。するとどこか焦るような抗いの言葉が聞こえてきた。
 傑は小さく微笑むと、その唇で彗の右耳を後ろから柔らかく噛む。
「ん……っ」
 微弱な快感に身体をふる……と震わせて、彗は熱のこもった吐息を漏らす。
 追い打ちをかけるかのように、傑は三つ目の角砂糖を彗に与えた。
「なら、そろそろこっちを向いてくれるね?」
 色香を含んだ声で囁き、ベッドの上に彗の身体を押し倒してしまう。だが彗は抵抗するように両腕で顔を覆い隠そうとする。
「彗、見せて」
「や……だ」
 腕の隙間から覗く肌はほのかに赤い。抵抗も本気では無いだろうと踏んだ傑が、腕を解かせようと触れれば、恐る恐る彗は抵抗をやめていく。
 ようやく傑に顔を見せた彗は、すっかり情欲に染まった表情に変わっていた。
 ここまで甘やかし、煽ったのは傑だ。こうなることは幾分か予想出来ていたし、その責任も彗のストレスが無い範囲で理性的に取ることも考えていた。だが、いざ蓋を開けてみればどうだ。
 傑は自身の理性が崩壊していくことを感じ取って、苦笑をもう一度零した。
「……傑さん、俺……」
「うん、その先は言わなくていい。……すまない、彗」
 彗の髪を撫で梳いて、そのまま頬に指先を滑らせ、唇に触れる。薄くかさついた唇は、仄かな熱を持っている。
 出雲彗という存在もまた傑にとっての角砂糖だ。ならば今こうして触れる熱は甘い蜜に他ならない。
「このまま抱いても、良いかな?」
 見開かれた人工的な緑色の瞳は、しかしその奥に期待の光を宿している。
「抱いて、ください」
 途切れ途切れにだが確かに言葉でも求め、彗は傑に両手を伸ばした。



「そういえば」と切り出したのは傑だった。
 彗はその隣でくたりとしながらも頷き、話を聞こうとしている。
 結局二人は日が出てから昼が過ぎるまでを爛れた時間で過ごし、今に至る。隣の部屋に聞こえたかもしれないと彗は熱の余韻が残る頭で考えていたが、傑が話し始めればそんなことはどうでも良くなった。
 傑はおざなりに閉めたカーテンの内側に飾られたてるてる坊主に視線を向け、それから彗を見つめた。
「晴れたら、今日はどこに行きたかった?」
「ん……と」
 彗はぼんやりとする頭を必死に動かす。だが明確な答えは出てこなかった。きっと正常に脳が働いていたとしても答えなど無かっただろう。とどのつまり彗は傑とのデートという言葉に浮かれていたに過ぎなかった。
「……分かんないです」
 申し訳なさからまた気落ちした表情をする彗を抱きしめ、「それなら」と傑は続ける。
「今度の休みには、少し遠くへ行ってみようか。電車に乗って、東京を離れて」
「あー、良いですねそれ。すげー楽しそう。千葉とか……、他県……もっと行ってみたい……」
 彗の言葉に頷いてやりながら、再びてるてる坊主を傑は見つめた。
 手先はあまり器用ではない彗が不恰好ながらも完成させたそれは、きっと次の休みには快晴をもたらしてくれるだろう。いや、そうであってくれなければ。
 腕の中でだんだんとまどろんでいく愛しい存在。しっかりと抱きしめ、傑は微笑む。
「本当に何処でも良いんだ、私は。けれども、君とじゃないなら嫌なんだ」
 今にも深い眠りに落ちていきそうな彗に言葉がどれだけ届いたかは分からない。一層激しさを増していく雨音が、声を掻き消していたかもしれない。
 だが、それでも良かった。
 どんな瞬間も、二人ならば幸福だった。
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