殉愛譚
言ってしまった。
寝言の類に見せかけて、俺は夏油さんに自分の心をぶつけてしまった。
聞いてしまった。
俺が眠っていると思い込んだ夏油さんの、本当の想いをこの耳で。
胸の中を占める嬉しさと悲しさが半分ずつ。もっとちゃんと言えばよかった。眠ったふりなんて卑怯で小狡い手を使わずに。
正確には、途中までは眠っていた。けれども意識が覚醒して、あまりに近くに感じる夏油さんの存在に俺はついに理性を切らしてしまった。
あれからも夏油さんは普段通り俺に接してくれる。良い先輩の鑑だ。俺は俺で、胸中こそドギマギとしながらも夏油さんに後輩らしくじゃれて、そして一日は終わって。
想いを知っても煮え切らない。苦しいだけなら、何も知らないままが一番よかった。
俺は臆病過ぎて、好きな人の心を知ってしまってもあと一歩が踏み出せない。
自分の行いと弱さに悶々と悩み、結局どうするという答えも出せず。そして今日も今日とて朝は来る。
*
うまく眠れずいつもよりも早く起床した俺は、煮詰まりすぎてグルグルとする頭と、いやに昂る体を落ち着かせようとグラウンドに向かった。
グラウンドの空は、夜と朝焼けの境界が見えてこの世ではないような気分にさせる。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、ふうと大きく吐き出す。それだけでも気分が少し落ち着いたように感じた。
軽く準備運動をして、走り出す。答えは結局出なくとも、動けば頭の中がクリアになっていく。その感覚は悪くないものだった。
ひとまず二周半ほどを終えて残りを歩き、水場へ行こうとした。するとグラウンドの入り口に見慣れた人影を見つけた。
「……夏油さん」
水場へ行く足は自然と夏油さんの方へと向かった。
「おはようございます、夏油さん」
「ああ、おはよう。出雲、早いんだな」
「あーそれは、まぁ、ちょっと走りたくなって。夏油さんは……もしかして今帰ってきたんすか?」
見れば夏油さんは制服姿で、どことなく疲れた様子だ。顔に傷も見えて、俺は思わず手を伸ばしてそこに触れていた。
「うわー、怪我してるじゃないっすか。他は大丈夫なんですか? どこか痛くない?」
「大丈夫、大体は治療してもらった」
なら良かったと胸を撫で下ろす。俺には反転術式は使えないから、治すことも何もできない。もし無理してここにいるのだったら嫌だった。
「出雲は優しいな」
「夏油さんだけにでーす」
「ふふ、そうか」
手を離しながらふざけた調子で本音を零す。
けれども頷いた夏油さんは幸せそうで。強欲な俺はその表情をずっと向けていてくれたなら、などと思ってしまう。
無意識に、ああ、と息が漏れた。
こんなにも愛しい。夏油さんが、好きでたまらない。
俺はこの世にこの人がいてくれたなら、それだけで良くて。幸せでいてくれたなら、俺もきっと幸せでいられる。
俺はきっと、この人のためだけに命を燃やし続けるだろう。
走った後の酸素が足りない思考だ、クリアになるどころかきっとから回っている。煮詰まりすぎた心は暴発している。
「そうですよ」
俺はから回ったまま、溢れるまま、言葉を吐き出していく。
「夏油さんじゃなかったら優しくなんてなれないし、何もしませんよ。俺は、夏油さんじゃないと駄目なんです」
何も言わずに夏油さんは俺を見ている。その表情は穏やかで、俺の全てを受け止めようとしているかのようだ。
言いたくて、それでも飲み込み続けていた言葉を音にする。あの夜のように卑怯な手はもう使わない。きちんと向き合って俺はこの人に想いを伝えたい。
「あなたが、好きです。……好きなんだ。迷惑なら、……嫌ってくれて全然いいんです。俺から離れてくれて良い。俺は、夏油さんがこの世にいてくれたらそれだけでいいから」
全て吐き出し終えた俺は、無意識に「すみません」と謝ってその場にうずくまるようにしゃがみ込んでいた。謝りたい部分は多すぎて、何への謝罪かはもう分からない。
夏油さんは同じようにしゃがんで、くしゃりと髪を撫でてくれる。
「出雲」
「……はい」
「嫌わないよ。私は君のことを嫌わない。……今、離れてくれていい、この世にいてくれたらそれだけでいい、と言ったね。私は君から離れたくない。それに強欲だから、この世にいるだけじゃ満足できない」
髪を撫でていた手はゆっくり頬に降りてくると、俺の顔を上げさせて優しく輪郭を撫でてくれる。しかし温かい指先は、それだけでは足りないのか唇にまでたどり着く。
俺を真っ直ぐ見つめている夏油さんは、真摯に俺に訴える。
「好きだよ、出雲。ずっと好きだったんだ。だからこそ私は出雲の傍にいたい。これから先、何があろうと」
呆然と見つめ返せば、夏油さんは小さく笑う。
「私が傍にいるのは、迷惑かな?」
「……っ——」
俺は勢いに任せて夏油さんに抱きついた。俺を支えきれずに後ろに倒れ込む夏油さんは、それでもしっかりと俺を腕の中に収めている。
「……良いんですね!? 俺、狡いし卑怯だし、良いとこなんて本当全然なくて……! あの日だって、本当は起きてて……夏油さんの気持ち聞いてて……!」
「はは、起きていたのか。うん、……良いよ。どんな出雲でも。私は全部受け止められるから」
しがみつくように抱きしめる。この手から離れてしまわないよう、零れ落ちていかぬよう、きつく力を込めて。夏油さんは「苦しい」と苦笑を零したが、決して俺を離さなかった。
「いてください、ずっと傍に」
「いるよ。だから、私から離れないで」
寝言の類に見せかけて、俺は夏油さんに自分の心をぶつけてしまった。
聞いてしまった。
俺が眠っていると思い込んだ夏油さんの、本当の想いをこの耳で。
胸の中を占める嬉しさと悲しさが半分ずつ。もっとちゃんと言えばよかった。眠ったふりなんて卑怯で小狡い手を使わずに。
正確には、途中までは眠っていた。けれども意識が覚醒して、あまりに近くに感じる夏油さんの存在に俺はついに理性を切らしてしまった。
あれからも夏油さんは普段通り俺に接してくれる。良い先輩の鑑だ。俺は俺で、胸中こそドギマギとしながらも夏油さんに後輩らしくじゃれて、そして一日は終わって。
想いを知っても煮え切らない。苦しいだけなら、何も知らないままが一番よかった。
俺は臆病過ぎて、好きな人の心を知ってしまってもあと一歩が踏み出せない。
自分の行いと弱さに悶々と悩み、結局どうするという答えも出せず。そして今日も今日とて朝は来る。
*
うまく眠れずいつもよりも早く起床した俺は、煮詰まりすぎてグルグルとする頭と、いやに昂る体を落ち着かせようとグラウンドに向かった。
グラウンドの空は、夜と朝焼けの境界が見えてこの世ではないような気分にさせる。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、ふうと大きく吐き出す。それだけでも気分が少し落ち着いたように感じた。
軽く準備運動をして、走り出す。答えは結局出なくとも、動けば頭の中がクリアになっていく。その感覚は悪くないものだった。
ひとまず二周半ほどを終えて残りを歩き、水場へ行こうとした。するとグラウンドの入り口に見慣れた人影を見つけた。
「……夏油さん」
水場へ行く足は自然と夏油さんの方へと向かった。
「おはようございます、夏油さん」
「ああ、おはよう。出雲、早いんだな」
「あーそれは、まぁ、ちょっと走りたくなって。夏油さんは……もしかして今帰ってきたんすか?」
見れば夏油さんは制服姿で、どことなく疲れた様子だ。顔に傷も見えて、俺は思わず手を伸ばしてそこに触れていた。
「うわー、怪我してるじゃないっすか。他は大丈夫なんですか? どこか痛くない?」
「大丈夫、大体は治療してもらった」
なら良かったと胸を撫で下ろす。俺には反転術式は使えないから、治すことも何もできない。もし無理してここにいるのだったら嫌だった。
「出雲は優しいな」
「夏油さんだけにでーす」
「ふふ、そうか」
手を離しながらふざけた調子で本音を零す。
けれども頷いた夏油さんは幸せそうで。強欲な俺はその表情をずっと向けていてくれたなら、などと思ってしまう。
無意識に、ああ、と息が漏れた。
こんなにも愛しい。夏油さんが、好きでたまらない。
俺はこの世にこの人がいてくれたなら、それだけで良くて。幸せでいてくれたなら、俺もきっと幸せでいられる。
俺はきっと、この人のためだけに命を燃やし続けるだろう。
走った後の酸素が足りない思考だ、クリアになるどころかきっとから回っている。煮詰まりすぎた心は暴発している。
「そうですよ」
俺はから回ったまま、溢れるまま、言葉を吐き出していく。
「夏油さんじゃなかったら優しくなんてなれないし、何もしませんよ。俺は、夏油さんじゃないと駄目なんです」
何も言わずに夏油さんは俺を見ている。その表情は穏やかで、俺の全てを受け止めようとしているかのようだ。
言いたくて、それでも飲み込み続けていた言葉を音にする。あの夜のように卑怯な手はもう使わない。きちんと向き合って俺はこの人に想いを伝えたい。
「あなたが、好きです。……好きなんだ。迷惑なら、……嫌ってくれて全然いいんです。俺から離れてくれて良い。俺は、夏油さんがこの世にいてくれたらそれだけでいいから」
全て吐き出し終えた俺は、無意識に「すみません」と謝ってその場にうずくまるようにしゃがみ込んでいた。謝りたい部分は多すぎて、何への謝罪かはもう分からない。
夏油さんは同じようにしゃがんで、くしゃりと髪を撫でてくれる。
「出雲」
「……はい」
「嫌わないよ。私は君のことを嫌わない。……今、離れてくれていい、この世にいてくれたらそれだけでいい、と言ったね。私は君から離れたくない。それに強欲だから、この世にいるだけじゃ満足できない」
髪を撫でていた手はゆっくり頬に降りてくると、俺の顔を上げさせて優しく輪郭を撫でてくれる。しかし温かい指先は、それだけでは足りないのか唇にまでたどり着く。
俺を真っ直ぐ見つめている夏油さんは、真摯に俺に訴える。
「好きだよ、出雲。ずっと好きだったんだ。だからこそ私は出雲の傍にいたい。これから先、何があろうと」
呆然と見つめ返せば、夏油さんは小さく笑う。
「私が傍にいるのは、迷惑かな?」
「……っ——」
俺は勢いに任せて夏油さんに抱きついた。俺を支えきれずに後ろに倒れ込む夏油さんは、それでもしっかりと俺を腕の中に収めている。
「……良いんですね!? 俺、狡いし卑怯だし、良いとこなんて本当全然なくて……! あの日だって、本当は起きてて……夏油さんの気持ち聞いてて……!」
「はは、起きていたのか。うん、……良いよ。どんな出雲でも。私は全部受け止められるから」
しがみつくように抱きしめる。この手から離れてしまわないよう、零れ落ちていかぬよう、きつく力を込めて。夏油さんは「苦しい」と苦笑を零したが、決して俺を離さなかった。
「いてください、ずっと傍に」
「いるよ。だから、私から離れないで」
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