憧れは僕の気持ちをまだ知らない


「千尋さん何かいいことありましたか?」
 F社、月刊ランデブー編集部。出社した千尋に声をかけてきたのは、同僚の花荻はなおぎだった。
「いいことあったって顔に書いてありますよ。もしかして、松葉先生、順調に進んでいますか?」
 と、花荻が口にした担当している作家の名前に、千尋はため息をついた。
「それなら、いいんだけど」
「おや、違った?」
「さっきからずっと連絡いれているんですが、返信が返ってこないし、電話も出てくれないんです」
「おやおや、それは」
「ええ、嫌な予感しかしませんね」
 松葉ゆうは担当している作家のなかで、いやこのランデブー編集部が抱えている作家のなかで一番の問題児だ。売れっ子であり、稼ぎ柱のひとつなのだが、その反面、どこまでいってもマイペースすぎて協調性が皆無であるところと、口に出して言えないような趣味を持った、ひねくれ者ゆえ、担当替えの話も浮上していたのだが、いまだ千尋以外に担当できる編集者がいない状態だ。千尋だってうまくあしらうことがたまにできず、松葉の問題行動に巻き込まれること多々。
 それが、音信不通になりかけているというのは、早めに手をうっておいたほうがいい。昨日は、守谷のことを電話してきたのに――。
「ちょっと、外、出てきます」
「はい、気をつけて」
 松葉の自宅兼作業部屋は、編集部から遠いわけじゃない。松葉以外の作業は順調で少し余裕がある。すこし様子見でもしてみるかという気分になった。
 そのとき、スマホが震えた。
「あ」
 千尋はその画面を見て、息を吐いた。

――悪い、また新崎だけでも泊めてやってくれないか 守谷――

「やっぱりなんかいいことあったみたいですね」
 花荻がにこにこ笑いながら、スマホをみつめる千尋を眺めていた。
「え、いや」
「そんなことないわけはないでしょ。千尋さん、幸せそうな顔してる」
「えっ?」
「どんないいことがあったんですか」
「どんなって言われても……」
 泊めてくれ、と言われて困っているだけなんだけど。
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