憧れは僕の気持ちをまだ知らない

 まずいなと千尋は思った。
 新崎迅人と初めて出会ったのは、去年の今頃だ。松葉ゆうが突然、守谷がボスをしている劇団の取材を申し入れ、それについていったときに出会った。最初から彼は彼だった。いきなり、額が床につくくらい深々とお辞儀をして、千尋が書いた前作の感想を伝えて来たのだった。
 その前から、千尋は、舞台上での彼のことは知っていたのだが、あれが初めて、人間・新崎迅人に出会った瞬間だった。シャープな容姿とは真反対の、まるで仔犬のようなあどけなく純真な性格に驚いた。
 その後、緑道で顔を何度もあわせ、一緒に散歩するような仲になった。互いに忙しくなると散歩どころではなく、会えない日が続くのだが、だいたいあの時間にあの場所にいけば会える、そんな関係。それがずっと続いていた。
 新崎の隣にいると、落ち着かないのに、なぜか落ち着くのだ。と、いうと、なんだか矛盾しているように思えるのだが、いざ彼が近くにいると、そわそわしてしまったり、よそよそしくしてしまうのに、いざ、隣に彼がいるときには、すごく安堵する。
 交わしたことばはそんなに多いわけじゃない。だから、お互いのことをあまり知らない。もしかしたら、守谷から聞いて新崎は千尋のことをたくさん知っているのかもしれないが、千尋は新崎のことをあまり知らないでいる。わかっているのは、量販店でバイトしながら、俳優養成所に通い、守谷の趣味に付き合っているということと、そろそろ出て行こうと考えているとは聞いているが、アサイ食堂の二階に守谷と一緒に住んでいるということだ。そして、千尋の書いた物語がすきで、その世界を志したと語っていたこと。千尋の散歩コースになっている緑道でよく会えること。
 それくらいしか知らない、得体のしれない人間――のはずなのに、なぜか、一緒にいると心地いい。さっきだって、最初はふたりのお泊りに内心ぎくしゃくとしたものを抱えていたのに、雨のなか新崎がわざわざノンカフェインのものを買いに走りに行ったあとから、ほんわかと、くつろいでいる自分がいる。だけど、と千尋は考える。これはあまりよくないんじゃないか。年齢を考えればすぐに答えはでる。立場を考えれば即答できる。そういう問題だ。
 それでも、とすこしだけ思うのだ。いつか自分以上に素晴らしい存在にであったとしても、新崎の最初の「憧れ」というものは自分なのだから、と。だからこそ、その日がきたら、すばやく手は轢かなくてはならないのだ――。
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