憧れは僕の気持ちをまだ知らない


「守谷さん、いままでありがとうございました」
 腰を折ってお辞儀した新崎が頭をもどした。アサイ食堂の二階、守谷の部屋で、荷物をまとめた新崎が守谷になんどもお辞儀を繰り返していた。
「本当に、いままでお世話になりました。これからもお世話になるとは思いますが、どうぞよろしくお願いいあします」
「おうよ。これからもよろしく」
「はい!」
「でも、新崎がいなくなると、さみしいな」
 そう、せっかく雨漏りがなおったというのに、新崎は守谷の家をでていくことを決めたのだ。
「ひとり暮らし大変だとおもうけれど、頑張れよ」
「はい、本当にいままで」
「それエンドレスで無限にその台詞いうんじゃないだろうな」
「何億回でも言い続けられるくらいお世話になりました」
「これで何回目だ……」
「わかりません、まだまだ言い足りないです、守谷さん」
「そのぶんはなぁ、行動で示せ。頑張って仕事つなんで世の中に『新崎迅人』って名前をとどろかせてやるんだ、いいな」
「はい。そうしたら千尋先生も……俺のこと、みてくれるでしょうか」
「千尋?」
 守谷はきょとんとしてから笑った。
「なにいってんだ。千尋ならとっくに新崎にメロメロじゃないか」
「え?」
「なんだかんだいって、新崎に千尋も救われてるみたいだし」
「まってください。俺、たぶん千尋先生に避けられています」
「はい?」
「だって、いままでよく顔をあわせていた散歩コースに先生いらっしゃらなくなってしまって」
「ああ、そうなの」
「俺、なにか大きな失敗を犯してしまって、先生に失礼を」
「いや、そんなことはないと思うが。それに避けられてるのだって気のせいだろ。ちーちゃんは忙しいから、散歩どころじゃないんじゃ……っておい、泣くなよ?」
「泣きません」
「泣きそうになってるだろうに」
 うるみはじめた新崎の目に、守谷はため息をついた。
「わかった、わかったって、俺がそれとなーく、ちーちゃん先生に、どういうことになってるのか、聞いてみるから」
「守谷さん……だめです。俺、そんなに守谷さんにお世話になってしまっては」
「お世話になる、それもう何回目だ。ほら、何万回もお前からお世話になりましたコールきいてるから耳タコいっちゃってんだよ」
「すみません」
「すみません製造機にもなるつもりか……いいから。大丈夫、気にするな。ということで、さっそく、ちーちゃんに電話してみましょうか」
「行動力、鬼ですね」
「外」
 守谷の発言に新崎は小首をかしげた。何が外なのだろう。
「鬼は外」
 守谷がにやりと笑った。新崎はこたえた。
「では福は内」
 でも何か違ったらしい。守谷は「違う違う」と否定してきた。
「思い立ったが吉日、福はいまここ現在の行動にあり。ってことで、新崎くん」
 守谷はスマホを指で操作した。


「というわけで、今回はもっと余裕のある進行でお願いします、先生」
 と念をおしておいても、松葉にはまったく効力がないことくらい、長年の経験で理解しているのだが、念はおしておくことにしている。打ち合わせのラスト、しっかりとわからせておかなくてはという気持ちと、何度いっても無駄なものは無駄であるという諦念のふたつが、千尋の口調から滲んでいた。
「オーケイ、まかせといて」
 と、松葉はいう。これもいつものこと。彼に全面的にまかせておいて、なんとかなかったことは皆無だ。
 喫茶フクロウ。ここは千尋と担当作家・松葉ゆうのお気に入りのお店であり、ときどきここで打ち合わせという名のバトルを繰り広げてきた決戦の場でもある。
 今日のお気に入りのコーヒーがカップのなかで冷めるまで議論をしたのだが、それをどうネームに反映させてくるのか、少し楽しみであるのと同時に、ちゃんと期日通りに原稿がしあがるのか不安といういつもの感情が押し寄せてきていた。
「ちーちゃんさぁ」
「なんですか?」
「なんかあった?」
「なんかってなんですか」
「なんか、さみしそうだなぁと思って」
「さみしい?」
「いやほら、人生っていろいろあるからさ、たまには息抜きとかしたほうがいいよ」
「それなら先生、息抜きさせてください。ちゃんと余裕をもって入稿できるように」
「はいはい、その話はおしまい。これからはちーちゃんの話をしたい」
「ぼくの?」
「そう、ちーちゃんの。絶対、なにかあったでしょう。絶対。それはもう、俺からみてもわかりやすいくらいちーちゃん、落ち込んでるもんな」
「ぼくが、落ち込んでいる。そんなことは」
「あるある。なんか雰囲気どっしり重たい感じなんだもん。なにか悩み事があるなら、この松葉センセに話してみてくださいな」
「……あなたに話せる悩みがあるのなら話しています。期日を守ってください」
「あーん、そういう話じゃなくてぇ」
 いやーと耳をふさぐ松葉に千尋はため息をついた。たぶん今月も締切ギリギリの戦いになりそうだ。だがすぐに松葉は何かひらめいたように、千尋に言いだした。
「もしかして、守谷と何かあった?」
「守谷が?」
「雨漏れでちーちゃんとこ泊ったんだってね。それで、ちーちゃんが落ち込むようなこと、あったりしたんじゃない」
「そんなことは」
 ある。あるけれど、守谷じゃなくて、新崎なのだ。
「そんなことはないですけれど、先生、こういう話ってどうでしょうか」
「え? 何?」
「好きになってはならないようなひとを好きになってしまったら、というか」
「え? ちーちゃんって恋愛もの書くひとだったけ?」
「い、いえ、なにかこう、新しい物語の……」
 と、誤魔化そうとしていると、松葉が食いついた。
「それ、おもしろそうだから、詳しく聞かせて。好きになってはならないってどういうこと? 禁断の関係?」
「え、いや、その、禁断の関係というか、年齢的に」
「ああ、未成年と大人が恋しちゃうってわけ?」
「まあ、あ、でも、もう成人はしていますが」
「へえー、じゃあ、問題ないじゃん」
 と、いわれて、千尋は慌てた。
「ありますよ。子と親くらい年齢が離れていたら」
「そうなの?」
「あ、いえ、言いすぎました。そんなことはないです」
「いや、どうなのさ。大丈夫、ちーちゃん、しっかりして」
「ただ、年の差を考えざるをえないくらいの相手に、惚れそうになってしまったら、ちょっとまずいですよね、大人として」
「なになに、そうなの? 俺だったら、年齢関係なく、男なら食うけど」
 そうだった。この男、なんでもペロリの化け物だった。
「いまのは忘れてください。そして、先ほどの先生の台詞を忘れさせてください」
「いや、忘れられないって、面白すぎるでしょ! その禁断の関係性ってやつ! 読み切り書く機会があれば、ぜひぜひぜひ、かきたいから、くわしいこと教えてって」
「読み切り? 先生のいまのスケジュール感覚でかけるとおもっているんですか?」
「だ~か~ら~。どうしてもその読み切りをかきたいなぁ~っておもったら、毎号の締切に余裕もって原稿できるのに~みたいな」
 お、これは、いける、かもしれない。千尋の目の前に小さな希望が灯った。先生がやる気になっている。
「それでは、えっと、こういうのはどうでしょう」
「おお、いいね、話す気になってくれたの嬉しい。どんどん話して」
 松葉がうながす。
「年齢が気になるっていってたけど、未成年じゃないのに、どうして?」
「それは、彼がまだ若くて未来がある青年で、自分の夢にむかって頑張っているから」
「対する恋する大人のほうはどうなのよ」
「その大人はもう、未来なんてわかりきっているというか、自分の行きつく先くらい見えているような感じで」
「へーえ」
「だから、彼とどうこうなりたいとか、仲良くなりたいとか、そんな感情を前に出して、彼の輝かしい未来を拘束してしまうのはどうかと思うし、そもそも、その青年はとても魅力的なので、まだ誰にもみつけられていない星みたいに、星を隠している雲がさっと晴れたら、きっと、みんなを照らす明かりになってしまうと思うので」
 松葉がにやにやと不気味な笑みを浮かべ始めた。
「なんなんですか、何かあるなら言ってください」
「いやいや、これは俺、漫画かきたくてしかたなくなってきちゃったな~と思って。ちーちゃん、もっと俺にネタをくれ。続けて」
「続けてって言われても」
「つまり、未来がわかりきってしまった枯れている大人が、うわ若き青年に恋をして、悶えているというわけだな」
「そう言われると!」
 ずきりと胸が痛む。たしかにそれはそうなのだが。
「それで、物語の続きはこうだ。その大人は青年にかぶれて、自分の物語をリスタートさせる」
「へ?」
「わかりきった未来、どうせ俺なんて、どうせ、どうせ、で塗り固めてきた日常。それを、変えようと。頑張っている青年に誇れるくらいのかっこいい大人になってやろうと」
「先生」
「かなわない恋かもしれないけれど、それをきっかけに、もう一度、心をいれなおして、自分の現実にむきあい始める大人。そんな大人をかっこいいと思いだす青年ってところでしょうよ」
 ああ、そうか、そうなのか。
 千尋は開いた口がふさがらなかった。
 そうだ、あきらめなくてもいい方法があった。
 かなわない恋だとしても、それをきっかけに、自分がかわれば、彼の大好きな「千尋先生」という虚像を壊さなくて済む。本当の自分をみられて、幻滅されるのがいやなら、幻滅されない本物の「千尋先生」に自分がなってしまえばいいのだ。
「ちーちゃん、どうしたの?」
 急に黙り込んでしまった千尋に、松葉が尋ねる。
「いや、なんでもないです。ただ、その……先生、ありがとうございます」
「え?なになに? こっちこそ、ネタの供給ありがとうなんだけどー。てゆーか、話の続き、しようよ」
「そうですね、それじゃあ」
 と、千尋はひと呼吸おいて、話しはじめた。
「その大人は頑張って、青年にかっこいい大人と言われることを目指し始めました。若い頃の闘志みたいなものを忘れてしまっていても、もう一度、あの頃みたいな情熱をとりもどそうと、かかんに挑戦をはじめます」
「おお、いいね、いいね」
「それを見た、青年が、幻滅しないだけの男になって」
「え?」
「ん?」
「いや、え、男。青年と男……ああ、いいや、なんでもない、気にしないから続き、続き」
「ええと、幻滅しないだけの男になって――あ、すみません」
 いいところで、スマホが震えた。千尋は慌ててポケットからそれをとりだす。
「いいって。ちーちゃん、お忙しいねぇ」
「だれかさんのせいで、忙しくなっているだけです。ああ、守谷からだ」
「え? 雨漏りさんから? 出たら?」
「いいんですか?」
「着信が切れちゃうまえに、出なよ」
「すみません。それでは」
 通話をオンにすると、守谷の声がきこえてきた。
「よーっす、千尋、いま何してる?」
「ちょうど、松葉――松宮さんと打ち合わせしていたところ」
「そうなの? え? 松宮いるの?」
「かわろうか?」
 と、尋ねた瞬間、松葉が横から、「ちわーっと」声をかけた。
「あはは、ほんとだ。松宮いるんじゃん。ちゃんとあいつ仕事してんのか?」
「してる……といいたいところだけど」
「なんだ、その言い方。あ、わるいけど、松宮、千尋しばらく借りていい? すぐにかえすから」
「いいって、もう打ち合わせ終わったし、俺、帰るところだから~」
「あ、ちょっ、先生!」
「いいって、俺、帰ってネームがんばりまーす、じゃ、ちーちゃんは守谷とお話してから帰りなね」
 伝票をひらりとつまんで松葉はレジへとひとりむかってしまった。千尋は、遠ざかっていく背中に礼を言って、電話に戻る。
「大丈夫? 松宮、終わったっていっていたけど」
「ああ、うん、話さなくてはならないことは全て伝えおわったあとだし、大丈夫」
 と千尋はいったが、本当に大丈夫かどうかは松葉のスケジュール管理がうまくいくか次第なのだが。
「へーえ、よかった。じゃ、ちょっとだけ俺、聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
 守谷の声が低くなった。
「新崎とさ、なにかあった?」
 どきりと、心臓が跳ねた。
「え? いや」
「なんかさ、新崎のやつが、千尋に避けられてるーって泣きわめいてるんだけど、千尋、あのお泊りのあと、なにかあったかなーとおもって」
「……それは」
 確かに避けていた。新崎というまぶしい存在を。だけど。何も言えずにいる千尋の耳に守谷の声が響いた。
「だよな、気のせいだよな~。いや、すまん、お前たちのことで首つっこんじまって」
「いや、その、そうなんだ」
「え?」
「たしかに、ぼく、避けてた、新崎くんのこと」
 動揺した守谷の声が聞こえてくる。
「ちょ、おいおいおい、まてまて、なんで? あれだけ、修学旅行みたいに盛り上がってたのに」
「だから、その……なんていうか。ほら、ぼくって、こんなんだろ?」
「こんなんって? は?」
「なんか急に、新崎くんが怖くなって」
「怖い? あの馬鹿が?」
「だから、その避けていた。だけど、その……それを、新崎くんが気にしていたのなら、謝らないと」
「……そうだな」
「あのさ、前に、守谷、新崎くんのこと、ぼくが好きって言ってただろ」
「あ、ああ、うん」
「それ、本当にそうなんだ。ぼく、新崎くんのことが好きなんだよ」
 スマホをとおして向こうがわにいる守谷がぎょっとして息をつめたのを千尋は感じた。しかし、千尋はひるまなかった。
「だから、その、怖くて逃げ出した。ぼくともし新崎くんが仲良くなって、ぼくのこと知られてしまったら、きっと幻滅するだろうと思って。いまは、千尋先生っていうイメージがぼくについていて、だから、新崎くんはぼくと仲良くしてくれるわけだろう」
「千尋、まて、それは違う」
「だから、逃げちゃったっていうか、大人げないことしてたなって思って、心、改めて、ぼく、ちょっと、がんばってみようかなって思ってる」
「千尋」
「それはそうと、新崎くん、気にしてるんだよね。謝りにいかなくちゃ」
 ――と、その時、スマホから、守谷じゃない声が聞こえた。
「行くのは俺の方です!」
「へっ!?」
 聞き覚えのある声に、千尋の心臓がどきりと大きくはねた。なぜ、いまこのタイミングで彼の声がするのだろう。聞き間違えだろうと思いたい心は、次に聞こえてきた新崎の声に、砕かれてしまった。
「すみません、千尋さん、いま、守谷さんところで、その、俺、も、その!」
「に、新崎くん!?」
「さきほどまでの話、俺も聞かせていただいていました。だから、その! 謝りに行くのは俺のほうです」
「え、いや、え、ええーっ」
 カッと体温があがって、どきどきと心拍があがる。聞かれていた。いまの――全部?
「いま、千尋さんどこにいますか? すぐに向かいます」
「え。えと、打ち合わせにつかっている喫茶店にいて。って来なくてもいいし、大丈夫だよ、その、ごめんね、びっくりさせちゃったよね、新崎くん」
「はい、驚きました」
「だよね、つらい思いさせてごめんね。こんなだめな大人だけど、その」
「千尋さんはだめな大人じゃありません!」
 新崎はそう言い切ると、千尋に問うた。
「打ち合わせっていうと、出版社の近くですか?」
「いいって、ほんと、来なくて」
 いま、来られてしまったら、本当に蒸発して消えてしまいたくなる。こんなだめな姿をみられたくない。
「じゃあ、緑道の、あのあたり、行きます、いつも、先生――じゃなくて千尋さんと顔あわせていた場所に」
「ちょ、新崎くん!?」
「なんか、こう、直接、千尋さんに会って、話しないと気がすまないって感じで。お願いです。俺も会いにいくので、千尋さんも俺に会いにきてください」
 きっと、まぶしい彼は本気で真剣なまなざしをしているのだろう。それが声をとおしてつたわってくる。その視線から、千尋は逃れることができなかった。
「……わかった、から」
「本当ですか? 絶対ですよ」
 通話を切って、千尋は、しばらくそのまま椅子に座り込んでいた。
13/15ページ
スキ