第1話 遭【そうぐう】
今回、海外旅行先に選んだのはエジプトだった。理由は単純。エジプトの料理に興味があったから。
エジプトは九割がイスラム教徒で、豚肉を使わない料理が主流なんだって。肉料理にはラムや鳩を使うことが多いらしい。炭水化物たっぷりのコシャリや、ソラ豆やヒヨコ豆を潰して作るターメイヤ、鳩肉を丸ごと一匹使ったハマム・マシュイ……挙げていけばキリがない。
前世ほど大食いではないけれど、食べることは大好きだ。
せっかくだしアラビア語も話せるようになりたいと思って、いろいろな人の話を聞きながら、何とかのたれ死にせずに旅を続けている。
そして、話していることがニュアンスでなんとなく分かるようになってきた頃のこと。
地図とにらめっこしながら、夕暮れ時の道を歩いていたときだった。どうやら道を一本間違えたらしく、来た道を引き返している最中、懐かしい声を聞いた。
腹の奥から響いてくるような、聞き続けているとぞわぞわしてくるような、それでいてどこか安心できるような、そんな声。
思わず耳を疑った。
だって、こんなところであいつの声を聞くなんてありえない。
それでももしかしたら、と。思わず入ってしまったのだ。
治安が悪いと噂の、人気のない裏路地に。
「ネウロ!? あんたこんなところで何して…っ!?」
そこにいたのは、百九十センチ以上はありそうなやけに体格のいいブロンドの男性と、首から血を流して事切れた女性・・・・・・・・・・・・・・だった。
殺人事件だ、救急車、いや、間に合わない、だれか、助けを呼ばないと…。
頭の中で煩雑な言葉がごちゃまぜになって、何ひとつ出てこない。でも、ひとつだけ確かなことがある。
「な、に…。あなた、…なに? ニンゲンじゃ、ない…」
ちがう。これは、ちがう。
ネウロを、サイを、シックスを、人外じみた奴らを見てきたからわかる。
圧倒されるほど美しいのに勝手に体が震えてくるほどに怪しげな笑みをたたえた男は、明らかに人間じゃない!
「ほう? 一目で見抜いたのは君が初めてだ。是非とも名前を聞かせてほしい」
ゆっくりと、いっそ安心させるような声色で、男は言った。
カツンカツンとヒールの高い靴音が、夜の路地裏に響く。
声がそっくりなのに、中身は何ひとつ似ていない。
やさしげな態度とは裏腹に獲物を捕らえた蛇のような鋭い眼光。その奥に光る野心と支配欲。
危険なことは、明白だった。
「や、やだ…こないで!」
逃げようとして、足がもつれる。つまずいて手をついた先に、ちくりとした痛みが走った。
「いたっ。…なに?」
月光に照らされたそれは、錆びた鉄の塊。
形状はどことなく古い鏃やじりを思わせた。
「ああ、そんなところにあったのか。すまない、落としてしまってね。怪我をさせたようだ。手当てをしよう」
「…っい、いえ! 結構です!」
伸ばされた手を、思わず払いのける。そのとき、自分の手が二重にぶれたように感じた。
一瞬遅れて、温かい液体が顔にかかる。錆びついた臭い。
「ほう? 発現したか。しかもこのDIOに傷を負わせるとは」
ーーいま、何が起こったの?
私は刃物なんて持っていなかった。なのに、手を振り払っただけで、どうして傷が…。
「恐れることはない。君には才能があるようだ。どうだ、私と友達にならないか? その力について教えてあげよう…」
逃げようとした。
荷物を投げ捨てて、震える足を叱咤して、走って、それなのに。
気がついたら、男が目の前にいる。
方向転換しようとしたら、そこにもまた。
けれど男は、何もしてこない。
私の逃げ道を塞いで、じっと観察している。
「ふむ。まだ自らを守ることは不可能か。いいだろう。しばらくは私の元に身を置くがいい」
再び逃げようとした私の行く先を遮るように、男の髪の毛が伸びて、私にからみついてくる。
喉が絞められた。苦しい。縛りつけられた腕と足が痛い。
もがいても脱出できない糸の檻に閉じ込められて、視界が暗くなっていく。
薄れゆく意識の中、私は、
(ネウロも似たようなことできたな…)
と現実逃避をしたのだった。
エジプトは九割がイスラム教徒で、豚肉を使わない料理が主流なんだって。肉料理にはラムや鳩を使うことが多いらしい。炭水化物たっぷりのコシャリや、ソラ豆やヒヨコ豆を潰して作るターメイヤ、鳩肉を丸ごと一匹使ったハマム・マシュイ……挙げていけばキリがない。
前世ほど大食いではないけれど、食べることは大好きだ。
せっかくだしアラビア語も話せるようになりたいと思って、いろいろな人の話を聞きながら、何とかのたれ死にせずに旅を続けている。
そして、話していることがニュアンスでなんとなく分かるようになってきた頃のこと。
地図とにらめっこしながら、夕暮れ時の道を歩いていたときだった。どうやら道を一本間違えたらしく、来た道を引き返している最中、懐かしい声を聞いた。
腹の奥から響いてくるような、聞き続けているとぞわぞわしてくるような、それでいてどこか安心できるような、そんな声。
思わず耳を疑った。
だって、こんなところであいつの声を聞くなんてありえない。
それでももしかしたら、と。思わず入ってしまったのだ。
治安が悪いと噂の、人気のない裏路地に。
「ネウロ!? あんたこんなところで何して…っ!?」
そこにいたのは、百九十センチ以上はありそうなやけに体格のいいブロンドの男性と、首から血を流して事切れた女性・・・・・・・・・・・・・・だった。
殺人事件だ、救急車、いや、間に合わない、だれか、助けを呼ばないと…。
頭の中で煩雑な言葉がごちゃまぜになって、何ひとつ出てこない。でも、ひとつだけ確かなことがある。
「な、に…。あなた、…なに? ニンゲンじゃ、ない…」
ちがう。これは、ちがう。
ネウロを、サイを、シックスを、人外じみた奴らを見てきたからわかる。
圧倒されるほど美しいのに勝手に体が震えてくるほどに怪しげな笑みをたたえた男は、明らかに人間じゃない!
「ほう? 一目で見抜いたのは君が初めてだ。是非とも名前を聞かせてほしい」
ゆっくりと、いっそ安心させるような声色で、男は言った。
カツンカツンとヒールの高い靴音が、夜の路地裏に響く。
声がそっくりなのに、中身は何ひとつ似ていない。
やさしげな態度とは裏腹に獲物を捕らえた蛇のような鋭い眼光。その奥に光る野心と支配欲。
危険なことは、明白だった。
「や、やだ…こないで!」
逃げようとして、足がもつれる。つまずいて手をついた先に、ちくりとした痛みが走った。
「いたっ。…なに?」
月光に照らされたそれは、錆びた鉄の塊。
形状はどことなく古い鏃やじりを思わせた。
「ああ、そんなところにあったのか。すまない、落としてしまってね。怪我をさせたようだ。手当てをしよう」
「…っい、いえ! 結構です!」
伸ばされた手を、思わず払いのける。そのとき、自分の手が二重にぶれたように感じた。
一瞬遅れて、温かい液体が顔にかかる。錆びついた臭い。
「ほう? 発現したか。しかもこのDIOに傷を負わせるとは」
ーーいま、何が起こったの?
私は刃物なんて持っていなかった。なのに、手を振り払っただけで、どうして傷が…。
「恐れることはない。君には才能があるようだ。どうだ、私と友達にならないか? その力について教えてあげよう…」
逃げようとした。
荷物を投げ捨てて、震える足を叱咤して、走って、それなのに。
気がついたら、男が目の前にいる。
方向転換しようとしたら、そこにもまた。
けれど男は、何もしてこない。
私の逃げ道を塞いで、じっと観察している。
「ふむ。まだ自らを守ることは不可能か。いいだろう。しばらくは私の元に身を置くがいい」
再び逃げようとした私の行く先を遮るように、男の髪の毛が伸びて、私にからみついてくる。
喉が絞められた。苦しい。縛りつけられた腕と足が痛い。
もがいても脱出できない糸の檻に閉じ込められて、視界が暗くなっていく。
薄れゆく意識の中、私は、
(ネウロも似たようなことできたな…)
と現実逃避をしたのだった。
