クラウスの熱っぽい眼差しを見た時、綾は覚悟した。

恋人なら抱擁もキスも拒めない。

今、偽者と気づかれるわけにはいかないのだ。

綾は自分に言い聞かせた。

この城は舞台。

私はプルーデンスを演じている。

観客は私に注目している。

クラウス。

ソーントン。

……次元も。



「君の目はどんな宝石より綺麗だ」



クラウスの顔が近づいた。

胸がチクリと痛んだ。

どうか次元が見ていませんようにと願いながら、綾は目を閉じた。



「クラウス様。ソーントン様がお呼びです」



唇が触れ合う寸前、木立の向こうから声がかかった。

クラウスは名残惜しそうに去っていった。



「…………」



綾はクラウスの背中を見送り、姿が見えなくなるとようやく、つめていた息を吐き出した。

体の緊張が一気にとけていく。



「次元、なの……？」



綾は声のした方へと振り向いた。

転々と咲くナデシコを軽いステップで避けながら近づいていくと、ふいに腕を掴まれて引き寄せられた。

よろめきながらも何とか体勢を立て直した綾は、自分の腕を掴んでいる次元を見上げた。

次元は鋭い目で綾を見つめている。



（あの目は、前に見たことがある）



瞳の奥に潜む嵐。

怒り、だ。



『次元はいい人だわ』



その一言が彼を怒らせた。



『いい人？　笑わせるな。善人のフリなんざ簡単だ。そんなんじゃ、あんたはいずれ、どっかの“ いい人 ”とやらに撃ち殺される』

『忘れるな。何でもすぐ信用するな。俺は……』



思い出してみれば、あの時の彼はどこか思いつめたような顔をしていた。

そしてよく考えてみれば、それは昨日窓から飛び降りた綾を抱きとめた時と同じ表情で。



（もしかして、あの時から私に好意を持ってくれていたの……？）