第10話

開店前の『キャット・クラブ』は静かだった。
テーブル席に座った次元と綾を、店の奥からホステスたちが覗き見している。
店のママ、ナオミは、縦にも横にも大きな体を器用に席におさめ、ホステスたちに言った。
「ちょっとあんた達。リョーちゃんの相手をしててちょうだい!」
そして綾を立たせ、奥のテーブルへと追いやった。
ホステスたちから甲高いとは言えない黄色い声があがり、綾をとりまいて質問攻めにかかる。
ナオミはそれを見て肩をすくめ、軽くため息をついてから視線を次元に戻した。
「なんだか、訳ありのようね」
グラスに氷を入れ、琥珀色の液体を注ぐ。
それを次元の前に置いた。
「あいつを……綾をしばらくここに置いてほしい」
「ここはこういうお店だから、彼女にとっていい環境とは言えないと思うけど」
「分かってるさ。それでも、あんたを見込んで、無理は承知で頼んでる」
ナオミは一瞬考え込み、それからゆっくり訊ねた。


「それ……さっきニュースでやってた、町なかでのドンパチと関係ある?」
「あぁ」
次元は素直に頷き、彼女が政府に狙われていることを話した。
ナオミは黙って聞いていた。
「彼女がなぜ狙われているかは、話してくれないのね」
「聞かないほうがいい」
「ふぅん。かなりヤバそうね」
ナオミはしばらく考え込んだ。
次元は懐から煙草を取り出して咥える。
ナオミが瞬きをする度に、不必要に豊かな長いまつ毛がバサバサと揺れるのを何とはなしに眺めた。
「わかった。彼女は預かるわ」
やがてナオミは意を決したように言い、次元の方に体を乗り出した。
何かイタズラを思いついたような嬉々とした顔で、まるっこい手で次元の手を握る。
「私、ヤバいの大好き」
次元はギョッとして慌てて手を振りほどこうとするが、相手も男。
力強く握ってなかなか離さない。
「あんた握力強ぇな! ……わかった! わかったから、この手を離せ!」
ぜー、ぜー。
次元はげんなりしながら、ようやく離してもらった手をポケットにやり、ライターを探した。
あちこちのポケットを触った後、ライターはバイクの持ち主にくれてやったのを思い出す。
ナオミが気をきかせて自分のライターで火をつけた。
次元はため息とともに煙を吐き出し、ゆっくりと店の奥へ目をやった。
綾はホステスたちと楽しそうにおしゃべりをして笑っている。
あの笑顔を守りたい。
『約束よ、次元』
美湖の言葉がよみがえる。
言われなくても、と心の中で言い返し、次元は立ち上がった。
いつまでもここでグズグズしているわけにはいかなかった。
一緒にいればそれだけ、カルロスに見つかる可能性が高くなる。
「彼女に黙って行くの……?」
ナオミも立ち上がった。
背丈は次元とあまり変わらない。
「……泣き顔は見たくねぇんだ」
ナオミはため息をついた。
「早く迎えにきてやんなさいよ」
次元はそれには答えず、テーブルに置かれていた店のマッチをポケットに入れた。
「それなりの礼はする」
それだけを言って、静かに店を出た。
後ろ髪を引かれる思いだった。
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