その手を握るのは
眠れない夜。
何度目かの寝返りの後、あきらめてベッドから降りた。
立て付けの悪い小さな窓をガタガタ開け、冷たい夜気を吸い込んだ。
小さなノックの音。
「眠れないんでしょう」
ドアに手をかけて、ミコが言った。
「来て。暖かいものでも飲みましょ」
ダイニングテーブルに腰かけると、ミコはキッチンに立った。
「ヒトの家なんて、落ち着かないでしょ。ごめんなさいね。綾ったら、誕生日には貴方を招待するって、きかなくて……」
俺は黙っていた。
確かに、暖かい家庭の中は妙に落ち着かない。
「おまけに、今夜はやけに静かだもの。普段なら気にしない小さな物音にも、意識が目覚めてしまうんでしょうね。神経がささくれ立って……貴方の職業病よ」
ささくれ立ってるとは。
だがまぁ、そうなんだろうと思った俺は、黙っていた。
「はい、どうぞ」
ミコが俺の前に湯気の立つマグカップを置き、自分もカップを手に向かい側に座った。
カップの中身はホットミルク。
「酒は……」
「ある訳ないでしょ」
「こりゃあ、子供の飲みもんじゃねぇか」
「まぁ良いじゃない。私はいつも飲んでるのよ」
ミコは柔らかく微笑んだ。
テーブルに頬杖をついて両手で顎を支え、俺を見る。
居心地の悪い事、この上無い。
俺は黙ったまま、マグカップに手を伸ばした。
ミコの顔から笑みが消え、真顔になった。
「手、傷だらけね……」
ハッとして、俺はテーブルから手を下ろそうとした。
傷痕も多いし荒れ放題。
明るい蛍光灯の下で見られた手じゃないのはよく分かっている。
「隠さなくても良いじゃない」
ミコは自分の手を伸ばして、俺の手を掴んだ。
「見せて」
「見せもんじゃねぇ」
「良いから良いから」
ミコは俺の手を自分の方へ引き寄せ、そこへ視線を落とした。
「この手を見ると、貴方がどんなに過酷な人生を送ってきたか分かるわ」
呟くようにそう言って、自分の手を重ね、優しい仕草でそっと手の甲を撫でた。
「ねぇ」
ミコが手を放した。
「いつか、貴方の隣でその手を握るのは、いったいどんな人なのかしらね」
「は……?」
突然の言葉に驚いて顔を上げると、ミコは目を細めて笑った。
小春日和の、日だまりの様な笑みだった。
「次元! じーげーん!」
「あ……?」
名前を連呼され、我に返ったアジトへの帰り道。
綾が前に回り込み、斜め下からいきなり顔を覗かせる。
「うわっ。脅かすなよ」
「隙あり過ぎ。私が殺し屋なら確実に死んでるよ?」
親指と人差し指で銃の形を作って、得意気にフフンと鼻を鳴らす綾。
殺気なら近付いた時点で気づくというのに。
「行こ。ルパンが呼んでる」
綾は俺の手を握って微笑んだ。
誰もが心を開いてしまうような、無垢であどけない笑顔。
今……
俺の手を握ってるのが自分の娘だと知ったら、ミコはどんな顔をするんだろう。
「ほら次元!」
「わーってるって」
彼女の手を少しだけ強く握り返して。
俺は再び、ゆっくりと歩き始めた。
おわり
何度目かの寝返りの後、あきらめてベッドから降りた。
立て付けの悪い小さな窓をガタガタ開け、冷たい夜気を吸い込んだ。
小さなノックの音。
「眠れないんでしょう」
ドアに手をかけて、ミコが言った。
「来て。暖かいものでも飲みましょ」
ダイニングテーブルに腰かけると、ミコはキッチンに立った。
「ヒトの家なんて、落ち着かないでしょ。ごめんなさいね。綾ったら、誕生日には貴方を招待するって、きかなくて……」
俺は黙っていた。
確かに、暖かい家庭の中は妙に落ち着かない。
「おまけに、今夜はやけに静かだもの。普段なら気にしない小さな物音にも、意識が目覚めてしまうんでしょうね。神経がささくれ立って……貴方の職業病よ」
ささくれ立ってるとは。
だがまぁ、そうなんだろうと思った俺は、黙っていた。
「はい、どうぞ」
ミコが俺の前に湯気の立つマグカップを置き、自分もカップを手に向かい側に座った。
カップの中身はホットミルク。
「酒は……」
「ある訳ないでしょ」
「こりゃあ、子供の飲みもんじゃねぇか」
「まぁ良いじゃない。私はいつも飲んでるのよ」
ミコは柔らかく微笑んだ。
テーブルに頬杖をついて両手で顎を支え、俺を見る。
居心地の悪い事、この上無い。
俺は黙ったまま、マグカップに手を伸ばした。
ミコの顔から笑みが消え、真顔になった。
「手、傷だらけね……」
ハッとして、俺はテーブルから手を下ろそうとした。
傷痕も多いし荒れ放題。
明るい蛍光灯の下で見られた手じゃないのはよく分かっている。
「隠さなくても良いじゃない」
ミコは自分の手を伸ばして、俺の手を掴んだ。
「見せて」
「見せもんじゃねぇ」
「良いから良いから」
ミコは俺の手を自分の方へ引き寄せ、そこへ視線を落とした。
「この手を見ると、貴方がどんなに過酷な人生を送ってきたか分かるわ」
呟くようにそう言って、自分の手を重ね、優しい仕草でそっと手の甲を撫でた。
「ねぇ」
ミコが手を放した。
「いつか、貴方の隣でその手を握るのは、いったいどんな人なのかしらね」
「は……?」
突然の言葉に驚いて顔を上げると、ミコは目を細めて笑った。
小春日和の、日だまりの様な笑みだった。
「次元! じーげーん!」
「あ……?」
名前を連呼され、我に返ったアジトへの帰り道。
綾が前に回り込み、斜め下からいきなり顔を覗かせる。
「うわっ。脅かすなよ」
「隙あり過ぎ。私が殺し屋なら確実に死んでるよ?」
親指と人差し指で銃の形を作って、得意気にフフンと鼻を鳴らす綾。
殺気なら近付いた時点で気づくというのに。
「行こ。ルパンが呼んでる」
綾は俺の手を握って微笑んだ。
誰もが心を開いてしまうような、無垢であどけない笑顔。
今……
俺の手を握ってるのが自分の娘だと知ったら、ミコはどんな顔をするんだろう。
「ほら次元!」
「わーってるって」
彼女の手を少しだけ強く握り返して。
俺は再び、ゆっくりと歩き始めた。
おわり