ロンドンの霧(仮)

翌日。

外出の支度を終えて帽子を顔にかかるほど斜めに被ったホームズは、明らかに不機嫌そうだった。

「行きたくねぇって顔に書いてあるな」

ワトソンは彼女の帽子の位置を直し、玄関のドアを開ける。

ホームズは再度帽子を目深に被り直して、ワトソンの後についていった。

お互い無言のまま馬車に揺られること三十分。

出かける前から行き先の見当がついていたホームズは、スコットランドヤードの前まで来るとしかめ面で最大級のため息をついた。

「そんな顔をするんじゃない」ワトソンは両手で彼女の顔を挟み、揉みくちゃにした。

「犯人がヴァンパイアじゃないことをソフィに説明するんだろうが」

「……はい……」

「とっとと行って、さっさと帰ろうぜ」

「……はい……」

ホームズの返事に頷いて、ワトソンはヤードの入口をくぐった。

「ホームズさん、ワトソンさん」

狭い階段をのぼり廊下を進む途中で、グレグスンが声をかけてきた。

「やぁ、グレグスン。どうだ、事件の方は」

「進展なしです。いっその事、ヴァンパイアを一人残らず捕まえたら良いと私は思うんですけどね」

「そりゃ無理だろ」

「えぇ、まぁ……でもそのくらいしなけりゃ、ヴァンパイアの被害者は増える一方ですよ」

グレグスンは苛立ちを隠さない。

ホームズはワトソンの背後から顔を覗かせて言った。

「違うんです、グレグスンさん」

「違うって、何がです?」

グレグスンが身を屈めてホームズの顔を覗き込んだ。ホームズは慌ててワトソンの背後に引っ込む。

「あぁ、俺たちはその事で来たんだよ」ワトソンが代わりに言った。

「レストレードはいるかい? 話がある」

「警部は午後一番で出かけました。すぐ戻るかどうか分かりませんから、話は私が伺いますよ」

グレグスンが二人を応接に通そうとした時だった。

「グレグスンさん!」

制服姿の若い警官が駆け足で廊下をやって来た。顔色が悪い。

「緊急です。ハンプトン通りで第二のポーリーが発見されました。現場でレストレード警部がお待ちです」

「変死か」

グレグスンが表情を引き締める。その横で、ホームズの顔から血の気が引いていく。

「血が……抜かれているんでしょうか……」

「おそらく。現場の巡査が確認したそうで、状況も酷似していると」

「すぐ現場に向かう」グレグスンは踵を返した。

「ホームズさんはどうしますか」

「あ、私は帰」

「……りません、ご一緒します」

片手でホームズの口を塞ぎ、ワトソンがにっこり笑って言った。

グレグスンが頷き、階段を降りていくのに続いて、ワトソンはホームズの口を塞いだまま小脇に抱えて降りていった。
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