ロンドンの霧(仮)

テムズの水面を渡る風が冷たい。

朝靄の中、ロンドン港のクレーンがゆっくりと動いているのが見えた。

石造りの岸壁、赤煉瓦の倉庫、煤けた煙突──まぎれもない、あの霧の都だ。

「……帰ってきた」

ホームズがぼそりと呟く。

足元には煤混じりの波が音を立て、岸には馬車と人々がせわしなく行き交っている。

「よう、お帰り」

タラップから降り立ったレストレードをワトソンが出迎えた。

彼女をまじまじと見つめ、イタズラっぽく笑う。

「あれー? ホームズ、ちょっと見ないうちに随分デカくなった?」

レストレードは呆れ顔で眉をひそめた。

「……それ、私に言ってるの?」

「なんだ、ソフィか。長いこと会わないうちにホームズが成長したかと思ったよ」

「……貴方の冗談を聞くと、帰ってきたって感じがするわ」

レストレードは苦笑して肩をすくめ、背後のホームズをワトソンの前に押しやった。

ワトソンは何も言わずにホームズの帽子を取り、彼女の頭をクシャクシャと撫で回した。

ホームズは「やめてください」と両手で抗議しながらも、頬を緩ませる。

「ソフィ、世話になった」

ワトソンは言い、ポケットから小さな包みを取り出して彼女に手渡した。

「なによ、これ」

「ちょっとした礼だ」

包みの中には小さな櫛が入っていた。

「……これだから貴方は……」

レストレードはため息をつく。

もちろん、ワトソンだって男性が女性に櫛を贈る意味を知らないわけではない。

「前に櫛が欠けたとか言ってたろ?」

相手の必要な物を差し出す、そういう男なのだ。

「……こういうの、さらっと渡されると困るのよね」

レストレードはわざとぶっきらぼうに言いながらも、顔が少し火照っているのを感じた。

(やっぱり、お土産くらい買ってくれば良かったかしら)

そんなことを考えていると──

「ところでホームズ」

ワトソンが歩きながらホームズに声をかける。

「道中でソフィの弱点とか掴まなかったか? なんか一生揶揄えそうなやつ」

「一生揶揄えるかどうかは分かりませんが、寝言で……」

「ちょっと、ホームズ⁉︎」

レストレードは慌てて声を上げた。

「ホームズ、続きは帰ってからにしよう」

ワトソンがニヤニヤしながら言った。

「はい」

「ホームズ! 余計なことを言ったらただじゃおかないわよ⁉︎」

レストレードが釘を刺した。

「はいっ」

ホームズは二人の顔を交互に見上げ、ちょっと困ったような笑みをうかべた。
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