ロンドンの霧(仮)

馬車を拾ってホールの名前を出すと、事件を知っているらしい御者は一瞬嫌な顔をしたが、すぐに走りだした。

ホームズの言った通り、しばらくすると細かい雨が降り始めた。

彼女は、さして大きくもない帽子を不自然なほど目深にかぶり、馬車の小さな窓から外を眺めている。

────眺めてはいるが、その目は何も捉えてはいない。

ワトソンは彼女を見つめ、彼女の心中を思った。

彼女は気付いているのだろう。

この依頼が兄からのものである事に。

チラリと見ただけで分かったに違いない。

ありふれたフールスカップ紙に書かれた文字が、兄のものである事を。

出掛けるのを嫌がるのはいつもの事だが、今回は兄マイクロフトのせいなのだろうか……

小さな馬のいななきとともに馬車が止まり、ワトソンは考えるのをやめた。

馬車を降り、続いて降りてくるホームズに手を貸そうと振り返ったワトソンは、眉を寄せる。

ホームズは窓の外を眺めているままだった。身動きひとつしない。

ワトソンは馬車の中に戻り、彼女の頬をギューッと引っ張った。

「とっとと降りろ。御者が困ってるだろうが」

「ごめんなひゃい……」

ホームズは赤くなった頬をさすりながら馬車を降り、御者に膝を軽く曲げておじぎをすると、ワトソンに続いてホールの入口へ向かった。
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