ロンドンの霧(仮)

ホームズを探していた吾来は、池の周りに人だかりができているのを見つけて駆け寄った。

「おい、どうした。何があった?」

人混みをかき分けて池を覗き込んだ吾来は目を見張った。

「ミス・ホームズ⁉︎」

吾来は周囲を見回して、怒りをあらわにして叫んだ。

「レディが困っているのに、助ける者は誰もいないのか!」

吾来の一喝を受け、辺りにいた野次馬はそそくさと散っていった。

吾来はズボンが濡れるのもかまわず池に入ると、そっとホームズの腕をとって立ち上がらせた。

「大丈夫か? 道が狭いから気をつけないと……」

全身ずぶ濡れのホームズは頷くより先に小さなくしゃみをした。

吾来は自分の上着を彼女の肩にかけ、近くに知り合いの店があるからと彼女を連れて行った。

「おーい、誰かいるか?」

入口で吾来が声を張った。

「お秀さんはいるか?」

「はいはい」

奥から、和服に割烹着姿の年配の女性が顔を出した。

女髪結のお秀だ。

「あら、警部さんじゃありませんか。どうしたんです、何か事件でも?」

お秀は吾来の背後にある小さな気配に気づくと、驚いたように手を口もとへやった。

「あら、あらあら」

お秀は目を細めて笑う。

「警部さんも隅に置けませんわねぇ」

「ち、違う、勘違いするな」

吾来は慌ててホームズをお秀の方へ押しやった。

「このお嬢さんが風邪でもひいたらいかんと思って、連れてきたんだ」

髪からもドレスからもポタポタと雫をたらしているホームズを見ると、お秀は吾来を揶揄うのをやめてホームズのドレスを絞りにかかった。

あらかた水気が取れたところでホームズは風呂に入れられ、ドレスは軒先につるされた。

お秀はホームズにグレーの着物と紫紺の袴を用意し、手早く着付けていく。

「貴女、探偵さんなんですってね。右京さんと同じ」

「お秀さんも、右京さんをご存知なんですか?」

「えぇ、知ってますよ。飄々としていて、何を考えてらっしゃるのか」

お秀はホームズに顔を寄せて声を顰める。

「どこで何をされているのか、さっぱり謎でね。外務省嘱託だそうだけど、国際スパイって噂もあるくらい」

「スパイ⁉︎」

「あくまでも噂ですけどね」

お秀は袴の紐を結びながら笑った。

「でも優しい方ですよ、私が巻き込まれた事件も解決してくださったし。幽霊買い渡し事件も吸血鬼事件も、みんなあの方が解決したんです。探偵としての腕は確かですよ」

ホームズは小さく息を吐いた。

マイクロフトは常々、見た目で判断すべきではないと言っていた。

『男か女か、魔か人か……そんな事が問題か? 観察に主観を入れると、行動を誤る』

まさにその通りだった。

怖いと感じただけで逃げ出した自分が恥ずかしくなる。

「さぁ、出来ましたよ!」

お秀が満足そうに手を叩いて、吾来を呼んだ。

「素敵、とても良く似合うわ。ねぇ警部?」

「え? あぁ……俺にはよく分からんが……」

吾来は照れくさそうに頭をかいた。

「よく言いますよ、そんなデレーっとした顔しちゃって」

お秀はクスクスと笑った。

「警部、お秀さん。ありがとうごさいました」

ホームズは日本式に深々と頭を下げて言った。

それから、ポシェットを握りしめる。

「戻ります。右京さんに話を聞かなければいけません」
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