ロンドンの霧(仮)

警視庁の応接室には、どこか緊張感が漂っていた。

レストレードと吾来警部は向かい合い、分厚い紙束を前に淡々と書類のやりとりをしている。

その横で、ホームズは革張りのソファに腰かけていた。

足をぶらぶらと揺らしながら、あたりをきょろきょろと見回す。

壁の額、書棚の並び、電灯の傘。どれも見慣れないものばかりだ。

小さくため息をついて、ポシェットの中に手を差し入れる。

取り出したのは、銀のテーブルスプーンだ。

「チョークが使えない時は、これを使え」

ロンドンを発つ朝、ワトソンが真顔で言った。

ペロペロキャンディーよりはマシだが、正直、なぜテーブルスプーンだったのかよく分からない。

ホームズはそれをくるくると回して眺めた。電灯の光を受けた銀がやわらかく光る。

(……ロンドンは今頃、雨かな)

そんなことを思っていた時だった。

視線を感じてふと入口に目を向けると、じっとこちらを見つめている男と目が合った。

無表情な顔で、狐のように釣り上がった目をこちらに向けている。

背筋に寒気が走った。

ガタガタッ!

ホームズは転げるようにソファから飛び降り、レストレードの背中に飛びついた。

「ホームズ⁉︎」

驚いたレストレードの声が裏返る。

ホームズが震える手で指差した入口から、スラリと背の高い男が入ってきた。

「やぁ吾来君。寄らせてもらったよ」

「お前は右京真策! 何しにきた!」

吾来が右京に詰め寄った。レストレードが腰を屈めてホームズの耳に囁く。

「あの人は、貴方と同じ探偵よ」

「えっ、探偵さんですか⁉︎」

「そう」レストレードが頷いた。

「人呼んでハイカラ右京」

「警部は会ったことがあるんですか?」

「えぇ。ロンドンで、一度だけね」

右京がそこでレストレードに声をかけたのでレストレードは会話を打ち切って右京に歩み寄った。

彼女が挨拶を交わす間、ホームズはじっと右京を見ていた。

能面のような顔はどこか作り物めいていて、高い鼻も、引っぱればポロリと取れて下から別人の顔が現れそうだった。

時折その釣り上がった目が更に細くなると、冷淡な彼の捜査手口が目に見えるような気がして、ホームズは思わず身震いした。

右京がホームズの視線に気付き──先程から気づいていたが、さも今気付いたかのように──微笑を浮かべた。

「レストレード警部にこんなに可愛いお連れがいらしたとは」そう言ってホームズにゆっくりと近づいてくる。

「妹御か何かですか?」

ホームズの顔がパッと赤くなった。レストレードが言葉を失う。

吾来が怒気を込めて素早く言った。

「おい、失礼だぞ! そちらのお嬢さんはホームズさんといって、ロンドンの有名な探偵さんだ。ロンドンで起きた事件をレストレード警部と一緒に捜査しているんだ」

右京はさして驚くでもなく、すぐに謝罪を口にした。

「なるほど、ご同業というわけか。よろしく、レイディ」

いつの間にか握っていたホームズの手に口づけを落とす。

ハッとして思わず手を引っ込めそうになるのをかろうじて堪えたホームズだったが、右京を苦手と感じた彼女はすぐさま、隠れるようにレストレードの背後にまわった。

吾来が咎めるような視線を右京に送ったが、彼は何食わぬ顔で肩をすくめただけだった。
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