ロンドンの霧(仮)

「なぁ、ホームズ」

馬車に揺られながらの帰り道、ワトソンが口を開いた。

「実際のところ、ヴァンパイア族以外の奴が血を抜き取ることができると思うか?」

ホームズは黙っていた。

ポシェットから飛び出しているキャンディの柄を気にして、ポシェットを開けたり閉めたりしている。

「……じゃあ、逆にヴァンパイアが被害者を恐怖に顔を引き攣らせた状態で吸血できると思うか?」

ワトソンは手を伸ばしてキャンディを奪い取り、ホームズの口に突っ込んだ。

「人の話を聞け」

ひいへはふきいてますよ……」ホームズはキャンディを口から離した。

「データがない状態では何とも言えません。粘土がなきゃレンガは作れない」

「お前の考えを聞いただけだ」

「七通り……いえ、第二の事件で六通りになりましたけど、その仮説のどれもがこれまでの状況と矛盾しません。でもどれが正しいかは、これからです」

ワトソンは少し考え込んだ様子だったが、不意に馬車の天井を叩いた。馬車が止まる。

「俺は少し寄る所がある。先に帰ってろ」



自宅に戻ったホームズは裁縫道具と格闘し、時間をかけてナイトシャツの裾上げを済ませた。

ワトソンは夕焼けが宵闇にとってかわる頃に帰宅した。

「こんな時間まで、どこ行ってたんですか?」

「何だ、寂しかったのか、お嬢ちゃん? そんなに俺の行動が気になるか?」

「いえ、そういう訳じゃ」

ホームズは『お嬢ちゃん』の響きに赤面しながら言った。

そんなホームズを見て、ワトソンは微笑みながら彼女の頭をぐりぐり撫で回した。

「王立図書館へ行ってきた」

「お昼寝ですか?」

ワトソンはホームズの頭にかけた手の力を強めた。

「痛いっ、痛いっ」

「お前と一緒にするな」

「ごめんなさい……」

ワトソンはようやく手を放し、話を元に戻した。

「図書館の古い資料を漁って、ヴァンパイアについて調べてきた」

ワトソンはホームズを椅子に座らせ、自分もその目の前に椅子を引っ張ってきて座った。

「15世紀頃の話だ。ハンガリア領トランシルヴァニアの貴族がおかしな信仰を始めた。信仰の対象が何だったのかは諸説あるが、詳しくは分かっていない。興味深いのはその貴族、ドラクル伯爵が儀式に用いた物なんだが……ひとつは人間の血液。そしてもうひとつがこれだ」

ワトソンは借りてきた本のページを開いて指差した。

「お前にゃお馴染みの物だろ? ホームズ」

ホームズは目を見張った。

「これ、マジックサークル!」

ホームズは愕然として顔色を失った。

「魔方陣に血……ドラクル伯は知ってか知らずか、契約の魔法を発動させたんですね。そして魔に属する者となった」

「それが全ての始まり。ヴァンパイアは、元は人間だったんだ」

ワトソンは本を閉じてテーブルに置いた。
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