ロンドンの霧(仮)

ホームズの髪がフワリと揺れ、彼女の赤い瞳が被害者の頭から爪先までをゆっくりと往復した。

「……魔族の痕跡はありません」

静かな声が風の様に流れた。

一瞬の間を置いて、ホームズの瞳が元の色を取り戻す。

ホームズはレストレードに歩み寄り、何か言いたげに視線を揺らした。

「他にも何か分かったの?」

レストレードが話を促す。

「あのひとが言ったんです。ヴァンパイア族に血を吸われたなら、恐怖に満ちた顔はしないって」

「どういうこと?」

レストレードはワトソンを見た。彼はホームズに聞けと顎をしゃくった。

ホームズは言葉を続けた。

「ヴァンパイアの唾液に、その、さ……」

「催淫効果」

口籠るホームズの代わりにワトソンが言った。

ホームズは顔を赤らめながら続ける。

「……ががあると言っていました。この人がヴァンパイアに血を吸われたなら、その……」

「いちいち恥ずかしがるなよ」ワトソンが言い、ホームズの言葉を継いだ。

「……ヴァンパイアの仕業なら、被害者は恍惚の表情をしているんだとさ」

「信じて良いのかしら。アイリーンの言葉を」

「あのひとの言葉には、いつも嘘はありませんから」

ホームズはキャンディをポシェットに押し込み、帽子を被り直した。

「つまりこの被害者は、それとは違う?」レストレードが確認する。

「ええ。怖がってるんです。逃げようとしたのかもしれない。何かを、すごく恐れて」

ホームズは再び、遺体の顔を見つめた。

「ヴァンパイアの仕業に見せかけてる……その可能性もあるわけね」レストレードが呟いた。

「見せかけるって、一体どうやるんです?」グレグスンが被害者を指差した。

「血を抜き取るなんてことは、ヴァンパイアじゃなきゃできませんよ」

「ヴァンパイア以外の魔族を調べるわ。何か方法があるかもしれない」

レストレードは踵を返し、足早にその場を立ち去った。グレグスンが慌ててそれを追いかける。

ワトソンは肩をすくめると、ホームズを促し馬車へ戻っていった。
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