ロンドンの霧(仮)

ホームズはぎこちない足取りで現場へと進んだ。

横たわっているのは若い男だった。

年の頃は二十代前半。

整えられた髪、コテの当てられたシャツ。襟元には淡いブルーのスカーフが丁寧に巻かれていた。

「身なりは悪くないな。『第二のポーリー』ってことは、強盗の線はないってことか」

ワトソンの言葉に、レストレードは肩をすくめる。

「財布がないから一応疑ってはいるけど……手首を見て」

レストレードの指差した被害者の左手首には、何かで穿った小さな穴が二つ。

「ヴァンパイアで決まりですよ」グレグスンが言う。

「奴らは危険だ。早く対策を講じたほうがいい」

ホームズはそっと膝を折り、遺体のそばに座り込んだ。

「でも……顔が、怖がってる……」

顔色は真っ白だった。目を見開き、唇を引きつらせた恐怖の表情が彼女の目に焼きつく。

「顔……?」レストレードが聞き返す。

「一応確認します」ホームズはポシェットからチョークを取り出した。

それから地面を見て、困った顔でワトソンを振り返る。

「ワトソンさん。地面が……」

レストレードは足もとを見下ろした。踏み固められた赤土は何の変哲もない。

「あー……チョークは使えないな」ワトソンは頷いた。

「そうなると、ちょっと時間はかかるか……いや、待てよ」

「ちょっと、ジョン! どこに行くの⁉︎」

レストレードが声をかけたが、それを無視してワトソンはどこかへ走って行った。

「もう。いっつも説明が足りないんだから……」

レストレードは腰に手を当てて、ため息をついた。

「ほらよ、ホームズ」

ものの数分で戻ってきたワトソンは、手にした大きなペロペロキャンディをホームズに手渡した。

レストレードは呆れて口を開く。

「ジョン。彼女だって子供じゃないんだから、こんなお菓子なんか……」

「勘違いするな。食べる為じゃない」

ワトソンはニヤリと笑い、レストレードの肩を押して被害者から離れた。

ホームズは両手でキャンディを持ち、自分の正面に掲げると、何事かを呟き始めた。

周囲の雑音に紛れて聞き取れない程の声だったが、明らかに彼女の周りの空気が変わった。風が凪ぎ、時間さえもゆっくりになるような感覚。

「魔法……?」

レストレードはワトソンを振り返る。

「魔法陣が描けないから、アプローチする手段を変えて魔法の杖を使うんだ。魔法陣より精度は落ちるが、まぁ、急場凌ぎさ」

「魔法の杖?」レストレードはホームズに視線を戻した。

「キャンディが……?」

「棒状のものなら何でも良い。ホームズが焦点フォーカスに使えるなら、キャンディでもテニスラケットでも小枝でも、何でも」

「魔法って、意外とファジーなのね……」
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