Dom/Subユニバース パロ
何かに頭を撫でられているような、心地いい感覚。ずっと、この優しい空間で眠っていたいとさえ思ってしまう。だが、その何かに頬をつつかれて、肩を揺さぶられることで心地よい眠りの世界から現実世界へと引き戻されてしまう。
「……て…!!…………ってば…!……起きて!!」
尊敬してやまない男の声が聞こえ、紡希はパチリと目を覚ました。見慣れない天井に、消毒液の匂いのする室内。少し頭を傾けて部屋を見回すと、左腕に点滴の針が刺さっており、自然とここが病室であることを理解した。
「よかった…………ようやく起きたんだね」
「う……ぅ…?……あたまいたい……。いとう、課長……?ここは、病院……ですよね?」
「うん、そうだよ。……君が意識を失った時、心拍数も低下しててね。病院の先生もすぐに君の症状を看てくれたよ」
起き上がろうとするが、身体が鉛のように重くなっており動けない。伊東に視線を送るが、彼は首を軽く横に振って、肩に触れてくる。
「今の君は、かなり不安定な状態らしい。……その理由は、わかる?」
「不安定…?……えっと……栄養不足…とか、睡眠不足とか……ですか?」
「確かにそれもある。……でも、もっと大事なことがあるんだよね。君、ダイナミクスってまだ分類されてなかったよね?」
「ダイナミクス…ですか?」
この世には男女という二つの性別だけでなく、ダイナミクスというもうひとつの性別のような枠が生まれているのだ。ダイナミクスというのは主に四つに分類されている。主導権を握り相手に命令という名のコマンドを伝えることができる「Dom」。そしてその「Dom」と正反対に、相手に従順になり相手の命令…コマンドに従うことを求められる「Sub」というもの。その両方の要素を兼ね揃えた「Switch」と、逆にDomでもSubでもない「Normal」の計四種類のダイナミクスが存在する。これら四つのダイナミクスは第二次性徴期に発現するのが普通なのだが、ごく稀に発現しないまま成人を迎える人もいるのだという。それは一般的には「未分化」といい、未熟なものとして扱われることもある。
しかし、このダイナミクスというものは非常に厄介なものだ。DomはSubを従わせないと、SubはDomに従わないとそれぞれストレスが溜まり、体調を崩してしまうことがあるそうだ。これは本人の意思によって変わることはなく、そのダイナミクスによる本能のようなものらしい。
そう考えると、未分化でいることはある意味幸運なことかもしれない。本能に左右されずに済むのだから、自分は一生未熟なままでいたい。なんて、そう考えている。自分の周りは未分化なままという人は滅多にいないが、ネットの海では未分化のまま老人になった人もいるという記事を読んで安心した記憶は今でもまだ鮮明に思い出せる。
「ダイナミクス……まあ、私には無縁の話ですけど……それが一体どうしたんですか?……まさか、私にソレが発現したとか?」
「……君って、時々鋭くなるよね」
「……はい?」
「はぁ……コレ、診断書。ここの項目、見てごらん?」
「え?……えっと…ダイナミクス…内訳……Sub…?……はい?これって、私の……診断書…??未分化、じゃ…ない……?」
「ってことだね」
軽い口調でそう言ってのける伊東に、紡希は思わず呼吸をし忘れた。だって、自分は死ぬまで未分化のままでいると思っていたからだ。ダイナミクスなんてものに振り回されず、誰とも付き合わずに孤独な余生を過ごすんだと、そう考えていたからだ。それなのに、よりにもよって、Subになってしまうだなんて!!
「な、なん…で……?わたし、未分化のままの方が…よかったのに……」
「…突然変異することはよくあることだってお医者様はそう言ってたよ。最近君の生活は荒れてたっぽいし、ストレスも溜まってたから……そこに、君のダイナミクスが確定する何かがあった。……っていうのがお医者様の見解だよ」
心当たりはある?と言われたが、そんなこと分かるはずがない。……いや、一つだけ心当たりはある。
「心当たり……ってほどでは、ないかも…ですけど…」
「なんでもいいから言ってごらん?」
「う……。その…、会議で使う資料を渡した時に…ちょっと、手が触れたじゃないですか」
「……ああ、なんか静電気みたいなのがあったよね」
「それ、です。……それの後に、なんか…おかしくなったので……」
「…………ってことはつまり僕のせい…?」
「課長のせいではないかと……元はと言えば私の自己管理能力が低いせいなので……」
だから、伊東のせいではない。……と、そう言いたいが……確かに、変異した主な原因は伊東にあると言っても過言ではないだろう。伊東のダイナミクスはDomであり、しかもかなりの上位ランクなのだという。以前彼の弟である鈴木三樹三郎から聞かされたので間違いない情報のはずだ。
ダイナミクスにもランクというものが存在していると知ったのはその時が初めてだ。DomとSubのランクがかけ離れていると、プレイ……つまり互いの欲求を満たすための行為にも支障が出るのだという。運命の相手ならば話は別らしいが、低ランクのDomが高ランクのDomにパートナーであるSubを奪われてしまうという事件も発生するくらいには、ランクというものはかなり重大らしい。
「僕のDom性は…かなり強い。だから、不安定になってた君のダイナミクスに干渉して、Subに変異させてしまったのかもしれない。……本当に、取り返しのつかないことをしてしまって…申し訳ないよ」
「え!?い、いえいえ!!貴方が謝ることじゃないですよ!!」
「でも、未分化の人が強制的にダイナミクスを変異させられた場合……高確率で、運命の相手になってしまうんだよ?……君の運命を、僕が…変えてしまった。それは…許されないことだ……」
眉を顰めてそう語る伊東に、紡希は場違いにも感心してしまう。自分のような女にどうしてここまで時間を使ってくれるのだろうか。なんて他人事のように思いながら、頭を悩ませる。自分は確かに一生独り身が良かったが、別にダイナミクスなんてものがあってもそこまで生活は変わらなくてもいいだろう。だから、彼が謝る必要なんてない。
「大丈夫ですよ伊東課長。……私は貴方に救われています。何度も何度も、助けられてます。だから、ダイナミクスが変わっても別にへっちゃらですよ!」
「土暮君……」
「なので、もう大丈夫ですよ!私のことはいいので、会社に戻ってください!!スマホもありますし、何かあっても……」
「土暮君“
「ぇ、っあ……?」
起き上がろうとしたが、今度は伊東の言葉によって遮られる。いや、行動を制限された。ベッドに身体を預けて、彼の真意を知るためにも見つめるが、相変わらず胡散臭い顔をしていることしか分からなくて理解に苦しんでしまう。
(伊東さん、なんで……こんな…!動けない……指一本、動かせられない……!)
「……これが、僕の強制力だよ。君のSub性は目覚めたばかりで、軽い力でコマンドを伝えても過剰に反応しちゃうんだ」
(うご、けない……!息も、…できなく……なって…!?)
「……“
目を細めた彼はそう告げて、自分よりも一回り以上大きな手で額をそっと撫でてくる。褒められたことにより、先程のコマンドは解除され、それと同時に溢れんばかりの多幸感で胸がいっぱいになる。今までに感じたことの無い感覚、気持ちよさ、脳を揺さぶられるような甘い快感。その全てが新鮮で、怖くて、とっても魅了されてしまう。
こちらを見下ろしてくる彼の目は、罪悪感に塗れている。自分という平々凡々な女の運命を簡単に変えてしまったことに責任を感じているのだろうか。そこまで重く捉えなくてもいいというのに。
それにしても、彼から褒められるのは気持ちがいい。幸せで、気持ちよくて、たまらない。こんな行為を知ってしまったら、自分はどうなってしまうんだろうか。少なくとも、今まで通りには過ごせない…かもしれない。そう思うと少し怖いが、もう元に戻ることはできないのだ。腹を括るしかない。
「……苦しかったでしょ?…僕がどれだけ君にとって脅威なのか……わかって貰えた?」
「う…………んん…。なんか、ふわふわしてて……気持ちよかったです……。えへへ……あなたに褒められるの…好きです……」
「なっ…!?い、今そういう話してるんじゃないんだけど…!?」
「……でも…私はべつにどうなろうと構いませんよ。……あなたのお役に立てるなら、それで充分。逆に…あなたの足でまといになるくらいなら、世界の果てまで移動して、誰にも気づかれないようにひっそりと死にたいです」
「……死にたいなんて、軽々しく言うもんじゃないよ」
「軽々しい感情なんかじゃありません。……私は本気です。貴方にとって私が荷物になるというなら、今すぐこの手を離してください。……それが、互いのためになりますから」
ふわふわとした感覚は気持ちよかったが、彼の重荷になるくらいなら死んだ方がマシだ。そのくらい、自分は目の前の男のことを敬愛している。彼の邪魔にならないなら、できる限り……彼のことを見ていたいが、邪魔になるなら潔く消える覚悟も準備もできている。だって、これが初恋で、しかも一目惚れなのだ。拗らせて、おかしくなっても仕方がないだろう。
「……君、さ……ほんとに、死生観どうなってるわけ…?」
「ごくごく普通で……ありふれたものですよ。ただ少し、ちょっとだけ…他の人と見えてるものは違うかもしれないですけど……」
「はぁ……僕が少しでも嫌って言ったら、君……この病院の屋上から飛び降りて死んじゃいそうだし…」
「失礼な!飛び降り自殺なんて他の方を巻き込みかねないじゃないですか!!ここは穏便にオーバードーズで死にますよ!!睡眠薬と酒の最悪コンボで!!」
「なにそれホントに最悪すぎ〜。……そんなこと絶対にさせないから」
病室で不謹慎な話をしたせいで、彼の顔がわかりやすく暗くなった。眉を顰めて、こちらを冷めた目で睨みつけてきているように……彼の鋭い眼光に身が竦む。
とにかく、Subになってしまったのだ。今はとにかく、今後の身の振り方などを改めなければならないだろう。抑制剤などを処方してもらって、いつもと変わらずに仕事をするのが一番手っ取り早く、周りにも迷惑がかからない。中にはパートナーか、行きずりの相手とプレイをすることで欲求を発散しないといけないなどという意見もあるにはあるが…………抑制剤さえあればどうにかなるだろう。
「ということで、まずはお医者さんにお薬貰わないとですね!身体ももう、大丈夫そうで…」
「…“
「な、ぁっ…!?」
キィンッ、と伊東のコマンドが鼓膜を揺らすと同時に、身体全体が動くことをやめた。先程よりも強制力は無いが、彼に逆らうつもりなんて毛頭ない。大人しく静止していると、眉を顰めた伊東に軽く睨まれてしまった。少し怖く感じるが、彼の瞳を独占できていることを嬉しく思う。……なんて、こんな感情は気持ち悪すぎて表には絶対に出せないが。
「……ダイナミクスが急に変わったんだから、安静にしてなきゃダメだよ。点滴が無くなるまでここにいること。終わったらナースコールで看護師さん呼んで、そしたらタクシーで会社に寄ること。……いいね?」
「は、はい……」
「僕は流石に会社に戻らないといけないからここまでだけど……阿部君が来てくれるみたいだから、そしたら一緒に帰ってきてね」
「しょ、承知しました……!」
「うん、“
「っ〜〜〜!!」
彼から褒められるだけで、今までに感じたことの無い多幸感に包まれる。ピリピリと全身を包む“快楽”に困惑していると、彼の大きな手が紡希の頭を軽く撫でた。
「じゃあ、いい子にしてるんだよ」
「あっ……まっ、」
待ってと、そう声をかけたかったがそれよりも早く伊東が病室から出ていってしまった。当たり前のことなのに、胸が張り裂けてしまいそうなくらいに痛んで、目の前が霞んで見える。仕事を中断してまで、ここに連れてきてくれたのだ。それだけでも充分過ぎるくらい優しくしてもらったというのに、浅ましい欲望を更に抱く自分に嫌気がさす。
(さいあく、最悪だ……っ!!こんな、こんな感情…はやく、早く捨てなきゃ……!)
「さみしい、なんて……こんな感情…要らない……!あの人の……迷惑になっちゃう…!!」
彼の負担になることは絶対にしたくない。どれだけ苦しくても、死にたくなるほど辛くても、それだけは絶対に曲げてはいけないのだ。そう独りごちながら、真っ白なシーツをくしゃりと握りしめた。