学パロ


「あっ、伊東先輩!おはようございます!!今日も一日張り切っていきますよー!!」
「ああ、うん。おはよう。……あいさつ週間の時だけやたらと元気になるよね、君。まあ、明るい方がいいと思うけど…」

 風紀委員会に属している伊東は、朝一番に挨拶しに来る一つ下の後輩に苦笑した。月に一回、風紀委員と生徒会で合同で挨拶強化週間というものを実施しており、校門の前に立って登校してくる生徒たちに挨拶をしている。風紀委員長も生徒会長もどちらもかなり我が強いため、顔を合わせるとすぐに険悪な空気になるが……そんな時は顧問の先生である芹沢鴨や吉田松陰の一声でどうにかなる。
 話が逸れてしまった。今伊東は少し肌寒い朝の空気を吸っている最中に至近距離で挨拶をされ、心臓が飛び出るくらいに驚いていた。しかし、そんなことを目の前の彼女が知ったらどんな思いをするだろうか。
 彼女は、土暮 紡希つちくれ つむぎという。かなりの変わり者で、ことある事に「裏切りそう」だの「怪しすぎる」だのと言われている自分のことを何故か慕っている変な後輩だ。他の人達にも挨拶はしているが、自分に対してだけやたらと声が大きい。そして若干距離が近いようにも思える。これは無自覚だろうか。

「今日の天気は少し荒れるみたいですし、気をつけてくださいね!それでは私はこれで失礼します!!お勤め、頑張ってください!!」
「いや言い方〜。って、今日数学の小テストあるんでしょ?勉強は大丈夫なの?」
「もちろんです!ほら、この前先輩が教えてくれたじゃないですか〜!ちゃんと、復習はバッチリしてますから!」
「それならいいけど……」
「ではでは失礼します!!」

 深々と頭を下げてから、上機嫌な彼女の背を見送る。小さくなって、見えなくなるまで視線で追いかけていると隣にいる友人の一人が小さく笑ったのが僅かに聞こえてきた。そちらに視線を向けると、やはり彼はクスクスと微笑んでいる。自分に向けられているあたたかな笑み。そして慈しむような表情は、明らかにこちらの様子を見守っていたのだということを悟り、何故だか無性に小っ恥ずかしくなってしまう。

「ちょ、やめてよ山南君。その生暖かい目で見てくるの」
「ふふ、失礼しました。……でも、かなり仲良くなれましたね。応援していた甲斐があるというものです」
「茶化さないで〜。他の人が真似するかもしれないでしょ。……あ、おはよう。ほら君、制服は気崩しちゃダメでしょ?今週はちゃんとネクタイを締めて……そうそう、あとスカートも短すぎだからね?頭寒足熱って言うんだし、女の子は特に足を冷やしちゃダメなんだから」

 通りがかった女子生徒に声をかけながら、伊東は心の中で彼女のことを……紡希のことを思い返す。彼女と出会ってから、全てが変わったような気がする。最初はファンとして少し離れたところからずっと応援され続け、それが鬱陶しく思えて、直接「やめてほしい」と言おうとした時のことだった。紡希の手を肩を掴んで、振り向かせる。相手が自分だと知った瞬間の彼女の顔は今でも記憶に新しい。目を見開き、そして頬を真っ赤に染めてあんぐりと口を開けていた。そしてこちらが要望を切り出す前に「勘弁してください〜ッ!!」と泣き叫び、廊下を走って逃げ出したのだ。
 いくら怪しすぎるだとか黒幕顔とか言われ続けてきた伊東でも、女の子を泣かせたことは一度もなかった。それがあまりにも精神的な傷となり、今まで「厄介なファン」だと思っていた紡希のことをより深く意識するようになってしまったのだ。

(こんなの……こんなの、普通じゃない。なんなのさ、ほんとに…。調子狂うんだけど……)

 彼女のことは嫌いではない。もし嫌いだったらどんな手段を使ってでも彼女との距離を空けるし、なんなら校長や学園長に頼み込んで自主退学にまで追い込むことだってできないことはない。もちろん、そんな害悪極まりない行為は一度もやったことはないが。
 ともかく、伊東は紡希との距離感を掴みかねている。周りからは何故か妙な勘違いをされているようで、友人のように仲良くさせようと画策している者もいる。正直、いい迷惑だと思ってしまうが…悪い気がしないのも事実だ。
 自分は相当、彼女に絆されているのかもしれない。考えたくもないことだが、自分から進んで彼女に勉強を教えてやったり、雨が降っていて帰りに困っていたら傘を貸してやったりするくらいには、もう気を許している。隣に居ても嫌悪感は抱かないし、先程のように元気よく挨拶を返してくれる姿にはこちらも元気を貰えるような気がして胸の奥があたたかくなるものだ。

(……絆されてる…のかぁ…。この僕が、あんな女の子に)

 ため息を吐いていると、冷たい風がピュウと吹いてくる。そういえば、今日は天気が荒れるらしいと紡希が言っていたなと思い出しながら、冷える身体に反応するようにぶるりと軽く身震いした。







「うわぁ……すっごい雨だ……こんなんじゃ流石に傘無しで帰れないよなぁ……」

 朝に天気予報を見て「今日は雨が降りそうだ」と思っていたのにも関わらず、肝心の傘を忘れるというミスをやらかしてしまった紡希は教室の中で窓を叩いてくる雨水を見つめていた。グラウンドはすっかり水浸しになっており、傘を差した生徒たちが一斉に帰宅しているようだった。
 物忘れが激しいところがこんなところでも出てしまうなんて、なんて情けない。朝一番に尊敬している伊東先輩に挨拶したいという思いが先走って家を飛び出したのが悪手だったようだ。家に帰ったらまた母親から小言を言われそうだな……と落胆しながら念の為鞄の中を探る。過去の自分か母親が折りたたみ傘を仕込んでいる可能性にかけて、鞄の中身を机の上に広げていく。ポーチ、財布、文庫本、メモ帳に教材、そして弁当箱に水筒などなど色んなものが混在している中、紡希はついに見つけた。鞄の一番奥底に隠れていた、希望の一品折りたたみ傘を。

「やったー!!ありがとうお母さん!!これで帰れる〜!!」

 と、無人の教室でそう声を上げて、グレーの折りたたみ傘を掲げた。自分が折りたたみ傘を入れるなんてことはしないため、きっと母親が先んじて入れてくれたのだろう。なんて優しい母なんだ!!と感激していると、ふとどこからか視線を向けられているような気がして肩を震わせた。放課後の誰もいない教室って、なんだか怖くない?とビビりな脳が突然そんなことを言い出し、背筋に嫌な汗が流れた。
 学校の怪談や七不思議などは全て眉唾物だと思っているが、それでも霊的なものは存在すると思っている紡希にとって、放課後の校舎で一人でいることは恐ろしいことだと思ってしまう。震えながらキョロキョロと視線を動かしていると、わざとらしく扉が開く音がして「びゃあ!?」と可愛くない悲鳴を上げてしまった。

「ぷっ、なにそれ。今の悲鳴?随分と面白く鳴くんだね〜」
「ぎぇっ!?い、伊東先輩!?な、なんでここに!?」
「今日はもう帰ることになったの。ほら、台風近づいてるっぽいし、これ以上残って帰れなくなっても困るからね。……それで、君は傘持ってるの?」

 先程の視線の正体は彼だったのか。そう思うと安心するが、今度は何故このタイミングで話しかけに来たのかという疑問が浮上する。基本的に彼との会話は自分から切り出すことが多いし、彼が自発的に会話をしようとする時も基本的にテスト期間中くらいの僅かな期間だけだ。それなのに、今日はどうして?首を傾げて彼の真意を探ろうとするが、呆れたような顔をした伊東に鼻を摘まれる。と言っても力を入れられてるわけではないため痛くもないし、呼吸は口でできるため何のダメージにもならないが。

「君さぁ、僕が聞いてるんだからちゃんと質問には答えなよ。……傘は、ちゃんと持ってるの?」
「ふぁ、ふぁいっ……もっへ、まふ…」
「ふぅん?珍しいこともあるもんだね。君のお母様のお陰かな?とにかく、君が濡れ鼠の如く雨水に打たれて見るも無惨な姿を晒しながら帰路につくことはないと。……そういうことだね?」
「ん……ふぁい……」
「はは、気の抜けた返事ー。……まあ、僕がこうしてるのが悪いんだけどね。とにかく、君が傘を持っててよかったよ。そこで、頼みがあるんだけど〜」

 そこまで言うと、彼は摘んでいた手を離した。そしてバツの悪そうな顔で視線を泳がせてから、目を合わせてくる。

「……あの、さ……傘、忘れちゃったから…途中まで一緒に入ってていい?」
「…………へ?」
「というか、君の傘貸して。僕が君を家まで送るし、明日になったら返すから……。だから……」

 言いたいことはハッキリ言うタイプの彼が、ここまで歯切れ悪くなるのは珍しい。一緒に帰るなんて提案をされたのは初めてのことで、至近距離に彼がいるのにも関わらず、初めて紡希はふにゃりと笑った。いつもは緊張して変に力が入ってしまうが、今この瞬間だけは何故か無性にリラックスできた。
 だが、それで笑ってしまったことで彼のプライドに傷をつけてしまったのだろうか。眉を顰めるとそのまま口を閉ざして踵を返そうとする伊東の腕にしがみついて、早口で謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさいごめんなさい!!先輩の様子がおかしかったから心配しただけなんです!!」
「様子がおかしいって……まあ、確かにおかしいかもしれないけど、笑うことはないでしょ。しかも……あんな顔で」
「えぇっ……そんなキモい顔してました…?マジでごめんなさい……申し訳ないです……」
「誰もそんなこと言ってないって。自己肯定感の低さは相変わらず最悪だね。……んで、どっち?一緒に僕と帰ってくれる?……もしかして、嫌だったりする…?」
「い、嫌なわけないですよ!!……た、ただ…ほら…私が持ってるのって折りたたみ傘なので……ちょっと、小さかな〜…なんて……」
「そんなの些事でしょ。肩くらいは濡れても平気だし、嫌じゃないなら一緒でもいいってことだよね?」

 いつもじゃありえない距離に、伊東がいる。尊敬して、敬愛している伊東がいる。それがあまりにも都合のいい夢を見ているようで、天にも登るような気持ちになってしまう。

「は、い……い、いっしょに……か、かえり…帰りま…しょう……!!」
「うん、そうだね。……早く家に帰らないと本格的に雨が強くなるだろうからね…。ほら、荷物もちゃんとまとめてね。待ってるから」

 いつもより、声が優しい気がする。勉強を教えてくれてる時と同じような声だ。彼は一人姉がいるとはいえ長男だし、妹も弟もいるのだから年下を甘やかすのなんて朝飯前なのだろう。そんなことを思いながら手早く荷物をまとめて、教室の外で待っている彼の元に駆け寄る。
 いつも以上に柔らかな顔をしている彼は、こちらを見てからそのまま「行こうか」なんて言ってから歩き出した。足の長い彼と対照的に短足な自分が並んで歩いたら歩幅の差でどうしても距離が離れてしまうかもしれない。なんて思っていたが器用にも彼はこちらの歩幅に合わせてくれている。まだ廊下なのだからそこまで気を使わなくていいのに。なんて考えていると、伊東から「余計なことは考えなくていいの」なんて声と共に頭をコツンと小突かれた。
 全然痛くもないのに「いた!?」と反射的に口にすると、上の方からクスクスと笑い声が聞こえてくる。見上げると、ゆるりと口角を上げている唇を上品に片手で隠しながら笑う彼が視界に入り、ギュンッと胸の奥が締め付けられた。そんな顔、はじめてみた。そんな顔もできるんだ。なんてそんなことを考えているうちに、昇降口に辿り着いてしまった。

「それじゃ、傘貸して。僕が持ってた方が君も楽でしょ?」
「そ、そうですね……では、お願いします…」
「まかせて〜。……よっと…。うん、思ってたよりちゃんと大っきいね。折りたたみ傘にしては上出来かも。良いやつ買ってもらったんだね」
「えへへ……父親がセール品だからって理由で買ってくれたんです。たしか、中学に上がる時だったかな〜…?」
「ふぅん。物持ちがいいんだね。物を大事にするのはいい事だよ。日本には八百万の神がいるっていうし、君のこの傘にも付喪神様が宿ってるかもしれないね?」

 確かに、そうかもしれない。元から自分を含めた家族は全員物を大事にする習性があり、高校生になった今でも小学生の頃に買ってもらった鋏を使っているくらいだ。流石に消しゴムやボールペンのような消耗品は沢山世代交代をしてきたが、シャーペンや愛用している鞄などは何年も何年も使っている。おかげでメッキも剥がれて見るも無惨な姿になっているが、使い込んでいるおかげで逆に使いやすくなっているのだ。
 ……話が逸れてしまった。とにかく、伊東に傘を持ってもらいながら帰路に着くことになった。雨は教室で見ていた時よりも少し落ち着いてきているようだったが、この時期の天候は人間の心のように直ぐに荒れて、完全に行動の全貌を読むことはできない。今こうして憧れの先輩が隣を歩いているという事態も上手く呑み込めなくて、上の空で歩いてしまう。おかげで水たまりに足を突っ込みかけるし、電柱に肩をぶつけるし、散々だった。水たまりは伊東が事前に気づいて声をかけてくれたから回避できたが、電柱は流石に無理だったらしい。肩に直接襲いかかってくる鈍痛に「いだぁぁい゙ッッ!!」とデカい声で叫ぶと、途端に雨足が少し強くなった。……気がする。

「ちょっと、ちゃんと気をつけて歩いてってさっき言ったでしょ?なに電柱にぶつかってんの。もしかしてウケとか狙ってる??だとしたら全然面白くないからね?」
「ち、ちがいますよ……っ!!ただの不注意です…!い、たたっ……マジで痛い。いたすぎる……」
「自業自得でしょー?……全く、もう少し僕の方に寄って。じゃないと僕が濡れるでしょ?」
「あっ、す、すすすすみません!!」
「そんなに謝らなくていいって。……肩も、痛みが続くようだったらちゃんと後で冷やすんだよ。痕になったら軟膏を塗れば良くなると思うし」

 呆れきった声色でそう言ってくるが、その内容はとても優しい。彼はやはり、どこまでも紳士的なのだ。自分のような迷惑な後輩が相手でも優しくしてくれるなんて、なんて良い人なんだろうか。

「……君、今僕のことを優しいとか紳士的とか思ったでしょ」
「エッ!?な、なんでわかったんですか!?もしかして、エスパー…?読心術…?」
「君の考えることなんてお見通しだよ。……って、そんなわけないじゃん。声に出てたんだよ、まるっきり全部」
「へっ…?……うっっわ!!はっっっっず!!」
「声大きくな〜い?僕の鼓膜が破けちゃうからやめてよ」
「ご、ごごごごめんなさい……いや、でも、だって!恥ずかしいじゃないですか普通に!!今までの心の声も全部聞こえてたり……?」

 恐る恐る聞くと、彼は困ったように笑う。その笑顔からどうしても目が離せなくてまじまじと見つめていると、伊東の指先が額にちょんと触れてきた。

「もしかしたら、聞こえてるかもね?…君はとびきりのおマヌケさんだからね」
「ま、まぬ……!?ぐ、ぬぬ……!!確かに自認はそうですけど、人に言われるとなんか……腹立ちますね!?」
「そりゃそうでしょ。とにかく、君は落ち着いて冷静に周りを見ないと。視野を広く持って、心にも余裕を持つ。そうすれば君はもっともっと本来の力を出せるはずだよ」

 そう言うと伊東からぽん、と頭を軽く撫でられ、驚きのあまり目を見開く。だって、人と積極的にスキンシップを取りたがらない彼が、こんな自分に触れてくるなんて。そんなの夢としか思えない。そのまま瞬きを繰り返していると、今までにも見たことの無いような優しい顔で、彼が見下ろしてくる。

「君は、やればできる子だから。……ちゃんと、頑張ってみなよ。一人で頑張れないってんなら僕とか山南君とか服部君とか呼べばいいし。なんなら藤堂君でもいいんじゃない?同じクラスなんでしょ?」
「は、はいっ……ソウ、デスネ…」
「……はあ…まあいいや。とにかく、早く帰ろっか。……ほら、もっと近づいてよ。僕もこれ以上濡れたくないし」

 そう言う伊東の肩は傘からはみ出していて、かなり濡れていた。自分も少し濡れているが、その比じゃない。心なしか、自分の方に傘を傾けてくれている彼の優しさに「どれだけ好きにさせたら気が済むんだ!?」と叫びたくなるが、これ以上彼の肩を濡らす訳にはいかない。そう思い、恥を捨てて寄り添うことにしたが……頭上からため息が聞こえてくる。

「あのさ、もう少し近づいてよ。……このくらいじゃないと、まだ濡れるから」
「わぎゃっ!?ぁ、えっ…!?」

 肩を掴まれ、グッと引き寄せられる。その感覚に驚いていると彼の胴体と肩が触れ合い、一気に鼓動が早くなったのを感じる。ドクドクと心臓が脈を打ち、顔だけでなく全身が熱くなっていく。

「急に触ってごめんね。でもこうでもしないと君って僕に近寄らないでしょ?」
「は、へ……?」
「状況が呑み込めないって顔してるね?……まあ、とにかく家まで送るから。早くしないと僕が風邪引いちゃうからね」
「そ、そそそうでしたね!!早く帰りましょう!!さあ早く!!というか家に来ませんか!?タオルお貸ししますよ!?」
「それやったら君が死んじゃうでしょ?送るだけにしておくから。傘は明日返すでいいでしょ?」
「ウッ、ぁ…ハイ……それで大丈夫、デス」
「ははは、なんでカタコト?面白いからいいけど。ほら、行こっか」

 いつもに増して優しい顔をした伊東に微笑まれて、胸の奥がギュゥンッと締め付けられた。凄まじい威力の笑みに瀕死になりながらも、帰路につくことにした。
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