カルデア軸
「伊東先生の目ってすごく綺麗ですよね」
「えっ、なに。藪から棒に」
「宝石みたいに綺麗で……うん、やっぱり好きです。もっと見せてください」
正面に座って戦略の練り方を共に模索してくれている伊東に対して、マスターである紡希はそう言いながら彼の瞳を見つめた。彼の瞳の色を正しく形容できない、自分の学の無さに歯痒く思ってしまう。黄緑色…と言ってしまうと単調に聞こえるし、かといって他に思い当たる色がない。やはり和色辞典をここに引っ張り出して比較しながら検証するしか方法はないのだろうか。
そんなことを考えていると、伊東は呆れたようにため息を吐いて瞼を閉じてしまった。切れ長で、涼しげな目元はいつ見ても美しいと思える。瞼を閉じたことによって更に彼の美しさに磨きがかかったようで、至近距離で見つめてしまう。容姿はもちろんだが、彼の魅力は何よりも中身だ。心を砕いた相手には礼儀を尽くすし、時には冗談も交えて会話をしてくれる彼には、大抵の人間はすぐに心を開くだろう。
(これが、オム・ファタールか…。恐ろしい人だ)
「ちょっと、顔近いよ」
「あ、すみません……嫌でしたよね?」
「そりゃあね。……で、僕の目が綺麗だって?何考えてるか分からないとか、何となく怪しいとか言われまくってる僕の目が、そんなに綺麗に見えるの?」
「そんなこと言う人がいるんですか!?どこのどいつですか!?私が殴り飛ばしてきますよ!!」
「やめてやめて。君なんかが歯向かってもどうせ返り討ちに遭うだけだから。というか、そう言ってきた人達はみんな過去の人間だし……わざわざ君が怒ることじゃないでしょ?」
わざとらしく首を竦めてそう言う彼の表情から、諦めの色が見て取れた。人を思う優しさも、友人が死ぬことによって悲しみ世を憂う心もあるというのに、周りは彼のことを理解しようとしてくれない。それがどうしても許せなくて、許せなくて。だからこそ、自分だけでもいいから彼に「好き」なんだと伝えたくて、こうして実行している。
とはいえ、彼にとっては迷惑極まりないだろう。こうして小娘以下の自分に懐かれるなんて地獄でしかないはずだ。なので好きだと伝える時は必ず一定の距離を置いているし、ボディタッチも一切しないようにしている。ベタベタ触れたり、甘えたりするような女は嫌われるだろう。彼の好みの女性像は聞いたことがないが、きっとお淑やかで、清楚で誠実な人が好きなはずだ。
(自分は……誠実だとは思うけど、お淑やかでも清楚でもないし……やっぱり、好きだけど…好きなんだけど…)
彼を想うこの気持ちが、敬愛なのか思慕しているのか分からない。自分なんかが彼に恋をするなんて、やはり烏滸がましい。そう思って一歩を引きたくなるが、それでも彼が何者かの悪意に晒されていると思うと、守りたくなるし、彼に敵意を持つ者に対して憎悪の感情を抱いてしまう。
と、そんなことを考えていると眉を顰めた伊東に眉間を押された。そして椅子に座るように視線で促されて、彼が望むままに元の定位置に戻った。
「君さ、本当に僕のこと大好きすぎない?もっと周り見た方がいいと思うんだけど」
「私が好きで貴方のことを好きになってるんですから別に良くないですか?貴方には迷惑をかけないって約束しますし!!」
「その熱量が割と困ってるっていうか……まあ、もう慣れたから良いけどさ…。でも、僕ばかりにかまけてたら他のことが疎かにならない?」
「えへへ、そうでもないですよ!こう見えて器用ですから!!伊東さん以外にも推しはいますし……貴方だけに負担はかけないですから!絶対に!!」
だから大丈夫ですよ、と伝えようとしたその瞬間。突然彼の手が伸びてきて頬をぎゅむっと掴まれた。目を白黒させていると、不機嫌そうに顔を顰めた伊東に睨まれて、紡希はわけも分からず首を傾げた。
「むぇっ……なん、へ……?」
「……そうやって、誰にでもすぐに愛を振りまくところ…ほんとに大っ嫌い」
「っ……!?」
「鈍感すぎるし、僕が踏み込もうとするとすぐに逃げるし。君は僕のことが好きなんでしょ?なんで他の人に目移りするの?」
「!!……」
「今まで僕に言ってきた“好き”って言葉は…全部嘘だったの?」
その言葉に、ヒュッと息を飲む。自分が今まで伝えてきた愛が、彼に伝わっているとは思っていなかったのだ。
だが、それでも彼に今まで伝えていた言葉に偽りはない。自分は本気で彼のことを尊敬し、そして心の底から愛している。……だが、自分と彼の立場は全く違う。共に生きることはできないし、自分のようなロクデナシが彼と共に居ていいはずが無いのだ。
少し力が緩んだところで彼の手を掴んで引き剥がす。不服そうな顔をする伊東の手をそのまま包み込んで、愛してやまない瞳を見つめ返す。普段は好きすぎるあまり見つめられるとすぐに逃げたくなるが……今は、そんなことを言っている場合ではない。誤解させているのなら、弁明しなければならないからだ。
「嘘なんかじゃ、ないですよ」
「……本当に?」
「本当です。……私が、こんなことで嘘をついたことが今までにありましたか?……私は、人を傷つけるような嘘は言いません。貴方に向けて言った好きという言葉は…紛れもない、本心です」
「……そんなの、信じられないよ。確かに、君は…優しいけど……優しいからこそ、多くの人を好きになる。好きになって、しまうんだろ?……最初はどうでもいいって思ってたけど、君が幸せに生きられるなら…好きにさせてやろうって思ってたけど……!!」
苦痛に歪む彼の表情に、紡希の心は今までにないくらいに揺さぶられる。ぐわんと、頭を殴られたような衝撃に呼吸すらままならなくなる。だって、そうだろう?
「君が……僕以外の人を好きになっているところなんて……もう、見れる気がしない。僕のことが一番好きだって、そう言ってきたのは君だ。……だったら、最後までその言葉に責任を持って。……責任を、取ってよ…」
慕ってやまない相手が、こんなにも自分に心を乱されている。偽りでも演技でもなく、紛れもない本心で。こんなことが、現実に有り得て良いのだろうか。
「い、伊東さん……」
「……僕は、影法師だ。君と同じ未来は歩けないし、こんなことを言っても……君に枷をつけるようなものだって分かってる。自分が、どれだけ愚かなことをしようとしてるのかも…理解してる」
それでも。彼はそう呟いて、紡希の手を一度振りほどき、そして握り直した。強くはないが、それでも逃げられないようにしっかりと繋ぎ止められてしまう。ドッと汗が噴き出して、言葉にならない声しか出せなくなってしまう。
「僕は、君に狂わされた。君なんて全然僕の好みでもなんでもないのに、ずっと心に巣食ってくる。寝ても醒めても、君のことばかり考えたりしてさ。…その責任は、どう取ってくれるのかな?」
「ひ、えぇ…っ……お、おそれ…恐れ多いですよ…!!だって、そんなの……答え、実質ひとつじゃ…!」
「へぇ、ちゃんと分かってんだ。なら話は早いね?君はその首をどっちに振るの?」
「う、うぁ……っ!!……か、かおちかい……無理、しんどい……すき…っ!!」
少しずつ、じわじわと顔が熱くなっていく。今自分が猛烈に情けない顔をしていることを実感しながら、余裕そうな顔でこちらを見つめてくる伊東の視線から逃れたくて必死に瞼を閉じて首を縦に振った。彼のために、彼の負担にならないように身を引きたかった。自分の中だけで収めたかったのに、蓋をしたかったのに、溢れてしまった。それが彼に侵食して、おかしくさせてしまったのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……わたし、こんなつもり…なかったのに……貴方を、ただ遠くから見て……それだけで、よかったのに……!」
「……それはそれで嫌だなぁ。どうせ好きって言うならこうして真正面から言ってよ」
「ひ、ひぃっ……勘弁してください…!これ以上好きになったら、もう……わたし……止まれる自信もないし…もっと、もっと欲張りさんになっちゃう…かもですし…」
「ははは、今更でしょ。……君が一番好きな人間が僕であればそれでいい。……僕も、それなりに…応えていくから」
よくある恋人同士ってワケじゃないけど、それでも互いに好きという感情にゆっくり向き合っていこう。彼の言葉に目を閉じたまま頷くと指先に柔らかい何かが当たった。ちゅ、と軽いリップ音が聞こえてきたような気がしたが、気のせいだろうか。
「顔真っ赤。……ほんと、こういうのに耐性無いんだね〜?」
「へ…?……伊東さん、今何しました?」
「分からないなら目を開ければいいでしょ?」
「い、嫌です!!今開けたら多分死ぬ気がするので!!」
「ははは、面白いな〜。この程度で死ぬわけないじゃん。本当に君って……純情なんだね?そういうところは可愛げがあるんじゃない?」
「かっ、かわ…ッッッッッ!?」
思いもよらない言葉を投げかけられ、反射的に目を開けてしまった。そして、自分の指先が彼の口元に寄せられている光景が真っ先に視界に入り、そして先程と同じように彼の唇が紡希の指にふにっと当たった。
「ひぇぇぇぇッッッッッ!?えっ、え!?な、なん…!?なんですか、なんですか!?なにやってんですか!?」
「ぷっ、はは!!そこまで動揺する!?ほんっと…ふ、くく…っ!信じらんない!!」
「んな!?わ、笑うことはなくないですか!?ひどい!!乙女心を弄ぶなんて!!」
「君が乙女?……ふっ、寝言は寝てから言うものじゃない?」
「な、なんだとー!?」
自分たちの関係が大きく変わることは無いが、それでも好きという想いが相手に伝わった。伝わってしまった。それを嬉しく思ってしまう自分が醜く思えてより一層嫌いになりそうだが、心の底から笑ってくれる伊東の姿に、全てがどうでもよく思えた。
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