カルデア軸
「伊東先生って、おとぎ話とか好きですか〜?私は結構好きですよ。赤ずきんとか人魚姫とか」
「急に話振ってくるじゃん。……まあ、聖杯の知識はあるから知ってるけど。かちかち山とか桃太郎とか、そういう話でしょ?」
「そうですそうです。伊東先生ってそういうのあんまり興味なさそうなので聞いてみました」
「え、普通逆じゃない?確かに特別凄い興味があるわけじゃないけど」
やっぱりー!と屈託のない笑顔を浮かべる彼女は、自分のマスターである土暮紡希という。自他ともに認める怠け者であり、常にふわふわとした言動を繰り返すだらしないマスターだ。口を開けば「お腹すいた」と「眠い」を繰り返し、戦闘の指揮も時々失敗する時だってある。
人間は誰しもが不完全な生き物だ。現代で言うなら「ヒューマンエラー」というものは常に着いて回るものだろう。だが、彼女の場合はあまりにもミスが多い。集中力が切れやすいとか体力がないとか、理由はいくつもあるらしいが、そんなのはただ本人の努力が足りないだけだろう。
(怠けてる人間に価値なんてない。口先だけのバカに良いように使われるなんて御免だね)
とはいえ、何故か自分は彼女から多大なる信頼を得ているらしい。なんでも自分の全てが好きなんだとか。顔も捻くれた性格も、あんな最悪な死に方をしてみせた晩年も、何もかもが好きなのだという。新選組として脚光を浴びている者たち、副長である土方や知名度も実力もトップクラスの沖田、そして動乱の時代を生き抜いた永倉や斎藤は、現代でもファンが多いらしい。だが志半ばで脱走し、切腹せざるを得ない状況に追い込まれた山南や、新選組の基盤となった壬生浪士組の筆頭局長だったにも関わらず非道な手で暗殺された芹沢、そして自分の唯一無二の友であり、大事な仲間でもあった服部。自分を含めた彼らの知名度は、土方たちと比べると月とスッポン。雲泥の差があるのだ。残された資料も多くはないし、偏見によって悪者だと、愚者だとされている文献もあるくらいなのだ。
(……それなのに、この子は……そんな僕らのことを何よりも好きだと言ってくる)
嘘をつくことができないマスターから向けられる愛情には、裏表なんてものはない。ただ純粋に自分たちのことを好きだと言って、支えたいのだと言ってくる。最初はその好意がどうにも受け入れ難くて跳ね除けていたのだが……最近は、どうにもおかしくなってしまった。主に、自分の価値観……考え方が。
「私はおとぎ話だったらやっぱり人魚姫が好きです!王子様はカスいなって思うんですけど、やっぱり美しい悲恋っていいな〜って……王子様のために自分の自慢の声を無くしてまで人間の足を手に入れた人魚姫の健気さが大好きなんですよね……。愛した人を勘違いによって奪われても、それでも恨まず、殺さず泡となって消える儚さ…!」
「悲恋なんて悲しいだけだよ。……成就できない恋なんて、しない方がマシじゃない?」
「んも〜……ロマンがないですね〜?そういえば、乙女ゲームでもおとぎ話を主軸にしたものがありまして〜!この前赤ずきんベースのシナリオをプレイしたんですけど、それがすっごく良くって〜!!」
我らがマスターは、恋愛というものに興味津々らしい。恋人、または伴侶がいるサーヴァントに相手のことをどう思っているのか、そして生前はどういう暮らしをしていたのかということを根掘り葉掘り聞き出したりするくらいには、他者の恋愛事情に敏感なのだ。それなら自分でも恋をすればいいのに。と誰しもが思っただろうが、彼女は人生で一度も恋をしたことがないのだという。
ここまで愛に重きを置いて、ここまで他人のために愛を叫べるというのに、一度も恋をしたことがない。そんなの、有り得るのか?と最初は疑問に思った。だが、すぐに彼女の恋愛経験が全くないことに気づいて、ただ恋というものに強い憧れを抱いているだけの女性なんだと解釈した。
「ほんと、君って物好きだよね。そんなに悲恋が好きなの?物語はハッピーエンドが一番美しいと思わないの?」
「それは…そうですけどね。恋愛も、成就するのが一番幸せなのかもしれないですけど……それでも私は、両片想い……互いが互いを思いやって、その果てに失恋したり死別するのが堪らなく好きなんです」
「…………ふぅん」
「両片想いって、本当に切なくて……何よりも美しいと思うんです。最も人間の感情が揺さぶられて、そしてぶつかり合うもの。それが両片想いだと思っていて……」
「本当に好きだよね、ソレ。僕にはその良さが分からないけど」
「あはは……そりゃそうですよね。いいんです。わかってほしいなんて高望みはもう最初から捨ててますし」
そう言うと、彼女はこちらから視線を逸らして窓からの景色を眺めた。流れていく雲を見つめて、小さく呼吸を繰り返す彼女の横顔は普段のちゃらんぽらんな人間と同一人物とは思えないほど美しく見える。
「それで、伊東さんはどうなんですか?」
「……え?なにが?」
「だから、好きなおとぎ話があるのかって話ですよ〜。私は言ったんですから、あるのかないのかくらい教えてくれても良いんじゃないですか〜?」
「ああ、確かに。このままだとフェアじゃないもんね」
とはいえ、自分が知っているおとぎ話…童話は一般的に知られているものくらいしかない。彼女が好きだと言っていた二作品はもちろんだが、白雪姫や北風と太陽、それにみにくいアヒルの子などの有名作くらいしか目を通していない。それで、好きな作品について語るなんて烏滸がましいだろう。……とはいえ、答えを出さなければ彼女は納得しない。そういう性格なのだ。
「……そうだね。僕が好きなおとぎ話…は……ベタだけど灰かぶり姫…シンデレラかな」
「えっ、意外!伊東さんも成り上がりストーリーとか好きなんですか?」
「成り上がりストーリーって……いや、でも実際そっか。虐げられてきたシンデレラが、純真な心を持って正真正銘のお姫様になる話…。努力家で健気で、最終的に王子様とも結ばれる。……うん、やっぱり僕は両想いのハッピーエンドが好きだな」
「王道恋愛ストーリーですね!それもまた良き恋!私も憧れちゃうなぁ〜……好きな人に追いかけてもらえるなんて、きっと嬉しいに決まってますから!」
なんて言うが、彼女は異性から好意を向けられることを何よりも恐れている。以前、土方が何気なく肩を抱き寄せた時は顔を赤くさせたり青くさせたりして困惑していたし、その前も酔っ払った高杉に引っ付かれた時もこの世の終わりのような顔をしていたのだ。アレは、恋に憧れる女がしていい顔ではない。
ならばどうして、彼女はここまで他人の恋路にこだわるのだろうか。憧れているのなら、異性から好かれても問題ないだろう。寧ろ、両手を上げて喜んでもいいはずだ。現在彼女に召喚されたサーヴァントたちの中でも、自分が一番彼女からの愛を一心に受けている自覚はあるが、それでも彼女は定期的に「そのままのあなたでいて」と言ってくる。
私に心を砕かないで。私のことを見ないで。私を好きにならないで。……最初は確かに苦手意識を抱いていたかもしれない。だとしても、毎日顔を合わせて一緒に過ごしていくうちに、彼女の欠点も魅力も色んなところが見えてくるようになった。そして、幸せそうに笑う彼女のその笑顔を「守りたい」と、そう思えるようになったのだ。
そんな矢先に、本人の口から「好きにならないで」と釘を刺されてしまった。これは、どのサーヴァントにも共通して伝えているとのことらしい。自己肯定感が信じられないほど低い彼女は、自分が誰かに好かれるような器じゃないと言い聞かせて、塞ぎ込んでいるらしい。……常に彼女の傍に居続けている優秀な後輩であり、ファーストサーヴァントでもあるマシュの分析は、機械よりも正確だろう。
(……あんなに、好きだって言ってくれてるのに。僕は君に何も返せない。……返しちゃいけないの?)
自分のことを慕って、顔を合わせる度に好きだと言ってくれる子犬のような彼女に、自分は何もしてやれない。アステカの全能神のように尊大に振る舞えないし、最後のローマ皇帝のように彼女を護ることもできない。
彼女から与えられる愛に、自分は応えてはいけない。それが彼女の望みであるなら、従者である自分は従うしかない。
(でも、本当にそれでいいって思ってんの?)
いつの間にか芽生えてきた感情が、そう囁いてくる。
(マスターは人気者だ。こうしている間にもライバルは増えるし、この子は誰であろうと好きになる。いつまでも僕のことを好きでいてくれるとは限らないよ)
嗚呼、そうだろう。そんなこと、しっている。わかっている。けれども、僕は……自分は、彼女の嫌がることだけは絶対にしたくないのだ。彼女の悲しむ顔も、怯えた顔も見たくない。……でも、叶うなら、願ってもいいのなら。
「……ねぇ、マスター」
グローブ越しに彼女の手を取る。目を見開いた紡希は大きく口を開けたが、驚きすぎて声も出せていないようだった。その間抜けな姿に小さく笑ってから、首を傾げた。
「君って本当に、僕のことが“好き”だよね?」
「っ、は……へ…?……すき?……スキ…?わたしが、あなたを……好き…?」
「うん。いつもの抽象的なものじゃなくて、恋愛的な意味で。僕のこと、一人の人間として好きになってるんでしょ?」
「はひぃっ!?そ、そんなそんな恐れ多いことできませんって!!だっ、だってだって!!貴方の好みの女じゃないですしわたし!!」
「好みじゃなくても、嫌いじゃないなら別に良いんじゃない?もう君の愚行も蛮行も慣れてきたし、不快にも思わないようになったし」
「いやだ……私に優しい伊東先生なんて解釈違いだ……!!伊東先生は、もっとたおやかで、お淑やかで、美しくて、相手をきちんと引き立てるような、裏表もなくて、家事も完璧にできて、和服が似合う美人さんじゃないと釣り合わないよーーー!!伊東先生はこんな捻くれ者の喪女なんて相手にしないんですー!!」
「君のその自己評価の低さ……本当に直した方がいいよ。君を慕っているサーヴァントたちにも失礼だから」
「そ、それはそう…ですね……」
「だから、僕が協力してあげる。君が愛してやまないこ僕が、これから毎日君を褒めてあげる」
「……え゙?」
「君に足りないのは褒められる経験。そして愛されること。恋愛に憧れるなら、まずは他人からの愛を怖がらずに受け取ることが大事でしょ。その練習に、僕を使っていいよ」
これは、心からの本心だ。どうせ自分たちサーヴァントは影法師だ。全ての戦いが終わったら、彼女の元から消える存在。聖杯に願って受肉したとしても、そこまでして彼女の人生を縛り付けたいとは思えない。自分はあくまでも過去の人間であり、彼女は今を生きている人間なのだからら。
だからこそ、自分を練習台にしてほしい。このままでは、彼女はきっと孤独になってしまう。友人も仲間も、家族も恋人も、きっと彼女の元から消えていく。その低すぎる自己評価に周りが耐えきれなくなるのだ。
(そんなの、絶対に見たくない)
手を握り、引き攣り笑いを浮かべるマスターを見下ろす。相変わらず、作り笑いだけは本当に下手くそだ。心から笑っている時の顔は、まだ可愛いと表現してやってもいいかもしれないが、これはひどい。小さく笑いながら、頬にかかっている髪の毛をもう片方の手で軽く流してやる。やがて、顔を赤くさせたり彼女が居心地悪そうに視線を泳がせて、唇を噛み締めた。よっぽど恥ずかしいのだろう。だが安心して欲しい、その羞恥心は自分も感じている。
「ねぇ、マスター。僕は君の将来を想って言ってるんだ。……君のために、僕を有効的に使って欲しい」
「あ、ぁ……え……?……えっ…?」
「大丈夫、人魚姫みたいに泡になんてさせないから。……君は、将来誠実な男の人と結ばれるべきだからね。そのための努力の手伝いをさせてほしい。……君は、幸せになるべきだから」
そう言うと、紡希は呆気に取られたような顔をして、やがて視線を床に落とした。変わらないでいて欲しいと言われたのに、一歩を踏み出してしまった。この行動で彼女との関係値が壊れてしまうかもしれない。……だが、それでもいい。彼女が幸せになるためなら、自分は踏み台になってやろう。
「…………わかり、ました…」
眉を下げて控えめに笑う彼女に、何故か胸の奥がズキンと痛んだ。
「これから、よろしく…お願いしますね。褒めるところなんて……ないと思いますけど……」
「ほらほら、そんな暗くならないの。褒めるところはこれから作っていけばいいんだし、そんなに気負わないで」
「ひ、ひぃ……お手柔らかにお願いします…」
自分が手を伸ばしていい存在じゃない。そう分かっているはずなのに、割り切っているはずなのに。失恋したような顔をする彼女を見て、少しだけ……ほんの少しだけ嬉しいと思ってしまった自分があまりにも醜く思えて、失笑してしまった。
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