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「ぬしにとっての裏切りは、さぞ甘美なものなのであろうな」
その言葉に、五十鈴は空を見上げていた視線を下ろす。
大谷吉継───毛利と同盟を結んだ、今は無き豊臣の武人。聞けば、元就と肩を並べられるほどの智の持ち主だと言う。けれど五十鈴にとって彼と石田三成は、元就を苦しめる魔の者、という認識であり、あまり人物の選り好みをしない五十鈴からすれば、珍しく苦手なタイプの人間であった。
「……どういう意味、でしょうか。私めには分かりませぬ」
「ぬしは賢人よ。我の言葉が分からぬ程愚かではあるまいて」
くくく、と嗤い声を漏らす吉継を、五十鈴はじろりと睨む。彼の物言いは、五十鈴にとって腹に据えかねるもので。
「ぬしは四国の鬼…長曾我部の妹君であると聞いておったが」
「……なんのことで御座いましょう。…私めは毛利の人間に他なりませぬが」
知ったようなことを仰らないでください、と顔を背ける五十鈴に、吉継は再度笑みを溢して。
「長曾我部といえば…つい先日、毛利が四国に攻め行ったとも聞いておる」
「…ええ。それがなんだというのです?」
壊滅せしめられた四国。そこに立てられた金色の旗。靡く徳川の葵の紋印。
それにより五十鈴の実の兄である元親は、徳川家康を憎み、徳川家康への復讐を決めた。
それが全て───長曾我部も、徳川をも内面から力を削ぎ崩すための、元就の策とは知らずに。
今だ兄はそれを徳川家康の仕業であると思い込んでいるのだ。妹である五十鈴も彼の手によって死んだのだと。
そして五十鈴は──それを、全てを知っている。知っていて知らぬ振りをしているのだ。
現にこうして五十鈴は生きていて、毛利に従属している。
そうだ。これは兄と、民と、国に対する裏切りなのだ。
そんなものは、当に分かっている。
「ぬしはそれを知っておるのであろ。ぬしの兄が、徳川を憎み、彼のものに復讐を誓ったことを」
「───…」
そうだ。だからなんだと言うのだ。自分は毛利と、――元就と共に生きると、元就と共に有ると決めたのだ。
五十鈴にとって何よりも優先すべきその決意の前には、国など、兄など、民など──実に些末なことなのだ。
「そのような些事…どうでも良いだけの話です。…私には元就さえ居れば良いのですから」
「ぬしも毛利も、似たような戯言ばかりを漏らしよるなァ」
「褒め言葉として受け取らせて頂きます。…して、大谷殿程のお方が…私めなどにどのような御用です?」
ふわりふわりと浮遊する吉継を見据えて、五十鈴は目を細めた。
元就と共に彼に会うことは幾度かあったが、こうして二人だけで言葉を交わしたことなど無く。
だからこそ、先程の問いの意味が五十鈴は理解し難かったのだ。
吉継程の賢人だ。恐らく自分のことは人づてに聞き及んでいたのだろう。
だからこそ、だ。
だからこそ、敢えてこの場面で、この状況下で。あの質問を投げ掛けることの出来るこの男は、なんとも良い性格をしている、と五十鈴は胸中で悪態を吐いた。
「いやなに、ぬしとは予てよりこうして言を交えたいと思っておったのよ」
「それは。かの大谷殿に存じて頂けているとは、光栄の至りに御座います」
くつくつと笑う吉継に、にこりともせずに五十鈴は建前だけの口上を述べた。
元は敵同士といえ、今は同盟を結んだ相手だ。ここで彼の反感を買って、もし元就の策に影響が出てしまっては元も子もないのだ。
「…ヒヒッ。ぬしは強かよな。…そして同時に愚かで惨め、よ。長曾我部を裏切り、ぬしは何を得た。民を裏切り、ぬしは何を見た?」
「───…」
「ぬしにはさぞ甘美な蜜なのであろうな?全てを犠牲にすることで得たそれらはなァ」
「……大谷殿の仰りたい意図が、私には分かりかねます」
「素知らぬ振りか…ぬしは大概に、世を乱す女狐と見たわ」
キヒ、と愉しげな声を漏らす吉継を五十鈴はじっとりと見据えた。
世を乱す、女狐──。確かにそうかもしれない、と吉継の言葉を脳内で反芻した。
「ご安心を。…あなた様には敵いませぬ故」
同情にも似た皮肉を込めて、目の前で嗤う男へと満面の笑みを向ける。
成程、似ておるな、と吉継は己の命さえ厭わずただ彼のものへの復讐誓いし血濡れた友を脳裏に浮かべた。
凶王石田三成───その人のことを。
形は違えど、五十鈴と三成、この二人はどこか似ていると言える。
己の命を犠牲にする三成。
民の命と肉親を犠牲にする五十鈴。
かの方は今は無き主の復讐を。かの方は愛した者の天下を。
自らの足元に多くの屍を積み上げ、己の信ずる道を歩む。
自ら己の敵を作るこの在り方が、どこまでも二人は似ているのだ。
「ぬしは自ら毒を食らうと申す…われはぬしにその毒を食らいきる事が出来るとは到底思えぬが?」
「…先程貴方様が自ら仰られたお言葉をお忘れなのでしょうか?」
「…ぬしはその毒さえも蜜と申すか……キヒッ、とんだ女狐よな」
くつくつと嗤う吉継をちらり、と一瞥して。五十鈴はその視線を煌々と世を照らす日輪へと再度向けた。
毒を食らわば皿まで───毛利の、元就の為ならば。愛する人の為ならば───
己は鬼にだってなれるのだ。
例えそこに、幾重の屍が積み上がろうとも。
※────※────※
そうだ。五十鈴にとって、裏切りとは毒であり、蜜なのだ。
その芳しい香りは彼女を惹き付ける。その甘美な味は彼女を狂わせる。
とうに致死量を超えたそれは彼女を殺す。彼女を堕とす。
それはもはや、「五十鈴の皮を被った何か」でしか無いのだ。
だから五十鈴は───。息を吐くように裏切りを繰り返す。
全ては──愛する人のために。
「ぬしは策士よな」
とある合戦。予てより毛利の人を人とも思わぬやり口へ不満を持っていた者達が、毛利を裏切り敵方へと寝返り戦を起こしたのだ。
その鎮圧に訪れた吉継が見たもの───それは無惨にも腹から血を流し、地へと倒れ伏す敵方の大将で。
それを光の無い目で見下ろすはその美しい白銀の髪を鮮血で紅く染め上げた五十鈴だった。
「…策士、と言いますと?」
「ヒヒッ!それをわれに聞くか。…斯様な事、ぬしが一番分かっておるであろうに」
「…どうでも良いのです。…そのような事」
興味が無い。毛利以外がどうであろうと。元就以外がどうなろうと。
彼を苦しめるもの。彼に害を為す者は等しく全て、五十鈴にとっては敵なのだから。
「ぬしが毛利を裏切り、敵方へついたと聞いたときは驚いたものだが」
「戯れを。…敵を欺くにはまず味方からというでしょう?」
まあ元就のことは欺けてなかったみたいですけど、と至極どうでもよさそうに続ける五十鈴に、吉継は笑いが込み上げてくるのを感じて。
斯様に面白きことがあろうか。あの毛利元就ともあろう人間が、このような一人の女に心を砕き、信ずるなどと。
確かに五十鈴の裏切りを聞いたその時、彼は酷く冷静だったように思う。
つまり、分かっていたのだ。この女が、五十鈴が根本から全てを崩し力を削ぐことを。
「はあ…汚い。こいつは予想以上に汚い男でしたね…元就とは大違い」
煩わしそうに頬についた血を拭う五十鈴を見据えて、吉継は込み上げてくる笑いを堪えることなく漏らす。
五十鈴はそれを不快そうに吐き捨てて。
「…何を笑っているのです?」
「いやなに…ぬしも毛利も、随分と滑稽なものだと思うてなァ」
「……それは元就に対する侮辱、でしょうか?…如何な大谷殿とは言え元就への侮蔑は認可しかねますが」
「ナニ、褒めておるのよ、褒めて、な」
ヒヒヒ、と吉継は浮かべた笑みを深くして思う。ああ、狂っている、と。
互いが互いを想い、必要とするが故に――心をも、感情をも塞いだ。
人を欺き、裏切り、全ては互いの為と破滅の道を進む。
「ヒヒ、ヒ…不幸に魅入られし先は破滅よ。…ぬしが一番分かっておろう?」
「…滅びませぬ。毛利も、安芸も。…私がさせませぬ」
そう虚ろげに呟く五十鈴は至極つまらなそうで。
ああ、見物だ、と吉継は心から興味をそそられるのを感じた。
毒に犯されし星々の行く末は。
──破滅か、それとも。
(毒を食らわば皿まで)
見届けてやろう。
この乱世の産んだ、二つの狂気の果てを。
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