1章 「目黒の桜」
しかし好きな時に好きな場所で煙草も吸えないようになるとは、いよいよをもって世も末だな。
先程から便座に座る土方は、腕組みをしながらそう思った。
それでも近藤にせめてもと説得され、渋々電子タバコに挑戦してはみたものの、10分と立たずに屯所敷地内の取り調べ棟へ向かい、換気扇を全開にすると早すぎる古巣への帰還を果たした。
特に今のような時、無駄な時間を過ごさなければならない時に、なんで吸えないんだとイライラが込み上げてくるのだ。
「何だっけ?前の、世界球技大会だっけ?屋内警備はけっこういい弁当でたよ」
個室の外からは、ふたりの隊士が小便器で用を足しながら話す声が聞こえていた。
「え〜マジか。外周はコンビニの握り飯だったよ〜またコンビニか〜。ウチってそこらへんケチだよな〜」
そう言いながらふたつの声は遠ざかり、「ガラッ、ガラッ」と扉の開閉音がすると、今度こそ入れ替わり立ち替わり入退出を繰り返す人の気配も途絶え、ついに厠内は完全な無音となった。
(昼メシ出してんのはウチじゃねぇー!お上(かみ)だ!お前らはちゃんと手を洗え!)
土方は、心の中で舌打ちをしながら個室の扉を薄く開けると、その狭い隙間から厠内を見渡し、無人であることを確認すると素早く個室から出た。
そして足早に一番奥へ向い、清掃用具室のドアを開けて中に入った。
床に雑多に置かれた清掃用具のひとつを足でどかしながら奥の壁の前に立つと、土方はポケットに手を入れた。
そして鍵の束を取り出すと感触で目当ての一本を探り当て、それをそのまま壁の小さな穴に刺して僅かにひねった。
鍵を抜いて足で軽く蹴り上げると、タイル張りに見せた壁紙の壁がスッと奥へ動き、途端に舞台セットのようなドアノブのない張りぼての扉が開き、その向こうに暗闇の空間が現れた。
「ったく…めんどくせぇとこに作りやがって…ぜってぇー副長うんこなげぇ〜とか言われてんだろ…」
土方はその暗闇に足を踏み入れると両手をスボンのポケットに入れ、裸電球で薄暗く照らされた緩やかな螺旋状の階段をブツブツ言いながら降りていった。
階段を降りきったところでその気配を感じた土方は、ポケットに手を入れたまま瞬時に身を屈めた。
「ビュンッ」
後方から一瞬で頭上を通過したボウガンの矢は、土方の目の前にある鉄製ドアに当たると、小さく鋭利な窪みを残して、「カラン」と土方の足元に転がった。
屈んだまま頭上後方へ顔を向けた土方は、薄暗い中で点滅する赤色の装填ランプを確認すると、立ち上がってそちらを向いた。
そしてポケットから右手を出すと、左腰に携えた刀を鞘(さや)ごと引き抜き、無言で頭上斜め上を一突きした。
「ガシャン」と派手な音を立て足元に落ちたボウガンを見下ろしながら腰に刀を戻すと、それを拾って向き直し、鉄製のドアを開けて中へ入った。
武家屋敷から屯所に改築する際、改築と共に幾つかの増築も行われた。
警察組織の端くれである真選組には、一般隊士でも知らない極秘事項というものがあり、隊士にはもちろん、外部にも絶対に漏らすわけにはいかなかった。
一般の施工業者に地下施設の真の用途など明かすわけにもいかず、幕府が倉庫などと適当に申請した為に、それならなるべく配管設備をまとめたいという設計士の要望とその方が安く済むと知った幕府の思惑が見事に合致し、結果、厠の斜め下という場所に極秘施設は作られた。
そして、次なる経費削減を目論んだ幕府が、出入口の施工にもさらなる最安価を要求したところ、呆れた設計士渾身の冗談がそのまま採用されてしまったのだ。
しかし、去年行われた公的機関建築基準審査の抜き打ち検査で、規定で必要な敷地外への幹部専用避難経路が設計されていなかったことが発覚し、結局は幕府御用達の施工業者により、地下室の経路を流用する形で屯所外にもうひとつの出入口を作ることになったのだが。
先程から便座に座る土方は、腕組みをしながらそう思った。
それでも近藤にせめてもと説得され、渋々電子タバコに挑戦してはみたものの、10分と立たずに屯所敷地内の取り調べ棟へ向かい、換気扇を全開にすると早すぎる古巣への帰還を果たした。
特に今のような時、無駄な時間を過ごさなければならない時に、なんで吸えないんだとイライラが込み上げてくるのだ。
「何だっけ?前の、世界球技大会だっけ?屋内警備はけっこういい弁当でたよ」
個室の外からは、ふたりの隊士が小便器で用を足しながら話す声が聞こえていた。
「え〜マジか。外周はコンビニの握り飯だったよ〜またコンビニか〜。ウチってそこらへんケチだよな〜」
そう言いながらふたつの声は遠ざかり、「ガラッ、ガラッ」と扉の開閉音がすると、今度こそ入れ替わり立ち替わり入退出を繰り返す人の気配も途絶え、ついに厠内は完全な無音となった。
(昼メシ出してんのはウチじゃねぇー!お上(かみ)だ!お前らはちゃんと手を洗え!)
土方は、心の中で舌打ちをしながら個室の扉を薄く開けると、その狭い隙間から厠内を見渡し、無人であることを確認すると素早く個室から出た。
そして足早に一番奥へ向い、清掃用具室のドアを開けて中に入った。
床に雑多に置かれた清掃用具のひとつを足でどかしながら奥の壁の前に立つと、土方はポケットに手を入れた。
そして鍵の束を取り出すと感触で目当ての一本を探り当て、それをそのまま壁の小さな穴に刺して僅かにひねった。
鍵を抜いて足で軽く蹴り上げると、タイル張りに見せた壁紙の壁がスッと奥へ動き、途端に舞台セットのようなドアノブのない張りぼての扉が開き、その向こうに暗闇の空間が現れた。
「ったく…めんどくせぇとこに作りやがって…ぜってぇー副長うんこなげぇ〜とか言われてんだろ…」
土方はその暗闇に足を踏み入れると両手をスボンのポケットに入れ、裸電球で薄暗く照らされた緩やかな螺旋状の階段をブツブツ言いながら降りていった。
階段を降りきったところでその気配を感じた土方は、ポケットに手を入れたまま瞬時に身を屈めた。
「ビュンッ」
後方から一瞬で頭上を通過したボウガンの矢は、土方の目の前にある鉄製ドアに当たると、小さく鋭利な窪みを残して、「カラン」と土方の足元に転がった。
屈んだまま頭上後方へ顔を向けた土方は、薄暗い中で点滅する赤色の装填ランプを確認すると、立ち上がってそちらを向いた。
そしてポケットから右手を出すと、左腰に携えた刀を鞘(さや)ごと引き抜き、無言で頭上斜め上を一突きした。
「ガシャン」と派手な音を立て足元に落ちたボウガンを見下ろしながら腰に刀を戻すと、それを拾って向き直し、鉄製のドアを開けて中へ入った。
武家屋敷から屯所に改築する際、改築と共に幾つかの増築も行われた。
警察組織の端くれである真選組には、一般隊士でも知らない極秘事項というものがあり、隊士にはもちろん、外部にも絶対に漏らすわけにはいかなかった。
一般の施工業者に地下施設の真の用途など明かすわけにもいかず、幕府が倉庫などと適当に申請した為に、それならなるべく配管設備をまとめたいという設計士の要望とその方が安く済むと知った幕府の思惑が見事に合致し、結果、厠の斜め下という場所に極秘施設は作られた。
そして、次なる経費削減を目論んだ幕府が、出入口の施工にもさらなる最安価を要求したところ、呆れた設計士渾身の冗談がそのまま採用されてしまったのだ。
しかし、去年行われた公的機関建築基準審査の抜き打ち検査で、規定で必要な敷地外への幹部専用避難経路が設計されていなかったことが発覚し、結局は幕府御用達の施工業者により、地下室の経路を流用する形で屯所外にもうひとつの出入口を作ることになったのだが。
