1章 「目黒の桜」
食堂では、100席近くある座席の三分の一ほどが埋まっており、思い思いに食事を楽しむ隊士で大賑わいだった。
山崎は入って右奥の配膳カウンターへ向かうと、端に積み上げられたトレーの山から1枚手に取り、その横にあるメニュー表を少し眺めてカウンター中央へ進んだ。
カウンター向こうの厨房では、モクモクと白い煙が立ちこめ、数台の巨大な寸胴や大型グリルを、常時5人から6人の屈強な賄方隊士がフル稼働させていた。
「お疲れ!何にする?」
厨房から勢いよく話し掛けてきた白河は、浪士組からの古参隊士だ。
「今日はBで。」
山崎がそう答えると、白河は「はいよ!」とあらかじめ仕込んであった半調理の分厚い豚肉を大型グリルに乗せ、まもなくジュージューと香ばしい煙を盛大に立ち上らせた。
カウンターの端向こうにはビールサーバー数台がずらりと設置され、その横には小型の製氷機と炭酸水製造機、日本酒や焼酎の様々な銘柄が十数本、半分に切られたレモンとグレープフルーツがアルミ製のボウル容器に積まれて用意されており、大声ではしゃぐ隊士数人が周りを取り囲こみ、アルコールコーナーは祭りさながらの大盛り上がりだった。
「はい!!お待ち!!」
にんにく醤油が焦げた香ばしい匂いとともに、テカテカと飴色に焼かれた分厚い豚肉が大盛りの白米の上に鎮座し、ゆらゆらと白い湯気を立ち上らせたトンテキ丼が「ドンッ」とトレーに乗せられた。
「今日はじゃんじゃん食えよ!!」
4年前の池田屋事件、真選組の前身である浪士組は今のような独立した武装組織ではなく、どちらかというと町奉行の下請け、同心の援護組織のような立ち位置だった。
刃物屋に侵入した盗人が、浪士組名物の死ぬより怖い拷問で意識が朦朧とし、余罪ではなく聞きかじった攘夷浪士の居場所を漏らしてしまったことが、浪士組の運命を大きく変えた。
拷問に立ち会っていた土方はその情報をすぐに奉行所に報告したが、「田舎農民の出が、拷問逃れの戯言もわからんのか」と一蹴された。
このままでは機を逃すと判断した土方は、剣術より隠密性に優れていると目を付けていた、当時巡察方だった山崎を市中見廻りから呼び戻し、攘夷浪士の居場所へ密偵に向かわせ事実確認をすると、隊長の沖田を筆頭にその頃すでに精鋭揃いだった一番隊を即刻向かわせた。
まだ総勢十人にも満たなかった一番隊が乗り込んだ旅籠「池田屋」は盗人の戯言などではなく、過激派大物攘夷浪士が多数集い、今まさに江戸大火災の計画をしている最中だった。
壮絶な大立ち回りの末に、大物攘夷浪士ふたりを逃したものの、即死7名の他に11名を捕縛して計画の阻止に成功、一方で一番隊負傷者は即死1名、店先の落ち葉をほうきで掃いていた女中に逃走経路を塞がれ斬りつけようとした攘夷浪士から、女中を庇って腕を負傷した1名の計2名に留まった。
「京の漬物だからな、うまいぞ!!」
白河はそう言って、一直線に斬られた鮮明な刀傷がまだ残る剛腕を再度伸ばし、肉じゃがと漬物の小鉢をトレーに置いた。
驚いた女中が錯乱状態で振り回したほうきが、攘夷浪士に向けて振りかぶった白河の刀にあたり太刀筋が崩れた。
女中を庇うためとっさに出した腕は、手首20センチのところを皮一枚で辛うじて繋がり、町医者に担ぎ込まれ縫合は成功したが、握力と細かい感覚は最後まで戻らなかった。
「あぁ、この前買ってきてもらった富山の飲み薬、あれいいよ。監察様々だな。」
手をヒラヒラさせた白河は、手首を滑らかに動かして見せた。
池田屋の一件は、ただの下部組織の一端に過ぎなかった浪士組が真選組と名を変え、警察機関で唯一、粛清という即時執行権を持つ特殊武装警察として組織改編されることになるきっかけとなった。
そして、調査方や会計方、賄方の後方支援部隊は、任務で負傷し身体能力が低下した隊士の再配置先としても機能を始めたのだ。
山崎は途中で給水器から冷たい緑茶を汲むと、適当に目についた席にトレーを置き、ファイルを傍らに置いて椅子に座った。
ひとつ空けて隣の席では、十番隊の隊士3人が向かいあって、ジョッキやグラス片手に談笑していた。
山崎は早速、一口大に短冊切りにされた豚肉を頬張ると、ジューシーな豚肉の甘い油と香ばしいにんにく醤油が口の中で絡み合い、至福感が脳天を直撃するのを感じた。
真選組の食堂メニューにハズレはなく、今日の夕食は、「デミグラスハンバーグと海鮮フライのグリル定食」と「江戸風大盛りトンテキ丼」の2種類だ。
初めは外部の業者を入れ、栄養士考案の健康に配慮したバランスの取れた献立を提供する、一般的な社員食堂の趣きだったのだが、隊士の再配置により外部業者との入れ替わりが進むと、本能の赴くままに鍋を振る輩が増え、その都度起こる栄養バランスの低下に反比例して、隊士の心のオアシスレベルがグングンと上昇した結果、現在の「こういうのでいいんだよ、こういうので」スタイルが確立した。
「今日はどれにすっかな〜」
ひと席向こうでは、十番隊3人組のひとりがスマホの画面に人差し指を置き激しく左右に動かしていた。
「待て待て、真選組AV名誉ソムリエの俺に任せろ!!」
向かいに座っていた中堅隊士がそう言って手元のスマホを手に取ると、斜め向かいの若い隊士が、「教師ものでお願いします!!」と目を輝かせた。
間もなく大音量の卑猥な音声とともに、「これどう!?」と向けられた画面に、向いの隊士ふたりは「おぉー!!」と身を乗り出した。
山崎がそんな会話に気を取られていると、目の前で「ドンッ」と音がした。
どうやって運んできたのか、十番隊隊長の原田はなみなみ注がれたビールジョッキを机の上に3つ並べると、もう片方の手に持っていたトレーを置いて、山崎の向いの席に座った
「なんだ山崎、お前飲まねぇのか!?今日は監察もセーフだろ」
原田はそう言うと、ゴクゴクと喉を鳴らしながらジョッキのビールを一気に飲み干し、ホタテのフライをつまんで口に放り込んだ。
「いや〜、今日はいいです」
急いで咀嚼を終えた山崎がそう答える頃には、原田はすでに二杯目のジョッキをほぼ空にしていた。
この飲みっぷりは原田に限ったことではなく、十番隊の隊士が座る席では、どこも人数の数倍の数のグラスやジョッキが空の状態で並んでいた。
本来、真選組では緊急出動に備え、非番の日でも屯所内での飲酒は全面禁止だが、粛清任務に就いた隊士だけに当日のみアルコールの摂取が許されている。
狂気の沙汰で放出された異常量のアドレナリンを鎮めるには、何らかの方法で発散し、精も根も尽き果てて眠ってしまうしかない。
しかし、それは全隊士にとって明日は我が身であり、同じ穴のムジナと自覚はしていても、目の前でたらふく酒を飲まれること以上に、皆この異様な雰囲気に同席をためらってしまうのだ。
度々繰り出されるソムリエ渾身のテイスティング動画を横目で見つつ、山崎は原田と談笑しながらトンテキ丼と小鉢二皿を完食した。
原田に「お先です」と挨拶すると、ファイルを小脇に抱えトレーを持って席を立った山崎は、出口脇にある食器返却カウンターにトレーを置いて食堂を出た。
山崎は入って右奥の配膳カウンターへ向かうと、端に積み上げられたトレーの山から1枚手に取り、その横にあるメニュー表を少し眺めてカウンター中央へ進んだ。
カウンター向こうの厨房では、モクモクと白い煙が立ちこめ、数台の巨大な寸胴や大型グリルを、常時5人から6人の屈強な賄方隊士がフル稼働させていた。
「お疲れ!何にする?」
厨房から勢いよく話し掛けてきた白河は、浪士組からの古参隊士だ。
「今日はBで。」
山崎がそう答えると、白河は「はいよ!」とあらかじめ仕込んであった半調理の分厚い豚肉を大型グリルに乗せ、まもなくジュージューと香ばしい煙を盛大に立ち上らせた。
カウンターの端向こうにはビールサーバー数台がずらりと設置され、その横には小型の製氷機と炭酸水製造機、日本酒や焼酎の様々な銘柄が十数本、半分に切られたレモンとグレープフルーツがアルミ製のボウル容器に積まれて用意されており、大声ではしゃぐ隊士数人が周りを取り囲こみ、アルコールコーナーは祭りさながらの大盛り上がりだった。
「はい!!お待ち!!」
にんにく醤油が焦げた香ばしい匂いとともに、テカテカと飴色に焼かれた分厚い豚肉が大盛りの白米の上に鎮座し、ゆらゆらと白い湯気を立ち上らせたトンテキ丼が「ドンッ」とトレーに乗せられた。
「今日はじゃんじゃん食えよ!!」
4年前の池田屋事件、真選組の前身である浪士組は今のような独立した武装組織ではなく、どちらかというと町奉行の下請け、同心の援護組織のような立ち位置だった。
刃物屋に侵入した盗人が、浪士組名物の死ぬより怖い拷問で意識が朦朧とし、余罪ではなく聞きかじった攘夷浪士の居場所を漏らしてしまったことが、浪士組の運命を大きく変えた。
拷問に立ち会っていた土方はその情報をすぐに奉行所に報告したが、「田舎農民の出が、拷問逃れの戯言もわからんのか」と一蹴された。
このままでは機を逃すと判断した土方は、剣術より隠密性に優れていると目を付けていた、当時巡察方だった山崎を市中見廻りから呼び戻し、攘夷浪士の居場所へ密偵に向かわせ事実確認をすると、隊長の沖田を筆頭にその頃すでに精鋭揃いだった一番隊を即刻向かわせた。
まだ総勢十人にも満たなかった一番隊が乗り込んだ旅籠「池田屋」は盗人の戯言などではなく、過激派大物攘夷浪士が多数集い、今まさに江戸大火災の計画をしている最中だった。
壮絶な大立ち回りの末に、大物攘夷浪士ふたりを逃したものの、即死7名の他に11名を捕縛して計画の阻止に成功、一方で一番隊負傷者は即死1名、店先の落ち葉をほうきで掃いていた女中に逃走経路を塞がれ斬りつけようとした攘夷浪士から、女中を庇って腕を負傷した1名の計2名に留まった。
「京の漬物だからな、うまいぞ!!」
白河はそう言って、一直線に斬られた鮮明な刀傷がまだ残る剛腕を再度伸ばし、肉じゃがと漬物の小鉢をトレーに置いた。
驚いた女中が錯乱状態で振り回したほうきが、攘夷浪士に向けて振りかぶった白河の刀にあたり太刀筋が崩れた。
女中を庇うためとっさに出した腕は、手首20センチのところを皮一枚で辛うじて繋がり、町医者に担ぎ込まれ縫合は成功したが、握力と細かい感覚は最後まで戻らなかった。
「あぁ、この前買ってきてもらった富山の飲み薬、あれいいよ。監察様々だな。」
手をヒラヒラさせた白河は、手首を滑らかに動かして見せた。
池田屋の一件は、ただの下部組織の一端に過ぎなかった浪士組が真選組と名を変え、警察機関で唯一、粛清という即時執行権を持つ特殊武装警察として組織改編されることになるきっかけとなった。
そして、調査方や会計方、賄方の後方支援部隊は、任務で負傷し身体能力が低下した隊士の再配置先としても機能を始めたのだ。
山崎は途中で給水器から冷たい緑茶を汲むと、適当に目についた席にトレーを置き、ファイルを傍らに置いて椅子に座った。
ひとつ空けて隣の席では、十番隊の隊士3人が向かいあって、ジョッキやグラス片手に談笑していた。
山崎は早速、一口大に短冊切りにされた豚肉を頬張ると、ジューシーな豚肉の甘い油と香ばしいにんにく醤油が口の中で絡み合い、至福感が脳天を直撃するのを感じた。
真選組の食堂メニューにハズレはなく、今日の夕食は、「デミグラスハンバーグと海鮮フライのグリル定食」と「江戸風大盛りトンテキ丼」の2種類だ。
初めは外部の業者を入れ、栄養士考案の健康に配慮したバランスの取れた献立を提供する、一般的な社員食堂の趣きだったのだが、隊士の再配置により外部業者との入れ替わりが進むと、本能の赴くままに鍋を振る輩が増え、その都度起こる栄養バランスの低下に反比例して、隊士の心のオアシスレベルがグングンと上昇した結果、現在の「こういうのでいいんだよ、こういうので」スタイルが確立した。
「今日はどれにすっかな〜」
ひと席向こうでは、十番隊3人組のひとりがスマホの画面に人差し指を置き激しく左右に動かしていた。
「待て待て、真選組AV名誉ソムリエの俺に任せろ!!」
向かいに座っていた中堅隊士がそう言って手元のスマホを手に取ると、斜め向かいの若い隊士が、「教師ものでお願いします!!」と目を輝かせた。
間もなく大音量の卑猥な音声とともに、「これどう!?」と向けられた画面に、向いの隊士ふたりは「おぉー!!」と身を乗り出した。
山崎がそんな会話に気を取られていると、目の前で「ドンッ」と音がした。
どうやって運んできたのか、十番隊隊長の原田はなみなみ注がれたビールジョッキを机の上に3つ並べると、もう片方の手に持っていたトレーを置いて、山崎の向いの席に座った
「なんだ山崎、お前飲まねぇのか!?今日は監察もセーフだろ」
原田はそう言うと、ゴクゴクと喉を鳴らしながらジョッキのビールを一気に飲み干し、ホタテのフライをつまんで口に放り込んだ。
「いや〜、今日はいいです」
急いで咀嚼を終えた山崎がそう答える頃には、原田はすでに二杯目のジョッキをほぼ空にしていた。
この飲みっぷりは原田に限ったことではなく、十番隊の隊士が座る席では、どこも人数の数倍の数のグラスやジョッキが空の状態で並んでいた。
本来、真選組では緊急出動に備え、非番の日でも屯所内での飲酒は全面禁止だが、粛清任務に就いた隊士だけに当日のみアルコールの摂取が許されている。
狂気の沙汰で放出された異常量のアドレナリンを鎮めるには、何らかの方法で発散し、精も根も尽き果てて眠ってしまうしかない。
しかし、それは全隊士にとって明日は我が身であり、同じ穴のムジナと自覚はしていても、目の前でたらふく酒を飲まれること以上に、皆この異様な雰囲気に同席をためらってしまうのだ。
度々繰り出されるソムリエ渾身のテイスティング動画を横目で見つつ、山崎は原田と談笑しながらトンテキ丼と小鉢二皿を完食した。
原田に「お先です」と挨拶すると、ファイルを小脇に抱えトレーを持って席を立った山崎は、出口脇にある食器返却カウンターにトレーを置いて食堂を出た。
