1章 「目黒の桜」

「マジか!!これヤベー!!」
 向こうで若手隊士数人が1台のスマホをのぞき込みながら騒いでいる。
「山崎さんも見てくださいよ!!これヤバいっす!!」
 若手隊士が体をひねりながら向けてきた画面を、山崎は何やら余裕な顔で眺めた。
 そこには、あらわな姿でベッドに横たわる歌姫が映っていた。
 市中見廻り(パトロール)と稽古終わりの部隊が重なり、そこに夕刻ということもあって、優に100人を収容できる大浴場は満員に近かった。
 手ぬぐいを頭に乗せた山崎は、浴槽のヘリに腕を掛け、足を投げ出して湯船に浸かっていた。  
 大浴場唯一の巨大浴槽には妙な法則があり、入隊歴が短い隊士ほど中央に集まる。
 それから隊歴に沿ってグラデーションのように浴槽の縁へ向かい、古参隊士や隊長クラスはヘリにふんぞり返って浸かるのだ。
 局長や副長が入って来たときは、海が割れたように「スススー」と場所が空き、半径1メートルには誰もいなくなる。
 芋洗い状態の浴槽に山崎が足を踏み入れた時も、若い隊士が「どうぞ」と場所を開けた。
 とはいっても、山崎の定位置はヘリの角の方だが。
(しかし局中法度も最近は随分緩くなったな)
山崎は顔に滴る汗を手ぬぐいで拭きながら思った。
 スマートフォンが一般市民に本格的に広まったのは数年前。
 遠距離で会話をできるだけでなく、写真や映像をやり取りできる異星の技術が詰まった小さな箱の出現に、地球市民は初めこそ驚愕したがその利便性にすぐ虜になり、アメリカやイギリス、ロシアなどの大国がこぞって輸入販売を開始すると瞬くまに全世界へと供給された。
 完全防水で摂氏120度から氷点下35度まで対応、衝撃耐久300キロと、惑星環境が比較的厳しいとされている地球でも高い性能を発揮するガルカディア製が一番人気で、地球の若者の関心事はもっぱら、毎年のように新機能を搭載して発売されるガルカディア製のスマートフォンと、その発売日に集約され、山崎も三十路突入の記念にと半年ほど前に購入してみた。
「しっかし、今の若いのは静かに風呂も入れないのかねぇ〜」 
 そう言いながら山崎の隣に腰を下ろしたのは、会計方筆頭の若松だった。若松には肩から背中にかけて長い刀傷がある。
 彼は山崎と同じく、真選組の前身である浪士組からの古参隊士だった。
「そうだね〜、俺達の時代じゃちょっと考えられないかもね〜。まぁ時代だよね。」
 日本幕府は去年、増加する犯罪件数に対応するため警察各機関の大幅増員を決定した。
例に漏れず警察機関である真選組も増員が決定したが、日本幕府は並行してもうひとつの政策を進めた。
 その名も、「働きやすい環境作り推進キャンペーン」だ。
 処遇改善による迅速な増員を狙ったもので、その中でも真選組の局中法度がいの一番にやり玉に挙げられた。
「今どき切腹なんて流行んねぇしな」
 若松は顔を拭っていた手ぬぐいを頭に乗せながら、微笑とも苦笑とも言えない表情で言った。
 第一条、士道に背くまじこと、これに背いたもの士道不覚悟で切腹。
 そんな、豊かさを湯水のごとく享受する今の世に逆行するような一文で始まる局中法度は、国家公務員規則とは別に真選組が独自で定めた私設の組織規則だった。 
 鬼の副長と恐れられる真選組副局長土方十四郎が隊の引き締めのため真選組設立当初に作ったもので、日常の細かい所作から、礼儀、戦での覚悟までを説き厳しく律した、数十条にのぼる決まり事だ。
 平民出身で学もなく、実際には世間に身を置くこともままならないゴロツキ達の寄せ集めに過ぎない真選組が、武士よりもなお武士らしく、そんな理想と願望が詰め込まれた、それは言わば真選組の鉄の掟だった。
 しかし、「通信機器の私的所持及び私的利用を禁ずる、これに背いたもの士道不覚悟で切腹」という法度事項が存在したものの、幕府からの指導が入り去年廃止された。
「まぁ、みんな浮かれてるんだよ。宇宙一の歌姫の警備だからね〜。屯所が静かになっていいじゃん、会計方は仕事しやすいでしょ。」
 山崎は上がりそうになる口角を必死で抑えながら言った。
「いや、総員だよ。監察もだろ?年度末だってのにやめてほしいよ。」
 そうだったのか。山崎は全隊会議を欠席したので知らなかった。
 真選組の会議は全隊会議、部隊会議、全隊号令、部隊号令の4つがある。
 全隊会議と部隊会議は頻繁に行われ、売店のパンの値上げのお知らせから襲撃作戦の作戦指示まで多岐にわたり、内容に応じて前者は隊士全員で後者は部隊ごとに行われた。
 全隊号令と部隊号令は出動直前に行われることが多く、局長または代理で副長が正式な出動号令をかける、いわば出陣式のようなものだった。
 本来、全隊会議には巡察方はもちろん、調査方、監察方、会計方、賄方と全部隊参加が原則だが、監察方に関しては潜入捜査や張り込みの任務に就いている場合が多く、出席は大幅に免除されていた。
 厳密に言えば、大規模策戦などの場合は全隊会議の後に幹部会議があるのだが、それは抜刀部隊の管轄で監察方には関係ない。
 どうせ、あとからパソコンで会議議事録を見れば内容はわかるし、内偵密偵が主な任務の監察方は部隊会議さえ出ていれば事足りるのだ。
 しかし今の山崎にとって、そんなことは足の裏よりどうでもよかった。
「それじゃお先、あ、この前美味いって言ってた川越のうなぎパイ、今度潜行で行くから買って来るよ。」
 山崎は浴槽から出かけて足を止め、思い出したように振り返って言った。
 普段は潜入先でよほど買い物などしないが、今は根回しが必要なのだ。
 脱衣所では、脱衣するもの、着衣するもの、ベンチで火照った体を休めながら談笑しているもの、マッサージチェアーで体をほぐしているものなど、入浴場とはまた違った賑わいを見せていた。
 山崎は手ぬぐいで軽く全身を拭くと腰に巻き、脱衣ロッカーの列を横切って奥の冷蔵庫へ向かった。
 ガラス張りの縦長冷蔵庫には瓶入りの飲み物が並んでおり、山崎はコーヒー牛乳を取り出すと、紙製の蓋の端についた小さな突起物をつまんで「ポンッ」と開け、グイッと一気に飲み干した。
 ついにやったのだ、きっとこれは運命なのだ。
 山崎は空になった瓶を冷蔵庫脇の空瓶回収ケースに入れながら、そう思った。 
最初通知に気づいた時は、衝撃でスマホを落としそうになった。
 ついに決定された地球ツアーの江戸公演、ダメもとでファンクラブチケット先行販売の抽選に応募した。
 各惑星で数々の賞を総なめし、今、宇宙で一番人気のある歌姫。
 もちろん地球でもダントツの人気で、その貴重な地球ツアーのチケット争奪戦は混迷を極めると思われていたが、神様は見ていたのだ。
 そして神様は山崎に微笑んだ。
 山崎はこれを日頃の行いと自画自賛した。
 3日後に迫った江戸公演、あとはこの屯所という監獄をなんとか抜け出し、愛する歌姫が待つ江戸スタジアムまで無事にたどり着くだけなのだ。
 マッサージチェアーのコーナーに向かうと、監察方の隊士が、「あっ、山崎さん、どうぞ。」と場所を譲ってくれた。
「悪いねぇ〜」とマッサージチェアーにふんぞり返ると、ひじ掛けにある(全身モード)のボタンを押した。
 作戦は練ってある。
 1週間前まで会計方に「休み願」の申請をすれば非番にできるが、副長の書類チェックが入った時点で、どうせ「なんだこのふざけた理由は、士道不覚悟で切腹させんぞ。」と突っぱねられるのが関の山だ。
 だから申請は前日の夜にする。そして屯所を抜け出し、スタジアム近くのネットカフェに翌日まで身を隠す。しっかり席の予約もした。
 前日の申請は受理されるわけもないが、そこは会計方筆頭である若松に昔のよしみで頼み込む。
「ヤベ〜めっちゃかわいい〜!!俺、外周だけどさ〜どっか対象警護の部隊いねーの?サインとかもらえねぇかなぁー!」
 向かいのベンチでは、若い隊士達が歌姫の際どい姿が映し出されたスマホ画面を食い入るように見ながら盛り上がっていた。
 若い君達に教えてあげたいけど、そういうぬくぬくとおいしい仕事は警察の体裁取りの権威、エリート集団見廻組の仕事なのだよ。
 山崎はそう思いながら、マッサージチェアーから無言で立った。
 警察組織の末端、泥水をすすって任務をこなす真選組がこんな時に駆り出されてすることは、せいぜい周辺の交通規制と建物の外周警備だ。
 山崎は使用している脱衣ロッカーへ向かうとロッカーの扉を開け、寝巻きの甚平に着替えた。
 そして、奥にしまっておいたファイルを取り出す。
 そこには可愛らしく微笑む女神の顔が写っており、それを大事に胸元に抱きしめると大きく息を吸った。
 ブハハハハッ!!愚民どもめ!!お前達は幼稚なAI動画でも見て喜んでいるがいい!!俺は本物見るけどねー!!そしてムチャな交通規制して渋滞起こして寒空の下で凍えながら市民の皆様に罵倒されるがいい!!俺は休むけどねー!!
 山崎は出口付近にあるクリーニング回収BOXに隊服と手ぬぐいを投げ込むと、抑えきれない口角の上昇を誤魔化すように口笛を吹きながら、脱衣場を出て食堂へ向かった。
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