1章 「目黒の桜」

 先程の囁き主であった本庁職員は、「こちらです」と土方を廊下へ誘導すると、そのまま前を歩き出した。土方はその背中を追いながら、さらなる違和感を感じた。
 最上階への呼び出しはよくあれど、誰かに先導されるのは初めてなのだ。
 やがてエレベーターホールに付くと、ボタン一押しで待ち構えていたようにドアが開き、本庁職員は片手でで開閉を抑えると、もう一方の手で、「どうぞ」と土方へエレベーターの搭乗を促した。
 普段自分がすることはあっても、人からされることのない待遇に、上げ膳据え膳の身分出身者が一様に横柄であることもわからないでもないなと、上昇するエレベーターに中で土方は思った。
 それは1年半前のことだった。
 ここ本庁で行われた警察機構総会には、全国の警察関係機関から多くの関係幹部が出席した。
 長い総会が終わり、後方にある唯一の出入口に全出席者が一様に向おうとしている時だった。
 最後列、出入口に一番近い席に座っていた近藤と土方は、最後に退出するため当たり前のように座って待機していた。
 退出のトップバッターである、京から参加した皇宮警察局長官が遥か前方から牛歩の歩みで、これまた会場唯一の退出通路を大名行列さながらの長蛇の列を作りながらソロリソロリとこちらへ近づいて来た。
 そして近藤の横でピタリと足を止めると、目を細め扇子で口を覆いながら、土方たちを見下ろし言った。
「都でもお噂はかねがね伺うておりますえ〜。うちは真選組のファンどすさかい。あんたはんらは、ほんまに奇跡みたいな存在どすなぁ。お江戸の警察ではお里(さと)もよろしゅうなくて、これといった才も持たはらへんお人らが、皆でお手手(てて)繋いで将軍さんのお膝元をお守りしてはるとか……ほんまに、涙の出るような美談どすなぁ〜」
 武州生まれの土方が初めて見たその風貌に、総会前は今どきどこの雛人形だとギョッとしていたが、突然発せられた会場中に響き渡る、妙に通った大音量のその声に、土方は驚きを通り越し固まった。
 近藤は即座に起立すると、「いや〜身に余るお言葉、光栄です!」と言って敬礼をした。
 土方は帰りのパトカーの中で、「回りくどい言い方だが、褒められたわけじゃない」と近藤を諭したが、「俺はどんな人間のどんな言葉も、ありがたくもらう」という近藤の言葉に、以後土方は近藤の言動に口を出すのをやめた。
 エレベーターは最上階へ到着し、開いたドアの先は天井が高く、重厚な赤色の絨毯が敷き詰められた広い廊下が続いていた。
 先導する本庁職員は警察庁長官室の前まで行くと、ドアを僅かに開け、「真選組副局長をお連れしました。」と言うと、中から「ご苦労」と声が聞こえた。
 ドアを全開にして、「どうぞ」と入室を促す職員に、土方は無言で僅かに頷き中へ入った。
 江戸を見渡すパノラマのガラス張り、すぐ向こうには江戸城天守閣がそびえ、重厚な公務机に豪華な調度品の数々。
「おぉトシ。まぁこっちに座りんしゃい。」
 そして、入って左奥にあるブラウンの本皮応接セットに座っているのは全国警察官の総大将、警察庁長官松平片栗虎。その隣には将軍直属の警察組織である将宮警察見廻組局長佐々木異三郎の姿があった。
 こんなとこにいやがったのか。
 佐々木を目視した土方は、何か得体の知れない不気味さを感じた。
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