過去作品まとめ
完璧省
現在、わたしは沢山の銃に突き付けられている。
何故このような状況になっているのか、検討がつかない。ただ、わたしは朝食を取ろうと、少し焼け焦げたトーストを口に運んでいた。
その突如、玄関を突き破ってきて何人も武装した連中が、わたしの家へやってきたのだ。
今日のような、せっかくの気持ちのよい朝が、物騒な者共に邪魔されてしまった。このような状況だというのに、危機感は不思議と覚えない。
日常が壊されたことによる苛立ちに身を任せ、わたしは彼らに対してふてぶてしく椅子に座り直し、口を開いた。
「どなたですか」
「どなた、じゃないだろう。その態度はなんだ。もう少し、怯えるなり何なりするだろう」
わたしは銃を突き付けられたくらいで、怯えるような根性無しではない。足を組み沈黙するわたしの様子を見て、彼らは困惑した。
「ともかく、お前は重罪を犯した。連行する。ついてこい」
と言い、武装集団の中で一番偉そうな人が舌打ちしながら、わたしの腕を力強く引っ張った。
「重罪って、どういうことでしょう。説明して下さい」
わたしは一体どんな罪を犯したのだろう、と思考を巡らせたがわからぬままだった。自覚がないのか、と野次が飛んでくる。
文句を言わないで頂きたい。いくら考えても、わからないことはわからないのだ。
「恍けたって無駄だ。その手に持った物はなんだ」
「トーストです」
偉そうな人に持ち上げてみせる。只のトーストに、一体どのような問題があるというのか。
「これは、問題のあるトーストだ。重罪の立派な証拠だろう。大人しくついてこい」
再び、腕を強く引っ張られる。
「何故これが罪になるんですか」
理解できない。その態度を崩さないわたしに対して、呆れたかのように武装集団は肩を落とした。
「お前は一から教育を受け直す必要がある。あまりにも無知だ」
あんまりな言い草に、思わず反論する。
「無知ですって。わたしはね、大学を主席で卒業して大企業に就職したんです。今は結婚して専業主婦なんですがね、そんなわたしに向かって、無知だなんて」
早口で一気に捲し立てた。武装集団はわたしの話を聞いて、気を悪くしたようだ。
何故。何故だ。事実を言っただけなのに。
「主婦になって、何年目ですか」
腰の低い武装集団の紅一点が、おずおずと手を挙げて発言した。
「一年。いいえ、そろそろ二年目になります」
話しながら、わたしは時間の感覚が鈍ってしまったことを自覚する。
ばつが悪くなり、視線を真横に向けた。あまり意識したことのないカレンダーが、壁に掛けられている。
思えば、カレンダーは去年のままで、使用することがないまま埃を被っていた。
「外へ頻繁に出かけることはありますか」
「いいえ。元々家に篭もりがちなもので」
「テレビは観ますか。新聞とかは」
「いいえ」
「そうですか。あの、質問攻めになってしまい申し訳ないのですが、お子様はいらっしゃいますか」
態度の割に図々しい。この女性に嫌悪を抱きつつ「いませんが」と、我ながら律儀に答えた。
はあ、と女性。受け答えが釈然としない。
彼女の質問に返答するのは、もうこれっきりだと心に決めた。意図が読めなくて、彼女は酷く不気味に思える。
「話を聞いていてよくわかった。お前は無知で当然だ」
再び、一番偉そうな人が口を開いた。癇に障る話し方が気に食わない。だが、ここで腹を立てては相手の思う壺だ。
一度深呼吸をし、応答する。
「どういう意味ですか」
「ここのところ二年で、国が大きく変化した。完璧省というのは聞いたことがあるか」
初耳だ。素直に首を横に振る。
「そうか。ならば説明してやろう。二年前に発足された、新たな国の行政機関のことだ。率直に言えば、不完全や失敗を取り締まる機関で、常に完璧であることを国民に義務付けるために発足された」
いつの間にか、よくわからない機関ができていたのか。このことは大々的に報道されていたに違いない。それをわたしは知らないというのだから、無知と呼ばれても至極当然なのだろう。
自分自身に、呆れてしまう。
「お前は焦がしたトーストを焼き、それを口に入れようとした。その時点で犯罪になる世の中になってしまったんだ。お前、近所の家の窓を見てみろ」
理不尽だ、と怒る気が失せてしまったわたしは、何も疑問を持たずに隣人の窓を見た。遮光カーテンで閉められており、中の様子が伺えない。
「わかっただろう。この付近では、お前の家だけがカーテンを開けて生活している。人間というものは小賢しいことばかり考える者もいるだろう。中の様子がよく見える家を見つけては、何かへまをしないか見張り、通報していく輩がいるんだ。お前はそいつに目星を付けられた。だから、我々が駆けつけた。そういうことだ」
彼の長い説明のお陰か、現在の状況を冷静になって考えることが出来るようになった。
わたしは、二年間外の世界から遮断して生きていた。それも、無自覚で。傍から見ると、わたしは奇異だったことだろう。
そのため、世の移り変わりについていけず、何もわからぬままに重罪を犯してしまった。
そうだ。わたしが悪いのだ。
そう思うことが、現在の世の中では正しいはずなのに、ふつふつと怒りが湧く。
たかがトーストを焦がして、罪になることがあってたまるか。あまりにも馬鹿馬鹿しい。それが罪になるルールを作ったときに、このことを許した者共は一体何を考えているのだろうか。
失敗が許される世の中を、肯定してはいけないというのか。
ぐるぐると考えて、ひとつ決断した。
この世の中で、反抗をしていかなくてはならない。この状況では、武装集団から逃げることは不可能に等しい。だが、捕まった後のことを考えると、裁判があるはずだ。そこで、わたしは演説を行う。大勢の聴衆に向けて、わたしの考えを発信することができると考えたためだ。
目的ができたからには、後は実行するのみだ。
「わかりました。わたし、あなたたちについて行きます」
武装集団は、わたしが納得したからそう応じたのだろうと考えているに違いない。
馬鹿め。まんまと、わたしの計画に乗せられている。どんな窮地だろうと、必ず這い上がってみせる。今まで、そうして生きて成功した人生を歩んできたのだ。完璧省とやらに捕まろうと、大それた問題ではない。
「随分と素直だな。だが、理解が早くてありがたい。すぐさまお前を連行する」
今度は、わたしの腕を引っ張ろうとはしなかった。彼の中で、油断が生じたのだろう。
非常に、人間くさくて結構なことだ。
大人しく、武装集団について行こうとするが、わたしは何かを忘れているのではないか、と思うようになった。
「ちょっと待ってください。このままついて行ったら、長い間家を留守にしますよね」
「当然だろう」
何か、重大なことを忘れている。家を長く空けてはいけないようなことを。
あっ、と声を上げた。
何事か、と武装集団は振り返る。わたしは思い出したのだ。家を空ける前に、必ずしておかなくてはならない用事を。
「あの、ここを出る前に、旦那を冷凍庫に入れてきてもいいでしょうか。最近、動かなくなってしまったのです。そのまま放っておいたら、腐ってしまうでしょ」