蒼天のキセキ

「オレの夢は、空を飛ぶこと!」

 そう語る幼馴染は俺と同じ高校生だ。翼の方が誕生日が早いから年齢的には一つ上ということになるのだが、未だにそんなことを言っては周囲を困惑させている。

「お前、そろそろ落ち着いてくれ。俺の胃がもたない」

 夢を語る分にはいい。ただ、空を飛ぶことしか見えてないのか、登るべきでないような高いところに登ったり、そこから飛び降りようとしたり、どこでも飛び回り騒がしい。そんな危なかっしくて、他人に迷惑をかけてばかりの翼に振り回されて十二年。各所に頭を下げ、翼に小言を言っては、不快な胃痛を鎮めるために薬を飲む。そんな生活を続けていた。
 確かに一緒に空を飛ぶことを夢見た時期もなくはないが、そんなものは小学校に入る頃にはすっかり卒業した。小学生ならまだしも、もう今年から高校生なのに。一生この奇行はなくならないのだろうかと考えるとゾッとした。

「なぁ、蒼! 見て見て!!」

 俺の気など知らず、何かを見つけたらしい彼は、俺の手を引っ張って走り出した。色々と考えているうちに、翼に導かれるがまま青空の下に立っていた。

「この空、飛んだらすげぇ気持ちいいだろうな!」

 澄み渡る夏の空は、どこまでも広がっていて、眩しくて綺麗だった。その美しさは鬱屈した心を一瞬で晴れ渡らせることができるくらいの力がありそうだ。

「鳥だったら飛べるのにな」

 俺たちは人間だから飛べない。どこかそのような意味を込めて呟いた。それを聞いた翼は真っ直ぐに俺を見て口を開いた。

「人間だから飛びたいって思うんだよ!」

 確かにそうか。日常的にそれができるのなら、それは夢にはならない。コイツ何も考えてない割には深いことを言ってくる。その屈託のない笑顔は、先ほど見た空と同じくらい眩しくて、思わず目を逸らしてしまいそうだった。

「そうだな」

 また今日もカラっと晴れた翼の笑顔に絆されてしまった。

 いつだってそうだ。あれこれ悩んでは気が滅入りそうな毎日から、理性でがんじがらめにされて息苦しい毎日から、そっと連れ出してくれる。文句を言いつつも、ずっと翼と共にいるのは、この瞬間が自分にとって救いでもあるからだ。



「天空、広岡。立ち入り禁止の札が見えなかったのか?」

 そんな現実逃避から我に返ったのは、怒った先生の声が聞こえたからだ。

「え、す、すみません」

 咄嗟に頭を下げた。確かに屋上は立ち入り禁止だったはずだが、ぼーっとしているうちに、翼に連れられてきてしまっていたのだ。

「まあ、悪気はなさそうだが、きっちり反省文は書いてもらうからな。放課後職員室に来い」
 
「はい……すみません」

 俺ばかり謝って、翼はなんのことかわからないばりにきょとんとしているので、少し強引に翼の頭を下げさせた。

「なんで怒られたんだ?」

「いや、立ち入り禁止の屋上に入ったからに決まってるだろ」

 全くその通りを説教されたはずなのに翼は理解していないかのように、目をぱちくりとさせた。

「なんであんな綺麗な空なのに、誰も見ちゃいけないんだ?」

「は?」

「高いところで見たほうが絶対綺麗なのに!」

 翼はまたよくわからないことを言った。ルールだから、そう決まっているから。そういう理由では納得しないんだろうな。

「お前みたいな奴が飛び降りたら危ないからだろ」

 ここ気持ちいい、飛びたいなどと言って身を乗り出したり、柵に登ったりしたことは何度もある。その度にどれだけ俺が肝を冷やしたかなんて、全く伝わっていないんだろうな。

「オレと同じ奴が他にもいるってことか! 話してみたいな!!」

 あまりに能天気な翼を見て、頭を抱えため息をついた。そんな奴お前だけだよと。

「まあ確かに、オレも蒼が飛び降りたら嫌だからな!!」

 俺を見た翼は、突然そんなことを言った。俺が飛び降りるなんて翼は思ったのだろうか。

「いや、俺は飛び降りたりしないけど……ていうかそう思うんなら俺がお前を止める理由だってわかれよ」

 翼の考えていることはわかるようでわからない。単純なバカのはずなのに、時々こういうことがあるから手綱を握りきれないのだ。

 とにかく今後はもっと俺がしっかりコイツを見張って、今日みたいなことがないようにしなければ。そう思いながら教室に戻った。

 自分の席に着くと、鞄から常備している市販の胃薬を取り出して、ぬるい水で流し込んだ。

「はぁ……」

 放課後の反省文のことを考えると気が重い。翼と離れた瞬間にドッと疲れが押し寄せてきて、机に伏せる。

「蒼くん大丈夫?」

 顔を上げると、前の席の飛高が心配そうに見つめていた。

「ごめん……」

 何故だか俺にもわからないが、口から漏れたのは謝罪だった。

「謝るようなことないでしょ?」

 飛高は困ったように笑った。すぐに謝るのは癖のようなものなのかもしれない。

「無理しない方がいいよ」

 飛高には俺が疲れているように見えたのだろう。そう労ってくれた。飛高のことはよく知らないが、誰にでも優しくてしっかりした女の子という印象はある。俺は他人に気の利いたことを言えないから、すごいなとぼんやり思っていた。

「ああ、ありがとう」

 ぎこちなくそう返すと、飛高は優しく微笑んだ。

「翼くん、すごく元気だよね」

 そのせいで俺の元気が奪われるからやめてほしいんだけど。そう頭では思ったが、飛高にそれを言っても仕方がないから口には出さなかった。どう返事をしようか。そう考えていると、昼休みの終わりのチャイムが鳴った。

**

 放課後、俺と翼はこってりと絞られた。反省文を書き終えるまで居残りと言われ、俺は必死で謝罪の言葉を並べた。
 俺は叱られて精神的に参っているというのに、翼は相変わらずヘラヘラと笑っている。お前のせいでこんなことになったのにと少しだけ怒りを覚えた。

「なあ蒼」

 ため息をつきながら靴を履いて、身軽な足取りで外に出る翼を追いかけると、立ち止まった翼はキラキラとした表情で俺を見た。

「空、すっげぇ〜綺麗だ!!」

 昼間の美しい空を夕焼けが染めて、オレンジ色に輝いていた。

「居残りじゃなかったら、この空見られなかったな!!」

 翼は嬉しそうにそう言った。

 俺一人だったら、この空を見る余裕もなく、そんな考え方もできないままひたすら落ち込んでいただろう。翼はオレンジ色の空に照らされて、負けないくらい眩しく光っていた。

 翼がいなかったら、疲れることも少ないし、反省文を書かされるようなことはないだろう。けれど、悩みの多い毎日の中で楽しみは見出せず、退屈で苦しいだけの日々を過ごしていたかもしれない。そう思うと、やっぱり翼と一緒に過ごすことは俺にとっての希望なんだろうと改めて思った。

 何があっても、ずっと隣にいたい、離れることはない。そう思えるのはきっとこの先も翼だけなんだろうな。そんなことを考えながら、俺は今日も騒がしい幼馴染の背中を見つめながら家に帰るのだった。
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