2話 再会

 俺が待ち望んでいた退院の日。倒れたとき小学生だった俺は、いつもみたいにすぐに退院して、当たり前のように中学校に入学して、1年生、2年生と進んでいくはずだった。しわひとつない綺麗な制服、丁重にビニールが被せられ、ほこりよけもばっちりなそれは、今年中学3年生になる俺がまったく袖を通さずに病室に飾られていたものだ。

 退院して元気になった姿を愛莉に一番に見てもらいたかった。愛莉は今どうしているのか気にして聞いたこともあった。でも、愛莉の良い話は聞かなかった。誰だっけ、そういえば学校で浮いた不良女がそんな名前だったかと哲志が言ったことで胸がぞわっとした。純太に聞いても知らないと言って答えてくれなかった。人違いであってほしい、そう願いながら自分の目で確かめるしかなかった。

 退院した俺は、真っ先に愛莉のところへ会いに行こうとした。でも、肩書上は3年生とは言うが新入生や転校生も同然な俺にそんな暇なんかなかった。愛莉が何組かもわからないし、そもそも靴箱から職員室に辿り着くのに、純太の案内がなければそれすら難しかっただろうし、先生に案内されなければ教室に入ることもままならなかった。事務的な話、朝の学活でのあいさつ、授業がどこまで進んでいるかの把握、移動教室にはクラスメイトに遅れないでついていかなければならない。そんなことで手一杯になり、放課後までゆっくりする時間がなかった。いざ愛莉に会いに行こうとしても、教室にはいない。知っているわけないよなと思いながら純太に聞いてみると、あっさりと場所を教えてくれた。なんで純太が知ってるんだろうと少し複雑な気持ちになりながらも俺は愛莉にもう一度会えることが嬉しくて、制限されているのも忘れてつい小走りでその場所に向かったのだった。

 そこで出会ったのは俺の知っている愛莉とは似ても似つかない風貌の女子生徒だった。けれど確かに目元は俺の好きだった女の子にそっくりで、俺の「愛莉」と呼ぶ声に反応を見せたからやっぱり彼女本人なんだろうなと思うしかなかった。呼びかけた俺の方を見て、愛莉の口から放たれた言葉は彼女が言いそうにない言葉だった。もし退院して会いに行ったら、愛莉はなんて言葉をかけてくれるかななんて病室で一人考えたものだ。きっと頑張ったね、おめでとうって激励してくれると信じていた。
 けれど、不思議と愛莉の言葉に棘はなかったように思う。きっと、愛莉にとって今の自分なりに一番の激励をくれたんだと俺はそう解釈した。だから、寂しくて凍てついた彼女の心を温めてやりたかった。何から伝えればいいのか言葉を探していたが、今この瞬間を逃してしまえば、愛莉はもう二度と手の届かない場所へ行ってしまうような気がした。長い間辛い思いをさせてしまったのは自分であることはわかっていても、彼女を抱きしめずにはいられなかった。
 まずはずっと自分が会いたいと思っていたことを素直に伝えて、それから一言、一人にしてごめんと謝った。俺と一緒にいることでいじめられるようになったこと、目の前で人が倒れて死にかけたこと、きっと彼女の心に深い傷を負わせてしまったのは間違いなかった。でも、いつか愛莉は「真純くんと一緒にいればどんなことだって平気」と言ってくれた。苦しい中でも俺に光を与え続けてくれた彼女が、一番望むことは「一緒にいたい」ただそれだけだったのに。そんな簡単なこともしてやれなかった。それが悔しくてたまらなかった。自分が隣にいれば、きっと愛莉の心を少しでも軽くしてあげられたのに。そんな思いが一気にこみ上げてきて何も言葉にできなかった。

 しばらくして彼女は俺の腕を引き離して全力で駆けて行った。もう二度と近づかないでと一言残して。俺はその言葉に、何も返せなかった。どういう意味かわからなかった。……わかりたくなかった。
 愛莉の去っていく背中をただ茫然と見つめていることしかできずに涙がこぼれた。どうしようもないほどに胸が苦しくて、その場から動けなかった。いつも苦しめられているあの胸痛とは違っていて、それを抑える方法もわからなかった。ひたすらに、愛莉を一人にしてしまった自分への悔しさと嫌悪感が涙とともに溢れていく。こんな身体で生まれてきたことよりも、彼女を苦しめてしまったことよりも、退院できると知って浮かれていた自分を一番に恨んだ。会えばきっとすぐ前みたいに笑えるって信じて疑わなかった自分をなんて能天気なんだろうと軽蔑した。状況を聞いて予感はしていたはずなのに。もっと他にできることが、言えることがあっただろうに。どうして何も言えなかったんだ。引き止められなかったんだ。

 愛莉が二度と近づかないで言った悲しそうな表情が頭に焼き付いて離れない。そうだ、愛莉が望むなら俺はそばにいない方がいいに決まっている。どんなに俺が言葉をかけても、きっとまた俺は愛莉を一人にしてしまう。俺の病気が治らない限り、何度だって同じことを繰り返す。
 元々愛莉とは必要以上に仲良くならないようにしようと思っていた。それは、愛莉が嫌だったからじゃない。むしろ愛莉のことが好きだったからこそ、そうしなければならないと最初は距離を置いていた。俺は二十歳まで生きられないだろう。父さんにそう言われたわけじゃないけど、自分で図書館に行って闘病記を読んだりしているうちに、それを悟っていた。だから、自分と親しくなって、悲しい別れになるよりは最初からそっけないくらいの方が気が楽だから。けれど、愛莉と話すのがあまりにも楽しくて、一緒にいてくれるだけで幸せだと言ってくれたことが嬉しくて、俺は自制できずに愛莉と仲良くなりすぎてしまった。愛莉の笑顔を見ているとどっちが正解かわからなくなって揺れていた。
 けれど、あの愛莉の表情が教えてくれた。もう、これ以上あんな顔をさせるくらいなら俺は愛莉と一緒にいない方が良いと。
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