プロローグ 

真純まことくん、一緒にトランプしない? たまには息抜きも必要よ」
 わたしは、退院したばかりでクラスに馴染めていなかった真純くんを放っておけなくて声を掛けた。委員長だったわたしは、先生から真純くんのことを聞いて色々と気に掛けてやってほしいと言われた。だからというわけではないけれど、勉強の空白を埋めようと必死に机にかじりつく姿を見て、何か手伝えることはないかなと思ったのは事実だ。
「でも、ルール知らない……ごめんね」
 寂しそうに眉を下げて真純くんはそう言ってわたしに謝った。小さい頃から入退院を繰り返していたのは先生からも聞いていたけど、友達とトランプをするような経験もしないで病気と闘って、休み時間を返上してみんなと同じ生活をするために努力してきたのかと思うといたたまれない気持ちになった。
「ねえ愛莉、この前親戚のお姉さんにトランプ占い教えてもらったの! 一緒にやらない?」
 真純くんと二人でしょぼくれたわたしの背中を見ていられなかったのか仲の良かった友達が誘ってきた。真純くんは気にしないでと言いたげにわたしの方を見て、それからさっきまでと同じように机に向かった。
「愛莉、今気になってる相手を思い浮かべて。その人との相性を占います」
 恋愛占い。友達はこういう話が好きだ。だけどわたしには好きな人なんていないし、そもそもあまり恋愛に興味はない。気になってる相手と言われても困ってしまう。
「将来両想いになるけど結ばれることはないって」
「で、愛莉は誰思い浮かべたの?」
「そうそう、めっちゃ気になる~」
 こういうことには何よりも食いついてくる友達。誰も思い浮かべてない、というよりさっきのことがあったから真純くんのことを考えていた。
「内緒に決まってるでしょ」
「え~」
 二人は口を揃えて不満そうな声を漏らす。思い浮かべたけれど、想っている相手ではなかったから。このときのわたしはあまり占いの結果を信じてはいなかった。

 そうこうしているうちに二時間目の少し長い休み時間を終えて授業が始まった。
 今日は二十五日。出席番号が二十五番の真純くんを先生が指名して音読がスタートする。真純くんはたどたどしく、時々読み間違えながら一生懸命読んでいた。わたしは、こう読むんだよって教えたいと心の中で思いながら真純くんの声を聴いていた。間違えるたびに笑いがおこる。真純くんは顔を赤くしてだんだん涙目になってくる。それでも、先生がそこまでと言うまで頑張っていた。わたしは心の中で読み終えた真純くんに全力の拍手をした。
 次の体育の着替えは女子が教室で、男子が隣のクラスの教室だ。わたしは着替えを終えて外に出ようと脱いだ服をたたんでいた。そのとき、廊下から悲鳴が聞こえた。
「何コイツ、のぞき?」
「やだ、変態」
 隣のクラスの女子が汚いものを見るような目で、廊下に座り込む男子を見ていた。細く小さな手で胸の真ん中あたりを押さえてうずくまる男子を――
「真純くん! 大丈夫?」
 わたしは他の人から見えないように前に立ちはだかるようにして声を掛けた。苦痛に歪めた顔は青ざめて、汗がじわじわと滲んで落ちる。
「きょ……しつに……くすり…………」
 絞り出したようなか細い声で真純くんは訴える。わたしはそれを聞いて急いで教室の真純くんの机からランドセルを持ってきた。勝手に開けて探るのは申し訳ないから、ランドセルごと渡して自分の水筒のコップに水を入れて持ってくる。
「これで飲んで!」
 焦りの気持ちで判断力がなくなっていたわたしは何も考えずにそれを真純くんの前に差し出した。けれど、真純くんはそれを受取ろうとせず、首を横に振った。真純くんのことが好きだとかそんなふうに考えたことはなかったけど、断られたことがなぜだかすごく悲しくて悔しかった。
 真純くんはわたしの水を無視して、薬をそのまま口に入れた。薬ってそのまま口に入れるとすごく苦くて、流し込まないとやっていられないはずなのに、それを我慢できるくらいわたしのコップが嫌なのかな。そういえばルールを知らないと断られたトランプも、本当は知っているけどわたしと遊びたくなくて……。なんとなく真純くんとの距離を感じてしまい、迷惑だったかなと反省した。
「ごめん、薬取ってきてくれてありがとう。水も、使わなかったけど嬉しかったよ」
 わたしの表情から察したのか真純くんは、そう言ってくれた。薬を飲んで1~2分でさっきまでの様子からは想像できないくらい落ち着いた様子になっていた。
 真純くんを保健室に連れて行って、授業に戻る。その日はいつも感じない視線を感じた。なんだか笑われているような気がした。
 けれど、その日をきっかけにして、わたしは真純くんのことが気になり始めた。

「真純くん、これ休んでたときのノートだよ」
 入院じゃなくても真純くんは学校を休むことが多かったから、わたしはそのたびに次の日に授業のノートを渡すのが自然になってきた。最初は申し訳なさそうにしていたけれど、だんだんとわたしも真純くんもそれが当たり前になって、いつもありがとうと笑いあえる関係になった。一緒に勉強してみんなに追いついたり、二人でいたらいろんなことに挑戦できるようになった。毎日あいさつを交わして、休み時間におしゃべりをして、こんな日がずっと続けば楽しいなと思っていた。

 四年生も五年生もわたしと真純くんは楽しく過ごしていた。けれど、真純くんと仲良くなればなるほど、これまで遊んでいた友達もわたしを避けるようになった。きっとわたしと真純くんが仲良くなって、自然と話す機会も減ったから仕方がないのかなってそのときは思っていた。けれど、本当はそうじゃなくて、真純くんと一緒に居るわたしを他の人と一緒になって嘲笑っていたのだった。真純くんに触ったら病気がうつるだとか、背が縮むだとか、勉強ができなくなるだとかクラスの人はあることないこと言って、ずっと真純くんを蔑ろにしてきた。わたしはそれが許せなくて、なんでそんなことをするのと言ったことがある。当たり前のように真純くんが困っていたら助ける。けれど、そんなわたしを気に入らなかったのか、わたしまでもみんなは嫌うようになっていった。靴が水浸しになっていても、そんなことでは負けないと思った。だって、真純くんはもっとひどいことをされている。それに、毎日病気で苦しくて仕方ないはずなのに、いつでも前を向いて一生懸命生きている。だからわたしも真純くんと一緒に笑って居ようって決めた。

 六年生になって、お父さんとお母さんは海外でのプロジェクトのために移住することになった。わたしは真純くんと離れるのが嫌だし、知らない土地に行くのも不安だったから使用人と家に残ることにした。使用人も良くしてくれるし、真純くんがいればわたしはきっと大丈夫だとそう信じていたから。でも、現実はそうじゃなかった。使用人は大好きなお父さんへの悪口を言いながら、わたしを蔑ろにするようになった。信じていたのに、裏切られた気分だった。食事は手を抜かれ、家もどんどん汚れていった。汚れたままの服、部屋の前にひっくり返された花瓶。
 わたしはそんなことで負けたくなくて、勝手に使用人を解雇した。料理も洗濯も掃除もたくさん調べて自分でするようになった。そして、家事の話を真純くんにしたらすごいねって言ってくれた。真純くんがいるからわたしは大丈夫。辛いことだって笑いに変えられる、そんな二人の仲だから。わたしが真純くんと仲良くなって、真純くんに笑顔が増えた。それと同じようにわたしが辛いときは笑顔にしてくれる。

――ねぇ、真純くんはもし好きな人と付き合ったらどうする?
――好きな人には幸せになってもらいたい。だから付き合ったりしない。
 なんとなく聞いてみた質問と真純くんの答え。真純くんの答えの意味はこのときのわたしにはわからなかった。けれど、この質問をしてから一週間を待たずしてわたしはその意味を知るようになる。真純くんが傍にいない長いときを過ごすことになって初めて。

『両想いだけど結ばれない』
 根拠のない占いの結果さえも、真実だと思えるほどに、現実はあまりに残酷で愛はあまりに儚く脆かった。
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