3話 合宿
「……景くん、大丈夫?」
僕を気にして、部屋の隅の方で背中を向けてゴミ箱に対峙している景くん。学校から宿までの間のバス移動でひどく酔ってしまい、とても活動できそうな状態ではない。
景くんとは、四月の間、保健室で毎日一緒に掃除をしていたから名前も覚えた。僕はまだ教室に通えていないし、景くんと親しく話したこともないから、普段どんな感じで過ごしているのか全然知らない。最初の印象と掃除の時間に司くんや翔くんに怒っているところばかりが頭に残っていて、怖いなって思ってしまう。
「……大丈夫」
背中を向けたまま絞り出すように言ったその声は全然大丈夫じゃなさそうで、まだゴミ箱を手放せない。
「ごめん……汚いし、その、臭いとか」
煌は身体が弱いのに、こういうので気分が悪くなったりしたら申し訳ないと景くんが言うので、気にしなくてもいいよと返す。本当は気にならなくもないけれど、景くんの気分を害して怒られたら怖いから。
こんなとき、景くんにはなんて言葉をかけたらいいんだろう。僕もよく体調を崩して、ときには嘔吐してしまうこともあるけれど、そのときなんて声をかけられたら嬉しいかな。僕ならーー
……そっとしておいてほしい。
僕は結局何も言葉を交わせず、気まずい空気が流れる。景くんはだいぶ落ち着いたみたいで、顔を洗いに行くと部屋を出ようとする。その足取りは重くて、歩くのも辛そうだ。バスからこの部屋に来るときも司くんや竜くんに支えられてようやくたどり着いたくらいだ。怖いとか、汚いとかそんなことはどうでもよくって、心配だという気持ちが何よりも勝って、僕は景くんの隣に立って肩を差し出した。
「一緒に行こう?」
「悪いな」
僕に体重をかけないように気を遣っているのが分かる。こんなときまで僕の心配をしなくてもいいのに。景くんはあれこれ口うるさく言っているけれど、自分がちゃんとできているからかなと思う。司くんたちが話しているのを聞いただけだけど、景くんはすごく勉強ができて真面目だって言っていた。もしかしたら、本当は怖い人じゃないのかな。だって、何より司くんたちが景くんと友達でいるんだから。
(景くん……!)
ひとつひとつの動作が辛そうで、歩いているときも僕が支えていないに等しい状況なこともあって、景くんはだいぶふらふらしている。触れたところは少し熱いくらいだ。もしかしたら、バス酔いだけじゃなくて体調が悪いのかもしれない。
佐野先生を呼んだ方がいいか、それとも勝手に布団を敷いて景くんを寝かせるか、どうしようか悩んでいるうちに自分がハンドタオルを持っていることを思い出す。これで冷やしたら気休め程度には効果があるのかななんて思いながら、景くんが顔を洗う隣でタオルを濡らす。
「あ、あのね……横になったり、頭を冷やすと乗り物酔いが楽になるって聞いたことがあって、……もし良かったらだけれど」
そう言いながら自然な流れで布団を敷いて、濡れタオルを差し出す。
「ありがとう、煌」
景くんは僕にお礼を言って、すんなりと横になる。僕のタオルも嫌がらずに受け取ってくれた。
しんどかったのか、横になると景くんはすぐに寝付いてしまった。結局一人でいるのとあまり変わらないかなと少し残念に思いつつ、景くんの寝顔を見つめていた。
僕は一人でいたいのか、そうじゃないのかわからなくなっていた。
**
「えーっ! 捻挫?!」
これじゃ県体出られないじゃん! と叫ぶ元気な声が聞こえて、景くんと一緒にウトウトしていた僕はハッと目を覚ます。景くんも目を開けて、何事だというような顔をしている。
「樋口さん! 赤城くんと王子くんが起きちゃうじゃない」
佐野先生は慌てて樋口さん? の口をふさごうとするが、目を覚ました僕や景くんの顔を見てため息をつく。
「ご、ごめん……!」
ちょっと恥ずかしそうに手を顔の前に合わせて謝る女の子。
「樋口……うっ……」
「あ、景くん……って大丈夫?」
景くんは彼女のことを呼ぶ。そして、また気分が悪いのかゴミ場の方に向く。すると彼女も景くんのことを知っているのか背中をさすりながら話しかける。
「だいぶ楽になった……」
景くんがそう答えると彼女はまだ心配そうな顔をしつつも、良かったと一息つく。
彼女と目が合うと、僕はいつの間にかかけられていたタオルケットに身を包み、彼女から背を向ける。人見知り、というか人が怖い僕の悪いところだ。
「寒い?」
彼女からわざと目を逸らした僕にいじわるするように彼女は回り込んで僕のことを見つめる。僕は彼女の問いかけには答えず、目を伏せて合わないようにした。
「煌、樋口はいい奴だ」
僕が怖がっているのが分かったのか、景くんはそう言った。
「俺のことも怖い・・・…か」
けれど、目を閉じて悲しそうにそう付け足した。今日の景くんを見て少しだけ怖かった気持ちが薄らいだのは本当だけど完全に怖くなくなったというわけでもない。景くんの性格が悪いというわけではなく、もとから少し色々とあって誰かとかかわりを持つこと自体が根本的に苦手なのだ。
「へへっ、景くんもいい人だよ~」
そう言って彼女は笑って見せた。屈託のないその瞳に思わず吸い込まれそうだった。
「分かってるよ」
彼女とは目も合わせないで、口早にそう言った。
「煌くんっていうんだよね? 私は直子。よろしくね!」
それでも、彼女は僕の目線をとらえようと動く。足を怪我していても、そんなこと感じさせないくらい大胆で行動的なもので、僕も彼女の視線から逃げ回るのにも疲れてきた。
「どうせここにいても退屈だし、何か話でもしようよ!」
それから、彼女は僕や景くんにたくさん質問した。そして、自分のこともよく話してくれる。最初は自分のことを話すのにも抵抗があったし、僕も景くんも聞いているか、聞かれたことに答えるかぐらいしか言葉を発していない。なのに、誰かと話してこんなに楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。司くんは優しくて話しやすいけれど少し違う。
「ねえ、また一緒に話そうよ」
合宿の帰りのバスに乗り込むときに、彼女はそう言ってにっこりと笑って手を振った。そして、僕も、彼女に負けないくらいの笑顔で「またね」と言った。
(みんないい人ばかりだし、案外教室に行くのも怖くないかも……)
僕を気にして、部屋の隅の方で背中を向けてゴミ箱に対峙している景くん。学校から宿までの間のバス移動でひどく酔ってしまい、とても活動できそうな状態ではない。
景くんとは、四月の間、保健室で毎日一緒に掃除をしていたから名前も覚えた。僕はまだ教室に通えていないし、景くんと親しく話したこともないから、普段どんな感じで過ごしているのか全然知らない。最初の印象と掃除の時間に司くんや翔くんに怒っているところばかりが頭に残っていて、怖いなって思ってしまう。
「……大丈夫」
背中を向けたまま絞り出すように言ったその声は全然大丈夫じゃなさそうで、まだゴミ箱を手放せない。
「ごめん……汚いし、その、臭いとか」
煌は身体が弱いのに、こういうので気分が悪くなったりしたら申し訳ないと景くんが言うので、気にしなくてもいいよと返す。本当は気にならなくもないけれど、景くんの気分を害して怒られたら怖いから。
こんなとき、景くんにはなんて言葉をかけたらいいんだろう。僕もよく体調を崩して、ときには嘔吐してしまうこともあるけれど、そのときなんて声をかけられたら嬉しいかな。僕ならーー
……そっとしておいてほしい。
僕は結局何も言葉を交わせず、気まずい空気が流れる。景くんはだいぶ落ち着いたみたいで、顔を洗いに行くと部屋を出ようとする。その足取りは重くて、歩くのも辛そうだ。バスからこの部屋に来るときも司くんや竜くんに支えられてようやくたどり着いたくらいだ。怖いとか、汚いとかそんなことはどうでもよくって、心配だという気持ちが何よりも勝って、僕は景くんの隣に立って肩を差し出した。
「一緒に行こう?」
「悪いな」
僕に体重をかけないように気を遣っているのが分かる。こんなときまで僕の心配をしなくてもいいのに。景くんはあれこれ口うるさく言っているけれど、自分がちゃんとできているからかなと思う。司くんたちが話しているのを聞いただけだけど、景くんはすごく勉強ができて真面目だって言っていた。もしかしたら、本当は怖い人じゃないのかな。だって、何より司くんたちが景くんと友達でいるんだから。
(景くん……!)
ひとつひとつの動作が辛そうで、歩いているときも僕が支えていないに等しい状況なこともあって、景くんはだいぶふらふらしている。触れたところは少し熱いくらいだ。もしかしたら、バス酔いだけじゃなくて体調が悪いのかもしれない。
佐野先生を呼んだ方がいいか、それとも勝手に布団を敷いて景くんを寝かせるか、どうしようか悩んでいるうちに自分がハンドタオルを持っていることを思い出す。これで冷やしたら気休め程度には効果があるのかななんて思いながら、景くんが顔を洗う隣でタオルを濡らす。
「あ、あのね……横になったり、頭を冷やすと乗り物酔いが楽になるって聞いたことがあって、……もし良かったらだけれど」
そう言いながら自然な流れで布団を敷いて、濡れタオルを差し出す。
「ありがとう、煌」
景くんは僕にお礼を言って、すんなりと横になる。僕のタオルも嫌がらずに受け取ってくれた。
しんどかったのか、横になると景くんはすぐに寝付いてしまった。結局一人でいるのとあまり変わらないかなと少し残念に思いつつ、景くんの寝顔を見つめていた。
僕は一人でいたいのか、そうじゃないのかわからなくなっていた。
**
「えーっ! 捻挫?!」
これじゃ県体出られないじゃん! と叫ぶ元気な声が聞こえて、景くんと一緒にウトウトしていた僕はハッと目を覚ます。景くんも目を開けて、何事だというような顔をしている。
「樋口さん! 赤城くんと王子くんが起きちゃうじゃない」
佐野先生は慌てて樋口さん? の口をふさごうとするが、目を覚ました僕や景くんの顔を見てため息をつく。
「ご、ごめん……!」
ちょっと恥ずかしそうに手を顔の前に合わせて謝る女の子。
「樋口……うっ……」
「あ、景くん……って大丈夫?」
景くんは彼女のことを呼ぶ。そして、また気分が悪いのかゴミ場の方に向く。すると彼女も景くんのことを知っているのか背中をさすりながら話しかける。
「だいぶ楽になった……」
景くんがそう答えると彼女はまだ心配そうな顔をしつつも、良かったと一息つく。
彼女と目が合うと、僕はいつの間にかかけられていたタオルケットに身を包み、彼女から背を向ける。人見知り、というか人が怖い僕の悪いところだ。
「寒い?」
彼女からわざと目を逸らした僕にいじわるするように彼女は回り込んで僕のことを見つめる。僕は彼女の問いかけには答えず、目を伏せて合わないようにした。
「煌、樋口はいい奴だ」
僕が怖がっているのが分かったのか、景くんはそう言った。
「俺のことも怖い・・・…か」
けれど、目を閉じて悲しそうにそう付け足した。今日の景くんを見て少しだけ怖かった気持ちが薄らいだのは本当だけど完全に怖くなくなったというわけでもない。景くんの性格が悪いというわけではなく、もとから少し色々とあって誰かとかかわりを持つこと自体が根本的に苦手なのだ。
「へへっ、景くんもいい人だよ~」
そう言って彼女は笑って見せた。屈託のないその瞳に思わず吸い込まれそうだった。
「分かってるよ」
彼女とは目も合わせないで、口早にそう言った。
「煌くんっていうんだよね? 私は直子。よろしくね!」
それでも、彼女は僕の目線をとらえようと動く。足を怪我していても、そんなこと感じさせないくらい大胆で行動的なもので、僕も彼女の視線から逃げ回るのにも疲れてきた。
「どうせここにいても退屈だし、何か話でもしようよ!」
それから、彼女は僕や景くんにたくさん質問した。そして、自分のこともよく話してくれる。最初は自分のことを話すのにも抵抗があったし、僕も景くんも聞いているか、聞かれたことに答えるかぐらいしか言葉を発していない。なのに、誰かと話してこんなに楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。司くんは優しくて話しやすいけれど少し違う。
「ねえ、また一緒に話そうよ」
合宿の帰りのバスに乗り込むときに、彼女はそう言ってにっこりと笑って手を振った。そして、僕も、彼女に負けないくらいの笑顔で「またね」と言った。
(みんないい人ばかりだし、案外教室に行くのも怖くないかも……)