3話 合宿
「佐野先生、三組の浪川と橋田と樋口が戻っていないようなので、教員の方で捜索します」
養護教諭の佐野先生に、把握お願いしますと言って、一組の担任の鈴木先生は救護室を後にした。スコアオリエンテーリングが終了の時間を迎えて、しばらくの間自由時間があったので司たちは、バス酔いでダウンした景と相変わらず保健室登校の煌の様子を見に来たのだが、偶然その話を聞いてしまう。
司は妙な胸騒ぎがした。明美とはもう幼稚園以来の長い付き合いであり、なんだかんだ言ってずっと一緒にいた存在であるから、誰よりも早く彼女を探し出したいと考えてしまう。
「浪川……」
翔は俯いて小さな声でそう呟いた。司はその言葉を聞き逃さない。
「心配だよな」
もし、先生たちに探してもらえなかったら、そう考えることが怖くて、自分が行ったところで必ず見つけ出せる保証はまったくないというのに何かせずにはいられない。
「佐野先生、景も煌も寝てるみたいだし俺たち部屋に戻ります」
そう言って司たちは救護室を出た。
違う、部屋に戻るのではなく――
「行きたいんだろ、翔」
心配だけど、自分が下手に動かない方がいいと翔は思っていたからか、悶々とした様子でずっと下を向いていた。司は自分が行きたい気持ちを翔に擦り付けたという言い方は悪い響きかもしれないが実際はそうだ。
明美たちが帰ってこれないのも、景が具合が悪くてずっと寝ているのも望んでいた合宿じゃないし、こんなに心配な気持ちに押しつぶされそうな状況で平然としていられるわけがない。
竜も翔も自分たちまでもが心配をかけてしまっては元も子もないという正論と闘っていた。普段と違って焦りが顔に出ている司が珍しく、確実に良い結果になると言えないことに、いわば賭けに出ようとしているこの状況で何を言って止めようとしても、「そんなことは分かっている」と返されてしまうに決まっている。
お人好しの三人は黙って部屋で待機していることなどできなかった。
**
「最悪……これじゃ帰れないじゃない」
「ひえーん! 明美ちゃんも小春ちゃんもごめんね」
「なおちゃん、足……」
イライラする明美と泣きわめく直子を見ながら小春はあることに気づく。崖というほどは高低差がないにしても、そこから落ちたことで膝を擦りむいていた。
「ああ、これくらいへい……」
平気と言いながら足を動かそうとするが、ふと走る痛みに直子は言葉を詰まらせ、思わず痛いと言ってしまう。よく見ると左足首が腫れている。
「えっ、まさか歩けないとか言わないわよね」
明美はぎょっとしてそう尋ねる。ケンケンすれば大丈夫~と直子は飛んで見せたが、小春に山道でそれはやめた方がいいと言われてしまう。
「本当にごめん……」
直子はいつもの元気も失ってしょんぼりと頭を下げた。気にしてても仕方ないし解決策を探そうと小春は提案する。明美はどうすればいいって言うのと苛立っている。
「歌おう……?」
恐る恐る小春は言う。確かに夜には校歌のコンクールがあるからって、こんな山道で恥ずかしいじゃない、と明美は反抗する。
「そうしたら、誰か見つけてくれるかもしれないよ」
小春は人前で歌うのは苦手で、高校では音楽ではなく美術を選択している。けれど、今は苦手だとかそんなことは言っていられない。黙っていても時間だけがただ過ぎて、直子も明美も心の状態が乱れてしまうことを考えたら、何か自分がしなければと思うのである。小春は一見ふわふわしているように見えるが、こういうときに冷静に判断できる一面を持ち合わせていた。
**
「これ、僕たちの学校の校歌?」
「もしかしたら、浪川たちが歌っているのかも」
「明美の声だ」
翔や竜が漠然とそうかもと思っていたのに対して、司は声を聞くなり明美であるとわかり、声のする方へ急いだ。明美たちを探しに行ったという先生たちとは一切会わなかったが、偶然にも明美たちの歌声を耳にしたのだ。
「明美!」
「つ、司! あんた、どうしてここに……」
話は後だ、つかまれと司は手を差し出す。竜や翔は下の方へと手を伸ばした司が落ちないようにしっかりと支えている。小春、直子と順番に引っ張り上げて、最後に明美の手を握って持ち上げた。
――小さい頃、我が強くてみんなからは嫌がられていた明美は、司のその差し出された手に救われた。
「ひとりだったらぼくとあそぼうよ」
その笑顔、その優しさ、その手の温かさと安心感が好きで、唯一安らげる場所だった。もう何年も司の手を握ってはいない。それこそ、幼稚園のときで手をつないだのは最後かもしれない。明美が嫌だと言ったのだ。司と付き合っているなんて茶化されるのが恥ずかしくて、小学校も中学校も一緒だったのに極力話をしないようにしていた。けれど、高校では頼ってしまったな、悔しいと明美は思う。
(司の手……)
なんだがすごくごつごつしてて大きくてがっしりしている。もうあのときの可愛いぷにっとした手はなくて、立派な男の人のそれだった。
直子も小春も無事に救出された。司が来た瞬間、何故か絶対に助かるという確信が持てて、安心したなんてことは黙っておこう。
「ありがとう……一応礼ぐらい言ってあげるわよ」
直子と小春が素直にありがとうと言って歩き出してから、だいぶたった後で司にも聞こえるか聞こえないかの声で明美はそう言った。
「どういたしまして」
そう笑いかけた司の顔を見るのにはだいぶ首をあげなければならない。普段明美と話すときはちゃんと目線を合わせてくれているから、司の背の高さにもあまり気が付かなかったのに。自分の前をリードして歩く司の男らしい背中の安心感に思わずしがみついてしまいたかったけれど、そうはしたくなくて。
本当は心細くて、助けてくれて嬉しかったなんて言葉にはできないから……。
養護教諭の佐野先生に、把握お願いしますと言って、一組の担任の鈴木先生は救護室を後にした。スコアオリエンテーリングが終了の時間を迎えて、しばらくの間自由時間があったので司たちは、バス酔いでダウンした景と相変わらず保健室登校の煌の様子を見に来たのだが、偶然その話を聞いてしまう。
司は妙な胸騒ぎがした。明美とはもう幼稚園以来の長い付き合いであり、なんだかんだ言ってずっと一緒にいた存在であるから、誰よりも早く彼女を探し出したいと考えてしまう。
「浪川……」
翔は俯いて小さな声でそう呟いた。司はその言葉を聞き逃さない。
「心配だよな」
もし、先生たちに探してもらえなかったら、そう考えることが怖くて、自分が行ったところで必ず見つけ出せる保証はまったくないというのに何かせずにはいられない。
「佐野先生、景も煌も寝てるみたいだし俺たち部屋に戻ります」
そう言って司たちは救護室を出た。
違う、部屋に戻るのではなく――
「行きたいんだろ、翔」
心配だけど、自分が下手に動かない方がいいと翔は思っていたからか、悶々とした様子でずっと下を向いていた。司は自分が行きたい気持ちを翔に擦り付けたという言い方は悪い響きかもしれないが実際はそうだ。
明美たちが帰ってこれないのも、景が具合が悪くてずっと寝ているのも望んでいた合宿じゃないし、こんなに心配な気持ちに押しつぶされそうな状況で平然としていられるわけがない。
竜も翔も自分たちまでもが心配をかけてしまっては元も子もないという正論と闘っていた。普段と違って焦りが顔に出ている司が珍しく、確実に良い結果になると言えないことに、いわば賭けに出ようとしているこの状況で何を言って止めようとしても、「そんなことは分かっている」と返されてしまうに決まっている。
お人好しの三人は黙って部屋で待機していることなどできなかった。
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「最悪……これじゃ帰れないじゃない」
「ひえーん! 明美ちゃんも小春ちゃんもごめんね」
「なおちゃん、足……」
イライラする明美と泣きわめく直子を見ながら小春はあることに気づく。崖というほどは高低差がないにしても、そこから落ちたことで膝を擦りむいていた。
「ああ、これくらいへい……」
平気と言いながら足を動かそうとするが、ふと走る痛みに直子は言葉を詰まらせ、思わず痛いと言ってしまう。よく見ると左足首が腫れている。
「えっ、まさか歩けないとか言わないわよね」
明美はぎょっとしてそう尋ねる。ケンケンすれば大丈夫~と直子は飛んで見せたが、小春に山道でそれはやめた方がいいと言われてしまう。
「本当にごめん……」
直子はいつもの元気も失ってしょんぼりと頭を下げた。気にしてても仕方ないし解決策を探そうと小春は提案する。明美はどうすればいいって言うのと苛立っている。
「歌おう……?」
恐る恐る小春は言う。確かに夜には校歌のコンクールがあるからって、こんな山道で恥ずかしいじゃない、と明美は反抗する。
「そうしたら、誰か見つけてくれるかもしれないよ」
小春は人前で歌うのは苦手で、高校では音楽ではなく美術を選択している。けれど、今は苦手だとかそんなことは言っていられない。黙っていても時間だけがただ過ぎて、直子も明美も心の状態が乱れてしまうことを考えたら、何か自分がしなければと思うのである。小春は一見ふわふわしているように見えるが、こういうときに冷静に判断できる一面を持ち合わせていた。
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「これ、僕たちの学校の校歌?」
「もしかしたら、浪川たちが歌っているのかも」
「明美の声だ」
翔や竜が漠然とそうかもと思っていたのに対して、司は声を聞くなり明美であるとわかり、声のする方へ急いだ。明美たちを探しに行ったという先生たちとは一切会わなかったが、偶然にも明美たちの歌声を耳にしたのだ。
「明美!」
「つ、司! あんた、どうしてここに……」
話は後だ、つかまれと司は手を差し出す。竜や翔は下の方へと手を伸ばした司が落ちないようにしっかりと支えている。小春、直子と順番に引っ張り上げて、最後に明美の手を握って持ち上げた。
――小さい頃、我が強くてみんなからは嫌がられていた明美は、司のその差し出された手に救われた。
「ひとりだったらぼくとあそぼうよ」
その笑顔、その優しさ、その手の温かさと安心感が好きで、唯一安らげる場所だった。もう何年も司の手を握ってはいない。それこそ、幼稚園のときで手をつないだのは最後かもしれない。明美が嫌だと言ったのだ。司と付き合っているなんて茶化されるのが恥ずかしくて、小学校も中学校も一緒だったのに極力話をしないようにしていた。けれど、高校では頼ってしまったな、悔しいと明美は思う。
(司の手……)
なんだがすごくごつごつしてて大きくてがっしりしている。もうあのときの可愛いぷにっとした手はなくて、立派な男の人のそれだった。
直子も小春も無事に救出された。司が来た瞬間、何故か絶対に助かるという確信が持てて、安心したなんてことは黙っておこう。
「ありがとう……一応礼ぐらい言ってあげるわよ」
直子と小春が素直にありがとうと言って歩き出してから、だいぶたった後で司にも聞こえるか聞こえないかの声で明美はそう言った。
「どういたしまして」
そう笑いかけた司の顔を見るのにはだいぶ首をあげなければならない。普段明美と話すときはちゃんと目線を合わせてくれているから、司の背の高さにもあまり気が付かなかったのに。自分の前をリードして歩く司の男らしい背中の安心感に思わずしがみついてしまいたかったけれど、そうはしたくなくて。
本当は心細くて、助けてくれて嬉しかったなんて言葉にはできないから……。
