2話 球技大会

 学校の伝統として、四月の終わりにクラスの団結力を高めるための球技大会がある。よそではクラスマッチだとかホームマッチだとかいうそれである。種目はバレーボール、バスケットボール、ソフトボール、サッカーの四種目で、校舎にある立派な体育設備を使って開かれるので、特に入学したての一年生にとっては少しわくわくすることかもしれない。

 楽しみだなとわいわいしている司や翔を見ながら頭を抱える者が一人いた。
「景……お前そんな顔しかめるなよ」
「別に。そんな顔をしていたつもりじゃない」
 殺気を感じるような鋭い目で景は司にそう言った。景は、実力テストでは国数英全ての教科でトップをとるような秀才だが、スポーツテストでは稀にみる悲惨な結果を叩きだしていた。シャトルランは二十回程度で脱落する程度の体力しかなく、ボール投げはコースアウトか十メートルにも満たない記録。そんな景にとっては、球技大会なんて恥をさらす場所に他ならない。だから、こんなにも不機嫌なのか。
 
「司、彼女さん来てるぞ~」
「バカっ、違うわよ! そんなのじゃないからね」
 教室のドアの方で司を睨みつけながら手招きしている明美にクラスメイトがひやかしを入れると明美はわかりやすいツンとした態度で早く来なさいよと促す。
「なんだよいきなり」
 ちょっとこっち来てと強引に司の袖を引っ張ると、教室から少し離れた階段の方へ移動する。
「あんたら何の競技出るのよ」
 司の耳元に顔を近づけて小さな声で明美は言う。
「は? なんでそんなこと聞くんだよ」
 司は明美の不可解な行動に若干の反抗を見せる。
「いいでしょ。あんたも小春の恋に協力しなさいよ」
 ああそれでとなんとなく納得するが、突然そんなことを言われてもと司は戸惑う。小春が翔に好意を抱いているのはあの保健室での様子からわかったが、そんなこと俺以外だったら気づかないかもしれないのにと思った。
「小春の恋って、翔のことでいいのか」
 明美は司の問いに対して首を縦に振りつつも他に誰がいるのよと睨み、お願いと両手を顔の前で合わせて懇願する。それを見た司は、仕方ないなと許してしまう。
「俺はソフトだけど翔はバスケで出るよ」
 そう司が言うと、明美はニヤリとして自分らの試合なくても暇があったら見に行ってあげるわと言って嬉しそうに教室に戻っていく。

「明美ちゃん! 一組と合同練習することになったんですよ?」
 明美が教室に戻るなり嬉しそうな小春の声が聞こえた。練習スペースの都合で、一年生は各種目に分かれて一組から三組が合同で体育館を使うことになったらしい。小春はとても満足げで明美も直子も自分のことのようにやったじゃんと言う。


**

「はぁ……」
「なんだよ、こっちまでテンション下がるだろ」
 体育館の隅の方で膝を抱えてため息をついている景を見て翔が物申す。スポーツテストのときはさんざん笑われていたから景の気持ちも分からなくはないが、周りの士気が下がるのはいただけない。
「ねえ、あっちの練習に混ざらない? どこも練習始めてて人数足りないんだよね~」
 保健室で出会ったあの理想の王子様を探しつつ、直子は特にどこの練習にも参加してなさそうな二人を誘う。
「翔だけでも行って来れば……って何するんだ?」
 いいから、こっち来てよと直子は景の腕を強引に引っ張る。景はあまりにも突然の直子の行動に体が追い付かず足がもつれて転んでしまう。
「あっ、ご、ごめんね! いきなりだったよね」
「ごめんじゃない!」
 景はしりもちをついたので直子が手を差し出して謝るが、景はそれを振り払って怒ってしまう。そんな怒らなくてもいいだろと翔が景に言うと、失礼なのはこの女だと景は不機嫌になる。
「はいはい。ほら、引っ張られたくなかったら行くぞ」
 翔はまるで景のお母さんのように手懐けているので、直子は心の中で笑ってしまう。
「明美ちゃ~ん小春ちゃ~ん! 二人メンバー連れてきたよ?」
「なお、ちゃ……?」
 直子がいきなり“かけるくん”を連れてくるものだから、小春は急に委縮してしまう。
「よーしじゃあ行くよ~!」
 そんな小春に目もくれず、直子は練習開始の合図を出す。明美が待ちなさいよ、という前に直子が最初のジャンプボールを成功させ、それを翔がキャッチしていた。
「小春~パス!」
 ひゃあっと悲鳴をあげながら小春は何とかボールを手にする。しかし、“かけるくん”が見ていると思うと緊張して思うようにパスが出せない。
「こっち!」
 翔がそう言ったので、小春は無我夢中でボールを投げる。翔からは少し離れたところに飛んでいくが、それをなんなくキャッチする翔。
「パス、ありがとうな!」
 小春はもう嬉しくて卒倒しそうになる。あの夢にまで見た“かけるくん”がこうして自分に視線を送ってくれたのだから。
「景?」
 翔が景に向けて正確にパスを出す。しかし、真上から飛んできたそのボールを景は受け損なう。

 幸いマークはされておらず、ようようでボールを追いかけて手にするも、気が付けば囲まれてしまっている。一刻も早くボールを手放そうと翔の方へ返そうとするが、小春のパスのずれとは比べ物にならないほど別の方向へ、そして短い距離で落下してしまう。
「どこ投げてんだよ」
 翔はコースアウトしたボールを拾いに行って相手に渡しながらぼやく。そして、再開するが景はすぐに息切れして動きも鈍いし、またパスのボールをあらぬ方向に投げる。
「やる気出ないだろ、真面目にやれよ」
「真面目にやっている。……だから、嫌だって言ったんだろ」
 直情的な翔と景は口論になるが、練習は中断されてしまう。
「ちょ、ちょっとなおどうしたのよ」
 持ち場を放棄して景のところへ駆け寄る直子。
「景くん……だよね? もしよかったら明日から私と練習しない?」
 突然の直子の申し出に景は困惑した様子で、きょとんと立ち尽くしている。
「朝ね、体育館の隅っこ空いてるんだよ」
 というわけで明日七時半に体育館集合と直子は勝手に話を進める。景が反論する隙を与えず、直子はまた駆け出して練習を再開しようとする。景はもうヘトヘトで返事をする気力もなく、ドリブルすらおぼつかない。というか、もともとドリブルも、景がボールを操っているというよりは、ボールに体を持っていかれている感じであったが。
 合同練習を終え、着替えが済むと、景はぐったりと机に伏せってしまう。司が大丈夫か? と聞いたが、放っておいてほしいと景は言う。翔が先ほどの練習の様子を説明すると、なるほどなと司は頷く。
「それで、毎朝練習することになったんだって」
「俺は行くとは言っていないのに……」
 景は明日とにかく待ち合わせの場所に行ってきっぱりと断ろうと思った。そういうところは真面目なのか、すっぽかそうなどとは考えなかったようだ。
「けど、練習にはなるんじゃない? お前本当笑うほど運動神経悪いしマジでレッスンした方が良くね?」
 司はそう言って景を煽る。景はしばらく考え込んで、そうだなと小さく漏らした。

**

「わっ! 景くん本当に来てくれたんだ?」
 自分で誘っておきながら、直子は驚いたような顔をする。
「俺が来たのが意外だったか?」
 景はそう聞き返す。お前がこうしてここにいる以上、俺がこの場にいないということは不誠実だからなんて直子にとって難しい言い回しで来た理由を説明する。
「お前じゃなくて樋口直子だよ! まあそんなことより、練習始めようか。こういうのは体で覚えるんだよ!」
 それを言うなり直子は景にボールを渡そうと軽く投げる。景は突然で反応できずに受け損なう。
「俺は、練習するとは――」
 そう言いかけて昨日の司の言葉を思い出す。笑うほど運動神経が悪いとは心外だ。こうなったら毎日練習して、見返してやろうと思った。
「いや、……樋口が嫌じゃなければだが」
 景はまだ煮え切らない様子でそう言った。
「もちろん嫌なんて言うわけないよ?」
 直子は即答した。むしろ直子の方がやりたいと言わんばかりに早くやろうよと急かしてくる。

 強引でやりたい放題に見える直子だが、景の投げたボールがどんなにそれようと、必ず全力で取りに行こうとしてくれる。景の不甲斐ないパスも、自分の反応が悪かった、次はちゃんと取って見せると直子は言うのだ。直子は自分の何倍も動いているのに全く疲れる様子もなく、常に楽しそうに笑っていた。その笑顔が眩しくて、目を逸らしたくなる時もあった。けれど、その太陽みたいな笑顔をまた見たいと、明日の練習を楽しみにするようになっていた。
 最初のうちは憂鬱だった練習も直子と一緒だからこそ嫌じゃなくなっていった。スポーツにおける練習だって自分の好きな勉強と変わらない。毎日コツコツ努力していれば、いずれ何か身になることはあると思うとますます力が湧いた。
 そして、そんな練習の日々もあっという間に終わってしまう。

(樋口の誠意に応えなければ……)
 明日の本番で、出番はあるかどうかわからないが、自分の全力を出し切って、直子への感謝を伝えようと心に決めた。
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