11話 バレンタイン
2月上旬、直子は絶望したような顔で頭を抱えていた。
「小春……修学旅行のことで頭いっぱいでバレンタインのこと忘れてたんだけど、翔くんに何作るとか決めてる?」
もうバッチリ計画を立てていそうな小春に泣きつく。
「もちろんだよ! ハート型の生チョコケーキを作る予定なんだけど、なおちゃんも一緒に作る?」
「えっ! 助かる〜!! 私何も決めてなくて、どうしようって思ってたんだ」
小春の気の利いた返答に、直子は両手を上げて喜んだ。
「毎度ながら計画性ないわね。それに、煌くんとかなおの作ったチョコ食べて死にそうで怖いんだけど」
バレンタインなんて興味がないというような顔で明美は直子を皮肉る。
「小春と一緒だから失敗しないよ!」
直子は頬を膨らませて明美に抗議した。
「あ、でも煌くんチョコとか食べて大丈夫なのかな? 一応聞いておいた方がいいと思うよ」
直子に頼りにされている小春は、いつも栄養管理のされたお弁当を作業のように無表情で食べる煌のことが気になっていた。煌の事情は知らないけれど、直子はそういうことは考えてなさそうだなとふと思う。
「あ〜煌くん制限あるとは言ってたから聞いた方がいいかも! 忘れてて困らせるところだった!!」
案の定直子は何も考えていなかったらしい。言っておいて正解だったと小春はその時は思った。
「ところで明美ちゃんは竜くんとか司くんにチョコあげるの?」
直子は自分の問題が解決したと思うと、すかさず明美の地雷を踏みに行く。
「なんであんたはいちいち余計なこと言うのよ。あげるわけないでしょ! 気があるとか思われたら迷惑だし」
「気があるのに?」
「はぁ?」
また始まったと小春は呆れながら、バレンタイン当日のことを思うとソワソワと待ちきれないような、緊張して息が詰まるような、色々な気持ちが混じりあって心が躍る。
二月十四日は小春にとって特別な日だ。
小春が翔と初めて会ったのは去年のバレンタインの日。バレンタインに入試なんてと嘆く声もあったし、小春自信も受験票を落としてしまうという不運に見舞われた。けれどあの日、神様がそんな自分に贈り物くれたと思うくらい、1年ずっと思っている相手と出会えたのだ。
翔くんに想いを伝えるんだ……。そう思うと絶対に失敗したくないという思いで今から毎日でもケーキを作る練習をしようと思う。
**
「なおちゃんは結局どうすることにしたの?」
バレンタインの1週間前。煌にチョコを渡しても大丈夫か聞きに行った直子はあれから小春に対して何も言ってこなかったので、小春は気になって聞いてみることにした。
「うーん……まだ何作るか決まってなくて……タンパク質とカリウムをあまり摂っちゃいけないって返事だったんだけど、ダメってわけじゃないみたいだしそこらへんがよくわからなくて」
直子は頭を悩ませて、何の計画もできていなかった。
「それだと卵も乳製品もあまり使わない方がいいし、チョコレートもナッツ類も難しいかもね……」
小春は家庭科の教科書の食品成分表を見ながら一緒に考える。こういうのを調べるのは楽しいなとぼんやり思う。
「え、ほぼ全滅じゃん……!!」
普段お菓子作りをしない直子でも、そのあたりの食材が使えないとなると何もできないことはなんとなくわかる。
「で、でも、お菓子じゃなくてお花とかもあるし、要するに想いが伝われば大丈夫だよ!」
「お花か……ちょっとチョコレート作ってみたかったんだけどな」
煌に花をプレゼントすることには賛成ではあるものの、手作りのチョコレートを女友達とわいわい作ってドキドキしながら当日を迎えるというシチュエーションに憧れがあったので、少し残念な気持ちもある。
「別に手作りは女子とか友達とかに配って、煌くんだけ本命で違うものとかでもいいでしょ。まさか煌くんにしかあげないわけじゃないでしょ」
「なるほど! その手があったか!!」
直子はさすが明美ちゃん! と持ち上げたが、そんなことも頭になかったの? と明美は呆れた顔をした。
「あたしも本命はあげないけどみんなに義理チョコ配るつもりだし、三人で作らない?」
直子の目がパッと輝いた。憧れの女友達とのバレンタインの作戦会議、そして一緒にチョコを作るという一大イベント。少女漫画でいいなぁと思ったことが目の前で起こっている。
「明美ちゃんのおうち、キッチンも広くて、道具もたくさん揃っててすごいの!」
「そういえばクリパの準備、明美ちゃんちでする予定だったのに流れちゃったもんね」
ワクワクする小春と直子に、あの時は地獄の時間だったんだからねと膨れる明美も内心楽しみにしていた。
「でもバレンタイン土曜日だよね……みんな金曜日にするのかな?」
「日曜に集まる方が時間あるけど、渡すなら2日後より前の日の方がいいと思うわ」
「じゃあ12日に明美ちゃんの家に集まる?」
「あたしはそれでいいわよ」
みんな口々に思いついたことを言いながら予定を立てる。こういう雰囲気がもう楽しいと直子は嬉しさを隠しきれずニヤけ顔になる。
**
「お邪魔しまーす!!」
「お邪魔します」
12日の放課後。理由をつけて部活を休み、小春と直子は明美の家に集まった。
「さあ、時間もあまりないしさっさと作っちゃうわよ」
明美に案内されるまま直子は後ろをついていく。小春は直子が適当に脱いだ靴を揃えてから、早歩きで追いかける。
「なおちゃん、手を洗おう」
早速作るぞーと意気込んだ直子に小春は冷静に言った。
「まずはチョコを刻んで溶けやすくするの。私が先にやるね」
小春は逐一丁寧に、直子にチョコの作り方を教える。
「いった!!」
小春のお手本の後、直子は勢いよくえいやっと力を入れてチョコレートを砕いていていくが、最後の最後に調子づいて指を切った。
「あんた絶対怪我するか失敗するかと思って救急箱準備しといたわよ」
冷静に明美は絆創膏を差し出した。
「めげないめげない!!」
絆創膏を貼った左手をひらひらさせながら、次ー! と元気に言う直子に、一周回って感心さえする。
「次は湯煎でチョコレートを溶かすの。私は生クリームを入れるから、温めた生クリームの中にチョコを入れて溶かすけど、なおちゃんはボウルにチョコを入れて、別のボウルにお湯を張ってじんわり溶かしてね」
「お湯は熱けりゃいいってものじゃなくて、50℃くらいが良かったんだったかしら」
小春と明美が湯煎の仕方を教えると、まずはお湯を沸かすところからだね!と意気込んで直子は鍋にお湯を張った。
「えっと、お風呂が40℃くらいだからそれより熱いくらいかな?」
そう言って直子は鍋に指を入れる。
「熱っ!」
「ちょ、あんた何やってんの?! こういうのは普通温度計で測るものよ!」
「お水出したから指冷やして!」
予測した以上のミスを回収する直子。お湯の温度は60℃くらいだったので大した火傷にはならなかったが、明美と小春の方がよっぽど当人より肝を冷やしていた。
「よーし! お湯はばっちりだし次はいよいよチョコを溶かすんだね!」
勢いよくガシガシとチョコを混ぜる直子は、湯煎のボウルとチョコの入ったボウルがカチャカチャと当たっても気にせずに混ぜ進める。
「あー!」
もうすぐ混ぜ終わるというところで直子の悲鳴が聞こえて小春と明美は顔を見合わせた。
案の定、嫌な予感は的中し、溶けたチョコにお湯が混入していたのだ。
「あんたは次から次へと……」
「うーん……こうなったら作り直すしかないかな?」
「え! 私もう材料ないよ?」
直子はさすがに涙目になっていた。
「しょうがないわね。チョコじゃないけど、うちにある小麦粉と卵と砂糖とバターでクッキーが作れるから、クッキーに変更よ」
「お願いします……」
明美の慈悲でクッキーを作ることになった直子は、また小春と明美に教えられながら生地を作り終えた。
「じゃああたしと小春は自分の分作るから、あんたは整形でもしてなさい。オーブンは予熱してあるから、形整えたら焼くのよ」
そう言ったものの、直子が手で生地をこねくり回しているのを見ていられず、ついつい何してるのよと口を挟んだ。
「なおちゃん、プレゼント用なら抜き型使った方がいいよ」
「ハートとか気の利いたものはないけど、丸型ならあるわ」
「なるほど! どうやってあんな綺麗な形にするのかなって思ってたよ!」
本当にお菓子作りの初心者なんだなと二人はむしろ微笑ましい気持ちになった。
「見て見て! 後は焼くだけだよ!」
直子は嬉しそうに、型で抜いて天板に並べたクッキーを二人に見せる。
スルッ……べちゃ……
天板からクッキングシートが滑り、クッキーの面を下にして床に落ちる。
「あ゛ー!!」
「あんた、嘘でしょ?!」
床に叩きつけられたクッキーになるはずの残骸を前に直子は落ち込んだ。
「で、でも……まだ一回分はなんとかあるし……」
「次は見せなくていいから、ちゃんと完成させなさいよ」
もはや完成さえさせれば全力で褒めてしまいそうな気もしつつ、明美は直子に釘を刺した。
「あんたがやらかすから、あたしも小春も全然進んでないのよ?」
時刻はもう18時を過ぎていた。小春は冷蔵庫で冷やし、明美はブラウニーを焼く時間を考えると割と時間に余裕がない。
「そうだ、焼いてる間に煌くんへのチョコをラッピングしなきゃ!」
それなら安心だろうと、明美と小春は自分のチョコ作りに集中する。クッキーの焼ける甘い香りが心地良い。
「え、煌くんにチョコ?」
少しして明美はびっくりして直子を見た。たんぱく質調整チョコとパッケージに書いてある大袋から個包装のチョコを取り出して、ハート型の箱に詰めていた。
「あんたにしては考えて選んでるじゃない」
「えへへ〜お花もいいけど、多分煌くんチョコとか食べたことないんじゃないかなって思ったんだ。だから、そういうのプレゼントするんじゃなくて、私はみんなと同じように煌くんにもバレンタインを楽しんでもらいたいんだ!」
直子は照れながらそう言った。直子の軽率で落ち着きのないところには呆れる部分も多いのだが、修学旅行のときも、今回もその場のごまかしではなく、根本的に相手が楽しんだり、同じ時間を共有できることを1番に考えているところには感心させられる。自分なら行けない分のお土産を買ってくるだとか、チョコの代わりの物を渡すとかそういうことしか考えないのに。
「あんたってすごいのね」
「ふぇ? 何が?」
直子はそういうことを当たり前だと思っているからか、何を賞賛されているのかピンときていない様子だ。
「まあわからなくてもいいわ」
「なおちゃん!! クッキー焦げちゃってるよ!」
心地の良い甘い香りは、香ばしいを通り越した焦げ臭い匂いに変わっていた。
「あ〜〜!! すっかり忘れてたよ」
「私も見てたら良かったんだけど、ごめんね」
オーブンを開けると、見事に真っ黒なクッキーが並んでいた。
「うわ、端っこの2つだけかろうじて白いところ残ってるって感じね」
「しかもこれ、型取りが難しくて手で丸めたやつだ……」
直子は頭を抱えてガックリと項垂れた。予想はしていたがここまでとは……。本人も小春も明美も驚いていた。
「これはみんなに渡す用だけど、なおちゃんとの連名にしてもいいよ?」
見かねた小春はそう提案するが、直子は首を振った。
「私が作ったものじゃないと意味ないよ」
そう言うと直子は機敏な動きで立ち上がり、ギリギリ半分くらいは焦げていないクッキーを取り出して、焦げた部分を丁寧に落とし始めた。
「これをあげるのは、美味しいものなら誰のチョコでもいい人じゃない。唯一私の気持ちがこもってることに喜んでくれる人だから」
彼に焦げたクッキーをあげてもいいと思っているわけではないが、自分が初めて作ったお世辞にも美味しいとは言えないだろうお粥を全部食べてくれた人だ。「樋口が作ってくれたから」その一言が、涙が出るくらい嬉しかったのだ。
「本命クッキー、不細工で多分美味しくないけど……」
半分程が焦茶色の欠けた二つの不恰好なクッキーは、大切そうに袋に入れられた。
「あんたのこと好きになる男の気持ちちょっとわかったかも」
明美はそう言うと、直子の口に自分の作ったブラウニーの切れ端をくわえさせた。
「すごい! おいしい!!」
「それ、明日司と竜にもあげようと思って。毒味よ毒味」
自分も意地を張っていないで、ちゃんとこの気持ちに向き合おうかなと明美は思った。直子は頭も悪くて、不器用で、そそっかしくて見ていられない。でも、だからこそ真っ直ぐで、気持ちが伝わるんだろうなと思った。
「やったー! 明美ちゃんが素直だ!!」
「うるさいわね! 1年に1回くらいならあげてやってもいいって思ったのよ!」
照れながら怒鳴る明美とヘラヘラ笑って嬉しそうな直子。小春はそんな二人を見て、自分のことのように嬉しかった。
明日二人からの想いを受け取った男子たちはどんな反応をするだろう。そう考えてワクワクした。
