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10話 修学旅行

5.欠けのない旅路

 朝六時。京都へ向かうバスに乗り込むべく、朝が苦手な生徒も今日ばかりは浮かれて早起きをしたところだろう。

「よーし、1組A班全員揃ったな〜!!」

 司の元気の良い声がまだ眠気との格闘を繰り広げている翔の耳に響く。

「ふあぁ〜にしても五時起きは結構辛いな」

 そうぼやく翔の後ろから聞こえてくる声もまた、数日前では考えられない楽しげなものだ。

「こうやって、誰かと旅行に行くの初めてだよ」

「俺も、楽しみだと思えたのは人生で初めてかもしれないな」

 これまでにないわくわく感をぶら下げた煌と景は、珍しく笑みを隠せないではしゃいでいた。

「合宿のときとはまた違った空気だね」

 竜もまた目を細める。


「景〜酔い止めはちゃんと飲んだかー?」

 一番乗りで、全員が揃ったことを担任に報告した司は、嬉しそうに景の肩に腕を回してじゃれつく。

「寮を出る前に飲んだから大丈夫だ。今回ばかりは前のように迷惑を掛けるわけにはいかないからな」

 景は嫌がらずに司の回してきた腕を受け入れ、きっぱりとそう言った。煌は口角が上がる景を見て、ずるい! 僕も! と飛び込む。

 それを遠目に見ていた鈴木先生はゆっくりと近づいてきた。

「全員揃ったのは結構だが、はしゃぎすぎて怪我とかするなよ。先生がどれだけ頭を下げてお前らが行けるようになったか考えてみろ。全員楽しまないと反省文書かせるぞ」

 冗談混じりにそう告げた鈴木先生も、どこか嬉しさを隠しきれないのは同じである。

「ほら、バスに乗るぞ! お前らには特等席があるからな」

 そう言って案内されたのは、バスの前方の席。一番前の座席で佐野先生が手を振っている。

「景くんは窓際で、その隣は私でいいかしら?」

 問答無用で席を決められたが、何の異論もなく指定された席に座る景。司は迷わず景の後ろの席に乗り込み、煌はその隣に座った。自分も窓際が良いという翔の希望を聞き入れ、竜は翔の隣の廊下側の席に座った。

「煌も酔いそうになったりしたらすぐ言えよ〜」

「うん。車移動は慣れてるから大丈夫だと思う。それより景くんのことが心配だよ」

「景くんなら寝ちゃったから大丈夫かな。酔い止めは私もチェックしてよく効くものを選んだし、精神的なものも多少あると思うから今はそこまで酷くならないんじゃないかしら」

 佐野先生がひょっこり後ろを向き、小声で煌たちに囁く。ふと意識を向けると景の方からスヤスヤと寝息が聞こえる。

「大屋くんも寝ちゃったね」

 竜は肩にもたれかかるオレンジ色の頭に気遣いながら呟いた。

「翔は眠そうだったもんな」

 司は予想していたが、その微笑ましい絵面に思わず笑みが溢れた。


「司くん、僕しりとりとかしてみたいんだ……!」

「お、いいぜ〜」

 唐突な煌の提案に、司はノリノリで承諾する。キラキラと輝く煌の顔を見ると、たくさんの思い出が作れそうだと思うのだった。
 


**



「景くん、着いたわよ」

 ホテルに到着したバスから荷物をそれぞれの部屋に置くべく、わらわらと後方から降りてくるクラスメイトの声が騒がしくてもなお眠り続ける景を、佐野先生は肩に触れて起こす。

「おーい、景ー起きろ〜!!」

 司は景の耳元で大きな声を出す。景はビクッとして目を開ける。

「耳元で叫ぶな」

 不満げに耳を押さえて、よろよろと立ち上がる景は、合宿のときと比べると遥かに調子が良さそうだ。

「ふわぁ〜あ……よく寝た」

 翔は大きなあくびをして、バスの座席で体を伸ばしながら立ち上がる。

 後ろが全員降りた後、ゆっくりとバスから降りた5人は車体の下に入れた大荷物を受け取りってホテルのロビーへと歩いていった。
 
「本当に来れたんだ……」

 大荷物を背負い、ホテルのロビーに立った竜は改めてそう思った。


**

 煌が自らの口で父親に頼み、修学旅行に行けるようになったのを聞くと自分は何も手を打とうとしなかったのではないかと思った。

 両親は大学での研究に明け暮れ、家に帰ることもほとんどないような状態で、時折自分達を生んだことさえきっと忘れているのだと思ってしまうほど無関心だ。
 それでも収入がないわけではなく、必要な生活費や学費諸々は勝手に振り込んでくれている。そうでなければ兄弟揃って餓死していただろう。ただ、新しい服や趣味に回すお金は一切なく、修学旅行のような高額出費などのちの生活のことを考えるとあり得ない。
 率直に、お金が足りないことを相談してみよう。そもそも、自分が私立高校に通っていることを親は認識しているのだろうか。まあ学費の取り立てが来たことはないし、問題なく通えているからそこら辺は大丈夫なのであろうが。

 親はすぐに電話に出ない。さっきから何コールと鳴っているのだろうが、出る気配もなく諦めかけた。

「竜お兄ちゃん! あきらめちゃダメ!」

 美兎は電話を切ろうとする兄の手を制止し、二つ折りの携帯電話を奪った。

「何? しつこいわね」

「お母さん!」
 
 美兎が奪って数秒後、母親はイライラとした口調で電話に出た。

「は、美兎? 何の用事? お母さん今仕事中なんだけど」

「お兄ちゃんのことで話があるの!」

 その後も逞しい妹は強く母親に食い下がる。

「後にしてくれる? 今論文の査読対応に追われてるのよ」

「ろんぶん?」

「美兎にはわからないでしょうけど、お母さんの仕事で一番大事なものなのよ」

「お兄ちゃんよりもお仕事の方が大事なの?」

「そうよ」

 美兎を見守っていた竜に母の返答は聞こえなかったが、美兎のショックを受けたような反応を見ると、母が自分よりも仕事を選んだことははっきりと伝わった。

「僕のことはどうでもいいかもしれないけど、美兎にこんな顔させないで。単刀直入に言うけど、生活費足りてないんだよ。修学旅行の積み立てだってしてないし、服とか文房具とか買い替えるお金なんてなくて、僕がアルバイトをしないと回らないような状況なんだよ」

 竜はしょぼくれる美兎から携帯電話を取り返すと、珍しく声を荒げて母親に言いたいことを投げつけた。

「要するに振り込めばいいんでしょ。明日やっておくから」

 悪びれる様子もなく、それだけ告げるとすぐに電話を切った母親の態度に、竜は怒りを通り越して呆れて立ち尽くした。やっぱりわかり合えるなんて思えない。

 とはいえ、翌日親からの振込用の口座には五十万円もの大金が振り込まれていた。今後面倒だからと一気に大金を振り込んで、文句を言わせないようなそういう親の心理が見えて素直に喜べはしなかったが、これで旅費はなんとかなるとそう思った。

 予算二万円ほどで、これまで新調することのできなかった虎彦と美兎のよれた服や使い込んだ文房具を一新し、自分の旅行に必要な準備も整えた。


**

 どういう経緯で行けるようになったのかというのは誰にも話していない。一番にそれを望んでくれていた直子には、そんな酷い親がいることをわざわざ言いたくはない。ある種見栄やプライド的なものなのかもしれない。

「竜〜エレベーター来たぞ〜!」

 などと考えていると、少し歩くペースが落ちていたのか、司がよく通る声で呼んだ。竜は表情こそ変えなかったが、申し訳なさや自分の世界に浸っていたことに対する羞恥やらで顔に熱が上るのを感じた。急いでエレベーターの下へ駆け寄る。

「京都っていうからなんか和室の旅館的なやつ想像してたのにめっちゃ新しいホテルでびっくりしたよな」

「合宿のときの施設と全然雰囲気違うし、でかいし」

 狭いエレベーターの中で司と翔はホテルの綺麗さに思わず興奮して大きい声を出し、苦笑いする竜の顔を見てハッとなる。

「わっ、景、怒らないで〜」

 当然のように怒りを露わにしているであろうと、そう言いながら恐る恐る景の顔を見たが、無言ながらどこかワクワクしているかのような表情であった。煌も楽しそうにニコニコしていた。

「そっか〜煌と景はこういう感じのホテルとか初めてだもんな!」

「着いたよ」

 エレベーターの音声が十一階を告げると、竜はすかさず、エレベーターの開くボタンを押し、みんなが出るのを待つ。

「サンキュー」

 司は竜にお礼を言うと、部屋番号が書かれた鍵を取り出しながら早足で目的の部屋に向かった。


 部屋は想像していた通りの綺麗さで、広々としていたが、5人は驚いて目をぱちくりさせた。

「ダブルベッドが二つ……」

 広い部屋に置かれた二台のダブルベッドと横になれるタイプのソファ。どうやら、各ベッドに二人ずつ寝て、一人がこのソファで寝るという計算なのだろう。

「いや、え、男同士でくっついて寝るってこと?」

「お前たちは急ごしらえの部屋なんだ。我慢してくれ」

 尻込みする翔の背後から鈴木先生がそう告げた。

 どうやら他の生徒はシングルタイプのベッドが4つ並んだ部屋だったり、別のホテルの和室の大部屋だったりするらしいが、直前での人数の変更だったためにこのタイプの部屋しか空きがなかったようだ。

「ちなみに次の日はちゃんと12畳の和室が取れたから今日だけの辛抱だな」

 それだけ告げると、鈴木先生は荷物を置いたらすぐにロビーに集まるように促し、足早に去っていった。

「何がいるっけ?」

「しおりと、財布と携帯と筆記用具くらいでいいだろ〜」

「あとはタオルとかティッシュとかかな」

 そんな会話をしながら各々移動用のかばんを最小限のものだけにすると、急いでロビーへ行こうと部屋を出る。

「おい、鍵はかけなくていいのか?」

「あ〜ホテルはオートロックだから大丈夫だよ! 鍵は持ったしフロントに預ければ大丈夫だ」

「そ、そうなのか……」

 旅行慣れしてない景は心配してソワソワとしていたが、翔は冷静に鍵のシステムを把握していたので、説明を聞いて安心したようだった。

「エレベーターなかなか来ねぇな」

「階段があったからそれで降りるか?」

「うーん、俺だけ先降りて鍵預けつつ報告しとくわ。一応班長だしな!」

 そういうと司は身軽に階段を駆けていった。みんないっそ階段で降りれば早いのにと思った翔だが、楽しそうに煌と景が話しているのを見るとそれはないなと思った。

「次ってどこ行くだっけ」

 二人の話に混ざろうと話題を振ってみる。

「北野天満宮だよ。その後に二条城に行って、公園でお昼を食べてからお城の見学をするみたいだね」

「北野天満宮は菅原道真が祀られていて、学問の神がいることで知られているな」

「へぇ〜詳しいな」

 楽しみすぎてしおりを読み込んだり調べたりしたんだろうなと思った翔は、二人を愛おしそうな目で見つめた。

「な、なんだその目は! 浮かれているとでも言いたいのか!」

 景は恥ずかしそうに声を荒げた。

「別に。みんなで来れてよかったな〜って思っただけ」

「そうだね!」

「素敵な思い出がたくさんできそうだね」
 
 煌も竜も翔の言葉を聞いて嬉しそうに笑った。

「おい、エレベーターが来たぞ」

 景は照れを隠すように、振り向かずに呼ぶ。みんなでエレベーターに乗り込むと司の待つ一階のロビーへと降りていった。

「さっき説明されたんだけど、北野天満宮の宝刀展はクラスごとに入るから、1組は着いたらすぐそっちを見学して、20分で交代らしい。それと、1〜3組が同じタイムスケジュールで行動するから、宝刀展みたいにクラスごととか決められてなかったら小春たちと回れると思う」

「おっ、じゃあ午後からは一緒に回れるってことだな」

 合流するとすぐに司が説明する。翔は小春たちと回れることを知ると食い気味に喜んだ。
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