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10話 修学旅行


「お兄ちゃん、これなぁに?」

 天田家の座卓に置かれていた冊子を拾い上げて美兎は尋ねた。

「兄ちゃん修学旅行あるんだ!」

 虎彦は目を輝かせて、自分のことのようにワクワクして言った。

「修学旅行って何するの?」
 
「友達と遠い所に出かけて何日か一緒に泊まるんだよ」

「へぇ〜すごい! お泊まり会みたいなイベントなんだ!」

 二人は盛り上がり、お兄ちゃんいいなぁ〜と呑気に羨ましがったりしていた。

「僕は行かないよ」

 ワクワクする弟妹に申し訳なく思いながら、竜はきっぱりとそう告げた。

「なんでー?」

 二人にすれば不思議でたまらなかった。そんな楽しそうな行事、なんで行かないんだろうと顔を見合わせて首を傾げた。

「うちにはお金がないし、五日も美兎や虎だけで放っておくなんてできないからね」

 慈しむように二人の頭を撫でた竜は、淡々と事情を話し、何事もなかったかのように夕食を座卓に並べ始めた。

「でも、虎や美兎が修学旅行のときはお金も貯まっているとと思うから」

 納得がいかないという表情の二人に対し、竜はにこやかに大丈夫だよと言った。しかし、安心させようと思って言った言葉は、ますます二人を不満そうな顔にした。

「どうしてお兄ちゃんばっかり我慢しなきゃいけないの?」

 美兎は思い詰めた表情でそう問い返した。週末にアルバイトをして家計にお金を入れ、毎日の家事を行い、それでいて文武両道を実現している竜を尊敬すると同時に、自分たちがそうさせてしまっているのだと小学生ながら居た堪れない気持ちになっていたのだ。

「我慢しているつもりはないよ。僕にとっては、美兎や虎が年相応に、健やかに育ってくれるのが一番嬉しいからね」

 竜の言い分はもはや親のそれだった。

「でも……!」

 美兎は兄に言い返せなかった。心の中で悶々とした想いを抱えながらも自分にはどうすることもできないと思い知っていたのだ。

 竜が作った夕飯を食べながら、美兎は親に直訴しようかなどと考えていた。



 その頃、直子もまた竜を説得する方法を考えていた。行きすぎたお節介だと、竜が簡単に靡くタイプでもないことは十分理解してはいた。しかし、はなから諦めることは直子の性分には合わない。何かアクションを起こして、その結果失敗したとしても、最初から何もしないよりはずっといいと考えていた。

「よし、まずは事情を聞いてみよう!」

 そう思い、体育祭のときに交換した竜の連絡先に発信した。

「え、ど、どうしよう、出ちゃった……!」

 電話を取ったのは、親の連絡先を見ようと竜の携帯を探っていた美兎だった。

「え、竜くん……じゃない? 間違えた?」

 直子も美兎も予期せぬ事態に戸惑っていたが、しばらくして直子は竜の妹が出たのだと判断できた。

「えっと……竜くんの妹さん?」

「はい……天田美兎です」

「…………」

「…………」

「あの、もうすぐ修学旅行があるんですよね……」

 しばらく何を話していいのかわからず流れていた沈黙を破ったのは美兎の方だ。

「うん、そのことで竜くんに話を聞こうと思ったんだ!」

「お兄ちゃんに?」

「竜くんは修学旅行に行かないって言ってたんだけど、なんとかならないかなって……お、お節介だとは思うけど……」

 直子は出過ぎたマネだということを理解していたので少し尻すぼみにそう言った。

「私もね、お兄ちゃんに修学旅行に行ってほしいの!!」
 
 美兎は直子に縋るようにそう言った。お兄ちゃんが修学旅行に行けるならどんな手でも使ってやるくらいの気持ちでいたのだ。

「美兎?」

「お兄ちゃん?!あのね、お母さんから電話があったから出ちゃったの」

 背後から竜の声がして美兎は慌てて電話を切った。竜は鋭い方だ。自分が何かしようとしていることはきっと見透かされていると思いながら咄嗟に嘘をついた。

「焦って切っちゃったからもう一回かけるね」

 竜は訝しげな顔をしながら美兎の様子を見守っていた。

「出ないや……美兎が勝手に切ったから怒っちゃったのかな?」

「美兎、言いたくないなら言わなくていいけど、嘘つくのは感心しないよ。あの人が電話かけてくるわけないんだから」

 項垂れる美兎を諭すように竜は言った。竜は誰にでも優しく肯定的で、自分の一方的な心象を露わにしないが、親のことになるとそうもいられないようだ。

「うん……でもね、美兎はお兄ちゃんに楽しいこと諦めてほしくないもん……」

 美兎はほっぺを膨らませて竜に訴えた。そんな美兎の頭を撫でて「気持ちは嬉しいよ」と優しく囁いた。

「さあ、明日の支度をしてもう寝る時間だよ」

 夜の9時を示す時計を指して竜は美兎にそう言った。なんだか丸め込まれたような気がしてモヤモヤしながら美兎は時間割を揃えて布団を敷いた。

(このままじゃ終われないよ!)

 美兎は心の中で決意を固めた。


**


「竜くん!突然なんだけど、美兎ちゃんってどんな子?」

 出会い頭に直子は元気よく問う。竜は美兎のことを直子に話した覚えがないので驚いた。

「どうして美兎の名前を……?」

「えーっと、その、風の噂で…………」

 わかりやすくしまったという顔をしながら、なんとか誤魔化す直子を見ると、それが嘘なことはすぐにわかった。

「昨日美兎と電話したよね?」

「あはは……さすが竜くん……エスパー?」

 目が泳ぐ直子に、履歴を見たらすぐわかるよと苦笑しながら竜は言った。

「じゃ、じゃあ!単刀直入に聞くけど、竜くんは修学旅行行かなくていいの?!」

 直子は向き直り正面からぶつかりに行った。

「行きたい行きたくないの問題じゃないからね」

 竜は淡々と答えた。

「違うよ、竜くんの気持ちが知りたいの!!」

 お金のこととか家族のことが絡んでいることはわかっている。でも、直子はどうしても竜自身の気持ちを大事にしてほしかったのだ。

「僕には行事が楽しみだという感覚がないんだろうね」

 どこか他人のことのように言う竜の肩に手を置いて、直子は顔を近づけながら迫る。

「それは、竜くんが楽しむことを諦めてるからじゃない?」
 
「そうかもしれないね」

 図星だなと竜は思いながら、それを態度に出さずにやはり他人事のように言った。

「私、美兎ちゃんと結託して、絶対竜くんを修学旅行に行きたくさせるから!!」

 直子はそう宣戦布告し、フンッと意気込んで竜に背を向けた。竜はポカンとして直子の背中を見送った。


**


「で、あんたそんなこと言ってどうするつもりなのよ」

 明美の鋭いツッコミに直子は目を泳がせる。

「えっと……とりあえず美兎ちゃんに…………」

「美兎ちゃんの連絡先って竜くんの携帯電話だよね?」

 自分の無計画さを痛感する直子に、小春の問いかけが追い討ちをかけた。

「私無計画すぎない?!」

 明美も小春も口には出さないが、今更気づいたのかというような顔をした。

「アイツ1番攻略難度高そうだし、今度ばかりは無理でしょ」

「やってみなくちゃわからないよ!!」

 直子は声を大にしてそう言った。1番そう思いたかったのは直子自身だ。

 しかし、何をどうするべきか具体的なプランは何一つ浮かんではいない。直子は頭を捻った。

(まずは美兎ちゃんと合流しないとだよね)

 そのためには……。そうだこれしかない。


**

 竜は放課後の委員会を終えると、速やかに靴箱に向かった。直子は竜の後を追うように物音を立てないように気をつけながら靴を履いた。

 周りにも目をくれず淡々と歩く竜は、直子につけられていることにも気づかず、いつものように電車に乗った。直子は一両離れた車両に乗り、追跡を続ける。

 竜を見失わないように目を凝らして見ていたが、その圧に気づいたのか直子の方を振り向いた。目が合うと竜は直子に微笑みかけた。

(バレた…………)

 結局見つかってしまったので、直子は落胆して自分の降りる駅で降りようとした。

「樋口さん」

 何故か竜も直子と同じ駅で電車を降り、直子を捕まえた。

「尾行……だよね? 普段電車通学じゃないから気になったんだけど」

「えへへバレちゃった……美兎ちゃんと話す方法これしかないからさ」

 でもこれもダメだったしノープランだなぁと嘆く直子に竜は予想外の言葉を発した。

「樋口さんが良ければうちに来てみる?」

「ふぇっ?」

 驚いた直子は気の抜けた声を出した。そんな敵に加担するようなことがあっていいのか。

「美兎も会いたいと思うし、樋口さんは信頼できるから」

 動揺する直子に竜はそう続けた。信頼できるなんて言葉を言われたのは生まれて初めてかもしれない。

「え、へへへ……ありがとう」

 どう返して良いかわからず照れ笑いを浮かべた。

 それから二人は次の電車でもう一度竜の家の最寄駅に向かった。

「体育祭のときを思い出すね」

「うん、あのときは……」

 直子はいつものように言葉がスラスラ出てこない。変に竜を意識して、煌と景の元気のない顔が浮かんで、口をつぐんでしまった。

「今日のことは二人の秘密だね」

 竜は直子と目を合わせずそう言った。直子が煌と景に悪いと思っているのを察して、今日のことは口外しないつもりだという意味で言った言葉は、直子をさらに動揺させた。

「ふ、二人の秘密……」

 なんだかいけないことのような気がしたのか慌てたような表情を見せる直子を、竜は愛しそうに見ていた。

「もう次だね」

 車内アナウンスが次が降りる駅だということを告げた。

 直子はなんとなく早く電車を降りたくて立ち上がる。

 すると、そのタイミングと同時に電車が大きく揺れて、直子の正面で吊り革につかまっていた竜の体にぶつかった。

「ご!ごごご、ごめん!!!!」

 直子は顔を真っ赤にして竜から飛び退いてもう一度座った。竜の男らしい体つきに触れ、余計に意識してしまう。

 電車が駅に着くと、直子は電車を駆け降り、竜から少し距離を取った。竜はそんな直子を見ながらはぐれないようにねと声をかけた。

 けれどその言葉で竜が自分をも妹のように思っていることに気づいた。同い年の、年相応の男女のような関係ではないんだと思った瞬間ドキドキがおさまった。子どもっぽい自分と大人っぽい竜。そんな二人の関係を勘違いするのは自分自身なんだと思うと急に楽になった気がした。


 竜の家は駅から10分ちょっとで、同じ形の古い一戸建ての住宅が密集するようなところだ。

「あ!お兄ちゃんおかえり!!!」

 出迎えたのは小学生の女の子だ。おそらく美兎だろうなと直子は思い、前に出て挨拶をする。

「美兎ちゃんこんにちは。私、樋口直子!なおって呼んで!!」

 直子は美兎に目線を合わせて自己紹介した。

「なおお姉ちゃん!よろしくね!!」

 美兎が直子の手を引いて玄関を上がってすぐの座卓の前に座布団を敷き、すぐさま温かいお茶を出した。

「美兎ちゃん、なんていうかさすが竜くんの妹って感じがする」

「本当!?すごく嬉しい!」

 褒められた美兎は誇らしげに目を輝かせた。

「そうだ!なおお姉ちゃん、あのね……」

 自分たちをニコニコしながら見守る竜に聞かれないように美兎は直子に耳打ちした。竜は、「僕は上にいるから二人で話したかったらごゆっくり」と言った。余裕すら感じる兄の落ち着きに美兎は驚いて目をパチクリとさせた。

「あ、もう知られちゃってるから大丈夫だよ。だから竜くんが家まで案内してくれたんだし」

「それって、竜お兄ちゃんが修学旅行行ってほしいって言われても嫌じゃなかったってことなのかな?」

 直子の言葉を聞くと、美兎はチラッと上階を気にしてそう呟いた。

「竜くん、本当は行きたかったりして」
 
 勝手な想像で直子と美兎は話を弾ませていた。



「ただいまー」

 玄関のドアが開くと、土まみれのズボンを履いた少年がそう言った。

「もう!虎お兄ちゃん!!またこんなに汚してきたの?」

 美兎は彼に駆け寄り、ズボンをパンパン叩くとすぐに彼を洗面所の方に引っ張った。

「おい、それより……あれ誰だよ?」

「誰って、竜お兄ちゃんのカノジョだよ!!」

「カノジョ!?!?」

 ブフッ……!!!

 美兎の衝撃発言に直子は飲みかけたお茶を吹き出した。

「ごめんごめん!でも私彼女ではないから!!びっくりした!!」

「そうなの?」

 美兎はタオルを差し出しながら残念そうにしょぼんとした顔をした。

「でも竜くんのことは好きだよ。優しくて何でもできて……美兎ちゃんや虎くんのことすごく大切にしてるんだよねー」

 そうフォローすると、美兎は途端に元気を取り戻し、だよね!!!と深く頷いた。

「で、カノジョじゃない女の人がなんでうちに来たの?」

 虎彦は不思議そうに直子に問う。

「竜くんが修学旅行行かないって言うから説得しに……」

 直子の答えを聞くと、あーなるほどと虎彦は納得した様子を見せた。

「オレも協力するよ!!」

 虎彦もまた直子の味方になった。

「でもお金がないのはどうにもならないよね……」

 しかし、それで問題が解決したわけではない。味方が増えたところで目の前にある大きな現実はそう簡単に動くものではないのだ。

「よーし!作戦会議だ!!」

「おー!!」

 三人は上の部屋で竜が聞いていることなど忘れて盛り上がった。


**

「なおお姉ちゃん!また来てね!」

「絶対だぜ!!」

 夕食を一緒に食べようと誘われたが、父に怒られないように早めに帰ることにした直子を美兎と虎彦は見送った。

 その帰り、竜と直子がいい関係になるのを引き止めるかのように、直子のスマホが鳴った。

「えっ、煌くん……から?」

 恐る恐る電話に出ると、聞こえてきたのは意外な言葉だった。




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