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10話 修学旅行

「翔くんと司くんは三人のこと何か知ってるの?」

 放課後、直子は単刀直入に翔と司に尋ねた。なんとなく竜や煌とは気まずいし、景は調子が悪そうだったから避けてしまったが。

「俺らもあんま踏み込んで聞けねぇ〜んだよ」

「行きたくないわけではないとは思うんだけど、行かないかもしれない空気は漂ってるよな」

 二人は分かりやすく考える仕草を見せながらそう言った。司たちでさえ知らないなら誰にも話してないのだろう。

「私、なんとかして三人にも修学旅行楽しんでほしいよ……」

 明美の言ったようにお節介かもしれないが、直子は出来る限りのことをしてみようと思ったのだ。

「俺らも協力するぜ! 思い出はやっぱ一人でも多くの友達と共有できた方がぜってぇ〜良いし!」

「オレも。出来ることは少ないかもしれないけど……」

 司も翔も直子と気持ちは同じだった。本来五人の班で、そのうち三人も欠けてしまうことを思えば、直子よりもその気持ちは強いかもしれない。

「ちなみに俺は佐野先生あたり何か知ってると思うんだよな〜」

 佐野先生は養護教諭で、教室に入れないときに煌の面倒を見ていたこともあり、そういう事情には詳しいだろう。

「景も保健室にいるし、様子見がてら聞きに行ってみるか〜!!」

 司はそう言うと早速動き始めた。



「佐野先生〜〜!!」

 勢いよくドアを開け、大きな声で呼んだ直子に佐野先生は口元に指を当てて怒ったような顔をしていた。

「面談中の文字が見えなかったのかしら」

 佐野先生は呆れ顔でそう言うと、向かいに座っていた女性にすみませんと謝った。

「いえ、お気になさらず。その子たちの用が先で構いませんよ」

 どちらかといえば地味な風貌の女性は優しげに微笑んだ。

「お話の間、少し景くんの様子を見てもよろしいですか?」

 佐野先生がいいですよと返すと、女性は立ち上がり、直子たちの方にも軽く会釈をしてカーテンで仕切られたベッドの方へ歩いて行った。

「あの人、景くんの知り合い?」

 あまりにもストレートに疑問を投げかける直子に翔と司は少しヒヤヒヤした。

「直子ちゃん! もう少しデリカシーを身につけてほしいわ」

 佐野先生は少し棘のある言い方をした。直子もしまったというように口元を両手で押さえた。

「で、三人は何の用で来たの?」

「あ〜えっと、俺らも景に会いに来たんだけど……お取り込み中だしいいや」

 司は空気を読んでそう言った。デリカシーがないと注意された手前、踏み込んで事情を聞くことは不躾だと思ったのだ。

「あの……私はいいから、景くんに会ってあげて」

 保健室から出ようとした司たちに先程の女性が声をかけた。終始自信なさげなその女性の言動が気になりつつ、直子は遠慮せずに再び体の向きを変えた。

 佐野先生は本当にいいんですか? と小声でその女性を気遣った。すると女性は困ったように笑いながらこう言った。

「景くんの状況を変えられるとしたら、私ではなくあの子達だと思うから」

 直子はそう言われて首を傾げた。もしかしたらその人は景の親かもしれないと思っていたから、その言葉が意外に感じられた。数か月前に景の部屋で見た写真の人物とはかなり異なる印象だったが。
 その空気の中で、「あなたはいったい誰なのか」、「どうしてそんなに遠慮がちなのか」、そしてそもそも聞きに来た「景は何故修学旅行に行けないのか」と切り出す勇気はいくら直子や司でも持ち合わせていなかった。それどころか、その女性に代わって自分たちが景と話すことさえ躊躇われた。

 気まずい沈黙が流れ、その女性も直子たちもその場で目を合わせずただ立っていただけだった。

 沈黙を破ったのはカーテンを引く音だった。謙虚で自信のない自慢の育て親もいつも自分を引っ張ってくれる明るく優しい友人たちも、気遣いあって気まずい空気が流れていることに一番心苦しく感じていたのは外でもない景だった。

「裕子さんにも、佐野先生や司や樋口たちにも聞いてほしいことがある」

 そう切り出した景に対し、各々が彼をもてなすかのように場をセッティングした。裕子さんと呼ばれた女性と佐野先生が景の横に、その正面に直子たちが並ぶ形で保健室のソファに腰かけた。

「まず、司たちに紹介したい。……俺の育ての親の裕子さんだ」

 景は手のひらで示すように隣にいる女性を紹介した。

「景くんの叔母の赤城裕子です」

 司も直子も景の詳しい生い立ちを聞いたことはなかった。言われてみれば、父親がイギリス人だということしか知らなかったように思った。景と裕子さんがどこかよそよそしいのは、実の親子ではないからだろうか。

「こうして裕子さんと佐野先生が何度も話し合っているのも、司たちが俺を気にしているのも、俺が修学旅行に行くか行かないかを決断できずにいる所為だ」

「皆に迷惑を掛けて本当にすまなく思っている」

 こういう姿ばかり見せて情けないと言う景の憔悴した顔は、不安と焦りと後ろめたさでぐちゃぐちゃに濡れていた。普段の景からは想像もできないような様子だったが、そこにいた誰もが驚かなかった。むしろそんな景に対して、少しでも何か話してくれればと皆思っていたくらいだ。

「俺は……本当は行きたいとは思っている」

 絞り出すように景は言った。「じゃあ行けばいいのに」と思っていても、軽々しく口にすることは司たちにはとてもできなかった。

「じゃあ行こうよ!」

 その中で、直子だけは違った。やっぱり景は行きたくないわけではないのだと頷いて、景の葛藤など気にもしないで単純明快に言ったのだ。

「…………でも、俺が行くことで皆に迷惑を掛ける。ならば行かない方がいいだろう」

 景は直子の目を見て、けれどやっぱりダメだというように俯いてうじうじとそう言った。

「誰が迷惑だって言ったの?」
 
「……」

 直子の質問に景は答えられなかった。思い返してみれば、誰かに明確にそう言われたわけではなかったからだ。ただ、そう言われる以上に深く傷ついた言動は多々あった。そのことを話すべきだろうかと迷いの気持ちがあり、結果的に口を閉ざしてしまったが。

「克服するためには、景くんのこれまでの話を話すことが必要なステップだと思うわ。私から話すか、裕子さんに話していただくか、景くんが自分の口で打ち明けるか……景くんはどうしたい?」

 佐野先生は、そんな景の様子を察したのか、選択肢を与えた。そして、景は自分で話すことを選んだ。

「合宿のときのことを覚えているだろう」

 景はそう言うと皆が頷くのを確認して続けた。

「あれはバス酔いもあるが、精神的な問題が大きかった…………10月のときも、今もそうだ」

 景はしょっちゅう体調を崩すほど身体が弱いわけではない。ただ、合宿や遠足などがあると、精神的な不調が体にも影響を及ぼすのだと言った。
 直子も翔もきょとんとしていたが、司が大事な試合とかテストとかの前に腹が痛くなるとかのそれかと言うと急に納得した表情に変わった。

「でもなんで……そういうのって楽しい行事じゃん? 何か嫌なことでもあるの?」

 直子の率直な疑問に景は少し言いづらそうにしながら続きを話した。

「小学1年生の5月に初めての遠足があったんだが、そのバスで吐いてしまった」

 そのことは景の中で長い間尾を引いていた。

「俺にとって、司や樋口たちが初めての友達なんだ……この意味が分かるか?」

 少し間を置いて景はそう問いかけた。これまで友達が出来なかった。そこにいた全員がそう理解した。それで間違いはなかったのだ。

「俺は遠足の日以来、周りと打ち解けることなど出来ずにこれまで過ごしてきた。今となってはその後の俺の振る舞いにも問題があったとは思うのだが、その一件が発端になったことは明白だ。人には言えないようなあだ名で蔑まれていたからな」

「そして、高校でもそうなるものだと思い込んでいた。これまでと変わらず、交友関係など捨てて勉強に熱中出来ればそれでいいと」

「だが、そうはならなかった。俺は、こんな俺に対しても変わらずに接してくれる素晴らしい仲間と出会った」

 ときどき自嘲気味に笑いながら景の独白は続いた。

「ずっと一人だったから、色々なことに誘われてようやく行事などの楽しさを知ることができた」

「だから修学旅行も参加したいと思ってはいる。司や翔が同じ班に入れてくれたこと、樋口が自由行動を共にしたいと言ってくれたこと、俺は本当に嬉しく思っている」

 照れ臭そうにそう言った景は、さらに感謝の言葉を加えた。途中まで神妙な面持ちで話を聴いていた直子は、景の気持ちを知り、嬉しそうに笑った。

「良かった〜! 私何も考えずに誘っちゃうから、嫌がられてたりしたらどうしようかなって思ってた!」

「嫌だと思ったことは一度もない。俺は、樋口を…………」

 直子の言葉に、景は自分の気持ちを正直に言わねばと思った。しかし、それにしてはギャラリーが多すぎる。二人の世界に入りかけたところで冷静になった。
 恥ずかしそうに座り直した景はその続きを飲み込んだ。

「つまり俺が修学旅行に消極的なのは、過去の出来事を引きずっているせいで心身に影響があり、その結果せっかく良くしてくれる友達……司たちに迷惑を掛ける可能性があるからだ」

 景は仕切り直して話を端的にまとめた。

「そんなの忘れちゃえばいいのに……」

 直子は思わずそう呟いた。

「だって、バス酔いとか具合悪くなるとかそのときはどうしようもできなかったんだよ? 初めてのことで失敗するのは当たり前だし、たまたま周りが悪かっただけじゃん……。それで景くんが一生旅行とか楽しめないの私は絶対良くないと思う!!」

「そうだな。そう思うと、お前は絶対克服すべきだ。俺らで良ければ全力で力になるから! それに俺は景やみんなと一緒に楽しみたいしな!」

 直子の説得に感化された司は景の目をまっすぐ見つめて言った。

「オレも何かできることがあったら何でもするし、迷惑とか気にしすぎだって。普通は迷惑掛けるし、同じくらい迷惑掛けられて結果的にチャラみたいな感じだろ。友達ってそういうもんじゃん」

 翔もそう続けた。三人ともが心から景のことを想っていることは本人にも伝わっていた。

「景くん、こんなに素敵な友達がいるならきっと大丈夫よ。お金の心配もしなくていいからね」

 これまでの景のことを思えば、ここにいる素晴らしい友人に恵まれたことは裕子にとっても自分のことのように嬉しかった。

「皆も裕子さんもありがとう」

 景はいつになく素直に笑って感謝を述べた。
 
「景くんやみんなの気持ちはよく分かったわ。私もみんなが楽しめるように努めるけれど、養護教諭として無理はさせないからね」

 佐野先生は最後にそう釘を刺した。あとは景の精神的な問題だけだが、そのすっきりとしたような顔を見ると恐らく問題はないだろう。

 しかしまだ全てが解決したわけではなかった。
 直子は景が行けるかもしれないと喜びつつ、竜や煌のことも気になっていたのだ。
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